2-10 「覚醒の数式」

2‐10 「覚醒の数式」





「うわぁ……なんだコレ? 虫だらけだ」





 一人でタブレット端末を使い、クジャク部隊のことを調べようとして2時間くらい経っただろうか? 





 先ほどアリーによって中断された動画を何度か確かめるもこれといった大きな収穫は無く、他に保存されている動画や画像、【アースバウンド】内のニュースと思われる記事を漁ってみるも、一向にお目当てである[トール・ヤンシー]の情報を手に入れることは出来ずに滞っていた。





 それどころか星の数ほどある動画ファイルの一つ一つに目を奪われてついつい見入ってしまい、あっという間に時間が奪われてしまう始末だった。





『まるで雲のように群を成しているこの影、その正体はなんと昆虫のトノサマバッタだ。[飛蝗現象(ひこうげんしょう)]と呼ばれ、旧約聖書にも登場するこの現象はアフリカ、北アメリカや中国、日本といったアジア地方でも見られ、その度に農作物が食い荒らされて多大な損害を被り[蝗害(こうがい)]と呼ばれた。時として飛蝗現象は、観測レーダーが本当に雲と見間違えるほど大量に発生し、精密機器に悪影響を与える時もある……』






 僕は地上で発生されていた不思議な現象について特集されたドキュメンタリー作品にすっかり夢中になって心を奪われてしまっていた。





「へ~……すごいなぁ……」





 元々200年前に生まれたらしい骨董品の僕が、巨大な潜水艦の中で過去に地上で起きていた現象について学んでいるだなんて……記憶を失う前の自分に教えたらどういう顔をするだろうか? 





 こんな状況が少し面白くなり、僕は一人ほくそ笑んでしまった。そして他に興味を引くデータはないかと探し始めようとした時……





「コンコン」





 小さなノックの音がした。僕は出入口のドアの方へ顏を向けるも、誰も入ってこない。




 気のせいだろうか? 僕は再びタブレットを操作しようとした。





「コンコンコン」





 もう一度ノックの音。





「なんなんだ……? 」





 2度目でやっと気が付いた。そのノックの音はどうやら天井から聞こえてくるようだ。僕は首を上に傾ける。





 あ! 





 僕は思わず声を上げそうになった。天井にはスケッチブックほどの大きさの天窓があり、窓の向こう側に笑顔で手を振るアリーの姿があった。





「アリーさん? 」





 アリーは外から天窓を開き、身を乗り出して右手を伸ばして僕に差し出した。

「掴まって」





 僕は少し躊躇しつつ、両手で彼女の右手を握る。すると驚くことにアリーは僕を片手で天窓から外へと引っ張り上げてしまった。まるで雑草を引き抜くかのように軽々と。

 たまに忘れがちになってしまうけど、アリーもクジャク部隊という特殊部隊の一員なのだ。身体能力は並の人間とは比べ物にならない。





「タブレットで色々調べてたんだね」





 そう言いいながら天窓を閉めるアリー。いつもの眼鏡とキャップからはみ出る金髪が眩しい。それに寝間着のまま来たのかタンクトップにショートパンツという出で立ちで少し目のやり場に困った。





「え、ええ……」





 ただ動画を観て回っていただけだなんて言えない。





「アリーさんはここで何を? 」





「ちょっと眠れなくてね……フラっと夜風に当たろうと思ったんだ。まぁ、空調ダクトの風だけどね」





 アリーの【アースバウンドジョーク】に対し、僕は「はは……」と苦笑いをするしかなかった。





「これ飲む? 」





 そう言いながらアリーは屋根の上に置いてあったコーラ瓶を僕に掲げて見せてくれた。




「あ、ハイ! それじゃいただきます」





「ちょっと待ってね」





 そう言ってアリーは二の腕にコーラ瓶の栓を強く押し当ててグルリとねじるとポンッと器用に栓を開けて「ハイ」と、さも当然に僕に手渡してくれた。





「あ……ありがとうございます」





 アリーはまだ18歳だとコーディが言っていた。多分彼女より若い僕が言うのもなんだけど、まだ顏にあどけなさが残っている。栓抜き無しで瓶のフタをねじ開ける姿のギャップはいささか深すぎて驚きが隠せなかった。





「ポンッ」





 動揺する僕をよそにアリーは自分の分のコーラも栓抜きをし、お互いの瓶をカチンと軽く鳴らして乾杯をする。多分これから何百年経っても変わらない風習だ。





 グビグビを喉を鳴らしながら一気にカラメル色の液体を流し込むと炭酸の心地よい刺激が体内の細胞を活性化させるような錯覚を覚える。労働をした記憶は一切ないけれど、仕事後の一杯というのはこういうものなのだろうと感じた。





「どう? 何か分かった? 」





「いえ……あまり成果は無かったです」





「そう……ごめんね、まさか自分で調べるほどだとは思ってなかったから……」





「そ、そんなことはないですよ! それに、クジャク部隊のことは分からなかったけど、【アースバウンド】内のことは色々調べられたんで……映画館があったり、【バラスト層】で釣りが出来るだとか……それと高度に発展した原子炉のシステムだと色々と調べてたんですよ」





「へぇ、凄いじゃん」





 アリーに少し褒められてちょっといい気になってしまったけど、それはしょせん動画を見漁っていた合間に、数あるデータの中からたまたま拾い上げたような浅い知識だ。さも深く研究した成果かのように語ってしまった自分自身が少し恥ずかしくなり、指で小さな豆をつまむようなジェスチャーで「少しだけだけどね」と彼女に伝えた。





 アリーは「プッ」と口から息を吹き出して小さく笑ってくれ、そのまま僕を無言で見つめてきた。





「ぼ、僕の顔に何か……? 」





「いや、何でもないよ」





 そしてアリーはコーラを一口飲んで再び僕に顏を向けた。優しい笑顔だった。

「いいよ」





「え? 」





「知りたいことがあったらなんでも聞いて」





 どうやら僕はアリーから一種の信頼を得るコトが出来たようだ。彼女との心の距離が少し縮まった気がして裸で小躍りしたくなるほど嬉しくなった。やったぞ! 

 僕はその言葉に甘えることにした。





「それじゃ、お願いします」





「うん」





「まず……[トール・ヤンシー]って人のことなんですけど……」





 さっきの反応からしてちょっと聞きづらい話題かもしれなかった。だけどアリーは瞼を一回きつく閉じてから「わかった」と返してくれた。





「トール・ヤンシーはさっき言った通りクジャク部隊のメンバーだった人でね……彼は長い間誰もも到達出来なかった【カーネル】の内部に潜入した唯一の人だよ」





 アリーのコーラ瓶を握る手に力が入っているのを僕は見逃さなかった。





「1年前くらい前に40人のクジャク部隊を投入して【カーネル】破壊を目的にした大規模な地上遠征が決行された。玉砕覚悟の強行作戦だった為、メンバーはその当時20歳以上の隊員に限られた……」





 つまりその中にアリーとコーディは含まれていなかったってことか。





「こちらも出来る限りの兵力を投入して象頭兵達の猛攻に立ち向かった。負傷する人、逃げてしまった人、もちろん死んでしまった人も大勢……そんな中、トールは並外れた体力と強運で【カーネル】の内部まで進入し、ついにはそのメインコンピュータを破壊する一歩手前まで行ったんだけど……」





「失敗した……? 」





「そう……コンピュータを破壊する寸前に【カーネル】内部で待ちかまえていた[何か]にやられてね。あの映像データは後日地上に偵察した隊員が発見した物なの……わざわざ私達が見つけやすいように、わかりやすい場所に放置されててね……」





 【象頭兵】達は英雄となり得た男の最後の勇士をあえて見せつけることで、クジャク部隊の志気を落とそうとしたのだろうか……? 見せしめとして……。機械兵のどこか人間的で意外な残酷さを垣間見た気がする。





「トール・ヤンシーの悲劇を見せつけられ、クジャク部隊のほとんどの隊員はこう思ったんだって……『【コブラ】達には適わない……』って。それで次々と除隊する人達が続出してね……クジャク部隊は私達だけになっちゃった」





 スラム街で出くわした男達はやっぱり元クジャク部隊員で、もしかしたらトールと共に地上遠征をして生き残った人達なのかもしれない。それを考えると無茶を承知で未だに【コブラ】に立ち向かおうとするアリーやコーディに突っかかるのも無理はない。

「トール・ヤンシーについてはこれくらいかな……他に質問は? 」





 アリーはトール・ヤンシーについての話題を無理矢理にでも終わらせたがっていたようにも思えた。まだ他にも彼についての話題はあったのかもしれなかったけど、今の僕とアリーとの間ではここまでが限界なのかもしれない……僕はそれを察しつつ、次の話題を彼女に振ることにした。





「それじゃ、【カーネル】についてですけど……いいですか? 」





「いいよ」





 さっきアリーの部屋で見かけた【カーネル】のポスター。研究所でも何度か写真を見せてもらったけど、腑に落ちない点があり、どうしても疑問に思う所があった。





「ポスターでもそうだったんですけど、あの砲台、真上を向いていますよね? あれでどうやって地上を攻撃するんですか? 」





 写真を見ても砲身は真っ直ぐに空に向けて真上のまま固定されているようにしか見えなく、どうやって現実世界の人類を追い詰めたのかイマイチイメージしづらかった。





「確かに、そう見えるよね」





 アリーはコーラの瓶を屋根板に置いて「まず、これを【カーネル】とする」と解説を始めた。屋根には傾斜があるので倒れないように彼女は何も履いていない両足で器用に瓶を挟んで固定した。





 え? 





 僕はその時、思わず見逃しそうになるほど微細で、なおかつ重大な一点に気が付いた。





 アリーの両足の小指に[爪がある]があるのだ。【医療科学研究所】で聞いた話では、今の時代の人間には足の小指に爪は生えてない。200年間眠っていた僕に爪があるのは当然として、なぜアリーにも爪があるのだろう? 





 聞いてみたい。と好奇心が沸いて出てくるも、先ほど漁っていたドキュメンタリー動画の中に、『稀に尻尾のような物を生やして生まれてきた人間も過去にいた』という内容の物があったので、アリーもそれに似た特殊体質なのだろうか? と自分の中で半ば強引に解決させてしまった。





 何より女性にそういった体のコトを聞くことは、少し失礼な感じもしたからだ。

「どうしたの? ジーツ君」





「ええ? いや、なんでもないです! 続けてください」





 アリーは動揺した僕に対して、特に気にすることも無く話を続けた。





「【カーネル】は超高出力のレーザー砲を発射する砲台。その威力は一発で半径60kmが消し飛ぶほど強力なの」





 半径60kmが消滅といきなりスケールの大きい話になって戸惑うも、先ほど見た動画の中に、遥か昔地上のロシアという国で「ツングースカ大爆発」という現象があったと記録されていたことを思い出した。それは半径30kmの森林が炎上したという爆発だったらしく、ちょうど【カーネル】はその2倍の威力なのだと解釈した。





「恐ろしい威力だけど、確かにジーツ君の言う通り、真上にしか撃てない」





 アリーはコーラ瓶の栓を左手でつまみ、それを瓶の口から「ビィィィィッ」と、真上に持ち上げてレーザー砲に見立てる。





「そこでね」





 おもむろにアリーは眼鏡を外し、右手に構える。眼鏡を外した彼女の顏は初めて見る。いつもと違う印象に少し見とれたけど、どういうことか、どことなく誰かに似ているような感じがして気持ちに釘が一本突き刺さったような感じがした。





「人工衛星、は分かるよね? 【コブラ】は特殊な鏡のような物を搭載した衛星を地球の軌道上に打ち上げた。で、この眼鏡を人工衛星だと思って」





「はい」





 胸のとっかかりは無視することにして、とにかく僕はアリーの解説に集中することにした。





「【カーネル】は宇宙に向けて撃ったレーザー砲を人口衛星の鏡に反射させて……」





 「ビー」と発射されたコーラの栓は瓶の上に掲げた眼鏡のレンズに「カキン」と反射され……屋根板に「ドン! 」命中された。





「こんな感じで地上の目標物に命中させる。わかった? 」





 以上がアリーによる音響効果付き「猿でもわかる【カーネル】の仕組み」である。

「アリーさん、一ついいですか? 」





「なんでしょうか? ジーツ君」





 アリー講師に質問タイムを要求する。





「【カーネル】は地上に一基しかないんですよね? それじゃ、その周辺にしかレーザーを命中させることが出来ないんじゃないでしょうか? 地球は丸いんですから……」

 【カーネル】は世界中を震撼させた兵器だと聞いていた。でもその構造だと、どうしても地球の裏側にある目標には命中させることは出来ないハズ。





 極端な例だけど【カーネル】が北極にあったとしたら、南極にレーザーを当てることはどうしても不可能だ。





「いい質問ですね。実はここからが【カーネル】の本当に恐ろしいところ」

「恐ろしい? 」





「そう、レーザーを反射させる衛星は一つだけじゃない。数えきれないほどの衛星が地球の周りをブワーッと取り囲んでいてね……電車が沢山の駅を経由して遠くの終着駅に辿り着くように、何度も鏡から鏡へとレーザーをビュンビュン反射させて目標へとドカンと誘導させる、地球上であればどこにでも着弾出来る」





 なるほど、僕の疑問は払拭した。この方法であれば北極から南極にレーザーを撃ちこむことも可能だ。





「それだけじゃない」





 アリーは眼鏡をかけ直して、【カーネル】に見立てた瓶の中身を飲み直し。人差し指を真上に向けた。それにつられて僕も首を傾け上を向く。【第二居住区】の天井であり、【第一居住区】の地面。艦内時間が夜だということもあって、昼よりも照明の光が少なく、点々と所々輝く僅かなライトの光が、まるで夜空に光る星々のようにも見えた。





「人工衛星はレーザーを反射させる中継とする役目と同時に、地球上を監視する偵察衛星としての役割も持っている。宇宙に漂う大きな目で地上の様子は常にギョロギョロ盗み見されてるの。その精度は地上に落ちている絵本の文字のルビが読めるくらい」





「つまり、人間が地上にいれば、すぐにばれちゃうってこと? 」





「そう、そしてその衛星の情報は全て【コブラ】や象頭兵にバッチリ送られるってこと」

 その話を聞いて、なぜ人類が巨大な潜水艦を作ってまで海中に逃げたかが分かった。地上に住処を作ってはすぐに衛星から見つけられて攻撃されてしまう。衛星の監視から逃れるには地下に逃げるか、海に逃げるかしか方法が無いからだ。





 そして同時に、いかにアリー達が【カーネル】を破壊する為に無謀な手段をとったのかが分かった。





 敵に見つかるのが前提の作戦ではほとんど自爆覚悟の危険極まりない任務だ。





「あの時は、最後のチャンスだと思ったの」





 僕の心を読み取ったかのようにアリーが失敗した【カーネル】破壊任務の事を語り始める。





「トール・ヤンシーの一件以来も、クジャク部隊は定期的に何度も地上を偵察しに上がっていた。それで、八カ月間かな……不思議と【コブラ】の姿が観測されなかったの」





 コーラを一気に飲み干すアリー。その姿にわずかながら怒りの感情を読み取れた。





「【カーネル】の周辺を調査して八カ月も【コブラ】の姿を確認しなかっただなんて100年にも渡る観測史上一度も無かった。だから私達はこれをチャンスと見込んで攻め込んだの……でも……」





 話している内にアリーの目にうっすらと涙が貯められ、表面張力でゆらゆらとした膜が出来上がる。





「結局駄目だった……今思えば、多分【コブラ】はあえて待ってたんだと思う。10年前と同じことをするために……」





「10年前? 」





「うん……、実はね、【アースバウンド】は2隻あったの。今いる鑑は二号鑑なの」





「2隻あった? 」





「そう、1隻目は壊されちゃった……10年前に【カーネル】でね……」





 アリーは膝を立てた両足を両腕で抱え、顏を突っ伏した。





「おじいちゃんもリフも……10年前は一号艦で生活してたんだけどね……奇跡的にここへ避難することが出来た」





 アリーは言葉を切った。これ以上の事は話をしたくないという意思表示だった事は鈍感な僕にもはっきり分かった。





 僕には実を言うと、もう一つ彼女に聞きたい質問があった。でもそれはたった今聞く必要が無くなってしまった。





 アリーさんの両親はどこに住んでいるんですか? という質問。





 今の話からアリーの家族はもうドクター・オーヤとリフしか残っていないということは明らかだった。僕は軽はずみに【カーネル】について彼女に話を振ったことを後悔した。




「アリーさん……」





「ごめんね……ちょっと昔の事思い出しちゃって……色々あったんだ……その時」





 今にも涙を流しそうになっているアリーを何とか慰めたかったけど僕は戸惑った。





 恋愛映画なら端整なルックスの俳優がそっと抱きしめたりするんだろうか? それともアクション映画の主人公のように気の利いたセリフで心を落ち着かせるのだろうか? 





 そこまでしなくても手をそっと握るだけでいいのだろうか? 今ほど女性の扱いに関する記憶や情報が一切無いことを悔やんだ。どうにかしたい。どうにか……頭の中で様々な情報がぐるぐると混ざり合い、ほとんど混乱に近い精神状態で僕は行動を起こしてしまった。





「アリーさん! 」





 僕はアリーが飲み終えたコーラの空き瓶を手に取り、立ち上がる。





「ジーツ君? 」





 妙なテンションに支配された僕は迷うことなく、両手で瓶を握り、股下に構え





「フン! 」





 勢いよく瓶を自分の額に叩きつけ、粉砕した。





「バ、バカーーーーッ! 何やってんの! 」





 声を荒げるアリー。あまりの衝撃で目の奥に血液の風船が膨らむような錯覚を覚え、世界の上下が分からなくなり、足がふらつく。





「あぶない! 」





 ヤバイ、僕は屋根の傾斜でそのまま倒れて転げ落ちそうになる。しかし……





「おりゃあああ! 」





 アリーが豪快な掛け声と共に後ろから僕に抱きつき、ちょうどプロレスのジャーマンスープレックスのような形で僕と一緒に仰向けに倒れ込む。埃が舞い、背中に痛みが走った。





「バカコラ! 何考えてんの! 屋根から落ちそうだったじゃない! 」





 アリーは上半身を起こして僕を叱りつけた。





「すいません……」





「なんでこんなアホなことをしたの? 」





 僕は仰向けのまま答えた。





「あの瓶は……【カーネル】です……」





 アリーは一瞬ハッとした表情を作り、僕の顏を見下ろす。





「【カーネル】は……今みたいに僕が壊します。僕が早く力をコントロール出来るようになって、壊します……【コブラ】も、象のロボットも、全部壊します。だから、なんというか……元気だしてください」





 瓶を頭に叩きつけた痛みでごまかさなければ、僕はこの程度の言葉も照れくさくて伝えられなかった。顏が赤くなってしまうのも、感情が高ぶりすぎて思わず涙声になってしまったことも、頭突きの痛みで言い訳しなければならないほどに、僕は臆病者なのだろう。




「ジーツ君……アホだね君は」





「なんか、すいません……アホで」





 神妙な面持ちだったアリーに笑顔が戻った。





「ま、ありがとね」





 とだけ一言呟いた。僕は何度もその言葉を頭の中で繰り返しリピートした。





 どんどん胸の鼓動が高まっていくのを感じ、自然と口の端が緩み自分も笑顔を作った。




 方法としてはかなり間違っていたかもしれないけど、結果的に彼女を少しでも慰めることが出来たことがただただうれしかった。





「あ! 」





 突然アリーが僕にまたがって顏を接近させてきた。格闘技のマウントポジションのような体勢だ。





「なな、なんですか? 」





 僕が喋ると吐息で彼女の髪が揺れる。それくらいに近い。思わず呼吸を止めて荒くなった鼻息を悟られないようにと努力する。





「やっぱりおでこから血が出てる……ドクドクしてるよ……」





 アリーに言われて初めて気が付いた。おでこに神経を集中させると確かにハンバーグにかかったソースのような生温かい感触がそこにはあった。





「だ、大丈夫ですよ! 」





「駄目、深く切ってるかもしれない。もうちょっとよく見せて」





 アリーが僕の前髪をかき分け、さらに顏を近付けてきた。眼鏡越しに輝くエメラルドグリーンの瞳と目が合う。心臓のリズムが速くなりこめかみが脈打った。





 ヤバイ。





 僕は彼女との視線を反らすため眼球を下に向ける。しかしそれは逆効果、そこにはタンクトップの隙間から覗く艶やかな存在が僕の平常心をさらに遠いモノにした。





 やや汗ばんだ白く逆立ちした双峰は僕の体温を上昇させる魔法の二次関数。その数式は初めてアリーと対面した時に思わずそれを両手におさめてしまった記憶を蘇らせた。





 例え僕の脳内に残った潜在記憶が全て失われたとしても、その[柔らかいもの]をいつまでも手中に納めていたくなる感覚は失われないだろう。





「暗くてよく見えないな……」




 彼女は腕時計を外してバックライトを照らし、追い打ちをかけるかのようにさらに顏を近づける。そのシルエットは触れただけで割れてしまうような細い細いルビンの壺。体中に電気ショックが走るような感覚があった。





「アリー! 離れろ! 」





 突然僕達の世界に割り込んできたしゃがれ声。





「おじいちゃん! 」





 アリーが驚いて視線を向ける先に天窓から顔を出しているドクターが力強く手招きしている。





「早くしろ! 小僧をよく見ろ! 」





 アリーは近付けた顔を離して僕の体を改めて確認。彼女は慌てて猫のように素早く僕から離れ、天窓から家の中にと吸い込まれるように消えて行った。





「な! 何? なんなの? 」





 僕は一人で屋根の上に残されて何が起きたのか理解できず、おたおたしているうちに右手に痛みが走った。





「いってぇ……? 」





 瓶の破片で掌を切ったようだ。でもその右手を見てアリー達が慌てた理由が分かった。




 僕の掌が褐色に染まっていたからだ。





 これは僕の能力が発動する予兆。巨大なロボットも一瞬で使い物にならなくなる力。【コブラ】の天敵になりうる力。





「うわあああっ! 」





 髪が逆立ち、全身の毛穴から膨大なエネルギーのスパークが発生したような感覚と共に、周囲に強力な磁場のような球体が広がっていく! 





 そしてついに……





「スパアァァァァァァーーーーン! 」





 破裂した。





 その音は【第二居住区】内の静寂の夜にこだまを作る程だった。





「はあ…はあ…」





 僕はコールドスリープから目覚めて以来。初めて能力を再発させた。全身に漂う虚脱感が少し懐かしい。





「大丈夫か小僧ー! 」





 ドクターが天窓から蟻のように這い出て僕に近寄った。





「は……はい」




「見ろ! 見ろコレを! 」





 ドクターはさっきまで僕が使っていたタブレット端末を見せつけて電源を入れようと操作するも、時間が止まったように無反応だった。





「コレはアリーの部屋にあった物じゃぞ! コレがお前の能力か! すごいぞ! 壁をも通り抜けて機械を使い物にならなくした! 」





 僕はやっぱり無意識に能力を発動させていたみたいだった。





「でも……どうやって能力を使ったのか、自分でもよく分からなかったです……」





 ドクターは突然陽気な表情を変え、今まで見たこともないような真剣な表情を作る。





「いや、ワシには大体の見当がついた……何故気が付かなかったのか、盲点じゃった……」




「大丈夫? ジーツ君」





 アリーが天窓から再び屋根上に戻り、僕に近づこうとするも、ドクターが制止した。

「悪いがお前達のやり取りはずっと天窓からのぞかせてもらった」





「え? 」「うそ? 」





 つまり僕の奇行の一部始終を全て覗き見されていたことになる。滲み沸く羞恥心。本当に油断も隙もない老人だ。





「そこで分かったんじゃ。よく聞け、小僧の能力の発動条件はな……」





 唾をのみ込み、ドクターの話に耳を立てた……その時だった。





『緊急事態が発生しました。 緊急事態が発生しました。 』





 ドクターの言葉を遮るように大きなサイレンの音と共に、ノイズの混じった大音量のアナウンスが居住区内を響かせた。





『バラスト層にて緊急事態確認。警戒レベル5! 【第二居住区】の住民は自警団の指示に従い、速やかに避難してください! 繰り返します……』





「おじいちゃん……! ジーツ君とリフをお願い! 」





 猫のように身軽な動きでアリーは屋根から飛び降りて地面に着地し、寝間着のままジープの置いてある方へと疾走し、彼女は消えて行った。





「は……速い」





 アナウンスの内容からして【第二居住区】の下の階層にある【バラスト層】と呼ばれる場所で非常事態が起こったようだ。特殊部隊の一員であるアリーは当然事態の現場に出向く役割なのだろう。





「レベル5……まさか……」





「どうしたんですか? ドクター」





 ドクターは眉間に大きなシワを作り、どこか緊張感を漂わせていた。





「警戒レベル5ってのはな……【アースバウンド】の原子炉に異常が起きただとかいうレベルじゃなきゃ発生されん……それ以外で考えられるのは……」





「何ですか……? 」





「艦内に【コブラ】か、もしくは機械兵が侵入したという時じゃ」





 僕はドクターの言葉を聞いた瞬間、いてもたってもいられなくなった。





「アリーさん! 」





 彼女を追いかけなきゃ! 相手が機械なら僕の能力が役立つハズだ。

「待て! 小僧! 」





 ドクターが前に立ちはだかり僕を制止した。





「ドクター! 僕の能力! 分かったんですよね? 早く教えてください! 力になりたいんです! 」





「落ち着け小僧! 」





 ドクターは向かい合って僕の両肩に手を置く。





「まずはリフを安全な場所に避難させてからじゃ、それからワシと一緒にバラスト層に向かいながら教えてやる! 」





「今じゃ駄目なんですか? 」





 ドクターは一瞬沈黙の間を作る。継ぎ目なしに喋るドクターにとっては珍しいことだ。




「……分かった。しょうがない、とりあえず先に教えてやろう……能力の使い方と、絶対に守らなければならない注意点をな」





 ドクターは僕に能力の発動条件を分かりやすく説明してくれた。しかし、その内容を聞き終えた僕はあまりにも突拍子もない話に思わず……





「マジっすか? 」





 と妙にくだけた口調の言葉が飛び出してしまった。




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