4‐5 「NM法」

4‐5 「NM法」





「バカ者が! あれだけお前はこっちに来ちゃいかんと言ったろうに! 」





 ドクター・オーヤの雷が僕を直撃する。その大声に驚いた周りの客が僕達のテーブルに視線を向けて静まりかえった。





「すいませんでした……」





 僕はひたすら平謝りを続けた。一瞬だけ僕達の様子に興味を示した周囲の客も「単なる祖父と孫の間の説教か……」と判断して夕食を楽しむことに切り替え、再び賑やかな喧噪が店内を覆った。





「ワシを甘くみるんじゃないぞ小僧! 許可証まで勝手に使いおって! 」





 僕達がドクターに捕まった流れはこうだ。





 コーディが【バラスト層】のカフェから僕らが消えたことに気が付くと、すぐさまドクターに連絡。おそらくアリーがいる病院に向かったのだろうと予想し、【艦境】出口にあらかじめ話を通しておいたタクシーを待ち伏せさせていたらしい。






 抜け目のないリフも、まだまだドクターを相手に立ち回るには力不足だった。





「本当にすみませんでした……でも、許可証は僕が持ちだしたんじゃありませんよ」





「いいわけするな! リフが持ち出したとはいえ、それを止めることだって出来たじゃろうが! 」





 僕とドクターは【中央評議堂】の近くにある軽食店の壁際テーブルにて対峙し、お説教タイムの真っ最中だった。ちなみに諸悪の根元であるリフ・ムーンは、護衛隊により【中央評議堂】の一室に軟禁されている。





「でもドクター……」





「でももヘチマも無い! とにかくお前は自分の立場をもう少しわきまえるんじゃい! お前はコールドスリープから無事に目覚めた貴重な一例でありつつ、【グレムリン効果】を持ち合わせた重要な[研究材料]という立場を! 」





 思わずドクターが口走った[研究材料]という言葉に、僕は黙っていられなくなってしまった。





「僕は……僕は人間ですよ! ドクターのオモチャじゃないんです! お見舞いぐらい許してくれたっていいじゃないですか! アリーに会う度欲情するってワケじゃないんですから! ウサギじゃないんですから! 」





「ウサギ? 地上の動物のか? 」





「え? あの……そうです……」





「なんで欲情とウサギが関係あるんじゃ? 」





「なぜって……その……なぜでしょうか? 」





 僕の記憶の片隅に、ウサギは性欲が強いという知識が常識のように備わっていたので、思わず口走ってしまった。記憶を失う前の僕が何故そんな豆知識を知っていたのかを考えると、少し妙な気持ちになる。





「まあいい、とにかく駄目じゃ! 今日はもう下に帰るぞ」





「待ってください! 何故そこまで徹底するんですか? 僕はただ、アリーさんの怪我が心配なだけです、一目見て安心したいだけなんですよ! 火傷を負ったのも僕が原因だったんです、謝りたいんです」





「そういう問題じゃない! 」





 ドクターは拳で思いっきりテーブルを叩いた。形だけ注文して一口もつけていたない二つのコーヒーカップが浮き上がるかと思うほどだった。





「ド…ドクター? 」





 珍しく熱くなったドクターの姿に圧倒され、僕は言葉に詰まった。その姿からは、何かを必死で隠しているかのような心の余裕の無さが垣間見えた。再び周囲の客の注目を浴びて気まずい沈黙が数秒流れる。





「帰るぞ」





 ドクターがプリペイドカードをテーブル上の小さな精算機に読みとらせて会計を済ませると、早歩きで店の外へと向かった。僕はその背中を走って追いかける。





「待って! 」





 歩道から身を乗り出して手を挙げ、タクシーを拾おうとするドクター。





 やっぱり何か動揺している。





 何故ならリフのいる【中央評議堂】とは反対方向の車線でタクシーを呼び止めようとしているのだから。普段のドクターからは考えられないことだった。





 やっぱりアリーとの接触禁止令には【グレムリン効果】の暴発以外に、何か裏がある。





「ドクター、聞きたいことがあります」





「なんじゃ」





 僕は[切り札]を使う決心をした。





「ドクターが頑なにアリーさんを隔離する理由……許可証のケースに入っていた写真が関係しているんじゃないですか? 」





 ドクターはその言葉を聞いた瞬間、呼吸も瞬きも忘れてしまったように体を硬直させて動かなくなってしまった。まるで時間が止まってしまったかのように。





「小僧、それを……どこで? 」





「すみません……許可証に隠してあったのを偶然見つけてしまったんです……」





「誰かに見せたのか? リフは知っているのか? 」





「いえ……僕だけです」





「そうか……」





 しばらくドクターは地面を見つめて黙り込んでしまった。僕に対して怒っているワケでもなく、かと言って秘密を知られたことに焦りを感じている風にも見えない、どこか開き直った様子だった。





「このことは、いずれ誰かに話さなければならんとは思っていたが……まさかその相手がお前だとはな……運命というヤツかもしれん」





「運命? 」





「歩きながら話そう。心して聞けよ、今から話すことはアリー以外、誰にも話したことのないことだ」





 ゆっくりと歩き出したドクターの後に続き、僕は横に並んで耳を立てる。





「順を追って話そう。まず、10年前の【カーネル一号艦】の沈没からじゃ」









 ■ ■ ■ ■ ■ 









 今から10年前、2295年2月27日。【アースバウンド一号鑑】はこの日【カーネル】により撃沈された。





 ほぼ常時海中に潜んでいて、衛生に発見されることが無い巨大居住艦隊が転覆してしまった原因、それはわずか10cmほどの長さしかない芋虫型の機械が引き起こした悲劇だった。





 その当時のクジャク部隊の隊長[ニック]は【コブラ】の打倒と【カーネル】の無力化に全力を注ぎ、部下と共に頻繁に地上遠征を繰り返して少しずつ成果を上げていた。





 例えば、【カーネル】周辺には誘導ミサイルや弾道ミサイルといった兵器に対する迎撃システムが完備されている要塞になっていることを突き止め、さらには【カーネル】を無力化するには、巨塔内部に備わる制御装置を破壊しなければならないということを発見する他、様々な情報を収集した。





 ニック隊長率いるクジャク部隊の活躍で、不可能と思われていた地上奪還の青写真も徐々に色彩を帯び始めた。





『人類は再び太陽の下へと帰還する』





 艦内で生活を送る人々の関心も高まっていた。





 しかし、そんな時だった。人類をあざ笑うかのように[二次元世界]の番人【コブラ】は、新たに開発した脅威の権化を用いていともたやすく【アースバウンド】を海の藻屑へと変えた。









 それが[リモートコントロールワーム]。









 ある時の地上遠征中、【コブラ】によってニック隊長はワームを埋め込まれてしまい、操り人形と化してしまった。





 同行していたクジャク部隊の仲間達も全くそれに気が付かず、【コブラ】の手足となったニック隊長は仲間と共に【アースバウンド】へと帰還してしまう。





 海は地球上の7割をも占める広大な空間だ。その中を移動し続ける【アースバウンド】を外から発見・破壊することは困難で、さすがの【コブラ】も手が出せずにいた。





 しかしそんな【アースバウンド】も一度内部へと進入出来れば崩落は簡単だった。





 操られたニック隊長は【アースバウンド】の操舵施設に乗り込み鑑を浮上させ、その巨大な艦体を海上に露わにさせた。





 そうなれば衛星によってその姿をキャッチすることが可能になる。





 【コブラ】は【カーネル】によるレーザー砲撃を容赦なく【アースバウンド】に撃ち込んだ。エネルギーの膨張による大爆発で巨大な艦体は真っ二つに割れて、多くの人々と共に海の中に引きずり込まれた。





 【アースバウンド】の人々は混乱の中、潜水艇での避難を必死で試みた。当然ドクターもその中の一人だった。









 ■ ■ ■ ■ ■









 「すまん、ちょっと休ませてくれ」





 ドクターは一旦話を中断させ、歩道に置かれたベンチに腰掛け、体を丸めた。





 僕もその横に腰掛け、ドクターの横顔をそっとのぞき込む。実験をしている時の狂人的に元気な表情はそこになく、今にもせき込んで倒れてしまうほどに老け込んで見えた。





「大丈夫ですか? 」





「心配いらん」





 精一杯振り絞ったかのような声だった。ここはドクターの為にも黙って休憩をしたほうが良さそうだと判断し、僕はしばらく歩道を行き交う人々の姿をじっと見つめていた。





 老若男女様々な人々が楽しげに歩いて賑やかさを演出している。この【アースバウンド】の姉妹艦が、ほんの10年前に、たった一発の砲撃よって滅んだだなんて想像出来ない。





「あの時の事は、たとえボケちまっても忘れんだろうよ」





 ドクターはポケットから許可証のケースを取り出し、その中から1枚の紙を抜き出す。それは僕がたまたま見つけてしまった例の家族写真だった。





「小僧、このクジャク部隊のエンブレムを付けて笑っとるヤツがワシの息子。それでその横の女性が息子の嫁で、彼女が抱いている赤ん坊……それがリフじゃ」





「はい、僕も写真を見たとき、そうじゃないかと思いました」





「息子はルックスこそワシそっくりじゃったがオツムの方はからっきしでな……そのかわり、体ばっかりデカくなりおって」





 我が子のことを語っているドクターの横顔を見て、やっぱりこの人も人間なんだなと、子供を思う平凡な父親なんだなと、改めて感じた。





「そして……この子じゃな。お前が気になったのはこの女の子だろう? 」





 ドクターが指さした女の子。黒髪でブラウンの瞳。見た目は10歳くらい。アリーであるはずなのにアリーに全く似ていない謎の少女。





「この子は、本当にアリーさんなんですか? 」





 ドクターはおでこを指先で掻き、少し躊躇しつつも答えた。





「この子は紛れもなくワシの孫、アリー・ムーンじゃ」





「でも……」





「わかっとる。顔も似ていないし、髪の色も瞳の色も違う。じゃろ? 」





「はい……」





 ドクターは眉間にシワを寄せて力強い視線を僕に向けた。





「ハッキリ言おう。今のアリーと、この写真のアリーは別人じゃ」





 僕は「えぇッ!? 」と驚きの声を上げたものの、ドクターの告白はある程度予想していた。





 写真を見た時に感じた無視出来ない違和感に対する疑問の答え。信じ難い事実と直面したショックと共に、自身の予想が的中したことによる不謹慎な達成感が巻き上がり、腹から頭のてっぺんにかけて、熱くてねっとりとした感覚が襲う。





「それじゃあ……今のアリーさんは一体何者なんですか? 」





「それはな……」









『緊緊急事態が発生しました 緊緊急事態が発生しました 』









 ドクターの言葉を遮るような大きなサイレンの音と共に、大音量のアナウンスが居住区内を響かせた。





「何? 」「何じゃ? 」





 僕達を含め、歩道を行き交う人々はアナウンスに気を取られ、ざわめきと共に動きを止める。





 何が起きたのかと周囲に視線を巡らせると、とあるビルの壁面に備え付けられた巨大スクリーンにニュース番組と思われる映像が映し出された。





「緊急速報です。今から1時間前、艦内時間6時30分頃、【第一居住区】Dブロックの総合病院より、ワーム寄生者を発見されました。繰り返します。艦内にてワーム寄生者が発見されました」





 ゆるんだネクタイのニュースキャスターが緊張した口調でその言葉を発した瞬間、人々のざわめきは一層大きくなった。





「ワーム寄生者は総合病院から脱走し、今も行方を追っています。その際一人の護衛隊が銃撃によって命を落としています。寄生者はおそらく拳銃を所持しています」





 ドクターは速報の映像を食らいつくように凝視している。僕も同じくキャスターの言葉の一字一句を聞き逃さないように神経を巡らせた。





 ワーム寄生者とはおそらく【コブラ】のリモートコントロールワームによって脳内を支配された人間のことだろう。





 その恐ろしさは先ほどドクターの話通りだ。それがアリーの入院している総合病院から発見され、しかも人殺しをして脱走した言うのだから胸騒ぎが押さえられない。彼女は無事なのだろうか? 





「住民の皆様は今すぐ屋内へと避難してください。そしてワーム寄生者を発見次第、警察や護衛隊へと速やかにご連絡をお願いいたします。なお、寄生者に対してはNM法が適用されます」





 初めて聞くフレーズに疑問を抱き、僕は隣で顔を蒼白させたドクターに声を掛けた。

「ドクター、NM法ってなんですか? 」





 ドクターは僕の声に反応することなく、口を酸欠の魚のようにぽっかりと開けて突っ立っている。





「ドクター? 」





 二度目の呼びかけでようやくドクターは僕に顔を向ける。生気を一切感じ取ることが出来ない表情だった。





「……NM法ってのはな……ワームに寄生された人間はその時点で死んだと見なす法律じゃ。簡単に言えば、寄生者は見つけ次第殺していいということじゃ」





「何もしていなくても? 」





「そう、【アースバウンド一号艦】での悲劇は寄生者を殺すことを躊躇したことで起こったからな……正式名称は[ニック・ムーン法]。悲劇を生んだニック隊長のフルネームからとっとる」





「ムーンって? まさか……」





「……ワシの息子の名前じゃ」





 そう呟いたドクターに僕は何も言葉を返せなかった。【コブラ】に操られていたとはいえ、自身の愛息子が引き金となって多くの命が消え去ったという事実はあまりにも重すぎる事柄だったからだ。





「ただ今詳細情報がこちらに届きました。お伝えします、こちらがワーム寄生者の写真です」





 緊急速報のモニターから二人の命を奪った寄生者の写真が映し出され、全身に真冬の湖に飛び込んだかのような悪寒に包まれてしまった。






 ワッチキャップからはみ出した金髪に眼鏡。エメラルドグリーンの瞳。その写真の女性は間違いなく……





「そんな……」





 僕はあまりにも予想できなかった衝撃で、再び200年の眠りにつくかと思うほどに体が[凍り付いて]しまった。




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