2-8 「ジーツの夢とムーン一家」

2‐8 「ジーツの夢とムーン一家」





 僕は見知らぬ部屋の中にいた。





 四方を囲む真っ白な壁。薄暗い部屋に蛍光灯の白色光が照らされ、床には漫画らしき本や映画ソフトと思われるディスクのケースが無数に散らかっている。





『夢でも見ているのだろうか? 』





 一方の壁際には窓枠と同じくらいに大きいサイズのテレビが木製の台に置かれ、高価そうなオーディオ機器とコードで繋がれている。もう一方の壁際にはダブルサイズのベッド。部屋の中心には柔らかそうな生地のソファとガラスのダイニングテーブル。居心地のよさそうな空間だ。





『この部屋、なんだか懐かしい』





 僕は何故かうれしい気持ちになった。休日の朝のように胸が躍った。とりあえずこの部屋の外がどうなっているのかが気になったので出入り口と思われるドアのノブを握る。でも……





『あれ? 開かない! なんで? 』





 ドアを押しても引いてもびくともしなかった。部屋側からドアが開かないなんて変だ。ノブには鍵穴すらない。





 まるでこの部屋は誰かを閉じ込める為に作られたモノのように思えてきた。





 そして部屋をよく見渡すと窓が一つも付けられていないことに気が付く。ここは完璧な密室だった。





 だんだんと心が落ち着かなくなった僕はどうにかしてここから出られないかと色々と室内を調べ回った。バスルームがあったのでそこから抜け出せるような窓や通気口はないかと探していると、ふと何か違和感を感じるモノが目に映った。





 バスルームには鏡があった。脱出の事を考えていたのでしっかりと確認はしなかったけれど、目の端にぎりぎり映りこんだ鏡に、誰かの人影が映っていた気がしたのだ。





 恐る恐るゆっくりと、まずは眼球を端に寄せてから首を横に曲げ、鏡と対面させた。首筋に汗が伝い鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる。





『え? 』





 鏡に映ったのは僕の顏。そしてその背後にはもう一人の女の子が立っている。その子は肩まで伸びた金色の長い髪に翡翠のような緑色の眼球。体は小さいものの、僕の知っているあの人にそっくりの顏だった。





『アリー!? 』





 僕がアリーと見間違えたその少女は僕と目が合うと、何か悪戯じみた笑顔でゆっくりとこちらに歩み寄って来た。そして徐々に僕の意識は、現実世界から引っ張られていく感覚に襲われる……。





『この子は……誰だ? 』












「うわっ!」





 夢から覚め、瞼を開くと目の前には老人の顔面が僕の視界を支配していた。




「おお! 気が付いたか! 小僧」




「ドクター……脅かさないでくださいよ……」





「驚かせたのはどっちじゃよ。全く……どうじゃ? 体の調子は」





 寝起きにドクター・オーヤの容赦ない顔の圧力を味わったので、寝起きは良好とは言えない。





 僕は横たわっていた体をゆっくりと起こし、ベッドで寝かされていたことを確認した。幸い服はしっかりと着ている。大量の汗を纏って肌に張り付いた無地の白いTシャツに柔らかい生地でモスグリーンのハーフパンツ。下着もしっかり履いていることが感触で分かった。





 そして鼻には柔らかいガーゼがテープで止められている。どうやら僕はアリーによってドアで挟まれ鼻を強打し、そのまま気を失って夢を見ていたようだ。





「何か面白い夢でも見てたのか? 」





 さっき見た夢は恐ろしいというよりも、よく分からない夢だった。見知らぬ場所、見知らぬ時間、そして鏡に映ったアリーにそっくりな女の子。





 その光景は僕が失った記憶の断片がミックスされてサンプリングされた空想のような夢だったのか? それとも僕のルーツに深く関わる重要な1ページを垣間見たのか? 自分の中では答えが出ない。





 ただ、不思議とこの夢を他人に語ることは非常に恥ずかしいものだという感じがして、ここではあえて……





「いえ……特に何も……」





 そう答えておいた。





「そうか、つまらんのう」





 仕事から帰ってきた父親を玄関まで出迎え、手土産が何一つなかったのでがっかりした子供。ドクター・オーヤの反応にそんな映像を頭に浮かべた。





「コンコン」





 ドアをノックし、アリーが部屋に入ってきた。





「あ……起きてたんだ……」





 少し気まずそうな表情を浮かべながらアリーは丸いトレーをゆっくりと部屋のテーブルに置いてくれた。トレーの上を覗き込むと、丸型のパンが一切れに深皿に入った白身魚とスプラウトのスープと思われる料理が載せられている。





 古来より人間が塩を欲して生きていたことを思い出させる海鮮料理特有の海の香りが、鼻の穴から直接食欲中枢を刺激するかのように立ち込めている。





「夕食、お腹空いてるでしょ? 」





「いいんですか? 」





 おいしそうな料理を目の前にすると、誰でも数秒は周りが見えなくなる。僕は嬉しさの勢いで思わずアリーと目を合わせるも、その瞬間になぜ僕がベッドで寝かされて夢を見ていたのかを思い出す。





「あっ……と、その。さっきはすいませんでした……なんというか、取り乱してしまって」




 うつむいて目を反らすアリー。





「えええと、いいの。わ、私が悪かったんだから……まぁ、気にしないでよ」





 お互いに食べ物の好みすら知らない間柄だというのに、不可抗力とはいえ初対面で彼女にセクハラを働き、そして恥ずかしい姿を一方的に見せつけてしまっている。





 野球のルールさえも分からないのにロジンバッグを渡されたような状態で、一体どういう会話からこの雰囲気を一掃すればいいのかが分からなかった。





「二人とも、ああいうことは順序ってモンがあるだろ。 ワシの若い頃は……」





「違うって! 」「誤解です! 」





 なんでこの老人はこうもバースデーケーキのロウソクにガソリンをぶちまけるような発言を平気で出来るのだろうか?





「ヒッヒッヒッ、冗談じゃ冗談! そんなことは分かっとるわ、からかっただけ。まぁ早くメシを食え、冷めちゃうぞ」





 ドクターの戯言で食欲が若干減退するも、疲れてヘトヘトになった体にカロリーを詰め込みたい欲求にかられ、ベッドに腰掛けたままスプーンを手に取ってスープをすくい上げた。





「いただきます」





 スープの熱で温められた金属製のスプーンを下唇にそっと乗せ、ウォータースライダーのように口の中に流し込む。乾いた歯茎や舌に優しくしみこむ塩気。白身魚の生命力を抽出したかのような力強い旨みが僕の味覚を撫でほぐした。





「美味い……」





 僕の口から考えるより先にその一言が漏れ出した。





「ホント? よかった! 」





「え、アリーさんが作ったんですか? 」





「うん、200年前の舌に合うか心配だったけどね」





 これは嬉しかった。【医療科学研究所】で検査を受けていた時に出された食事は、味気のない原材料不明のオートミールのような食事ばかりだったので、この時代の食事の味付けは自分には受け付けないのではないか? と不安を抱いていた。けどそれは単に【医療科学研究所】の料理が不味かったというだけだったようだ。アリーの手料理は文句なしに好みの味付けだった。





 そしてパンだ。ちぎって口に詰め込むと紛れもない小麦の香りが口から鼻へと抜け通った。これも文句なしに美味い。





 それにしても不思議だ。工場栽培できるスプラウトはともかく、日光が無くて土壌もありそうにない潜水艦内で小麦が手に入るなんて……? 





「ろうやって小麦を作っているんですか? 」





 品が悪いとは分かっていたものの、パンを咀嚼しながらドクターに尋ねた。





「感謝しろよ小僧、お前がぐっすり200年も寝ている間に農業の技術はハンパなく向上しての、今じゃ僅かな人工の光と水さえあれば、土を使わない水耕栽培で小麦を育てることが出来るんじゃよ」





 人間の食に対する信念に感動する。どんな場所、たとえば宇宙空間で生活したとしても人間さえいれば食べ物に困ることはないんじゃないか? とさえ思った。





「ごちそうさまでした」





 思わず一気にパンもスープも食べ終えてしまった。コールドスリープから目覚めて以来、初めて人間らしい食事をした気がする。





「お粗末さまでした」





 空腹が満たされてようやく気持ちが落ち着きを取り戻し、頭にも栄養が行き渡ったせいか周囲の状況に気が行くようになった。





 この部屋は先ほど気絶したリフと呼ばれる女の子の部屋とは違う。飾り気のない殺風景な部屋模様。カーテンや布団を初め、柄の付いた物は一切見当たらなかった。





 壁には地上と思われる写真やメモ書きが所々に貼られており、片隅に置かれたスチールのデスクには古めかしく分厚い本が積み重なっている。





 さらに特筆すべきは縦の長さが1mはありそうな大型に引き延ばされた黒い巨塔の写真。その写真は【医療科学研究所】でも何度か目にしたことがある。





「あれ、【カーネル】ですか? 」





 僕がその写真を指差すと、アリーが少し突き放すような笑顔と口調で「うん」とだけ答えた。





 人間が地上を追われてしまった直接の原因と言われている巨大兵器。僕はその詳しい事はまだよく分かっていない。





「ねえちゃん」





 突然オルゴールのような可愛らしい声が部屋の中に飛び込んできた。





「リフ、どうしたの? 」





「裸の兄ちゃん、大丈夫ですか? 」





 僕が全裸で飛び込んだ部屋の主、恐らくアリーの妹と思われる[リフ]と呼ばれていた少女だった。それにしても僕は姉妹揃って初対面で裸を見せつけてしまったことになる。そろそろ罪悪の意識が生まれてきた。





「だ……大丈夫だよ」





「そっか。兄ちゃん、ジーツって言うんでしょ? わたし、リフです。10歳」

「リフちゃんだね、よろしく」





 リフが右手を差出し、友好の握手を求めてきた。少し躊躇いながらも僕はそれに応え、小さく温かい手をそっと握り返した。





「リフ、私の部屋に入る時はノックしてねって言ったよね? 」





「ごめん、すっかり忘れてた」





 私の部屋? 僕の後頭部に軽い衝撃が走った。





「え! ここ、アリーさんの部屋なんですか? 」





「そうだけど? 」





 殺風景で本だらけの部屋だったのでてっきりドクターの部屋なのかと思っていた。どうりでベッドからいい匂いがしたハズだ。





「おじいちゃんの部屋、汚すぎるからここに寝かしたの。私の事は気にしないでね、今夜はリフの部屋で寝るから」





 アリーさんのベッドで……。





 思わず呼吸が乱れてしまったことを隠すのに必死になっていると、リフがちょこちょこと前に出てきて僕の顔をのぞき込んできた。





 マズイ……変なコトを考えてしまったことを感づかれちゃったか? 





「ジーツ兄ちゃん? 」





「え? あ、はい」





 顔を合わせる彼女のブラウンの瞳は、僕の心の中まで透かし見ているようで、どういうワケか妙に緊張してしまう。





「なんだか……期待ハズレですね」





「え? 」





「200年前の人間だっておじいちゃんから聞いてたんですけど……なんだか普通すぎてガッカリしました……キャンディーをポケットに突っ込ませてその辺の路地でスケボーに興じているような子供と同じ感じですね」





 リフのしゃべり方は、10歳にしては丁寧な言葉使いだったけど、それに反して発言の質は穏やかではなかった。





「そ、そんなコト言われてもなぁ……」





「本当に200年前の人なんですよね? それなら昔のコト、色々教えてくれますか? 」




 僕はその言葉に困ってしまった。なぜなら僕にはハッキリとした記憶が残っていないのだから……。





「これを見てもらっていいですか? 」





 そんなコトはお構いなしとばかりに、リフはPCの端末と思われるA4サイズのタブレットを僕に見せ、慣れた手つきで端末を操作する。





「え~と……とりあえずコレですかね? 」





 そしてリフは何やら大量に保存されているデータの一つを吟味し、それを開いて僕に見せてくれた。





「これ……まさか? 」





「そうです、200年以上前の人々の様子を映したムービーファイルです」





 その動画には一人の男がカメラに向かってどこかの国の言葉でひたすらこっちに向かって語りかけている。顔立ちからしてアジア系の人間だ。





 あらかた喋り終えたかと思ったら、今度は大きな2Lサイズのペットボトルを6本もガムテープで自分の体にくくりつけた。そのボトルの中身はコーラと思われる茶色かかった黒い液体がなみなみ詰まっている。





 一体この男は何をしようというのか? よく見ると飲み口の蓋にはそれぞれ紐が伸びていて、男は6本の紐を握りしめている。そして意味不明なかけ声と共に紐を引っ張ると、蓋が外れて中身のコーラがジェットのように勢いよく噴射された! 





 まさか! この人はコーラで空を飛ぼうとしているのか? と、動画の趣旨を理解したのもつかの間、たかだか炭酸の勢いだけで空を飛べるハズもなく、男はベタベタのコーラまみれになっただけで念願は果たせなかったようだ。そしてヤケクソじみた男の大きな笑い声でその動画は締めくくられた。





「ジーツ兄ちゃん。教えてください」





「うん……」





「この人は何故こんなことをワザワザ記録に残したんでしょうか? 」





「ええ……それは……」





 返答に困った。断片的に残っている記憶を色々と探ってみたものの、どうしてもこういった類の動画には心当たりが全く無い。





「わたし、こういうデータを色々と集めることが好きなんですが、どうも400年から500年ほど前の時代に残っているデータバンクには、このテのムービーファイルが大量に残っているんです」





「そうそう。大勢の人が行き交う場所でいきなり踊ったり歌ったりするヤツとかもあったなぁ。映画の撮影風景だとは思うけど…… 」





 アリーがリフの話に乗っかってきた。





「ワシが見たヤツだと、全身タイツの男が油まみれになって斜面を滑り落ちたりしたぞ……摩擦係数のデータを測る為の実験じゃろうか? 」





 そしてドクターも会話に割り込んできた。





「貴重な食べ物をどういうワケか天井に届くほど高く積み上げたりする動画もありましたよ。政治的なパフォーマンスなんでしょうかね? 」





「投げられたブーメランをパンツ一丁のマッチョ男がお尻の筋肉ででキャッチしたりするのもね、昔はあんなスポーツが流行ってたの? 」






「ただ何かの映像を見て驚いたり笑ったりしている人間をひたすら映していたりするモノもあったぞ。臨床実験か何かの観察記録かのう? 」





 僕を置き去りにしてムーン家の3人は400年以上前の動画について盛り上がってしまった。そしてどういうコトなのか、それらの動画について3人がアレコレ言い合っている光景を見ていると、僕はどこか体を熱くさせる[恥ずかしさ]を感じてしまった。理由は分からないけど、卵から孵った稚魚が誰にも教わらずに水中を泳ぐように、遺伝子に刻まれた本能がそうさせているような気がしてならない。





「あの……皆さん、ちょっといいですか? 」





 盛り上がった場の腰を折るような感じで申し訳なかったけど、このまま放っておいたら4~5時間は喋ってそうな気がしたので、あえて横槍を入れさせてもらった。





「その妙な動画が何の為にあったのかは分かりませんが、【アースバウンド】ではこういったデータを誰もが共有出来るシステムが備わっているんですか? 」





 僕は素朴な疑問を投げかけた。





「どうしてそんなコト聞くんじゃ? 」





「はい、僕が【医療科学研究所】にいた時にコーディさんから聞いたんですけど、まず【アースバウンド】には携帯電話は存在しないんですよね? 携帯電話による通信手段を確保しようものなら、基地局や制御装置等、多くのインフラ設備が必要になるからって……」





「そうじゃな。それらの施設を作るとなると、維持に多大なエネルギー消費され、さらに限られた艦内のスペースをも圧迫する。それ故に【アースバウンド】での連絡手段はインフラを必要としない有線の固定電話と無線通信機に限るんじゃ」





 ドクターはこういった話題は大好きなのだろう、嫌な顔一つせずに僕の話に乗ってくれた。





「だから意外だったんです……インターネットで自由にそういったデータを入手出来る環境があるってことが」





 僕の投げかけた疑問にアリーはバツの悪そうな表情を浮かべて僕から視線を反らした。まるで悪戯をしたのがバレそうになった子供のように……僕は何か悪いことを聞いてしまったのか? でも、ドクターは特に気にすることなくベッドに腰掛けている僕の隣に座り込んで内緒話をするようにささやいた。





「教えてやろう……インターネットで情報を共有するシステムは、銀行だとか【アースバウンド】内の公共機関だとか、ごくごく限られた者にだけ使用を許可されとる。そして今見たような古いデータは貴重な資料として厳重なセキュリティのデータサーバーの中に保存されとるんじゃ。見るには本来特別な許可がいる」





「え? それじゃあ……」





 少し嫌な予感がしてきた……。





「ワシはここではちょっとばかし顔が知れてての、このラボには特別にネットワーク接続が許可されとるんじゃ……あとは分かるじゃろ? 」





「盗んだんですか! 」





 声がでかい! とばかりにアリーは無言で人差し指を立てて口にあてた。どうやらこの[静かに! ]のジェスチャーはこの時代でも健在のようだった。





「誤解するなよ小僧、盗んだのはワシじゃないぞ」





「え? それじゃ……」




 僕がムーン姉妹に疑惑の視線を送ると「へへ……」と照れくさそうに笑うリフの顔があった。





「まさかリフちゃんが? 」





「当たりです! 」





 10歳の女の子は全く悪びれずに機密データの盗聴を告白した。まるで「今日の夕飯はわたしが作りました! 」ぐらいの軽い口調で……。





「リフはこのテのコトが得意なの。この前は【アースバウンド】の操舵システム内に進入したりして困っちゃったよ」





「ごめんなさい、まさかあんな簡単にログイン出来るなんて思わなかったから」





 目の前で恐ろしい会話が繰り広げられている。得意だとか言うレベルで済ませていい問題じゃないぞ……。





「小僧、要望があればどんな情報もぬす……いや、引っ張りだしてきてやるからな! ヒヒッ! 」





 クレイジーな一家だ……ここまでくるともはや関心してしまう。





「はは……大丈夫です。今のところ……」





 ムーン・ファミリーに圧倒されつつ、僕は手に取ったままのタブレット端末を特に意味もなく適当に操作してみた。





 ざっと見ただけでもこの端末には500~1000……いや、もっと多くのデータが保存されているらしい。よくもこんなにも大量のデータを仕入れたものだ……僕はシャッフルさせたトランプのカードを1枚引き抜くように、データの一つをランダムに選んでそれを開いてみた。





『ハァ……ハァ……ハァ……』





 あ、これはマズイ……端末から男の荒い息づかいが流れ始めた。僕は[いけない]動画ファイルを開いてしまったのかもしれない。




『やったぞ……遂にここまで来れた…… 』





 一瞬焦ったものの、それは僕が想像してしまった類の動画ではないようだ。この映像はどうやらどこかのエレベーター内で撮影されているらしい。





『皆、見てるか? もうすぐ[展望デッキ]だ! 』





 撮影者はカメラを自分に向け、自分の顔を映しながら喋りを続けた。その男は黒地の戦闘服らしき格好で、頭から血を流している。





『このトール様が前人未踏の快挙を成し遂げてやる! 』





 [トール]という名前には聞き覚えがあった。そして映し出された男の胸元にはクジャクを模したマークの刺繍……これはひょっとして……? 





『着いたぞチクショウ! 』





 エレベーターが停止し、扉が開かれたその先には、360度がモニターに囲まれ、床にはケーブルが木の根のように張り巡らされた空間が広がっている。





『これで全部終わる! ヒャッホーッ! 新しい世界が待ってるぜ! 』





 そして彼は興奮しながらその中央にそびえ立っている、真っ黒な壁のようなコンピュータへと走り寄った。





『もうすぐだ……もうすぐで…………』





『ブツッ……』





 音声は途切れ、画面は突然真っ暗になった。男の身に一体何が起こったのか? 





「ジーツ君……もう遅いから寝よう」





 アリーさんが突然手を伸ばし、端末の電源を強制的に切ってしまった。その表情はさっきまでの和やかさは皆無で、どこか殺伐としている。





「……そうじゃな……ほら、リフも自分の部屋に戻りなさい」





「……うん」





 何か不穏な空気を察したかのように、ドクターもリフも退散してしまった。部屋にはパーティが終わった後のような静けさが残り、二人っきりになった僕とアリーの間に気まずい空気が漂った。





「リフには困ったね……貴重そうなデータを見つけたら何でもかんでもダウンロードしちゃうんだから……」





 無理矢理にでも先ほどの動画内容を忘れようとしているアリーの姿に、僕は痛々しさすら感じてしまった。





「アリーさん……」





「ジーツ君、疲れてるでしょ? もう……」





「さっきの、もしかして犠牲になったトール・ヤンシーって人の……」





 空気を読まない発言だったかもしれない。でも、僕はどうしてもあの動画の詳細が知りたかった。





「……うん。そうだよ」





 アリーは僕に背を向けながら答えてくれた。





「アリーさん、お願いがあるんですけど……」





 僕の要望に対し、アリーはデスクに備え付けられた椅子に腰掛けて、僕と視線を合わせた。「とりあえず話だけは聞くよ」という感じのスタンスだ。





「教えてくれますか……クジャク部隊のコトを」





 僕はまだまだこの時代のことを知らなさすぎる。特に、この【アースバウンド】を作るキッカケとなった【コブラ】について、そしてそれに対抗する組織のクジャク部隊について、もっと深く、広く知識を得たくなった。





 そしてそれが、自分自身の謎を解く鍵なのでは? 思う気がしてしかたがなかった。

「そっか……」





 アリーは一言そう呟き、椅子から立ち上がって僕に近寄ると小さな声で……

「また今度ね……」





 と答えてそのまま部屋から出て行ってしまった。





「え……嘘……」





 僕はこのシリアスな流れならきっと教えてくれるんじゃないかな~……とタカをくくっていたので、まさかの冷たい反応に瞬きすら忘れた。





 そして遅れて僕の両手にはリフが置き忘れていったタブレット端末が残されていることに気が付く。





「それじゃあ……一人でがんばるか……」





 解凍人間ジーツ君の夜は長いぞ。




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