4-8 「再会」

4‐8 「再会」





 アリー・ムーンとしての5年間、何とか自分は【アースバウンド】の人間として生活を送ってきた。





「いずれバレてしまう日は来る」と覚悟はしていたつもりだった。でも、いざその時になれば醜さすら感じるほどに生きることに執着していた自分を知った。





 今こうやって落ち着いて思い返せば地上での【カーネル】破壊任務が中止になった時も同じ様に、命があることにただひたすら感謝の思いが沸き立っていた。





 死にたくないという人間的で純粋な気持ちが私の中にあったことに少し嬉しくもあった。





 私も平凡な人間なんだ。ある一点をのぞいて……。





 私の頭の中にはリモート・コントロールワームが埋め込まれている為、ワーム探知を受ければ当然反応を起こしてしまう。もしも脳内にあるワームの存在がバレてしまったらNM法により命の保証は無い。





 私は目が悪くて眼鏡をかけていたワケではない。両目とも2.0の視力を持つ私が眼鏡を掛けていた理由は、ワーム探知を回避するためだった。





 レンズとフレームを繋ぐネジの部分に隠された小さなスイッチを押すと特殊な電波を発して数秒だけワーム探知機の機能を狂わせることが出来た。





 ワーム探知機を開発したのも他ならぬおじいちゃん、ドクター・オーヤだからその仕組みを作る事は簡単だったらしい。





「ぶえっくし! 」





 黙って姿を隠すつもりが思わずくしゃみで音を立ててしまった。





 私は病院から飛び出してきたので今は簡素な病衣しか身に纏っていない。





 その為空調のあまり届かないこの艦橋公園の肌寒さに体の熱がどんどん奪われていく感じがした。だけど【第一居住区】を右足の怪我が完治していない状態で走り回ったのと、素足のままだったことが原因で右足首と足裏だけはひりひりと痛みで燃え上がりそうに熱かった。





 映画館のスクリーンのように巨大な強化ガラスから差し込む微少な光が艦橋公園を静かに照らす。その光によって、艦内時間はもう夜中だけど、今【アースバウンド】が潜行している海域の地上は真昼だということが分かる。





 艦橋公園の中央には直径が10m以上はありそうな地球をかたどったオブジェがワイヤーで吊され、それは地面から5mほど浮いている。





 人類は地球という星の住人だという事を忘れない為。そしていつかは再び【アースバウンド】の住人達が地上に戻れるようにと願いを込めて作られたオブジェらしい。





 出来た当初こそ、多くの人間がここを訪れに来ていたらしいけど、今では一部の物好きが足を運ぶだけで、昼でも人気はほとんど無い。





 歌劇場の様に高い位置から地球型オブジェと海中の風景を楽しめるようにと、3階からなるバルコニーが公園内にある。私はその2階部分に置かれた薄汚れたベンチの裏に身を潜めてひとまずの休息をとっていた。





 これからどうしよう……。





 人の気配が無いことを確認しつつ、ベンチの横からゆっくりと顔を出して公園にそびえ浮かぶ地球型オブジェを眺める。





 青白い光を反射して鈍い輝きを見せるその球体は、どこか悲しげな表情を見せ、作り物の地球が見せる哀愁に、同じく作り物である私自身を重ねてしまった。





 護衛隊に見つかってしまったら私もこのオブジェのように冷たい殺風景と化してしまうのではないか? と不安が一層沸き上がり、心が押しつぶされそうになる。









「うひゃあああああーっ! 」









 そんな時、突然素っ頓狂な奇声と共に何かの影が視界を縦断した。





「何? 」





 誰かが上の階から落っこちたのだ。





 思わず自分が追われている身だという事を忘れてバルコニーの手すりに近寄り、影の正体を探る。





「ええっ!? 」





 手すりから身を乗り出して下界を見下ろすと、そこには真っ白な二つの山のような物があった。そのビジュアルは焼成前の発酵したパン生地を思わせた。





「だっ……誰か! 助けて! 」





 パン生地が喋った? などと呑気な思考を巡らせている場合ではなかった。





 それはどう見ても人間のお尻だったからだ。





 何故目の前に白い臀部が揺れているのかは皆目理解できなかったけど、その血行の悪そうな肌には見覚えがあり一刻の猶予もない状況だということは明らかだ。





「待って! 今助ける! 」





 そのお尻の持ち主はこの2階バルコニーの上階、つまり3階から真っ逆さま落ちたようだった。でも幸運にも2階の手すりの継ぎ目から飛び出したボルトにベルトのバックルが引っかかって一命をとりとめていた。まだ間に合う。





「ふんっ! 」





 私は両手で尻の持ち主のシャツのテール部分をしっかりと握り、地面に埋まった野菜を引き抜くように全力を込めて引っ張り上げた。





「すりゃあああッ! 」





 絶体絶命の危機だったその人間は放物線を描いて宙を舞い、2階バルコニーの金属床に叩きつけられて難を逃れた。





「痛ってぇ……」





 少し力を入れすぎたようだ。





 そして私の目の前には持ち主を失ったズボンだけが空しくぶら下がっている。





 私が助けた少年は未だに下着から臀部を半分露出したまま、地面に叩きつけられた痛みで悶絶していた。





 私はその姿を見て思わず心の束縛が解き放たれたような気持ちが沸き上がった。





「君、私と会う時はいつもお尻を出してるよね」





 私はそっとズボンを救出した少年の下半身を隠すように被せてあげた。お尻を向けていた彼はそれに気が付き、いそいそと尻を付きながら履き始めてようやくその顔を私に向けた。





「あ……アリーさん? 」





「一週間ぶりかな? ジーツ君」









 ■ ■ ■ ■ ■









 僕とドクターは二手に分かれて艦橋公園にてアリーの姿を探していた。





 僕が3階バルコニーでアリーを探している最中、下の方からわずかにくしゃみをする音が聞こえたので、気になって手すりから身を乗り出して覗こうとした。





 そしたら思いの外劣化していた手すりが折れ曲がってしまい僕は真っ逆さま。そしてベルトの金具とアリーのおかげでなんとか命を繋いだ。本当に危なかった。









「私を探しに来たの? 」






 アリーはベルトの金具を止める僕の顔をのぞき込むように屈んだ。





 7日振りに見る彼女の瞳が僕に輝きを見せる。眼鏡を掛けていない分、その瞳の緑色の光沢はいつもと違う妖しさを作りあげていた。





 そして僕は薄い青みがかった緑の病衣だけを身に纏った姿に思わず見とれそうになり、急いで立ち上がって走り、距離を取った。





「どうしたの? 」





「アリーさん、ダメです! 僕に近寄っちゃ」





 僕は近寄ろうとしたアリーに向かって両手を突き出しながら必死に警告した。アリーは僕の行動を見て全てを悟ったようだ。悲しげに眉を下げ、口元が少し上がった。





「そうか……もう全部知ってるんだね」





 そう言ってアリーは深々と被っていたワッチキャップを外し、背後を向いて髪を掻き揚げた。露わになった後頭部を僕に見せつけると、そこには大きな一文字の傷跡が見えた。





「おじいちゃんが手術でなんとか目立たなくしてくれたけどね。

傷跡が今でも残っているんだ……でも、ケーブルを差し込む穴よりはマシでしょ? 」





 まるでニキビを潰したら痕が残っちゃった。くらいに軽い口調でアリーは言った。





「見られたくはなかったんだけどね……だって……気持ち悪いでしょ? 」





「いえ! そんなことないです! 何というか……その、カッコいい気もしますよ! 」





 アリーは髪を下ろし、再びこちらを振り向いた。その瞳はわずかに潤んでる。





「ありがと……」





 彼女の笑顔を目の当たりにし、思わず彼女に近寄りたい欲求が沸き上がる。でも、それは駄目だ。万が一僕の能力が発動してしまったら……





「ジーツ君……」





 アリーはゆっくり歩いて僕に近寄って来た。僕はそれから逃げるようにバルコニーの奥へと後ずさるも、あっという間に壁に追い込まれてしまった。





「駄目です! アリーさん! 」





 僕の言葉なんて聞こえないというばかりに、笑顔で僕との距離を詰め寄るアリー。





 その距離はお互いの吐息を肌に感じるほどまでに、彼女が何をしようとしているかは分からなかったけど、ここまで体を接近されて今までならうれしいとしか思えないシチュエーションにボロボロな吊り橋を渡るかのような危機感が僕を襲った。






 僕の【グレムリン効果】はコンピュータの動きを完全停止させる。つまり、リモートコントロールワームによって脳を動かしているアリーに対してその能力を使うという事は彼女の脳を停止させることに直結する。









 【アースバウンド】を救った能力【グレムリン効果】それはアリーによって発動され、アリー自身を殺してしまうという諸刃の剣だった。









「……アリーさん、何をする気ですか?」





「いいから動かないで」





 接近した彼女の瞳に僕の顔が写り込んでいる。アリーの瞳を介して自分自身と向かい合うと、コーラ瓶をぶつけて付けた額の傷跡が生々しく残っていることに気が付き、僕が【アースバウンド】内にて初めて能力を発動した時のことを思い出した。





 屋根の上で二人きり、いつ【グレムリン効果】が発動するのかも分からないのにも関わらず、僕を度々気遣ってくれた彼女の優しさに今更例えようのない感謝と自責の念が湧き上がる。





 彼女は僕と一緒にいる時、常に死と隣合わせだったのだから。





 その事に気が付いた僕はとうとう目頭を熱くさせてしまった。





「アリーさん……僕! 」





 僕はアリーの心を見通すような視線から逃げるかのように膝をつき、両手のひらを地面に押し当てた。記憶の無い僕が「謝らなければならない」と感じた瞬間、反射的にその行動をとらせた。





「本当にすみまッ……ぐ」





 謝罪の言葉を発したその瞬間、僕の視界は突然真っ暗闇に包まれた。





「あら? 」





 眼球と頭部がほんの少しだけ締め付けられる感覚があった。そしてわずかな温もり、石鹸と花の香りが僕のそれぞれの感覚なでるように刺激した。僕はその正体を探る為に頭を触ると毛糸のような感触があった。





「それ、あげるね」





 どうやらアリーは自分のワッチキャップを僕の目が隠れるほどに深く被せてくれたようだ。





「え? これは? 」





「私もジーツ君の能力のこと、全部おじいちゃんから聞いてるの。前から言いたかったけど君、目つきがいつもイヤらしいよ」





「イヤら……すみません……」





 僕が思わずキャップを上げて視線を露出しようとするとアリーが逆方向にキャップを引っ張ってそれを阻止した。





「言ったそばから目を出さない! 」





「いや……これはその……なんというか、あんまり帽子というものを被り慣れてなくて……

多分、記憶を失う前の僕はあまり帽子が好きじゃなかったのかもしれなく……

頭が蒸れるのを気にしてたのかなぁ……

いや、誤解しないでください! 

アリーさんの頭が蒸れてるってコトじゃないですよ! 

それにこの帽子は大好きです! 

なんというかアリーさんの匂い……

じゃなくデザインというか被り心地というか……」





「……ブフッ……」





 慌てふためき、早口で弁解する僕の様子がよほど滑稽に見えたのか、アリーは一瞬こみ上げた感情をこらえた後に……





「ブワーハッハッハッハッ! 」





 と下品なまでに大きな笑い声を上げた。





「そっそんなに顔真っ赤にしなくてもいいのに! ハハハハ! 」





 僕はそっとワッチキャップを上げて視界を作りアリーの姿を見上げた。お腹を抱えながら顔の形が変わってしまうんじゃないかと思うほどに口を大きく開いて笑っている。





 その姿に僕は全ての鬱屈を消し飛ばしてしまう光明を思わせ、僕の口端も自然と吊り上がった。





「ハァ……ごめんね、こんなに笑っちゃって」





「いえ……」





 アリーは笑いすぎて少し涙目になっていた。僕はキッカケはどうであれ、彼女がこんなに笑顔を見せてくれた事が嬉しかった。





「横、座っていい? 君に触れないように気をつけるから」





 アリーはそう言って僕の隣に腰掛けた。僕は万一の為にワッチキャップを下ろして再び視界を塞いだ。





「怪我はどう? 両手、ちょっと火傷しちゃったでしょ? 」





「もうほとんど大丈夫です。それよりアリーさんはどうなんですか?」





「足はまだ痛むけど、火傷は大したことなかったよ。もうほぼ完治。君のおかげでね 」





「いえ……元はと言えばアリーさんが僕を庇ったせいで……」





「謙遜しないで。あの時咄嗟に行動できたんだから君はすごいよ。まぁ、服の脱がし方が妙に上手だったのが気になったけど」





「よ、よしてくださいよ……ッ! 自分だってあそこまで上手に対処出来たことが不思議だったんですから」





「はは、冗談だって。あの時はありがとね」





「いえ……こちらこそ。ありがとうございました」





 アリーにお礼を言われて思わず胸が高鳴りそうになった。いかんいかん、僕は舌を噛み、痛みで平静を保つ。





「それにしても君って不思議だよね」





「へ? 」





 僕は思わず視界が塞がれているのにも関わらず、アリーの方へと顔を向けた。





「私がこの世界に迷い込んだ時はさ、ここが前の暮らしとはあまりにもかけ離れすぎててスグには馴染めなくて……初めの頃は毎日憂鬱で泣いたり怒ったりして、リフとおじいちゃんに迷惑をかけてばっかりだったから」





 少し意外だったアリーの告白。タフなイメージの彼女にもそんな時期があったとは思っていなかったからだ。





「それに比べてジーツ君は昔の記憶がほとんどないのに、そんなことはどうでもいいって感じで、スグに馴染んじゃった。まるで元々この時代に生まれて育ったんじゃないか? って思うくらい堂々としてる」





 そのことは僕自身も不思議だった。自分が何者かも分からないのに、コールドスリープから目覚めた瞬間から大きな不安を感じることは一切なかった。まるで近くで頼れる旧友がずっと見守ってくれているような安心感が僕には常にあったからだ。





「多分、アリーさんやコーディさん。ドクターやリフちゃんが常に僕の側にいてくれたからだと思います。一人ぼっちだったら……僕もどうなっていたか……」





「ありがと。そういうもんなのかな……」





 アリーはあまり府に落ちない口調だった。





「そういえばさ、私がここにいるってよく分かったね」





「ドクターがここにいるハズだって言ってたんです」





「……そうなんだ」





 目を隠しているので彼女の表情は分からなかったけど、その言葉の柔らかさから、アリーが嬉しそうにしていることが分かった。





「そういえばジーツ君、リフはこのことを知っているの? 」





 アリーは少し焦った口調で僕に聞いた。





「多分大丈夫です、今【中央評議堂】にいるんですけど、ドクターが牢屋みたいな場所に閉じこめたらしいんで……」





「牢屋! 何でそんなところに? 」





「そうでもしないと逃走しかねないから。らしいです」





「まぁ……確かにほっといたら何をしでかすか分からない娘だからね」





「僕も分かります……それ」





 そう、そもそも僕がこの場にいること自体、リフの並々ならぬ行動力に流された来た結果なのだ。





「ふふっ、そこがリフの可愛いところなんだなぁ」





 そう言って彼女が立ち上がった事が気配で分かった。僕はそっとワッチキャップを上げて視界を開く。





 そこから見えたアリーの背中は地球型のオブジェが跳ね返す光を受け、神々しい後光を身に纏っているように見えた。





「ここはね、私にとって特別な場所なの」





「特別な? 」





 光で白い縁取りを作ったアリーは再び立ち上がり、僕に背を向ける。簡素な病衣がぴったりと肌に貼り付いていて、そのシルエットにより浮かび上がった肢体がまぶしく僕の目に写り込んだ。金色の髪はいつもよりも眩しく見え、僕の記憶の気泡からどこかの国の教会に描かれた神々の壁画がビジョンとして浮かび上がり、鼓動が速まった。





「大好き。なんだ……この場所。私の迷いを断ち切ってくれた大事な思い出があるの。5年前ね……」





 アリーはそういいながら振り返ると、幽霊に出くわしてしまったかのように表情を引きつらせた。





「どうしたんですか? 」





「ジーツ君! 肌! 肌! 」





 必死に何かを訴えるアリー。キャップの目隠しを取り去り、言われた通りに自分の腕を確かめて見るとその理由が瞬時に理解出来た。





「ヤバい! 」





 僕の肌は真っ黒に染まっていた。それはすなわち【グレムリン効果】が発動される予兆だ! 





 どうして? 僕はアリーさんに触れていないのに? 





「逃げて! アリーさん! 」





 間に合わない! 僕の能力はBMEの時のように前もって発動する心の準備が出来ていれば、ある程度発動タイミングを制御出来る。





 でも今のように突発的に発動の前兆が出てしまった場合はどうやらそれが不可能らしい。今にも僕の体から張り裂けんばかりのエネルギーが飛び出してしまいそうだ。





「止めて! ジーツ君! 」





 アリーの必死な訴えも暖簾に腕押し。僕は男性の純情な感情で大事な人を殺してしまうのか? 





「んぐっ! 」





 一瞬で全身を掌握されてしまったかのような拘束感が襲った。塗れたシャツを纏ったような気持ち悪さと息苦しさで頭の中が真っ白になる。一体何が起きたのか? 





「と……止まった? 」





 息を荒げたアリーの声が聞こえた。僕はおそるおそる瞼をゆっくりと持ち上げ、現状を確認しする。





 目の前には険しい顔のアリー。視線を落として自分の掌を見ると肌の色が褐色から血行の悪い白肌に戻っていた。





 【グレムリン効果】が止まった? 





 僕の能力は強制停止されていた。一体どうして? 頭の中で大きな疑問が浮かんでその理由を探ろうとするも、それを遮るかのように顔面に鋭い痛みが遅れてやってきて思わず声を上げる。





「痛でえっあーッ」





 痛みの震源地は顔面、僕の鼻から発せられていた。





「あ、しまった! ごめん」





 あまり気持ちのこもっていない謝罪と共にアリーは僕の鼻から指を放した。どうやら僕は彼女に鼻を思いっきりつねられていたらしい。





「どうしてこんなコトをしたんですか? 」





 能力が発動されず、最悪の状況は免れたものの、何故アリーが僕の鼻を突然捻り上げたのか、そしてそれによって能力の発動にストップがかかったのか謎が残った。





「分かんない……なんかとにかくズバっと痛めつければ止まるかな? と思ったら体が勝手に動いて……」





 と、少し恐ろしいことをサラリと口にするアリー。この場に刃物が無くて本当に良かったと思う。





「とにかく……止まって良かったです」





 僕自身不可解なことの多い【グレムリン効果】痛みを感じることでその力を抑えることが出来るのか? 





 でもアリーに鼻を捻られた瞬間、痛みだけではとうてい説明出来ない不愉快な感情が腹の奥底から沸き上がったことは何だったのだろうか? 思い出すだけでも血の気が引く気持ちがする。まるで生ゴミを詰め込んだポリバケツのフタを開けるように、思い出してはいけない記憶の領域に触れているような……





「ふげっ! 」





 僕の自問自答を強制終了させるかのように、視界が突然閉ざされた。何が起きた? 





「バカヤロー! こっちは真面目な話をしようとしてたのに! 」





 さっきまでの聖母のような柔らかな口調とは正反対の威勢の良い声を上げながら、僕が被っていたワッチキャップを引っ張り下げたアリー。どうやら自分が死にかけた怒りが遅れて込み上がってきたようだった。





「す……すみません! でも! 僕にも分からないんですよ! アリーさんに触れてないんですよ! 」





「分からないって……冗談じゃないよ! 君の欲情で私は死ぬんだぞ! 」





「アリーさん! 近いです! 近いですよ! 」





 冷静さを失ったアリーは体を密着するかの如く僕に接近してくる。このままでは再び能力が発動されてしまう……! 





「は、離れてください! 」





 アリーは僕のワッチキャップを万力を込めて引っ張りさげ、まるで顔全体を覆うマスクのようになってしまい、呼吸困難に陥った。





「ふグッ! ふがっ! 」





 僕は何とかアリーの力に抵抗してキャップを上げ、気道と視界を確保した。





「アリーさん! 苦しいです! 死んじゃいますよ! 」





「あんただってさっき私を殺しかけといて! 」





 確かに能力の暴発は自分の責任だが、彼女のストレートな言いぐさに少し怒りを覚えてしまった。





「そんな! 僕だってしたくてやったワケじゃないんですよ! 」





「この野郎ッ! そう言えば初対面で私の胸触ったこと、まだ謝ってないじゃない! 」





「なんでそんなこと今更! それにあれは不可抗力ですよ! 」





「何? しっかりモミモミしといて何が不可抗力だよ! 分かってんだぞ! 」





 アリーは再び僕のキャップを首まで下げる。





「そんな! アリーさんだって僕をドアで思いっきり挟んだことを謝ってないですよ! 」




 僕はキャップを引き上げる。





「そんなの君がイキナリ裸になるのが悪い! 」





「パンツを下ろしたのは誰ですか! 」





「不可抗力! 」





「僕だって! 」





「スケベ野郎! 」





「理不尽! 」









「そこまでだ! 」









 突然割って入った男の大声に驚いて、ワッチキャップを上げ下げして口論していた僕達は、火遊びをしていた現場を母親に見つかった子供のように一瞬で沈黙し、ゆっくりとその声の方角へ顔を向けた。





「やっと見つけたぞ」





 そこには二人の男の姿があった。一人は下の階からアリーを探していたハズのドクター・オーヤ。露骨に不機嫌な表情を作っている。





「すまん……アリー……」





 そして悔しそうに言葉を発するドクターの左横に陣取っているのは190cmはあろう巨大な体躯の青年。その男は僕もアリーもよく知る人物。クジャク部隊の重戦士が拳銃をこちらに向けてそびえ立っていた。





「コーディ……さん? 」






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