2-7 「トンボとミント」

2‐7 「トンボとミント」





 【アースバウンド】内で排気の問題があるので車やバイク、重機といった自動車の動力源は全て電気である。





 その為艦内の公共機関は、電気を使って動き、維持が困難なレール等の設備を必要としないトロリーバスが採用されている。





 コーディ・パウエルは【第二居住区】ドクター・オーヤのラボからトロリーバスを使い、ここ【アースバウンド】最下にある【バラスト層】へと足を運んでいた。





 そもそも潜水艦が海中を沈んだり浮上したりする仕組みは、艦内のメインバラストタンクと呼ばれるスペースに海水を取り込んだり捨てたりすることで成り立っている。





 全長3000m以上にもなる【アースバウンド】におけるメインバラストタンクはその巨大な艦体をコントロールする為、艦内全体の半分以上の空間を要し、さながら潜水艦の中に巨大なダムがあるかのように大規模な空間が作られていた。





 そして【バラスト層】内は全てが海水に満たされているというワケではない。ダムの堤防の上には様々な用途の施設があり、その中の一つに「【蜻蛉館】(せいれいかん)」と呼ばれるドーム状の建物がある。












「やあ、こんばんは」





 一人でオセロをして退屈しのぎをしている【蜻蛉館】内ロビーの受付嬢にコーディが声を掛ける。





「こんばんはァ、ご用件は? 」





 職務中に遊んでいたことを詫びることなく、当然のように対応する受付嬢。





「礼拝堂に」





 そう言って慣れた手つきでコーディはカウンターの上に厚手の黒カバーの手帳を滑らせるように差し出す。受付嬢はその手帳を手に取り、カバーに張り付けられたクジャク部隊のエンブレムと、手帳に挟まれたコーディの顏写真を本人と比べてチェックをする。





「軍の方ね、どーぞ奥の通路へお進み下さァい」





「どうも」





「あ、ちょっと待ってェお兄さん 」





 受付嬢と呼ぶには必要以上に艶めかしい雰囲気の彼女が不気味に立ち上がり、コーディの体を上半身から足先まで、撫でまわすようにボディチェックをし始めた。





「なッ! 何だよ急に? 」





 コーディの体を必要以上に触れ回した受付嬢は馴れ馴れしく背後から肩に手をのせて耳元で囁いた。





「上司に言われたの、最近館内で挙動不審な人をよく見かけるから念のため参拝者のボディチェックをシッカリとするようにってねェ」





 コーディは少し乱暴に受付嬢の手を振りほどく。





「俺がそんな風に見えるか? 」





「いえェ……そんな風には見えない、今の所はねェ」





 受付嬢はカウンター上の盤に置かれたオセロの駒を一つつまみ、コーディの目の前に差し出す。





「人間ってのはね……このオセロの駒と一緒、ちょっとしたキッカケで白が黒に、黒が白に一瞬で変わるモノ、正反対の裏表を誰もが持っているノ」





 コーディは受付嬢の態度に対し、あえて露骨に不機嫌な表情を作り、無言でその場から離れて奥の部屋へと続く通路へと小走りした。





「ふふ……ごゆっくりィ……」












 コーディは真っ白に塗装された誰もいない礼拝堂の床を厳かに歩き、堂内にそびえ立つ10mほどの高さのヤゴとトンボを模ったブロンズ象の前で立ち止まる。





『待たせたな、みんな』





 【蜻蛉館】は、言うなれば教会やお寺のような施設で【アースバウンド】内での葬儀や礼拝堂で死者の魂へ祈りを捧げることが出来る施設である。





 礼拝堂内のブロンズ像は蜻蛉象と呼ばれている。居住艦体の【アースバウンド】内で命を落とした死者の魂は、ヤゴからトンボへと成長するように水中から地上へと飛び出し、やがて大空を羽ばたいて天の国へと召される。という考えから作られた物である。





 蜻蛉象が作られた当初は、実際ヤゴは海中では生きることの出来ない淡水生物なので海中施設のモニュメントとしては縁起が悪いのでは?という意見もあったが、【アースバウンド】内にはヤゴをはじめとして昆虫はほとんど存在しないため、「そんなコト誰も気にしないだろう」と楽観的に方付けられて今に至るという気の抜けた裏話もある。





 蜻蛉象は直径15m程ある人口の泉の中心に作られている。コーディはポケットから専用の硬貨を6枚取り出してその泉に投げ込み、ひざまずいて両手を合わせて祈りを捧げた。





 【アースバウンド】には埋葬という言葉が無い。特別な施設以外では土壌が無いので土葬は無理。そして新鮮な空気が貴重なこの艦内では、大量の酸素を浪費する炎の使用は制限されるので火葬も出来ない。なので死体はほぼそのままの状態で【蜻蛉館】におけるダストシュートに似た装置によりもれなく海底に沈められて水葬される。





 そして【アースバウンド】では墓を建てることも省スペースの理由から禁止されている。





 その為故人へ祈りを捧げる際には、代わりに蜻蛉象を祈ることで死者の魂へ声を掛けることが出来るということになっていた。





 その際死者への餞別として受付で購入(寄付という体裁で)した専用のコインを泉に投げ入れることが通例となり、寄付された金銭は【蜻蛉館】の維持費に当てられている。





 どんな時代、どんな状況になっても、魂という概念は不滅だった。





 肉体が滅んでも魂だけは生き残る。その考えを無くしては人として生きることを放棄しているようなモノだと、心が寄りかかるソファーは常に必要なのだと。





 地上を奪われ、閉鎖された【アースバウンド】にて生活を送る人々にとっては、なおさらそれは不可欠な感情なのだ。





「来てたのか、コーディ」





 任務で命を落とした仲間達へ祈りを捧げるコーディの背後から男が声を掛けた。

 黒いジャケットを身に纏い、コーディに負けず劣らず190cmはあろう恵まれた体格、栗色の清潔感のある髪が特徴的だった。





「副隊長! 」





 コーディが振り向いて副隊長と呼んだその男はビル・ブラッド。様々な銃器の扱いに長け、近接戦闘の訓練においては体格で勝るコーディ相手にも敗北を喫したことは一度もないほどに類稀な技術と身体能力を持っている。頼りがいのある決断力とカリスマ性をも合わせ持ち、部隊では最も部下に信頼を置かれ、先の任務でコーディやアリー、そしてニール隊長と共に生き残った1人でもある。





 コーディは素早く立ち上がり、鋭い動きで頭を下げて敬礼をする。ビルも会釈でそれに応え、コーディの肩をポンと叩く。





「堅いぞコーディ、今はプライベートだ」





「いえそんな。言ってくれれば迎えに行きましたよ」





「気にするな」





 ビルはポケットに手を突っ込み、数枚のコインを取り出してコーディと同じように泉に投げ込み、両手を合わせて目を閉じる。それを見てコーディも再び祈りの体勢を取った。




 泉は蜻蛉象の土台部分から水が常に流れ落ちて循環している。二人が亡くなった同志達に心で語りかけ、沈黙の空気は水の流れる音だけが時間を意識させた。





「早いものだな」





 ビルはそっと瞼を開き、沈黙を破った。





「あれからもう一週間も経つんだなんてな」





「ええ、そうですね」





 すうっと大きく空気を吸い込み、ビルは蜻蛉象をぼんやりと眺めた。





「彼等のおかげで、僕らは今ここに立っている」





 突き刺さるビルの言葉。コーディはポケットから一枚の葉っぱを取り出す。





「それは? 」





「ええ、キャロルのヤツが栽培していたミントですよ。アイツ、このテのハーブを育てるのが好きで、それで俺は好きじゃないんだけどハーブティーやらなんやら……よく作ってた」





 ゆっくりとしゃがんでミントの葉を泉に落とすコーディ。澄んだ泉の底には貝殻のように無数のコインが沈んでいる。ミントの葉はその上を踊るように浮かびたゆたう。





「全く、困ったモンですよ。アイツ、やっかいな仕事を俺に押し付けて……俺ん家、瓶だらけなんスよ。ハーブ育てる為の……」





 水面を覗き込むコーディは徐々に声を震わせ、泉に落ちた滴が点々と波紋を作り上げた。





「ダニエルは、コーヒーが大好きな奴でした。フィルは髪型をいつも気にしてた……アラン、アイツは副隊長と同じくらい優秀だった。ドミニクのヤツは犬みたいに落ち着きがなくて……マイケルは無口だけどこっそり努力してるようなヤツで……」





 ビルは優しくコーディの肩を抱き、子供に語りかけるように呟いた。





「大丈夫だ、泣いていい」





 信頼する上官の一言で、ダムが決壊するようにずっと溜め込んでいた感情が爆発した。軍人であり、弱さを表に出さない気質。任務の失敗、生き残った責任。仲間と恋人の喪失。心の沈殿物を一気に吐き出すようにコーディは慟哭した。魂の叫びが館内に響き渡った。





「キャロル! なんで……! 」





 クジャク部隊の副隊長はコーディの肩をさらに力強く掴む。





「彼らの為にも、必ず戻るぞ。海の上の大地に」





「……はい……! 」





 コーディは大量の涙を流し、燃え上がっていた怒りの感情をさらに濃縮する。





『【コブラ】を……必ずぶっ壊す』




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