5-3 「狂気」
5‐3 「狂気」
「クッソタレめ……迂闊だった……」
【操舵機関堂】の固く冷たい床にうつ伏せに倒れ、薄れかける意識の中でギャビン・マステロット艦長は後悔と自責の念に苛まされる。
『ただ今よりメインタンクブローが行われます。【第一居住区】・【第二居住区】の住民の皆様は……』
繰り返し流されるアナウンスが空しく鳴り響く【操舵機関堂】内には血を流して無造作に倒れる機関員達の屍。その数は両手の指では数え切れない。
「海上まで浮上するのにこの海域ならちょうど20分ってトコか……それまでにキャンセルコードを入力してベントを開かなければ……」
ギャビン艦長は腹部に受けた銃撃の痛みを耐えながら操舵機関のメインコントロール端末に向かってゆっくりと這い寄ろうとした。
「うぐわっ! 」
背中に鉄球を落とされたかのような強い衝撃を受けたギャビン艦長は苦痛の声を上げる。
「まだ息があったとは……呆れた生命力だな」
ギャビン艦長の背中を容赦なく踏みつけたその男は、小説を朗読するような淡々とした口調でその言葉を投げ捨てた。
「こ……このクッソ野郎がァ……! 」
ギャビン艦長は歪めた顔をその声の主に仰ぎ向けると、男はトイレの落書きを見るような侮蔑の眼差しで拳銃の銃口を向けていた。
「き……貴様……何故だ? 狂ってるぞ……」
「ああ……そうだ。俺は元々狂っていた。それを隠せなくなっただけさ」
【操舵機関堂】を血の海に変え、【アースバウンド】を浮上させるべくメインタンクブローを実行させた男は、まるで自分だけに言い聞かせるように呟いた。
「もうすぐだ……もうすぐで事は成る……! 」
男の名はビル・ブラッド。
元クジャク部隊副隊長であり、次期護衛隊副部隊長にもなるはずだった男。彼は驚くべきコトに【操舵機関堂】をわずか10分で制圧した。それも、初めはわずか一丁の弾の込められていない拳銃と、一人の少女を使っただけで……
「……くそっ! ビル・ブラッド! ……
貴様はクジャク部隊というイロモノ部隊にいながら、その能力の高さは他の部隊からも常に一目置かれていた優秀な男だったのによ……
まさか……
子供を利用してこの場所を襲撃するほどイカれた奴だとは思わなかったぜ……」
それは誰も予期出来なかった。
■ ■ ■ ■ ■
今から10分前。
【操舵機関堂】に「少女」を抱えて護衛隊の責任者としてビル・ブラッドが現れた。
「ギャヴィン艦長、このような時に押し掛けて申し訳ありません」
「緊急事態だ! しょうがねぇ。それより、その女子はなんだ? 」
ギャヴィン艦長はビルに抱かれながら意識を失っている女児を指差しながらしゃがれ声で質問した。
「友人から預かっていた子供です。
今は寝ていますが……緊急事態で他に預ける暇もなかったので、こうしてここまで連れてきた次第です。
ここは【アースバウンド】で最も安全な場所とも言えますから」
ビルは誠実なよく通る声で説明する。それに追従するかのように、ギャヴィンの部下の一人が割り込んで補足する。
「その女児に関する委任状もここにあります。
なので特例としてここまで連れてくることを許可致しました。
金属探知、ボディチェック、ワーム検査。一連のセキュリティチェックも施しましたので、ご安心ください」
そうか、とばかりに髭を撫でたギャヴィン。
まぁ、ワーム反応さえなければただの子供だし、別に問題は無いだろうと、特に問題視していなかった。
「で、なっんの用でここに来た? ここの入口の警護は全てそっちに任せる。何か必要なのか? 」
「はい、それは2点の確認と許可をいただく為です……
まずは緊急の際に、ここに常駐する武装兵の応援要請の許可、そして万が一この内部で異変が起きた場合に全てのセキュリティロックの解除をお願いしたいのです。
よろしいでしょうか? 」
「分かった。そんときゃ任せておけ。後は任せる」
それぐらいのコトでわざわざ時間をとらせやがって。といった具合の態度でギャビンはスグにその場を立ち去ってしまった。
ビルは女児を片手に抱きながら敬礼し、艦長を見送ると、小銃を携えて武装しているギャヴィンの部下を一人呼び止めた。
「すまない、ボディチェックの際に預けたあの回転式拳銃、今返してもらえないか? 」
【操舵機関堂】内に誰であろうと外から武器を持ち込むことを禁じられている。それを許されているのは機関堂内にて常駐する武装兵のみ。
故に護衛隊といえどここに来るまでのセキュリティで銃器を初めとする武器は係員により一時没収されることになる。
「それなら、すぐにお渡し出来ますが……」
「あれはお守りみたいなモノでね……弾倉は空だったろう? 」
「分かりました、少々お待ちください」
3番セキュリティの審査官によるボディチェックで没収された回転式拳銃。古く年期の入った型式だったことと、弾丸が一発も込められていなかったこともあり、機関堂の武装兵士は特に問題も無いだろうとビルにあっさりと返却を許してしまった。
「どうぞ、ビル・ブラッド殿」
「ありがとう」
ビルはその回転式拳銃を受け取ると、そのシリンダーを開いて6つに開かれた穴をのぞき込み、武装兵に語りかけた。
「一虫枕鑑という言葉を知っているかい? 」
「はい、それは大きな出来事は些細なキッカケで起こることを意味する言葉です」
まるで辞書を読み上げるかのように滑舌よく答える兵士。ビルはそれを見てほくそ笑む。
「その通り……でも僕はその言葉が嫌いでね。何というか、[虫]ばかりに気を取られて最も警戒しなければいけないモノを見落としがちになるんだ……それは」
何か意味ありげな言葉を投げかけられた武装兵はどこか危険な予感を感じ取るも、時すでに遅し。ビルは[行動]に移っていた。
「なっ! 何を!? 」
武装兵は目の前で行われた凶行を信じることが出来なかった。
ビル・ブラッドはさっきまで大事そうに抱えていた女児の口に思いっきり中指を突っ込み、無理矢理嘔吐させたのだ。
「ヴうう……ッ! 」
女児が床にばら撒いた吐瀉物に紛れて、一つの小さな金属片のような物が紛れ込んでいたことを武装兵は確認し、それが拳銃の[9mm弾]であることに気が付いた時には既にビルが手品師のような手さばきで弾丸を回転式拳銃に装填し終わっていた。
『この男……弾丸を女の子の体内に隠していたのか……! この方法なら金属探知機もクリアできる……! なんてこったい! 』
心の中でビルの異常で抜け目ない所業に、ある意味での関心を抱いた武装兵は自分の身を守る暇すらなく……
「バスッ! 」
滑稽とも思える安直な音と共に、彼はちっぽけな銃撃で脳天を打ち抜かれて命を終わらせた。
「敵襲だぁぁぁぁッ! 」
ギャビン艦長を含む周囲の機関兵は、その襲撃に対しすぐに自動小銃で射撃体制をとろうとするも、その時には殺した兵士から奪った新たな小銃を右手に構え、さらには左手で[少女]を掲げて盾にしているビル・ブラッドの姿があった。
いくら訓練を受けている軍人といえど、罪の無い子供を巻き添えにする覚悟でビルに射撃を行うとなると、やはりほんのわずかに躊躇が生まれた。
凶行の開幕はそのわずかなスキがあれば十分だった。
まるでバレエの演舞のような軽やかに立ち回りながら兵士達を撃ち殺しては、その死体から拳銃を奪い、弾丸を補給しつつまた殺し、一人ずつ正確に、次々と人間を射殺していくビル・ブラッド。
銃撃の命中率はほぼ100%だった。無駄の無さ過ぎる射撃の技術。少しも焦ることなく冷静に引き金を引く所作。そのビルの姿はあまりにも非現実的で、そして美しくもあった。
彼に腹部を撃たれて悶絶していたギャビン艦長も、その光景を見て「まるで魔法使いだ……」と思わず心の中で賞賛してしまったほどに……。
わずか10分。ギャビン艦長を除く【操舵機関堂】内の機関兵全32人が血塗れの肉塊と化し、ビルによる殺しの演舞は終了した。
■ ■ ■ ■ ■
『クッソ! 完璧に! 完璧に油断していた! 』
後悔の念に揺れるギャビン。まさか一人の女児の入堂を許可したことでここまでの惨劇に繋がるとは思っても見なかった。
「ギャビン艦長、長い間お勤めご苦労様でした」
そんな彼に残酷な謝辞を送るビル。
「余計なお世話だ……クッソたれが! ……そうか……病院で護衛隊を殺したのもお前だな? 」
「その通り」
「……なるほどな……つまりはお前は……寄生虫以下の魚のクッソってワケだ! ははっ! いや、そんなコトを言ったらクソに失礼か? 」
死ぬ間際まで人をおちょくる艦長。そんな彼をうっとおしいとばかりに、ビルは躊躇無く引き金を引いた。
アナウンスと警報で騒がしくなっている中、それらの音の振動をかいくぐる破裂音が響き渡り、ギャビン艦長の動きは完全に止まった。
「これで全部片づいた」
ビルはこれほどの所業を働いたにも関わらず、まるで「浴槽にこびりついたしつこい汚れが、やっとのことで落とす事が出来た」位の口調と表情で一人呟いた。
『メインタンクブローが開始されました。【アースバウンド】は浮上を行います。艦内住民の皆様は、浮上の際の振動に備えて待機してください……』
さきほどまで喧噪に溢れていた【操舵機関堂】内に鳴り響く無機質なアナウンスが、巨大居住艦体が海面に浮上する事を宣告する。
ビルは重力が少し強まる感覚を体に覚え、そのことから【アースバウンド】が、確かに浮上を開始したことを確認して安堵の表情を作る。そして彼はしばらく黙って右手に握られた回転式拳銃をじっと見つめていた。
「ううっ……ゲホッ、ゲホッ……ぐるしい……何なんですか……」
突如聞こえた間の抜けた声、ビルは背後ゆっくり振り返り、その声の主へと視線を送る。
「……ってアレ?……ドコですか……ここ? 」
緊張感の無いその声は、ビルがこの場を襲撃する際に[弾薬庫]として利用されていた[少女]によって発せられたもの。役目を終えた彼女は床に捨てるように放置されていた。
「もう起きたのか。もう少し多めに薬をかがせてておけばよかった……」
「……えーと……【中央評議堂】でオセロしてて……ビルさんが何故かいて……それでハンカチみたいなもので……口を塞がれたら眠くなって……」
「少女」は寝ぼけ眼で周囲を見渡した。
「……ひぇっ! 何? なんなんですか? コレは! 」
壁や床に飛び散ったおびただしい量の血液と無造作に倒れた兵士の死体を目の当たりにし、少女は初めて自分がとんでもないことに巻き込まれているのだと気がついた。
「年の割には反応が薄いな……さすがはドクターの孫と言ったところか……」
「ええっ! ビルさん……? まさかあなたが……! 」
「少女」の名前はリフ・ムーン。
彼女は自分の置かれた状況を何となく把握し、「今日は黙って家でココアでも飲んでいればよかった……」と、激しく後悔した。
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