2-6 「二重苦」

2‐6 「二重苦」





 ドクター・オーヤの人体実験はその後4時間以上も続いた。





 武士の情けで全裸は免れたけど、パンツ一枚で臨んだ実験の数々は苦行とも言えた。

 ルームランナーのような機械でひたすら全力疾走させられたり、高熱のサウナのような装置に閉じ込められたり、バケツいっぱいの氷水を浴びさせられたり。





 ひどいのは休憩と偽って差し出された水に下剤が混ぜられていて、長時間トイレにこもるハメになった事だ。ひたすらに散々だ。





「これもダメか……それじゃあ次は……」





「おじいちゃん! もう今日はいいでしょ! 」





 見るに見かねたアリーがドクターに静止をかけた。女神の救いだった。ドクターが次の実験に使うと思われる道具が怪しげな液体の入った注射器だったため、尚更アリーに感謝を抱いた。





 緑色の液体なんて冗談でも体に入れたくない。





「しょうがない、続きは明日にでもするかの」





 おもちゃを取り上げられた子供のようにすねた態度をとり、ドクターは別の部屋に引っ込んでしまった。本当にどうしてこの人のDNAからアリーが生まれたのかが謎だ。





「お疲れ、ジーツ」





 アリーが清潔そうなタオルを手渡してくれた。





「あ、ありがとうございます! 」





 僕は実験の疲れで体中に噴き出た汗をタオルで拭き取っていく。手の届かない背中はアリーが拭いてくれている。なんだか照れくさい。





「……お? 終わったのか? 」





 長時間の実験を見守ることに疲れたコーディは途中で椅子に座りながら寝てしまっていた。彼は実験が終わったことを本能的に悟ったのか、突然ひとりでに眠りから覚めたようだ。





「結局進展なし、続きは明日だね」





「そうか……」





 まだ意識が混濁しているような口調のコーディ。半開きの瞳で腕時計の針をチェックし始めた。





「6時か……」





 コーディによれば巨大な潜水艦であるここ【アースバウンド】は、常に海中を移動している為に時間や日付は艦内の時計を基準にしているらしい。つまり【アースバウンド】では今、夕方6時を示しているけど実際海上では太陽がさんさんと照らされている真昼間だということもあるというのだ。





「アリー、すまん。ジーツのことを頼んでいいか? ちょっと用事があるんだ」





「いいよ、おじいちゃんがジーツ君を殺さないように見張っとくから大丈夫」





「悪いな、夜にまた戻る」





 コーディはそう言い残し、ラボから出て行ってしまった。僕の事を何度も助けてくれた彼がいなくなったことで少し不安がつのる。





 そして現状、アリーと二人きりになってしまったことに遅れて気が付く、オマケに僕はほとんど裸だ。





「よ……用事ってなんなんでしょうかね? 」





 気まずさを紛らわす為に必死に話題を作る。





「……君にはお墓参りって言えば分かるかな? 」





 アリーは僕の背中を拭きながら言葉に石が乗っかったように重い返事をした。





「君と出会ったあの日、私とコーディは大事な任務に失敗して6人の仲間を失ったの」





「仲間って……クジャク部隊のですよね……」





 そのことは先ほど追いかけられた男達も言っていたことだ。[トール・ヤンシーという人が過去に犠牲になった]ということは分かっていたけど、まさか一週間前に僕が目覚めたあの日に6人も亡くなっていただなんて……





「すみません、そうとは知らず……」





「いいの、気にしないで」





 コーディは常に僕らに対して笑顔を絶やさない人だ。上の【医療科学研究所】での一週間も、コーディが毎日顏を出してくれたことが僕の心の支えになっていた。





 そんなコーディがここまで大きな悲しみを背負っていたなんて思わなかった。心に負った深い傷を隠しながら僕の味方になり、温かく接してくれたコーディ……それを思うと体が熱くなる。そしてその心の痛みは、アリーも同じく負っているのだ。悲しみの十字架を。





 二人にとって、いや、【アースバウンド】にいる人間達の念願、地上を取り戻すという夢。その実現にとって僕の力が必要なのだ。





 僕がさっきまで受けてきた実験なんてアリーやコーディの苦悩に比べれば、腹ごなしに公園でスキップをするようなモノだ。





「アリーさん」





「ん? 」





 僕は背中を向けていたアリーの方へ思い切り振り返った。





「頑張りますよ! 僕! 必ず皆の力になってみせますよ! 」





 僕は必ず実験の成果を出す! 必ず自分の不思議な力をコントロール可能にする! そして地上を取り戻す! との意気込みを示したかった。人類の為に、僕自身の為に! 





「……え? 」





 が、しかし目の前にアリーの姿が見えなかった。代わりにどういうことか、何か開放的な、風通しのいい感覚があった。その感覚は主に下半身から伝わっていた。





 僕は落ち着いて首を傾けて足元に向けた。そこには編み込まれたコットンに似た素材の円形が見えた。それはウォッチキャップを被ったアリーの脳天だ。それより下にあるラボの床にはタオルが落ちている。





 察するにアリーは僕の背中を拭くタオルを落としてしまい、それを拾おうと手を床に伸ばして屈んだ。そのタイミングで僕が急に振り返り、アリーの手は僕のパンツを引っかけてしまってそのまま僕の腰から膝へとスライドさせてしまった。





 つまりその流れから、ちょうどアリーの目の前に僕のかけがえのないアイデンティティが対峙したワケで……









「のわぁあああああ! ジーツくんんんんッ! 」









 当然こうなった。





「すすすすいませんっ! 」





 僕は必死にパンツを上げようとするも、目を泳がせパニックになったアリーが僕のパンツから手を放してくれず、それどころかパンツを下げようとしている。





「アリーさん! 手を放してください! 」





「早く隠して! 早く! 」





「アリーさんが引っ張ってるから隠せないんです! 」





「なんじゃ! どうした! 」





 異変に気が付いたドクターが最悪のタイミングで奥の部屋から僕らの元に駆け付けた。これはヤバイ。





「おおおお前ら! 何を! 」





 僕達ののっぴきならない体勢を見てドクターがうろたえる。説明困難な誤解が生まれた瞬間だった。





「ごめんなさぁぁぁぁい! 」





 頭が混乱したのか、それともヤケクソになったのか、僕はあえてパンツを脱ぎ捨て、文字通り一糸纏わない姿になり、途中躓きながら逃走を図った。





 情けない悲鳴を上げながらとにかく2階へと続く階段を駆け上がった。金属のステップを裸足でぺたぺたと踏込み、吹き抜けになったラボの2階へと到着。するとスチール製の真っ白なドアが目に入った。





 迷うヒマはなかった。僕は吸い込まれるように駆け寄ってノブを握り、押し開いたドアの向こう側へと身を隠した。





「ハァ……ハァ……」





 荒くなった呼吸を整える。とにかくここで一呼吸置き、ドクターに誤解を解いてもらってからゆっくりとパンツを含む衣服を渡してもらおう、そうしよう。





 少し落ち着いた僕は改めて身を隠した部屋を見渡そうと振り返る。すると……





「お兄ちゃん……誰? 」





「へ? 」

 幻でも見ているのかと思った。僕の目の前には子供がいた。背丈からしてまだ10代そこそこの少女がタータンチェックを思わせる柄のカーペットの上に真っ直ぐ立っていた。真っ黒な髪にブラウンの瞳。可愛らしいデニム生地のワンピースを着ていてる。





「お兄ちゃん、なんで裸なんですか? 」





 僕はとっさに局部を隠した。そしてこの娘が誰なのかはハッキリとは分からなかったけど、確かなことは2つ……





 ①この娘がアリーとドクターになんらかの関係があるということ。





 ②自分の置かれた状況が一層危なくなってしまったこと。





「違うんだ! これは、決して君に危害を加えるワケではなく……」





 このままではドクターに解剖標本にされかれない誤解が生まれてしまう。僕は急いでこの部屋から出ようと再びドアノブを握った。その瞬間。





「リフーーーーッ!」





 雄叫びにも似たアリーの叫びと共に勢いよくドアが開かれて全身を打ちつけられる。僕はドアと壁に挟まれ、汚いサンドイッチと化した。





「リフ! ここに裸の男がこなかった? 真っ白で病弱そうな! 」





「真っ白? 姉ちゃん、真っ赤な顏の人じゃなくて? 」





 「リフ」と呼ばれたその娘は壁に張り付いた僕を真っ赤な顔の人と呼んだ。そして二人のやり取りから、リフとアリーは姉妹なのだということが分かった。





 壁と正面衝突した鼻から生暖かいソースが流れ出る感覚と共に、リフが僕を真っ赤な顔と表した理由を理解する。おびただしい鼻からの出血。だんだんと意識が薄れはじめてきた。





「ジーツ君! どうしたの!すごい鼻血! 」





 アリーが咄嗟に駆け寄り、僕の鼻に布を当てて血を止めようとしてくれた。





「ウッ……! 」





 しかし、アリーは未だに動揺していたのか、その布は僕がさっきまで履いてたっぷり汗の染みこんだパンツだということに気が付いていない。





 出血と臭気の二重苦の洗礼を受け、僕はめでたく二度目の全裸意識喪失を味わった。




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