2-3 「名前」
2‐3 「名前」
人類の新たな故郷は計り知れないほどに巨大な潜水艦だった。全長は3500m、居住人数は2万人を超える。コーディや【医療科学研究所】の人間が今までそのことを僕に黙っていたのは、現実を聞かされた時の精神的動揺により僕の身体の正確なデータが計ることが出来なくなる可能性を案じてとのことだそうだ。
「さっきお前を連れて行ったドームは【アースバウンド】に無数ある艦橋の一つでな、あそこは記念公園になっているんだ、[艦橋公園(かんきょうこうえん)]って皆呼んでるよ。そんで今走っている区域は【第一居住区(だいいちきょじゅうく)】ってトコロ。俺らクジャク部隊を含む軍事関係者をはじめ、特権階級の人間だけが住むことが出来る場所だ」
コーディが車の窓から見える景色の詳細を詳しく説明する。僕とコーディとアリーは再びジープに揺られ【アースバウンド】内をドライブしていた。
「信じられない……」
改めて僕の目に次々と映り込む景色は断片的な記憶の中にある「街」そのものだった。ビルがあり、道路があり、信号があり、人が歩き、街路樹もある。カフェやレストランのような建造物もあった。こうして見ると、ここはまるで映画撮影の巨大なスタジオの中にいるようにも感じた。
「今度はどこに行くんですか? 」
運転席のアリーは後部座席の僕にルームミラー越しに目を合わせながら「……私ん家、かな」答えた。
「え? アリーさんの……? 」
想像していなかった答えに少し動揺する。記憶を失う前の僕は多分女性の家に訪問するという機会があまりなかったのかもしれない。妙に鼓動が高鳴り、顏から熱を発した。
「まあ、正確にはアリーの実家だな」
コーディが僕の動揺を見越したような口調で補足した。そういえば【医療科学研究所】を出る直前に彼が口にした言葉を思い出した。
僕の失った記憶と不思議な能力について、解決の手段を知っているかもしれない人間に会いに行くとなると、その人間はアリーに関係のある人? 親? 兄弟? それとも……
「そういえば君……えーと、なんて呼べばよかったっけ? 」
「ぼっ……僕ですか? 」
アリーに呼び名を聞かれて焦った。僕はまだ、自分の名前を知らない。
「アリー、こいつはまだ自分の名前も思い出せねぇんだ」
「す…すいません」
謝る。せっかくアリーが僕の名前を呼んでくれるハズのタイミングを逃した自分自身に対して思わず卑屈になる。
「あ、謝らなくてもいいのに……ただ、まだちゃんと自己紹介してなかったから、私はアリー・ムーン。アリーでいいよ」
高まる。彼女との距離が一歩近づいた気がした。そういえばフルネームはずっと知らないままだった。
「それじゃあ俺も自己紹介、俺はコーディ・パウエル、20歳だ。ちなみにアリーは今18歳でな、スリーサイズは上からはちじゅうろくで……」
「コーディ何言ってんの! 」
怯える。取り乱したアリーが運転を荒げて反対車線に割り込み、対向車が迫ってくる。
「危ねぇぇっ! 」
驚く。アリーは今までのイメージとは全く想像できない口調で勢いよくハンドルを操作して対向車との正面衝突を緊急回避した。
「おいおい! 気を付けろよ! 」
「誰のせいで! 」
「そこまで焦ることねぇだろ……ただの数字だろ」
「数字が重要じゃないの! なぜ知ってるのかが問題なんだっての! 」
「おお……それじゃあ当たってたのか。適当に言っただけだったのに」
「コーディ……私、あんたのお尻にハート型のシミがあることを皆にバラしたくなったわ」
「それは……! おま……なんで知ってんだよ! 」
「へぇ~、それは偶然……適当に言っただけなんだけどなぁ~? ホントにあるんだ」
「嘘つけ! お前、見たんだろ! 覗きやがったな! くそう! 」
「知らないなぁ……シャワーを浴びた後に鏡の前でお尻の筋肉をピクつかせてハートマークをドックンドックンさせてることなんて全く知らないんだけどなぁ~」
「待て! 何故だ! 何故そこまで知ってるんだよ! 」
「あれぇ~コレも本当だったんだ……全くコーディさんはカワイイ趣味をお持ちで……」
「嘘だ! そんなアホでケッタイな発想を偶然思いつくハズねぇだろ! 」
我慢できなかった。アリーとコーディのやり取りについ……腹の底からわき起こる感情が爆発する。
僕は大声で笑ってしまった。
アリーとコーディが口論をやめて、不思議そうな表情で車内に跳ねた声を響かせる僕を見つめていた。
「別に疑ってたワケじゃねぇけど、お前はやっぱり人間だ」
そう言ってコーディが、笑いながら僕の頭を痛みを感じるほどに大げさに撫でた。
僕には【コブラ】の手先だという疑いがあった。もちろん記憶の無い僕でもそれだけは違うと断言する。そう願いたい。
「私もなんか安心した」
僕の笑い声につられたのか、アリーもコーディも表情が緩んでいた。そのことが素直にうれしかった。親も、兄弟も、友達もいないこの200年後の世界に、真に心を許せる人間が出来た瞬間を感じた。
「あのさ……」
「なんですか? 」
「とりあえずの君の名前、ちょっと考えてみた」
「おお、ホントか?どんなだ? 」
アリーが僕に笑顔を向ける。
「君が眠っていたカプセルに[G・G]って書いてあったの、だからGが二つで……ジーツってのはどうかな? 」
ジーツ……。
「そりゃ、ちょっと安直すぎないか? 」
「まぁ、そうかも……君が、気に入ったらでいいんだけど……」
確かに名付けの由来としてはコーディの言った通り安直かもしれないけど、【医療科学研究所】で消毒液の匂いが漂う三人称で呼ばれ続けた僕にとって、アリーの考えてくれた名前は何よりも温かみに満ちていた。
「やっぱ駄目かな? 」
僕の答えは決まっていた。
「いえ、ありがとうございます……! ジーツって呼んでください」
ジーツ。それが僕の名前。
「そうか、ジーツか……まぁ、なるほどな」
コーディがどこか腑に落ちない表情を浮かべる。
「いや、実は俺も考えていたんだ、名前」
「え、どんな名前ですか? 」
僕の心の中では自分の名前はジーツで確定させてはいたけど、何となくコーディの案も聞いてみたくなった。
「ハングって名前、タロットカードの吊るされた男(ハングドマン)からとってな……」
「ハング……吊られた男? 何で僕が吊られてるんですか? 」
「そりゃあ、お前がさ……逆さまだったからだよ」
コーディがハングの由来を説明しようとした瞬間、突然車の動きが大きく荒れ、後部座席でシートベルトをしていなかったコーディは正に逆さま状態に転がった。
「コーディ! それだけは言わないで! 」
アリーが顔を赤らめながら動揺している。逆さまというフレーズに、一体どんな意味が隠されているのか……僕には見当がつかなかった。
「すまん……坊主、じゃなくて……ジーツ。今のは忘れてくれ」
[逆さま]というフレーズはどうやら禁句らしい。
「ジーツ君、[アレ]だけは無かったことにしたいの」
「は……はい」
逆さま。僕にはなぜその言葉をアリーが嫌がっているのかさっぱり理解できなかったけど、これ以上は深入りしないほうがよさそうだ。きっとそれは開けてはいけないパンドラの箱なのだろう。
それにしても二人からジーツという付けられたばかりの名前で初めて呼ばれた時の会話内容が、「ハングを忘れろ」だった事が何となく悔しかった。
許さないぞ、ハング。
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