2-2 「アースバウンド」

2‐2 「アースバウンド」





 白衣を着た大勢の人間に見守られながら、大きな金属製のゲートの下を何度も繰り返し歩かされ、僕はようやく解放された。





「悪いな、何度も同じようなことをさせて」





 隆々の筋肉を強調するような黒いTシャツとカーゴパンツを身に纏ったコーディが僕の肩をポンと軽く叩いた。





「いえ、大丈夫です」





 僕が研究員を襲って逃走を図ったと誤解を受けたあの騒動。僕の嘔吐物を浴び、激怒したニール隊長に例のおっちょこちょいな研究員が僕の潔白を腰の痛みをこらえながら説明してくれた。そのおかげでその場は一時的に収まった。





 僕はその後改めてこの場所が【医療科学研究所】という場所だと知らさせ。その研究員達に体の隅々まで調べ上げられた。





 身長・体重・視力・聴力に味覚の検査、レントゲン撮影や胃カメラ。さらには恥ずかしい部分まで徹底的に研究員達に公開されてしまった。





 それらの検査の他にも知能テストや運動能力のテスト等、そして僕が無意識に使った[不思議な力]についての実験。





 全てが終わるまで一週間のたっぷり期間が要された。





「それじゃ、行くか」





 コーディが僕に関する資料の山が入った大きなブリーフケースを研究員から受け取り、もはや見慣れたリノリウムの光沢が眩しい廊下を歩いて奥のエレベーターへと向かう。僕はコーディを追いかけるカタチでそれに続いた。





 体中を研究員の視線に晒された間、コーディにより今が西暦2505年であるコトや、人類のほとんどが[二次元世界]に住処を移したというコト。【カーネル】という砲台。【コブラ】と呼ばれる実世界の人間にとっての天敵がいて、それに対抗するクジャク部隊という組織のコトを聞かされた。





 それらは空想の物語のような信じがたい話ではあったけど、どうやらそれが真実らしい。





「それにしてもコーディさん……」





「なんだ? 」





「僕はこれからどうなるんでしょうか? 」





「そうだなぁ……」





 コーディは無精髭を生やした顎をポリポリと掻き、エレベーターの上昇ボタンを押す。





「君の記憶は結局戻らないままだし、あの時の不思議な力の秘密も分からずじまいだ」

 僕は結局一週間の間、例の力を再び発動させることは出来ず、過去の記憶も戻らないままでいた。自分の名前すらも。





「すみません、何も思い出せなくて」





「いいって、だから今からそれを解決してくれそうな人に会いに行くのさ」





「解決してくれそうな人? 」





 上の階からエレベーターが降りてきて蛇腹のゲートが音を立てて開く。





「まぁ、ちょっとヤバイ感じの人だけどな、心配するな」





「え? 」





 狭いエレベーターの中に僕達が乗り込み、ゆっくりと上に上がっていく。コーディは意味深な言葉を発した後、何か秘密めいた表情を作って一言も喋らなくなってしまった。気まずい空気の密室空間。緊張で胃が熱くなる。





 僕ば目覚めてから一週間の間、この【医療科学研究所】より一切の外出を禁じられていたので、初めての外界に心を躍らせる期待感も多少はあった。だけど鉄組だけの簡素なエレベーターから覗く錆と灰色の壁面の風景が上から下へと流れていく様子を見て僕は妙な不安感を抱いてしまう。





「ガシャーン」





 エレベーターが目的地に到達したことを告げる音と振動。再び目の前の蛇腹ゲートが開いたその先には、僕達を出迎えるように一台のジープらしき自動車が停められていた。

 エレベーターから降りると、薄暗い照明に照らされた同じような自動車が無数に停車されている。ここは多分駐車場なのだろう。





「お疲れ様」





 軽やかな声と共にジープの影から一人の女性がゆっくりと近づき、徐々にその姿を露わにする。





「よう、アリー、お迎えご苦労」





 僕の立会人として毎日付き添ってくれたコーディとは違い、アリーと会うのは例の騒動以来で一週間ぶりだった。ワッチキャップからはみ出す金髪に眼鏡、真っ白なブラウスの上に鳥をモチーフにしたマークが付いた頑丈そうな生地のベスト。それとデニムと思われる生地のパンツといった出で立ちで、以前とは少し違う雰囲気を醸し出している彼女の姿につい視線が釘付けになる。





「その節は、ど……どうも」





 目覚めた直後、寝ぼけていたとはいえ彼女に失礼なことをしてしまったことを謝ろうと思った。けど緊張と気まずさからか、上手く喋ることが出来ず事務的な挨拶を投げかけてしまう。





「いえ……まぁ、こちらこそ……」





 アリーは僕から視線を反らしながらそう言い、ジープの運転席に戻ってしまった。





「はは、お互いに積もる話もあるだろうな! とにかく乗った乗った! 」





 そう言ってコーディはジープの後部座席のドアを開き、僕を半ば押し込むようにシートに座らせ、自身は助手席にどっしりと腰を下ろした。ちなみにハンドルの位置は左。僕の記憶の中の車の構造と一致していた。この事は自分の記憶のルーツを辿るヒントになるかもしれない。





「よし、出してくれアリー。安全運転でな」





「はいはい」





 エンジンが始動しジープは動き出す。ふとルームミラーを覗くと鏡越しにコーディと視線が合った。





「安心しろよ。この車は後ろの席は揺れが少ないんだ。まぁアレだ。吐きにくいってコト」




 鏡に映った僕の緊張した顏を見て気を利かせるジョークを言ってくれたのだろうか? コーディは他人の細かいところにトコロによく気が回る人のようだ。だけどズボンのチャックは会った時から大解放しているトコロは抜けている。





「コーディ、ちょっといい? 」





「なんだ? 」





「……ズボン、よく見て」





「あ! 」





 申し訳なさそうに笑顔を作りながらチャックを引き上げるコーディ。この二人が部隊でコンビを組んでいた理由を垣間見た気がする。





「まぁ、坊主。こんな感じに気楽に行こうぜ」





 坊主というのは僕の事だ。【医療科学研究所】では「実験体」だの「サンプル」だの「少年」だの、一貫しない名前で呼ばれ続けていた。





 「坊主」それがコーディにとっての僕の名前だ。





 そういえば、アリーは僕の事を何と呼んでくれるのだろうか? 





 そんな疑問を置き去りに、ジープは光のゲートを思わせる駐車場の出口へと突っ込み、僕はようやく【医療科学研究所】の外へと解放された。





「うわああ…………? 」





 研究所の人が言うには、僕は足の小指に爪があることと全身の骨格からして200年以上前の人間であることが分かったらしい。つまり、今の文明は僕が僅かに記憶している時代から200年も先の世界なのだ。当然、空飛ぶ車が頭上を横切っていたり、ハイテクなロボットが街に溢れていたりと期待は膨れ上がるというモノ……しかし、車の窓から覗くその風景は……





「……なんだか……普通ですね……」





 驚くほど見慣れた風景だった。





 ごくごく普通のアスファルトの道路。平凡な自動車が行き交い、凡庸な歩道には奇抜さのかけらもない服装の人々が歩いている。





 興醒めとまではいかないけど、多大な期待感を裏切られた感じはあった。でも、そんな風景にも、気になった点も少しある。





 まずこの車を含め、自動車の走行音がとても静かな点。おそらくこの時代ではガソリンを使わない電気自動車が主流なのだろう。





 そして次に[光]が気になった。

 車に備え付けられていた時計を見ると今は午前10時13分。外は晴れていて日光が降り注いでいるハズだけど、それが妙だ。人や道路標識から伸びる影が全て一定の方向に定まってなく、まるで光源がいくつもあるかのように思えた。





「ひょっとして……」





 コーディの話から察すると、【コブラ】により地上から排除された人類達は別の場所に住処を移したハズだ。それならこの答えはあらかた想像がつく。





「ここって地下なんですか? 【コブラ】から逃れる為に地面の下に街を作ったとか……」




 おそらくこの風景を照らす光は太陽ではなく、人工の照明なのだろう。僕は運転席の方へ少し身を乗り出し、上方向へと首を向けた。そこには思った通り、空はなくいくつもの照明が取り付けられた[天井]をフロントウィンドウ越しに確認した。





 思った通りだ! 





 僕の確信を持った答えに対し、2人ともスグには反応せず、数秒間をおいてコーディが「残念だけどハズレ。でも少しだけ合ってるかもな……」とどこかスッキリしない返事をした。





 それなら海中に居住区を築いたのだろうか? はたまた空中に浮く都市でも作りあげたのか? どちらにせよ漫画や映画のような話だけど、[二次元世界]が成立する現状では何が真実であってもありえない話ではない。





 そんな考えを巡らせている内に徐々に眠気に襲われて、瞼が重くなってきた。





「ふわぁ……」





 コールドスリープから目覚めて以来、僕は睡眠する度に眠りから起きたら再び何百年も経過した未知の世界に飛ばされてしまうのではないか? と不安を抱いてしまう。 

 僕に安心して眠りにつける日はやってくるのだろうか? …………





「坊主、着いたぞ」





 浅い睡眠と目覚めを繰り返すハッキリしないまどろみをコーディの声により打ち消され、意識を目覚めさせる。





「ふぁ……ふぁい」





 コーディに促されながら車から降りると、目の前には【医療科学研究所】で乗ったようなエレベーターの入口が待ちかまえていた。





「これに乗って」





 アリーが先導したそのエレベーター内は思いの外広く、10人以上の人間を一気に運べるほどのスペースがあった。





「よし坊主、今から目を閉じててくれ」





「え? 」





「いいからいいから」





 突然課せられた謎の視覚封印命令。その理由を尋ねる暇すら与えず、コーディは両手で僕の目を覆って視界を真っ暗にした。





 一体何を見せようとしているんだろう? 

 楽しみ半分、不安半分の心持ちの中、エレベーターが目的の場所へとたどり着いたコトを示す、大きな振動と音を感じ取った。





「よし、それじゃそのまま前に進んで……コケるなよぉ」





 両目を塞がれたまま少しずつ前進し……15歩ほど歩いただろうか? コーディのグローブのように大きな手の圧迫感が無くなった。





「よし、もういいぞ! 」





 ようやく両目の解禁許可が出た。僕は瞼を恐る恐るゆっくりと開く。





「えぇっ! 」





 封印されていた僕の目に飛び込んできたモノ。それは朝日が昇る直前の薄暗い空のようにも思えた濃厚な藍色。





 その色彩の中に無数の小さな影が次々と視界を横切った。その影は、初めは鳥かと思ったがどうやら違う。翼をもたず鏡の残骸のようにキラキラと輝いている。間違いない、アレは魚の群れだ。





 つまりここは海中なのだ。





 改めて周囲を見渡すと僕が立っている空間は想像を絶するほどに特殊だった。映画館かと思うほどの広さの空間にドーム状の巨大なガラスのフタが覆いかぶさっている。透明なドームには真上から八方に鉄骨が広がり、まるでクリスタル製のオレンジの上半分をカットしたかのようなフォルムだった。





 そしてこの空間の中央には、特殊な環境をさらに引き立てる大きな存在があった。

 それは大きな球状の展示物。直径が10m以上はある地球を模ったオブジェだった。鉄パイプや配管、寿命を終えたエンジンのような金属類を鳥の巣のように積み上げて作り上げられていて、天井からのワイヤーにより吊るされている。





「どうだ? びっくりしたろ? 」





「凄い……まさかとは思ったけど、海の中に街を作っちゃったんですね? 」





「半分正解」





 アリーが一言呟くとゆっくりと地球型のオブジェの方へと向かって歩み出した。それを追うようにコーディと僕も続く。





「魚をよ~く見て」





 アリーが歩きながら透明な壁面を指差す。





 巨大な水族館を思わせるガラスの向こう側の風景をもう一度じっくり確かめる。

 先ほど鳥と勘違いした魚群。目を凝らしてよく見ると、魚はこちらに向かって泳いでいるのではなく、逆方向に頭を向けている。何故そうなるのかを理解したその時、再び衝撃が走った。





 魚群が横切って行く様子を、初めは魚たちが高速でこちらに向かって来ているのだと思っていたけど実は違う。この場所が動いて魚達を追い越しているのだ。つまり……

「人類は地上を追われ、海中を第二の故郷とした」

 アリーは振り返って僕に視線を向けた。神秘的な瞳に僕の眼は引き付けられる。





「ここは巨大居住潜水艦【アースバウンド】私たちの故郷だよ」




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