5-6 「約束」

5‐6 「約束」





 ビル・ブラッド元クジャク部隊副隊長が犯したミスは大きく二つ。





 まずは、ギャビン艦長が死ぬ間際に起動させた[置きみやげ]に気が付かなかったこと。




 これによって【操舵機関堂】がビルによって占拠されていることが分かり、武装した護衛隊の多くがスグに機関堂へと集まった。





 次にリフの能力を甘く見ていたこと。





 天才ドクターであるオーヤ・ムーンの影響を色濃く受け継いだ彼女を野放しにすることが、どれだけ危険かをビルは知らなかった。





 彼女は8歳の時に、【操舵機関堂】のメインコンピュータへと外部からアクセスするという恐ろしいことをやってのけた実績がある。セキュリティの解除くらいはお手のものだった。









「コーディ、僕の邪魔をするのはいつもお前なんだな……」





「そうだな……BMEの時、あんたが浮上にこだわってた理由が分かったぜ」





 僕達をはじめ、多くの護衛隊に囲まれたビルはまさに、あと一手で真っ白に染まってしまうオセロの[詰み]状態だ。





「ビル、浮上を止めて投降しろ! いくらお前の腕でもな、この人数に囲まれたとなっちゃ、手も足も出ないことくらい分かるだろう」





 元上官であるニールが戒めるも、ビルは右手に構えた拳銃を離すことはなかった。それどころか不気味な笑顔作り、僕達にその表情を向けた。





「あと6分……」





「あぁ? 」





「浮上まであと6分ほどだな」





 まるで映画の上映が始まるまでの時間を確認するかのような淡々とした口調でビルは呟いた。





「ゲームをしよう」





 ビルは突然、リフを左腕で首を絞めるように抱え上げた。





「ううっ! 」





 そして彼女のこめかみには拳銃を突きつけられる。





「リフッ! 」





 妹の危機にアリーが飛び出した。その瞬間一発の銃声が鳴り響き、彼女の足下の床に小さな穴が出来上がる。





 一瞬で護衛隊達が小銃を構え、スグにでも発砲出来る姿勢を作った。





「待って! 」





 アリーは護衛隊達に向けて咄嗟に声をあげた。それもそのはず、このままビルに向けて発砲すれば、リフも銃撃の餌食になることは明らかだ。





「さあ、どうする? 鑑の浮上を止めるには僕の背後のメイン端末を操作しなければならない」





 ビルは後ずさりして機関堂の奥へと後退した。





「そのためには僕に近寄らなければならないな。

でも気を付けてくれ、僕はその気になればスグにでもこの子を殺すぞ」





「ビル! もうやめてくれ! 」





 コーディの叫びも、もはや馬の耳に念仏。ビルにとってはただの雑音と化している。





「さあ、選んでくれ。

この子を犠牲にして近寄り、浮上を止めるか? 

それともこの子に当てる覚悟で僕に銃撃を敢行するか? 

さあ、どうする? 時間はもうないぞ? 」





 悪魔の選択肢を告げたビル。その顔にはクジャク部隊の誇り高き軍人だった面影は無くなっている。





「コーディさん……多くの住民の命が掛かってます……ここはやむを得ないでしょう…… 」





 護衛隊の一人が苦悶の表情でコーディに強行突破を提案した。





「…………確かにそうだ……」





 苦渋の発言を漏らすコーディに対し、アリーは一瞬だけ驚きの表情で彼に視線を向けた。





でも【アースバウンド】で生活を送る全ての人々の運命に関わることを思ったのだろう、苦悶の表情を作り無言で小さく頷いて、その案も致し方ないと覚悟を決めたことを彼に伝えた。





「アリーさん……」





 僕はそんな彼女の姿を見ることが辛くて仕方がなかった。彼女はリフの妹でありながらも、軍人なのだ……強行手段を反対することは出来なかった。





「でもな……」





 コーディは右手に持っていた拳銃を床に捨てて蹴り飛ばした。





 回転しながら床を滑る拳銃は僕の足下で動きを止め、反射した光が僕の目を少し眩ませた。





「ジーツ、その銃ちょっと預かっててくれ」





「は、はい! 」





 僕は言われた通りその銃を拾い上げる。ブローバック式の白銀を思わせる輝きの拳銃だ。





「みんな、1分だけ時間をくれ! それが過ぎたら構わずビルに向けて銃撃しろ! そんときゃリフや俺に当たることを躊躇するな! 」





 コーディは両手を大きく上に挙げながら数歩だけビルに向かって歩み始めた。





 彼ははまだ諦めていなかった。リフを助けつつ、【アースバウンド】の浮上を止めるという第三の選択肢を。





「コーディ! 」





「心配するな! お前の妹は助かる」





 丸腰であることをアピールしつつ、ゆっくりとビルに近寄るコーディ。護衛隊を含め、僕達はその後ろ姿から目が離せなかった。





「コーディ……最後の最後まで僕を邪魔するのか? 」





「ええ、同じ釣り仲間のよしみですから」





 コーディは話をしながら、徐々に距離を詰める。





「お前なら僕の気持ちが分かってくれると思ったが……」





「そんなの分からないっすよ。 あんたのやってること、暴君ネロだって理解しかねますよ……」





 コーディは【アースバウンド】を危機に陥れるテロリストとしてではなく、つい数週間前まで共に死線をくぐり抜けた戦友に対する態度と言葉使いでビルに話しかけた。





「コーディ、一つ提案がある」





「何すか? これから一緒にコーヒーでも飲みにいきますか? 」





 軽口を叩くコーディに対し、ビルは少し素の表情で笑顔を見せた。





「それもいいがな……」





「なんですか? 」





「キャロルに会いたくはないか? 」





 遠くから見守る僕からでもハッキリと分かった。コーディの顔が一瞬で険しくなったことが。





「あんた、寝ぼけてるんですか? 」





「いや、目はばっちり覚めているぞコーディ。

言葉の通りさ。【コブラ】に頼めば君の魂も[二次元世界]に送ってくれるだろう。

キャロルと一緒にな」





「そんなコトが出来るはずない……! 」





「何で躊躇するコーディ? 

お前は俺と同じだ……愛する者を失い、その隙間を埋めたがっているがそれが出来ずにいる。

僕と同じく、狂っているはずなんだ……君の魂も……」





「狂っているだと……? ふざけるな! 」





「その狂気の赴くままに行動しろコーディ! 

全てを捨てろ! そしてこれからの全てを得るんだ! なぜそうしないんだ! 」





 ビルの悪魔のような誘いに一瞬だけ動揺を示したコーディだったが、まだ彼は冷静だった。その瞬間を見逃さなかった。





 ビルはコーディとのやり取りで、ほんの少しだけ油断を作った。[二次元世界]への勧誘に興奮し、リフに突きつけた銃口を一瞬だけ僕達の方へと向けたのだ。





 コーディはその隙を見逃さなかった。





「そんなの決まってるじゃねえか! 」





 僕達の位置からはずっと見えていたけど、コーディはズボンの後ろポケットにもう一丁拳銃を隠し持っていた。





 彼は一瞬でその銃を手に取って構え、銃口をビルの顔面に向けて引き金を引いた! 




 二人の距離はおそらく3m! 





「タン! 」「タン! 」






 弾丸が放たれる音に、僕は一瞬だけ目を反らしてしまった。





 どうなった!? 





 急いで視線をコーディ達の方へ向けると、そこには今度こそ本当に丸腰になったコーディと、無傷で回転式拳銃を右手に構えるビルの姿があった。





「こうくるとは思っていた。けどな、僕は誰よりも知っている。お前の銃撃は餌の無い釣り針と同等だってことを」





 コーディの作戦は失敗した……銃撃を外し、オマケに唯一の武器をビルの正確無比な銃撃によって弾かされてしまうという失態付きで。





 しかし……





 コーディは笑顔を作っていた。そしてその表情は誰かを彷彿させた。





 まさか! 





 僕は咄嗟にビルから預かっていた拳銃を見直した。





「1+1は! 」






 コーディは叫んだ! 護衛隊の人達も、ビルにもその意味が分からなかった。でも僕とアリー、そしてドクターにはその言葉の持つ意味をしっかり理解していた。





 僕は素早く拳銃を構えてその銃口をビルに向けた。距離はおそらく6m。





 ビルは多分、僕の存在を一切マークしていなかったのだろう。彼にとって服に着いたシミくらいの認識だった僕が突然銃を構え始めたコトに驚いて身動きが取れないでいた。





「うおおおおっ! 」





 僕は無我夢中で引き金を引き、ビルに向けて弾丸を放った。





「タン! 」「タン! 」「タン! 」「タン! 」





 そしてその4発の射撃の内、2発がビルの盾になっていた……[リフ]に命中した! 





「なっ……何だと! 」





 弾丸を浴びて全身が血塗れになったリフ。さすがのビルもあまりにも予想していなかった事態に激しく動揺し、とうとう彼女をその左腕から解き放ってしまった。





「ゲームオーバーだ! 」





 コーディは僕が作り上げた隙を狙い、野生動物のような俊敏さで距離を詰め寄って強烈なジャンピングニーキックをビルの顔面にめり込ませた! 





「んぐっ! ……」





 そしてビルと同時に飛び出した一筋の人影。





 アリーが矢のような速さでスライディングしながら、ビルから解放されたリフをキャッチして抱き抱えた! 





 その二人の一連の動作は3秒あったか無かったかという程の早技だった。





「お姉ちゃん! 」





「リフ! 無事で良かった! 怪我はない? 」





「平気! 服は真っ赤になっちゃったけど」





 姉妹の再会を見届け、僕は心に張りつめた緊張の糸がピンッとちぎれたようで、その場に腰が抜けたように座り込んでしまった。









「……よかった~……」









 ビルは倒され、リフも無事に救助出来た。コーディの作戦は成功したのだ。





「おら! お前らなにボサっとしてんだ! さっさと浮上を止めろ! 」





 リフが血塗れになっているのピンピンしている姿を見て呆気にとられていた護衛隊達は、ニールの言葉に我を取り戻し、一斉に動き出した。





「ベントを開け! 浮上を止めろ! 」





 護衛隊がそれぞれ端末に群がり【アースバウンド】を再び潜航させる準備に取りかかる。海面まであと4分、時間は十分にある。





「小僧、よくやった! 」





「あ、ドクター……」





 ドクターが座り込んで虚脱していた僕の肩を軽く叩いた。





「いつコーディさんに渡していたんですか? 例のペイント銃? 」





 僕がコーディから預かった拳銃は、前に2度も餌食になったペイント銃(血液色)だった。





 これを使ってビルの動揺を誘い、隙を作るというのがコーディの作戦だったのだ。





「いや、ワシは渡しとらん。懐に入れていたんじゃが、いつの間にかあやつに奪われていた」





「ええ? 知らなかったの? 」





「まあ多分、コーディのヤツはワシの性格を知っていたからそうしたんだろう。だってペイント銃で驚かすと知ってたら顔に出ちゃってビルにバレてたもん」





「バレてたもんって……ドクター、緊急事態だったってのに……」





 人質に取られながらもこっそり機関堂のロックを解除したリフといい、ムーン家の肝の強さには毎度驚かされる。









「……手癖の悪さは健在だった……ってことか」









 二人の護衛隊によって羽交い締めで拘束されたビルが皮肉めいた笑顔で突然呟いた。顔は鼻血で真っ赤に染まっている。





「ガキの頃から仕込んだ技術ってのは中々忘れないモンですよ」





 コーディはしゃがんで膝立ちになったビルと向き合う。





「なあコーディ……お前は、なんでそんなに冷静なんだ? キャロルのこと、忘れちまってるのか? 」





「いや……あの日以来、一日たりとも忘れたことはありませんよ……」





「それなら……もう一度聞くぞ……[二次元世界]に行く気はないのか? 」





 ビルは再び勧誘を始めた。陰謀は失敗し、真っ黒に染まったオセロ状態だというのに。後ろで彼を拘束している護衛隊も、もはや呆れた表情を作っていた。





「そうですね……」





 でもコーディは、何一つ彼を馬鹿にする態度は見せず、後頭部を書きながら返答した。




「まったくないです」





 コーディはズボンのポケットに手を突っ込み、小さな緑色の葉を取り出し、それをビルの目の前に差し出した。





「だって俺、キャロルと約束したんですよ。コイツの世話を……」





 差し出した葉は小さなミントだった。ビルはそれを見るとゆっくりと視線をコーディに向け、笑顔を作る。





「そうか……お前はそういうヤツだったな」





 ビルはそう言って【操舵機関堂】に大きな笑い声を響かせた。





「ハァーッハッハッハッハッハッハッ! 」





 僕の知る限りでもビルという人間は、感情を大きく爆発させるタイプではない。という認識だったために、大声で笑う彼の姿に少し不気味さを感じた。





「ビル……どうした? 」





 それは付き合いの長いコーディ達にとっても同じだったようで、浮上を停止させる作業に没頭していた護衛隊達すらも、その声に驚いて思わずこちらを振り返った。





「はは……残念だよコーディ……」





 異常な笑顔のビル。血塗れで真っ赤に染まったその顔にコーディは何かを察した。





「ビル! まさかまだ……! 」





「コーディ……僕の勝ちだ! 」





 ビルが謎の勝利宣言した次の瞬間……





「ズゴオオオオオオオオオオオオオオオン!」





 すさまじい轟音! それはまるで100機程のBMEが天から落っこちてきたかと思うほどのビッグインパクトだった。





「うわああっ! 」





 そして……突然世界が傾いた! 





 床が滑り台のように斜面になり、僕は転がって堂内のデスクに激しく叩きつけられた。





「うっ! 」





 僕は強打した背中の痛みを後回しにし、周囲を見渡す。アリーはリフを包み込むように抱きしめて庇い、ニールやドクター、他の護衛隊達は転がらないようにデスクにしがみついて重力の変化に耐えていた。





 全員咄嗟の事態にワケが分からない! といった様子だった。





 再び警報音が鳴り響き、大型モニターの赤い点滅が堂内を照らし、ビルが殺したと思われる死体の山がまるで人形のように力無く床を転がっている。





 信じ難い悪夢の光景が意味することはただ一つ……









【アースバウンド】が……! 傾いている? 









「ビルッ! 一体何をしたんだ!? 」





 僕のスグ横で、ビルの胸ぐらを両手で握りしめながら怒号を上げるコーディの姿があった。





「次元式の爆薬を艦橋に仕掛けておいた……たっぷりな。おそらく今【第一居住区】の天井に大穴が空いて海水が流れ込んでいるだろう」





「なんでこんなことを!? 」





「分からないのか? 鑑の潜航を止める為に保険を仕込んでおいたのさ」





「何だと? 」





「このままメインタンクブローを続ければ、大量の海水が流れ込むより先に海の上に浮上出来るだろう。そうすれば沈没して海の藻屑になることは回避出来るぞ」





「馬鹿野郎! 浮上したら【カーネル】の餌食だろうが! 」





「だから……これは2択だ。【カーネル】により爆散するか、それとも海水をたらふく飲んで溺死す……」





 ビルの言葉は遮られた。コーディの右拳が彼の頬にめり込んだからだ。





「馬鹿野郎……ビル……あんたは狂ってる……」





「そう……僕は狂っているんだ」





 コーディは涙を流していた。





 目の前の掛け替えのない仲間だった男が、2万人以上の人間を犠牲にしてでも失った愛を取り戻そうとする狂気の破壊者だという現実に……そして怒りと悲しみが入り交じった感情に対し、ただ鉄拳を振り回すことしか出来ない自分の情けなさに……。





「ズグォォォォォォォォ……」





 10数秒後、地鳴りを思わせる低く唸るような音と共に、突然世界の傾きが戻って床が水平に戻った。そして先ほどまで感じていた身体が持ち上げられていたような違和感がなくなった。






「これってもしかして……」









『メインタンクブローが完了しました。

【第一居住区】・【第二居住区】および【バラスト層】の住民の皆様にご連絡いたします。

屋外にでる場合は、周囲の安全を十分に確認した後に行ってください。

艦橋より外界へ出る場合も、海面や気象状況を十分に確認の上で行ってください

……繰り返します……』









 緊張感の無い事務的なアナウンス。それは僕を含め、【アースバウンド】の住人にとって、人間を滅ぼす黙示録のラッパ吹きと同等だった。








 【アースバウンド】は145年振りに、その姿を海面へと浮上させてしまったのだ。









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