2-9 「疑惑」
2‐9 「疑惑」
「こうしてお前と釣りをするのも久しぶりだな」
「そうスね、最近それどころじゃなかったですから」
コーディとビル・ブラッドはバラスト層にて釣りを楽しんでいた。
バラスト層のダムに溜め込まれた海水は定期的に入れ替えられる。その際一緒に大量の魚も取りこむことになり、船を浮かべて投網や釣竿で漁が出来る。
【アースバウンド】に住む人間にとっての貴重な栄養源をバラスト層で確保しているのだ。そして娯楽の限られる潜水艦内にて、ダム湖上での船釣りは人気のある遊びの一つでもあった。
「ここでお前と出会ってもう5年も経つのか」
「やめてくださいよ、その話は。恥ずかしいですから」
小型のモーターボート上、二人は釣竿を垂らして貯水プールをたゆたい、過去を思った。
■ ■ ■ ■ ■
5年前、コーディ・パウエルが15歳の頃、彼の心は荒れていた。
陰のかかった瞳。ウニのトゲのように、触れた瞬間怪我をしてしまうような殺気を全身から発散させ、盗みやケンカは日常茶飯事だった。
生まれつき体格に恵まれたコーディは一度暴れ出すと大人が数人がかりで取り押さえなければ動きを止めることが出来なかった。
壊れた電動ドリルのように危険で、何度も【アースバウンド】内での護衛隊の厄介になり、【第二居住区】のスラム街では少し名の知れた危険人物だった。
そんなある日、コーディはバラスト層の釣り客に因縁をつけてケンカの火種をくゆらせていた。
「てめぇの釣竿から海水が垂れてんだよ! かかっちまったじゃねぇか! 」
つまらない理由のケンカだった。コーディに対するは3人の中年釣り人、彼等も一向にひるまないタイプの男達だった。
「んだ? てめぇ! 濡れるのが嫌ならここに来るンじゃねぇ!」
「うるせぇ! とりあえず謝れやこの釣り馬鹿野郎! 」
一触即発。コーディは真っ赤に染まった右の握りこぶしを弓を引くように振りかぶった。
「やめなさい」
大型の重機のようにゆったりとしているが重く力強い声と共に、コーディの右手首は何者かの手によって後ろから強く握られて取り押さえられた。
「な、なんだてめぇは? 」
コーディが振り返ると、そこにはフィッシングジャケットを着た大柄で栗色の髪が印象的な男がいた。物静かな印象を与える顔つきではあったが、同時にその内側に危険な圧倒力を潜ませていそうな凄みもあった。
「大声を出すな、釣りの邪魔になる」
「しゃらくせぇ! 」
コーディは右手首を握られながら、空いた左拳を男の顔面に向けて打ち込む。男は右手で釣竿を抱えている。防御は出来ない! ……ハズだった。
「フン! 」
男はとっさに握ったコーディの右手を放し、放たれたパンチを受け流すように回転してかわしてその勢いのまま左手の甲をコーディの顎に叩きこんだ。裏拳だ。
男が繰り出した反撃を食らったコーディは声をだすこともできず、そのまま足元をふらつかせ、ダム湖に大きなしぶきを上げて落下してしまった。
「しまった! 」
水面までは3m程の高さがあり、すぐには堤防の上に上がることができない。
「ブフッ! 助けて! 泳げねぇんだ! 」
溺れて手足をバタつかせているコーディ。今にも沈みそうだった。
「待ってろ! 」
男は躊躇なくプールに飛び込んだ。コーディの襟首を掴みながら器用に泳ぎ、釣り人が投げ入れてくれた救命ブイを掴ませた。
「大丈夫か? 」
「ゲホッ……顎が痛えのと全身ずぶ濡れってこと以外はな……」
「スマンな、でも正当防衛だ。大目に見てくれ」
救命ブイにしがみつきながら男は、何かをフィッシングジャケットの胸ポケットから取り出した。
「しまった……ずぶ濡れだ」
男が取り出したのは銀色の回転式拳銃だった。光を乱反射させる銃身。格調の高さを思わせるグリップにはに金色の小さなエンブレムが張り付けられている。
「あんた、軍人か? 」
「ああ、今日はオフでね。久々に船釣りをしようかと思ったんだが、スイミングをするハメになるとは思わなかった」
コーディは大きなため息をついて、皮肉な笑みを浮かべた。
「知ってりゃ殴ろうだなんて思わなかった」
「はは、先に銃を見せれば良かったな」
二人がダム湖に落ちたことで、堤防上が騒がしくなっていた。幾重にも飛び交う声の中から「早くハシゴ持ってこい! 」という言葉をコーディと男は聞き取り、安心した表情でお互い顔を合わせた。
「……君、なんて言うんだっけ? 」
「……コーディ。コーディ・パウエル」
コーディはぶっきらぼうに答えた。
「コーディか……一つ聞いていいか? 」
「なんだよ? 」
男は堤防上に見える釣り客の一人を指差す。さきほどコーディがケンカを売った男だ。
「彼を殴ろうとした時、一瞬躊躇したみたいだったけど、何故だ? 」
男の質問にコーディは思わず顔を背け、照れくさそうに答える。
「あのオヤジが大きな釣竿と一緒に、もう一本ちっちぇえ釣竿を持ってたからだ」
「小さい釣竿? どういうことだ? 」
「多分ちっちぇのは子供用の竿だ。あのオヤジは子供を連れてここに来てたんだよ。その場にはいなかったけど、もし遠くから見てたら……アレだろ? 」
「アレ? 」
頭を抱えるコーディ。
「あー! もう! ガキに自分の父親がケンカしてるとこなんて見せたらかわいそうだろ? だから……そんなこと考えちまってちょっと殴るのが遅れた。それだけだ! 」
コーディの答えに男は大声で笑った。あまりにも盛大な笑い声だったので堤防の上に集まった野次馬が困惑するほどだった。
「笑うんじゃねぇ! 」
「すまん! そこまで細かいところに気が行くのなら、初めからケンカなんかしなければいいのにな」
「うるせぇ! 」
「カラン! 」
堤防上から縄ハシゴが投げ入れられ、金属製の足場が堤防に叩きつけられて軽やかな音を発した。
「おーい! 一人ずつ上がってくるんだ! ゆっくりとだぞー! 」
縄ハシゴを投げ入れてくれたのはコーディと火花を散らした中年釣り客だった。彼の傍らには10歳位の少年が小さな釣り竿を片手に、水面に浮かぶコーディ達を見下ろしている。
「コーディ、君からどうぞ」
「ああ」
コーディはゆっくりと救命ブイから離れて縄ハシゴに手を掛け、一段ずつ足をかけて昇り始めた。
「コーディ! 」
「なんだ? 」
「その体格と洞察力、もっと有効に使ってみないか? 」
その言葉にコーディは動きを止め、ズボンのポケットから金属製の物を取り出し、男に向けて放り投げて飛沫を散らした。
「僕の銃? いつの間に? 」
胸ポケットに再びしまったはずの男の銃は、いつの間にかコーディの手に渡っていた。
「俺は喧嘩もするし、手癖も悪いぞ。使い道があるのか? 」
男はコーディの瞳を真っ直ぐ見つめた。ほんの少し陰が薄くなったように見えた彼の眼差しに本来の人間性を心で感じ取った。
「ああ! 気に入った! 」
男の言葉に口端を緩め、コーディは再びハシゴを昇り始めた。
「そういえば、あんたの名前は? 」
「ビルだ、クジャク部隊のビル・ブラッド」
その後、コーディ・パウエルはクジャク部隊へと入隊。今に至る。
■ ■ ■ ■ ■
「これを見る度にその時の事を思い出す」
ビルはジャケットから銀色に輝く回転式拳銃を取り出し、コーディに渡す。
「あの時の銃ですか」
コーディは渡された拳銃のシリンダーを子供がおもちゃをいじるように指で回転させた。
「そう、お前がいつの間にか盗んでいた銃だ」
「ご、誤解しないでくださいよ。あんたと話をしている最中、銃がまたジャケットから飛び出してプカプカ浮いていたのを俺が拾ったんですよ」
少し焦ったコーディの顏を見てビルは笑いながら答える。
「分かってる。冗談だよ」
少しバツが悪そうにコーディは拳銃をビルに返す。それを受け取ったビルは右手でグリップを握りしめ、何か思い詰めるような表情で銃身を見つめる。
「この拳銃は俺にとって大事な思い出の品なんだ。もし君が拾ってくれてなかったら失くしていたかもしれん。ありがとう」
コーディはいたずらがバレた子供のように顔を赤らめる。
「初めて知りましたよ。そんなに大事なモノだなんて」
コーディは、ビルとその拳銃との間にどんなドラマが秘められているのかが気になったが、あえてここは触れないことにした。
2人はお互いに過去や私生活の事について詮索せず、絶妙な距離感を保って付き合い続けている。傍から見たらそのスタンスは淡白なようにも見えるが、荒んだ過去を持つコーディにとってはその距離感がとても心地良かった。
昔話を終えた二人は再び釣り竿を握っって神経を集中させた。風のないバラスト層のダム湖上は全く波を作ることなく、鏡面のような水面に僅かな天井の照明が反射され、時折夜空のような輝きを放つこともある。
今は艦内時間午後11時。他の釣り客が釣り場を求めてボートを動かす音以外はほとんど無音でミステリアスな世界観を作り上げていた。
「実はなコーディ」
ビルがささやき、コーディの意識を現実に呼び戻す。
「なんすか? 」
「僕が今日、君を釣りに誘ったのはちょっとワケありでな」
事情を察し姿勢を変えず、あくまで釣りをしながらの雑談のスタンスを崩さないようにコーディはビルの声に耳を傾けた。
ビルが「ちょっとワケあり」という言葉を使う時は他に聞かれては厄介な話をするぞという合図だった。
「最近[禁断物資]が上でかなり出回っている」
禁断物資。それは【アースバウンド】内に持ち込むことを禁止している物資のことだ。
主に艦内の貴重な空気を消費して汚し、火事の原因にもなるガソリン等の燃料。艦内の治安を乱す恐れのあるタバコや薬物。伝染病を媒介する原因である蚊を初めとする虫や動物。
その項目は数多く、それらを所持、生産、栽培、飼育をしていると分かった時点で厳しい処罰が下される。
「この間、【医療科学研究所】の人間がタバコを所持していることが分かってな。取り調べをすると、ある人間が密売しているのを知って購入したらしい」
「ある人間? 」
「研究員はそれ以上は口を閉ざしてしまってな、まだ特定はできてないんだが、おそらく
軍の人間じゃないかと疑われてしまったんだ」
「そんな! 嘘だ! 」
思わず体を大きく動かしてビルに詰め寄るコーディ。ボートが揺れて大きな波紋がダム湖上に広がった。
「地上に上がって物資を調達できるのは僕達クジャク部隊を初め、軍の人間だけだ。偵察任務の際、地上に残った禁断物資をあさって持ち込んでいる輩がいるんじゃないかと考えるのは当然なんだ。まぁ、軍とは無関係の人間が艦内の緊急脱出ポッドを使って無許可で地上に上がっているという可能性もある」
風邪薬を味わうような表情を作るコーディ。
「何か手がかりを見つけたら僕に報告してほしい、できれば隠密に事を終わらせたい。との上からの通達だ」
「……ええ、分かりました」
数多い軍部関係で地上に赴く頻度が高いのはクジャク部隊だ。よって、禁断物資を密輸しているのはクジャク部隊じゃないのか? と大方の見当を軍部関係者からつけられていることは明白だった。
もともと少数の特殊部隊であるクジャク部隊は、【カーネル】破壊の任務により、5人もの命が奪われ、今はアリー、コーディ、ビル、ニールの僅か四人だ。
「大丈夫、お前の手癖の悪さはもう治ってる。僕は信じてるぞ」
「だからやめてくださいよ! 昔のことは」
二人の笑い声が船上から響き渡った。どんな事があってもビルと一緒にいれば最後は笑顔になる。
コーディはほんの一瞬、仲間の死や密輸、様々なネガティブな感情を忘れることが出来た。
「あ! 」
コーディの釣竿に強く引っ張られる感触が伝わった。
「これは大物ですよ! 」
「スゴイ引きだぞ! 」
釣竿はブーメランのような曲線を描く。全力を込めてリールを巻こうとするコーディ。
「メチャクチャでかいぞ! 」
二人がかりで釣竿を引こうとする。徐々に水面に獲物の影が広がっていく。
「3mはある! 」
影の大きさはとどまることなく広がっていく。
「で……デカすぎないですか? 」
水面から遂にその姿の片鱗を現す。
「こっ……これは! 」
次の瞬間、二人は大きな水飛沫を上げて、天井からロープで引っ張られるように宙を舞った。
天と地が逆転し、コーディは頭上から自分達が乗っていた小型船が転覆していることを確認した。
コーディが釣り上げた大物が水中から船を突き上げ飛ばしたことをその時理解した。
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