5-7 「毒蛇再来」

5‐7 「毒蛇再来」





 ビル・ブラッドが仕掛けた爆薬は、そもそも地上遠征にて【カーネル】破壊のために用意された物。それを【アースバウンド】にて五つある艦橋の一つである第三艦橋の天井に、密かに設置し爆発させた。 





 その爆発は本来なら鑑体の厚い壁を壊すほどの威力では無かったが、鑑が浮上していたことによっていつも以上に強い水圧がかかっていたことがその衝撃を倍増させた。





 そして【第一居住区】の天井にはポッカリと穴が開き、大量の海水が滝のように流れ込んだ。初めは直径1mあるかないかぐらいの小さな穴も、流れ込む水の圧力でどんどんその大きさを増し、その直径は30mを超えた。





 ワーム寄生者発見・艦体浮上・そして天よりの洪水。怒濤のように攻めくる事態に、住民達は大パニックを起こし、あても無く逃げまとう者。ただただ祈りを捧げる者。この期に及んで盗みを働く火事場泥棒までもいた。






 そしてとうとう【アースバウンド】は海面に浮上。シュメール神話の大洪水を思わせる水攻めは止み、一転世界が静寂に包まれた。





 道路は浸水し、水によって流された自動車や建材が散乱。【第一居住区】は一瞬にして荒廃したが、人々は皆「そんなことはどうでもいい」とばかりに黙って天を仰ぎ見ていた。








 ただ今艦内時間は午後9時32分。本来なら鑑内証明は暗くなり、夜間を演出しているハズだった。しかし居住区は天から差し込む強烈な光に包まれ、水浸しになった建造物の数々がキラキラと輝きを見せる。





 その光の正体は[太陽]。そしてその背景に写される青い空と白い雲。





 多くの人間にとって初めて肉眼で見る「空」はあまりにも神々しく、そして超自然的とまで感じられ、感極まって涙を流す者もいた。









 ■ ■ ■ ■ ■









「[アイツ]が来る! 」





 【アースバウンド】が完全に浮上したと分かるや否や、ビル・ブラッドは因縁の回転式拳銃を素早く拾い上げて大型ジープのような勢いで走り、【操舵機関堂】から飛び出した。





「待て! 」





 コーディ・パウエルも同じく飛び出し、彼の背中を追いかける。





「ちくしょう! 」





 ニールや他の護衛隊達もそれに続いた。





 天井に穴が空き、海中に潜ることも出来ずにただただ無防備な姿をさらしている【アースバウンド】を今はどうすることも出来なかった。かと言って事の発端であるビルをそのまま放置するワケにもいかない。





「待って! 」





 何も出来ないことは分かってはいるけど、僕も一緒になってビルを追いかけた。というよりも、それしか出来るコトが無かった。





 【操舵機関堂】から外へと出ると、200年ぶりに味わう刺激が僕を襲った。

 まぶしいっ! 





【アースバウンド】の天井部に開かれた大穴から、神々しい光の線が【第一居住区】を光照らしていた。それを見て僕は雲からこぼれる光の階段を記憶から蘇らせた。





 【操舵機関堂】の出入口ゲートは【第一居住区】の町並みを上から見下ろせるような場所にあり、そこから見下ろす風景は一枚の名画のように神秘的で感動的だった。





 ビルは逃げることなく立ち尽くしてその光景にただじっと見入っていた。





 そしてコーディ、ニール、僕も含めてその場にいた全員が、天からの祝福に心を奪われていた。





 僕は一瞬だけ、今自分はスグにでも命を落としかねない窮地に立たされていることを忘れた。ロマンチックなこの光景を、記憶に深く刻もうと夢中になっていた……。





 きれいだ……。





 でも、それもやはり一瞬だけの感情だった。





 僕は見つけてしまったのだ。光のカーテンから浮かび上がるその姿を。





 初めは小さな黒い点だったそれは、徐々にはっきりとそのフォルムを露わにさせた。





 左右に羽が生えたような独特のカタチを模した蛇の頭。漆黒に輝く鱗を重ねたような強化素材の鎧を全身に纏った人型のロボット。





 僕は直接見たことが無かったが、その正体はハッキリと分かった。【医療科学研究所】でコーディが教えてくれた[アイツ]の姿に間違いない。








 それは100年以上もの間、人類の存在を地上から追い出した者……。





 そして、10年前に【アースバウンド1号鑑】を巨悪の砲撃で撃沈した……。





 さらに、アリーやコーディの仲間を虐殺し、ビルの心を惑わせた者……。





「来やがったな……! 」





 コーディは近くにいた護衛隊から自動小銃を奪い取り、空中を悠然と漂う[アイツ]に向けて銃撃を敢行した。





「うおおおおおお! 【コブラ】ぁぁぁぁッ! 」





 雄叫びを上げながら弾丸を浴びせるも、火花が飛び散るだけ。【コブラ】にとってはライフル弾も砂粒がまとわりつく程度にしか感じられないようだった。





「コノ日を待チわびた……100年以上モ……」





 [コブラ]は、くぐもった機械音声を発しながら、ゆっくりとビルの目の前に降り立つ。





「【コブラ】……約束は守ったぞ……」





「アア、ヨクやった。ビル・ブラッド」





 【コブラ】は僕達に背を向けてビルと向かい合う。他の人間のことなんてまるで眼中に無かった。このままビルさんは[二次元世界]へと旅立ち、【アースバウンド】は【カーネル】によって破壊されてしまうのか? 









「……ジーツ君! 」





 僕の耳元で囁き声が聞こえた。





「え? 」





 振り返るとそこには、人差し指を唇に当てて「静かに! 」のサインを送るアリーさんがいた。傍らには血糊まみれのリフが、興味深そうに【コブラ】の姿に釘付けになっている。





「チャンスだよ 」





 [チャンス]その言葉が意味するコトを察するには時間は掛からなかった。





 そう、僕とアリーによる必殺技【グレムリン効果】を発動させ、目の前で背を向けている人類の宿敵をクズ鉄に変える千載一遇の好機が目の前に転がっているのだ! 





 だけど……





「アリーさん……こんな状況で……その……」





 アリーも遅れてその【グレムリン効果】の発動タイミングの特殊さを思い出したようで、少し困惑する表情を作った。





「ええっと……そうだね」





 アリーはそう言って目を泳がせると、何かに気が付いたのか一瞬驚きの表情を作って顔を真っ赤に染め上げてしまった。





 僕は「何だ? 」と思って周囲を見渡すと、【グレムリン効果】の発動がより困難な状況に陥っていることに気が付いてしまった。





 なぜならコーディ、ニール、ドクター、それと大勢の護衛隊員達全員が……





 こっちを見ているのだ……。





「早くしろ! 」

「チャンスだぞ! 」

「何をためらってるんだ」

「パッとやってパッと倒せ! 」

「早く出せ! 」「何とかしろ! 」

「ヤっちまえ! 」





 というような心の声が僕とアリーに超絶なプレッシャーを与えた。





 ちょっと待って! みんな分かってるハズでしょ? こういうコトは急かされれば急かされるホド……





 出来なくなっちゃうことを……! 





「ジーツ君! 」





「へ? 」





 アリーは僕の両肩に手を置き、怒っているような笑っているようなヤケクソじみた表情で僕の顔をのぞき込んだ。





「今から[する]からスグに離れて! 」





 [する]? それは一体? 





 アリーの両手は僕の双肩から両頬へとシフトした! 首の動きを制限され、身動きが取れなくなる。





 何が始まるんですか? 





 視線を真横にずらすと、そこには拳を握りながら好奇の目で僕達を見守るコーディ達の姿……。





 なんだコレ? なんなんだこの状況? その握り拳はなんなんですか? 





 恥ずかしさと焦りで心臓が口から飛び出しそうになった。僕の顔はきっとペイント弾を直撃したかと勘違いするほどに真っ赤になっているだろう……。





 くそう……正直うれしいシチュエーションだけど、凄まじく恥ずかしい! 





 僕は今大勢が見守る中、そして人間の天敵とも言える機械の番人がいる後ろで欲情しなければいけないのだ! 





「いくよ! 」





 アリーの顔が容赦なく近寄った!





 これは[アレ]だ! アクション映画においてはヒーローとヒロインが夕日をバックに行う様式美的行為! 男と女がお互いの愛情を確かめる伝統的儀式! 









「あ……」





 僕は感じた。右頬に確かに伝わる艶やかな感触を……やや湿り気を帯びた柔らかな温もりを。





「ごめん」





 アリーが少し申し訳なさそうな顔で僕に呟いた。その「ごめん」が何を意味するのかはさておき、全身の毛穴から高揚感が噴出する感覚が僕の身体には確かに沸き上がった! 





 全てが整った! 





 僕は振り返って【コブラ】の背中めがけて疾走する! 走りながら自分の両手を見ると、その肌は褐色に染まっていた。





 いける! 





敵との距離、5m。準備万端、脳がみなぎり心が躍る! 





 【グレムリン効果】を浴びせるべく、僕は両手を【コブラ】に向けて突きだしながら走った!









「グワッシャアアアアアアッ! 」









 え?





 空気を震わす轟音と地鳴り。僕はその衝撃で尻餅をついてしまい、スグに状況が飲み込めなかった。





 何が起きた? 太陽が雲に隠れたかのように辺りは暗くなっていて、目の前には大きくて黒い柱のような物がそびえ立っている。





 まさか……。





 その黒い柱には見覚えがあった。それは柱ではなく巨大な足。視線をゆっくり上に向けると、そこには巨悪で絶望の象徴とも言える象の顔が僕を見下ろしていた。





「BME! 」





 【アースバウンド】に悪夢をもたらした地獄の使いが、僕と【コブラ】との間に立ち塞がった。





「ジーツ! 」「ジーツ君! 」「小僧! 」





 まずい……もう我慢が出来ない……





 僕は【コブラ】を倒す為に仕込んだ【グレムリン効果】の発動を、これ以上こらえるコトが出来なかった。





 これはまるで、尿意をギリギリまでこらえた状態でトイレ入口のドアノブを握るも、使用中になっていて開けることが出来なかった時の絶望感に似ている。





「うわああああああああっ! 」





 僕は豪快に解き放った。機械を無慈悲に停止させる電磁波の球体を。





 そして失った。隙を見せつけていた毒蛇の化身を倒すチャンスを……









 全てが……0になった……。





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