4-4 「ムーン家」

4‐4 「ムーン家」





 【アースバウンド】内で使われている通貨は[E$(イードル)]と呼ばれ、大体1E$ではコーラが一本買える程度。それ以下の単価は[E¢(イーセント)]が使われる。





「トロリーバス代で[18E$]と[50E¢]……それとスコーンに[2E$]か……そして残高が[20E$]……大事に使わないとね」





「リフちゃん……スコーンは余計だったんじゃ? 」





 コーディから借りた(勝手に持ち去った)プリペイドカードを使ってバスに乗り、僕とリフ・ムーンは【第一居住区】へと足を踏み入れようとしている。





「空腹の処理はいかなる場合でも最優先事項! これはおじいちゃんの言葉です」





「そ……そうなんだ」





 ムーン家の教えはさておき、ここまで10歳の子供の思いつきの行動に僕は付き合ってはいるが、それもこの場所で終わりだろうと始めから分かっていた。





「リフちゃん、残念だけどこれ以上先には行けないよ」





 【艦境】と呼ばれているこの場所は【第一居住区】への出入り口だ。





 駅の改札のようなゲートがいくつか設けられていて、審査官が待機しているカウンターに許可証を提示しなければそれより先には進めないのだ。





 その許可証はアリーやコーディのような軍の関係者や、様々な審査をパスした住民にしか手にすることの出来ないパスポートのような物。もちろん僕は持っていない。





「許可証がないから。でしょ? 」





 そう言ってリフは得意げな表情で雑踏をかき分け、改札のカウンターへとトコトコと歩んでいく。





「ちょっと! 」





 何かトラブルでも起こされたら厄介だ、僕は急いでリフの元へと駆け寄るも、すでに審査官らしき熊のように屈強な体格の男性に呼び止められていた。





「うわっ! すいません! この娘、いたずらが大好きでして……」





 僕はリフの小さな体を羽交い締めするように持ち上げながら審査官に対して平謝りする。





「リフ・ムーンさん、こちらはお連れの方ですか? 」





 予想に反した対応だった。猛獣のような風体の審査官は子猫の肉球のように柔らかい物腰で僕らに話しかけた。





「ええ、我が家の居候です」





「分かりました。許可証は確認いたしましたので、どうぞゲートをおくぐりください」





 そう言って審査官は笑顔でリフに定期入れのような灰色のケースを手渡した。





「え? リフちゃん……それ、許可証? 持ってたの? 」





「説明は後、まずわたしを下ろしてくれますか? 」





「うわっ……ごめんごめん」





 リフの足を再び地面に着陸させ、僕達は金属探知機のゲートをくぐる。そして上へと続く長い長いエスカレーターに乗り、【第一居住区】へと向かった。





「驚いたな……リフちゃんが許可証を持っていただなんて。それに僕まで一緒に審査をパス出来るだなんて思わなかった」





 基本的にたとえ家族であろうと審査をパスするには一人一人個別の許可証が必要だ。僕が過去に【第一居住区】と【第二居住区】を行き来した際はアリーやコーディ、軍の関係者が帯同する特別扱いで許可証の無い僕も【艦境】を越えることが出来た。





「この許可証は[特別許可証]って言ってね、許可証を持っていない連れ添いの人も文字通り特別に通らせることが出来るの」





 リフはその特別許可証のカードを僕に見せびらかした。真っ黒で地球を思わせる形のマークが小さく印刷されている。





「なんで君がそんなスゴい物を持ってるの? 」





「実はコレ、おじいちゃんの許可証なんです。ちょっと借りてきちゃいました」





 リフの[答え]は僕にとって[完全な答え]になっていなかった。喫茶店でコーヒーを頼んだらミルクと砂糖だけ出されたようなモノで、なぜドクターが特別許可証を持っていて、その特別許可証をなぜリフと僕にも使用出来たのかが理解できなかった。





「ジーツ兄ちゃんの言いたいことは大体分かりますよ」





 リフはショルダーバッグから紙袋に入ったスコーンを取り出して僕に見せた。





「このスコーンの材料である小麦が、艦内で栽培出来るようになったのはおじいちゃんのおかげなんですよ」





「ええっ? うそ? 」





「粘性特殊水耕栽培法と、低消費人工太陽光源の確立をおじいちゃんは20代の頃に成功させ、小麦を始め艦内での穀物の栽培を可能にしたんです」





 なるほど。人類にとって……いや、生物にとって食事は重要だ。そして人間にとって最も大事な穀物の安定供給の方法を考えた人間となれば、本人とその家族に特別な待遇を与えるのは当たり前だろう。





「僕が食べたパンはドクターの発明だったんだ……」





「そう! それだけじゃないよ。さっきくぐったワーム探知機のゲートもおじいちゃんが開発した物なんですから」





「ワーム探知機? アレは金属探知機じゃないの? 」





「違います。あれは【コブラ】のリモートコントロールワームを発見する装置なんですよ」





 【コブラ】のリモートコントロールワームについてはコーディから聞いたことがある。その芋虫のような機械は、人間の脳に侵入してその行動を支配し、まさしくロボットのように体を操られてしまう。そしてそれが埋め込まれた人間は二度と元に戻ることが出来ないという恐ろしい兵器なのだと。





「脳味噌にワームを埋め込まれた人間は見た目からも操られていることが分からないし特殊なプラスチック素材で構成されているから普通の金属探知機にも引っかからない厄介者なんです」





「それで万が一【コブラ】に操られた人間が艦内に侵入したとしてもゲートをくぐらせればスグに分かるってコトなのか……それをドクターが開発しただなんて……」





 今まで僕はドクターは素行も見た目も怪しいけど、【グレムリン効果】を発動させる方法も発見したし、それなりにスゴい発明家なのだという認識はあった。でもまさかそこまでの功績を残している超大物だったとは知る由もなかった……





「ああ見えておじいちゃんはスゴいんですよ。【第一居住区】に行くのもほとんど顔パスのVIP待遇。だから特別許可証はほとんど持ち歩かない」





「それをリフちゃんが勝手に使っちゃってるんだ……大丈夫なのかな? 」





「平気ですよ何度も使ってるんで。あの審査官の人も顔なじみです」





 少し警備が甘すぎるんじゃないか? と疑問を抱くも、ドクター・オーヤがそれだけ強い権力を持っているという証でもあった。





 そして今、僕はその偉大な人物の孫娘を連れて二人きりでいると考えた瞬間、急に大きな不安に駆られてしまった。





 本来ならこの子にはコーディのような人がボディガードについていなければならないのでは? 何かあった時はどうすれば……





「ジーツ兄ちゃん、もうすぐ【第一居住区】ですよ! 」





 リフの声で我に帰った僕は、エスカレーターの終わり際で足をつまずきそうになりながら【艦境】の出口をくぐり【第一居住区】へと到着した。





「うわあ……」





 僕が一週間前に初めて【第一居住区】の町並みを目の当たりにした時は、昼間に車中の窓からの風景を眺めるだけだったけど、こうして夕方に改めて地に足をつけて見渡す風景はまた違って見えた。





 とにかく輝かしい。【第二居住区】とは比べものにならない程に照明の数が多いからだ。





 数多くのショーウィンドウに、品の良さそうな人々が歩み交い、まるで延々と続く巨大なショッピングモールがそのまま街を作り上げているという印象だ。





「凄いな……」





 風景に見とれていると、突然見知らぬ男が「失礼します」と僕に近寄って来た。先ほどの審査官と同じ制服を着ている。





「ただ今ワーム検査の強化中でして、失礼ですがもう一度ワームの探知をさせていただきます。ご協力をお願いいたします」





 審査官はそういって輪の付いた棒のような道具を僕の頭上から足下に向けて体に撫でつけ始めた。





「それは携帯式のワーム探知機です。これでいつでもどこでも【コブラ】の脅威を発見できるようになりました」





 リフが道具を指さし、説明をしてくれた。





「これもドクターが作ったの? 」





「はい! 」





 自分の事のようにドクターの功績を誇るリフ。性格も似ているし、接している内に彼女がどんどんドクターの分身のように思えてきた。





「反応無しです。ご協力ありがとうございました」





 丁寧な対応を済ませて審査官はその場から去っていった。おそらくBMEの一件から警備体制に変化が起きたのだろう。護衛隊と思われる者もちらほら見受けられた。





「ジーツ兄ちゃん! こっちこっち! 」





 しばし周囲に気を取られている内にリフは既にワーム検査を終え、僕から離れて遠くで手を振っていた。小さな体をめいっぱい大きく見せている姿が妙に愛らしい。





「ちょっと待って、すぐ行くから」





 走ってリフの方へと向かうと地面になにやら灰色の長方形が落ちているコトに気がつく。それは間違いなくリフの許可証の入ったケースだった。





「やれやれ」





 大事なモノをこうもあっさり落っことすなんて、こういう所はやっぱり子供なんだな。と呆れながらケースに手を伸ばした。





「あれ? 」





 ケースを拾い上げた際、許可証とは別の何かがこぼれ落ちた。許可証の裏側に挟まれていたようで、手に取ってみるとそれは一枚の白い長方形の紙だった。





 何だろう? と、紙を裏返した瞬間、僕は背筋が凍るような気分に襲われ、我が目を疑った。





 嘘だろ? 





 その紙はカメラで撮った画像を印刷した厚手の光沢紙だった。それには五人の家族と思われる男女が写っている。





 一人はドクター・オーヤだとスグに分かった。その姿は今とあまり変わっていない。





 そして夫婦と思われる二人の男女。両方共に黒髪で、満面の笑みを浮かべる夫の表情はドクターに瓜二つだった。そして軍服を着用し、その胸にはクジャク部隊のエンブレムが誇らしげに輝いている。





 次に妻らしき人の顔立ちはどことなくリフと似ていて一人の赤ちゃんを抱いていた。その赤ん坊に薄く生え揃った髪も真っ黒だった。





 そして残りの一人は……リフにそっくりな10歳位の女の子だった。その子も例外なく黒髪。そして瞳の色はドクターも含めて全員ブラウン。





 どういうことだ? その写真にはリフの姉であるアリーが写っていないのだ。





 謎が深まる中、僕は写真の右下に記された文字を発見して戦慄とも言える感覚を味わった。





[2495年 ムーン家の新入りリフとの記念! アリーはお姉ちゃんになりました! ]




 日付は今より10年前。確か【アースバウンド】の一号艦が【カーネル】により撃沈された年だ。





 そして写真の赤ちゃんはリフで間違いない。だけど……アリーと思われる女の子はどう見ても[今のアリー]とは顔立ちが全く違っている。





 そもそも黒髪でなおかつブラウンの瞳同士の親から、金髪でエメラルドグリーンの瞳を持つアリーが生まれるハズがない。





 この写真のアリーと今のアリーは間違いなく別人なのだ。





「ジーツ兄ちゃん! 何やってるんですか? 急いで! 」





「あ、ああ! 」





 写真をケースにそっとしまい、とりあえず今は何も見なかったことにした。





 彼女の頭にある縫い傷。家族写真での全く違う姿。夢に現れたアリーそっくりの女の子。





バラバラのジグソーパズルのように散らばる要素。それらはいつか全て組み合わさり、重大な事実を浮かび上がらせるのではないか? そんな予感が僕の頭を何度もよぎってしまった。





「今行くよ」





 リフの元へと駆け寄ると、彼女はタクシーを呼び止めていた。黄色い塗装の電気自動車が僕達を迎え入れ、後部座席に腰掛けた。





 この時代でもタクシーは黄色いんだな、と妙な感心してしまったのと同時にBMEの一件で強奪して大破させたトロリーバスの事を思いだし、あの運転手はどうなったのだろうか?と少し気になってしまった。





「Dブロックの総合病院までお願いします」





 リフの指定に「あいよ」と最低限の愛想で返事をする運転手。慣れた手つきでクラッチを操作して発車させる。





「リフちゃん、流れでここまで来ちゃったけど覚えてる? 」





「ふぇ? なにうぉですか? 」





 リフは先ほど購入していたスコーンを口に含みながら返事をした。





「僕の体は、この時代の病原菌やらに対応出来ないって話。コーディさんが言ってたじゃないか」





「あー、それですか」とリフは余裕の態度で指についたスコーンの欠片を舐めなる。





「嘘なんですよねそれ? わたしジーツ兄ちゃんの体を検査した書類、全部目を通してますんで分かってますよ。健康状態も良好、足の小指に爪があること以外は今の人間とほぼ一緒だって書いてありましたから」





 ここまでくるともう驚いたり呆れたりすることはもう無い。「やっぱりか」という感情が沸き上がってくる始末だった。





 リフはドクターの孫。それだけは揺るがない確信だ。





「兄ちゃんが病院に行けない理由、何か裏があるんでしょ? 」





「え? いや、そんな大したことじゃないと思うよ……多分……」





 僕は返事に困り、思わずリフから目を反らして車の窓から外の風景へ視線を向けた。しかしその時……





「あれ? 」





 驚いて声が自然と漏れた。行き交う自動車の間から、一瞬だけアリーにそっくりな女性が青色がかった緑色の服装で歩道を走っていた姿が見えたからだ。





「どうしたんですか? 」





「いや、アリーさんがさっきいたような気がして……」





「お姉ちゃんは入院中ですよ。人違いじゃないですか? 」





 振り向いてタクシーのリアガラスからもう一度確認するも、アリーらしき人影はすでに賑やかな街の光に溶け込むように消えていた。本当に人違いだったのだろうか? 






「あれ! 運転手さん! 」





 僕がアリーらしき人影に気を取られていると、突然リフが声を荒げたので驚いた。





「さっきの交差点、真っ直ぐでいいんですよ? なんで曲がったんですか? 」





 運転手はリフの声に反応せず、無言でハンドルを操作する。何か嫌な予感がよぎり、緊張の空気が車内に充満した。









「ここで降りるんだ」









 しばらく走って運転手がようやく口を開き、タクシーが止まった場所はパルテノン神殿のように厳かな建物の目の前だった。





「ここ、【中央評議堂】じゃないですか……なんで? 」





「残念だったなリフ。お前の行動はお見通しじゃ」





 突然後部座席のドアが開き、特徴的なしゃがれ声の老人が、かくれんぼの鬼のような笑みを浮かべて僕らを出迎えた。





「おじいちゃん……」





 僕らの「アリーのお見舞い作戦」が失敗に終わった瞬間だった。








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