1-4 「G・G」

1‐4 「G・G」





 人間の弱さを、そして、脆さを恨んだ。





 私とコーディは全速力で息を切らせ、後方30mより冷徹に追いかけてくる象頭兵を振り切る為、ちぎれそうになるほどに腕と足を振って必死に走る。





「クソッ! クソッ! クソッ! 」





 瞳に涙を浮かべて高揚するコーディ。6人の仲間を失った悲しみと怒りが入り混じり、今にも全身が水風船のように破裂しそうな勢いだ。





 穴だらけで雑草が生い茂るアスファルトの道路を何度もつまずきそうになりながら走る、走る! 走らないと! 





 逃げ走りながら後方を確認すると象頭兵は20体以上。それ一挺で100人の命を絶てそうな大型の突撃銃を構えながら確実に弾丸を命中させる為、冷徹に私達2人との距離をジリジリと無言で詰めてくる。キャロルが命を懸けて私達が逃げるスキを作ってくれたものの、象頭兵達の援軍が行き着く間もなく増援され、すぐさま私達の追跡者となった。





「クソったれが! 」





 コーディは思わず右手に握りしめられていた拳銃で後方の象頭兵に9mm弾を5発撃ちこみ、そのうち一発を偶然にも命中させた。しかし。





「やめて!無駄だよコーディ! 」





 弾丸は命中するも金属同士がぶつかり合う高音が鳴り響いただけで、象頭兵は何も感じていなかった。あくまでライフルを失くした時の補助として持ち合わせた拳銃の弾では敵の装甲を破るには力不足だった。





「どうしろってんだよ! 」





 敵から逃げることしか出来ない。猫に追われたネズミだって噛みつくことぐらいは出来るだろうに、私達はそれすら出来ないでいる。





「とにかく今は逃げて!生き残るの! 」





 後方から迫る死の予感から平常心を保つことがやっとだ。心拍は上がり、呼吸は荒れ、のどがカラカラに乾く。





 6人の仲間が【コブラ】に殺され、残っている隊員は私達以外にあと2人。ニール隊長とビル・ブラッド副隊長だ。





 その2人と合流出来れば、ほんのわずかでも生き残れる可能性は高まるのだが、それも別行動をとっている残り2人が[まだ生きていれば]という前提だ。





「クソ野郎共め! 」





 身長188cmの巨体が小さく見えるほどにコーディの心は壊されかけ、明らかに走るペースも遅くなっている。私自身も疾走による酸素不足で頭が真っ白になりかけている。




『やばい……! 』





 「敵」が突撃銃の銃床を肩に当てて標準を定めてきた。銃撃の射程範囲内にまで私達との距離を縮めたということか。





 私はこの決死の状況の中で本能的に生涯最後の風景を脳裏に焼き付けようとしたのか、全く気に留めていなかった周りの景色がハッキリと写真のように認識できた。





 遥か前方に見える灰色の海。その水平線を作りあげる炭のような曇り空。そして私達の10m程前方に見えるのは、足を乗せたら今にも大穴が空きそうなくらいボロボロでヒビだらけのアスファルトの地面…………? 





 「コーディ!駄目! 」





 「なんだよ! 」





 気が付くのが遅すぎた。私達が足を踏み乗せたアスファルトの地面は周囲と比べて少し山のように盛り上がっていた。つまり地面の下には空洞があるということ。湿気たクッキーのように脆くなっていたアスファルトは当然に合計体重100kg以上になる私とコーディの重みに耐えられるハズがなく……





「「ぬわぁあああああっ! 」」





 崩れ落ち、落下してしまった。





 私は地下空洞の横壁を滑り落ちるように重力に引っ張られ、背中に強い衝撃を感じ、じんわりと鉄の匂いが鼻を通り抜け、最後に冷たい感覚が全身を襲った。





「いってぇ……」





「っつう……無事?コーディ? 」





「……ああ、無事みたいだ……アリー、お前は? 」





「平気……髪とお尻がベチョベチョに汚れたこと意外は」





 訓練で柔道をかじっていたおかげで落下の際に受け身をとれたことと、地下空洞の地面に膝まで浸かるほどの水が流れていたことが幸いして、落下のダメージはほぼ0に等しかった。





「うわっ! 」





 全身がずぶ濡れになった感触と共に、何かがまとわりつく不快感があった。





「なんだこりゃ? 虫か? 」





 それはコーディも同じだったようで、腕や脚につきまとう虫と思われる生物を両手で必死に払い落とした。





 暗い中目を凝らしてその虫を確かめると、その正体は[ヤゴ]だった。トンボの幼虫がこの地下空間の流れる水の中、沸騰する湯から沸き上がる泡のように大量群生していた。





「ごめんなさい、いきなり落っこちてきちゃって……」





 私はヤゴ達をなるべく潰さないようにゆっくり体を起こして周囲を見渡すと、地下空間はバスケットボールの試合が出来るほど広く、真っ暗な闇の奥にはまだまだ空間が続いている。おそらくこの空洞は過去に下水道として使われていたのだろう。上を見上げると5mほどの高さがある天井にドーナツのような穴がポッカリと口を広げている。





「あいつら、追ってこないぞ……? 」





「諦めた? 」





 ホンの砂粒ほどの期待を抱いてみたが、現実はそこまで甘くなかったようだ。私達のぬるい考えをあざ笑うかのように、象頭兵が一体、また一体と穴から飛び降りて水しぶきを上げる。私達は無言で引きつった顔を合わせ、回れ右で駆け走る! 地下水路の奥へ奥へと水を蹴りながら走り抜ける! 





「クソッ! そう来るよなやっぱり! 」





 [敵]は必ず私達を追ってくる。この水路がどこに繋がっているのかは分からないけど、今はそんなことを考えている暇はない。携帯していたハンディライトのわずかな光を頼りに、闇へ闇へと逃亡を続ける。





「止まっちゃ駄目だよ! 」





「分かってる! 」





 朽ちてヒビや穴だらけのアスファルトの壁面が果てしなく横切った。あてもなく水路をひたすらまっすぐ走り、永遠に続くかと思われる逃走劇を続けるも、体力の限界が近づいてきた。それに加え後方からバシャバシャと水を蹴る無数の足音が徐々に迫ってきている。




「このままじゃいずれ追いつかれるよ! 」





「ああ! 」





「何か考えはある? 」





「イチかバチかの方法ならな! 」





 コーディは走りながら背負ったミリタリーリュックを胸側に回し、中からリモコンを取り出して爆薬が詰まったリュックを後方に投げ捨てる。





「爆破でこの地下トンネルをドカっと崩すつもり?」





「そうだ!」





「私達まで生き埋めになるかも!」





「だからイチかバチかなんだ!」





 リュックの爆発から逃れるには30mは距離をとる必要がある。私達は心の中で歩数を数え、およその距離を推測し、ついにその時がやってきた。





「今だ!」





 コーディが合図をするのとほぼ同時に、私達は同時にジャンプしてうつ伏せに倒れこみ、後方で凄まじい爆発音と熱風を背中に感じた。





 流れる泥水が口や鼻に入り込み、トンネル全体が大きく揺れ、いくつもの瓦礫や破片が天井から水面に叩きつけられた。





 やがて音は静まり、泥水が流れる音だけがトンネル内のBGMを作りあげる。後方からの足音は聞こえない。コーディの作戦が成功したようだ。





「どうやら上手くいったみたいだな……」





 コーディは泥だらけの体をゆっくりと起こし、立ち上がる。





「慎重派のあなたがこんな無茶をするなんて……」





「少しでも生き残れる可能性が高い手段をとっただけさ」





 そう言ってコーディは私の手を取り、助け起こしてくれた。





「絶対生き残るんだ……」





 トンネルの天井を仰ぎ見て呟くその姿に、今までのコーディから発せられていた軽い雰囲気が心なしか感じられなくなった。仲間達の死がそうさせたのか、何が何でも生きてやる! という野心が痛いほどに発散されていた。





「うん……そうだね」





「ああ、【コブラ】をぶっ壊すまでは必ずな」





 キャロルが自爆した直後、私達は爆発の周囲を見渡して多くの象頭兵が爆破の衝撃で大破していることを確認したが、残念なことにそこに【コブラ】の姿は見当たらなかった。爆破の直前で上空に逃げたのか、それとも別の何らかの方法であの爆発から回避したのか……いずれにせよ認めたくないが、【コブラ】はまだ生きている。





「行くぞアリー」





 コーディは拳を握りしめてトンネルの奥へと歩み始め、私は後ろから彼を追った。コーディの戦闘服を着ている上からでも分かる大柄で逞しい背中。そこに刺繍されたクジャク部隊のエンブレムマークが私の瞳に映りこむ。クジャク部隊という名前は、「【コブラ】の天敵になってやる」という意気込みから名づけられたモノ。





 孔雀という動物には、爬虫類のコブラが最大の武器としている[毒]が通用しない。無敵のコブラにとって唯一の天敵なのだ。





 しかし、今のところはクジャク部隊は【コブラ】にとって天敵どころか、周囲を五月蝿く飛び回るハエ程度にしか認識されていないのが現実。





 この孔雀が広げた羽根をイメージした部隊のエンブレムは、【コブラ】に出会うことがないようにと、おまじないをする程度の意味しか持っていない。





「痛っ!」





 コーディが突然立ち止まり、孔雀のエンブレムが眼鏡に激突。鼻当てが目頭に食い込み、涙をじんわり浮かばせた。





「ど……どうしたの? 」





「マジかよ……」





 コーディの背中が目隠しになり、前方がよく見えない。私は体を横にずらし、コーディの言葉の意味を確認した。





「行き止まり……」





 目の前には私達の進行を阻める無数の鉄クズの山。水路を流れたガラクタがこの場所を終着点に長い年月をかけて溜まっていったのだろう。





「爆弾……全部使うんじゃなかったぜ……」





 思わず座り込み、腰まで水に浸かるコーディ。





「あの時はそうするしかなかった……しょうがないよ」





「……クソッ」





 コーディは起き上がり、やり場のない怒りを込めて鉄クズに蹴りを放つ。無機質な金属音の反響がやるせない沈黙の空間を支配し、その直後にガラクタの山が少し崩れ、水面を叩く音がこだました。





「とにかく、どこかに人が通れるところがないか探してみる」





「……そうだな」





 こんな所で終わってたまるか。私達を生かしてくれたキャロルの覚悟を無駄には出来ない。どんなに時間がかかろうと、ここから脱出し、生き残らなければ。





 ハンディライトで周囲を照らす。鉄骨やケーブル。用途不明の金属盤の群れ。かつて人間が地上で捨てたゴミが流れ着いたのか、それとも[二次元世界]の拡張の為に象頭兵達が作っているサーバの廃棄物なのか……おそらくは両方なのだろう。





 実世界にも[二次元世界]にもゴミ問題というものは共通して持っている。そのことを考えるとつくづく人類の歴史はゴミとの歴史なのだと痛感してしまう。





「アリー! ちょっと来てくれ! 」





 何か喜ばしい雰囲気を孕んだコーディの声。期待に胸を膨らませ彼に近づく。





「出口があったの? 」





「いや、違うんだけどよ……コレ、何か分かるか? 」





 コーディが光を照らした先には、側面に継ぎ目のラインが入っていて高さが2mはある円筒形があった。まるで棺桶を思わせる見た目で表面は強固な銀色の金属を思わせ。それがガラクタの中に埋もれて直立していた。





「何なのコレ? 」





「やっぱり分からないよな……」





 私は謎の円筒形に光を当てて隈なく調べてみる。すると下部の方に大きなドアノブのような取っ手と、そのすぐ下に何かアルファベットの文字が刻印された金属のプレートがあることを発見した。





「何か書いてある……」





「上下逆さまに……G・G……それだけだな」





「G・G……? 」





 そのアルファベットの組み合わせに全く心当たりはなかった。しかし取っ手が付いている所から、この棺桶のようなモノは中に何かを潜めているということは明らかだ。





「その取っ手……ご丁寧に時計回りに矢印が付いてるな……」





「回せば開くってこと? 」





 この取っ手を回したところで、この窮地から脱出できるとは到底思わない。

 しかし、どんな些細なコトでも調べ尽くさなければならない状況に立たされているということと、私の心の中に不謹慎な好奇心が湧き上がったコト、それらが合わさって私の右手はいつの間にか取っ手を掴み、力強く時計回りにひねっていた。





「カチッ! 」





 円筒形の中で何かが起動したと思われる軽い音が発せられた。





 その瞬間! 





「ブシユーーーーlッ! 」





 空気が焦げるような音が発せられ、側面の継ぎ目から冷たい蒸気が勢いよく噴き出した! その量は凄まじく、トンネル内をあっという間に霧中に変えた。





「なッ! 何なの? 」





「オイオイオイオイ! なんなんだコリャ! 」





 ドライアイスを水にぶち込んだかのように次々と吐き出される冷たい蒸気。密室に近い空間で想定外の事態に襲われ、私達はパニックになった。





 蒸気の勢いは5秒ほどで弱まり、再びトンネル内に静寂が戻った。すると今度は円筒形の継ぎ目がゆっくりと隙間を広げてドアを開くかのように開かれる。





 周囲にはまだ蒸気が立ち込めて完全に開かれた円筒形の中身が確認できない。





 何が入っているの?





 じわりじわりと視界が戻ってくる。





 すると薄くなった蒸気の靄を突き破るように棺桶の中から何かが私に迫ってきた! ほの暗いシルエットから象の耳と長い鼻を思わせる物体が確認できた。





 【象頭兵】? いや、違う! それにしては頭が小さすぎる! 





 冷静な判断が出来ない私に容赦なくその物体は近づいてくる。これは……どこかで見たような……?一体どこで……緊張で体が動かない。一体……一体コレは何なの? 





「うっ……! 」





 とうとうその物体は私にのし掛かり、押し倒されてしまった。何かが私の頬を触れている。ひんやりと冷たいが、金属ではない。生々しい感触、柔らかいような、硬いような……あまりにも[それ]が近くにありすぎて一体何なのかが分からない……! どうすればいい? 一体何が私の身に起きている? 





「オイ……」





「コーディ! 何? コレは何なの? 」





「いや……その、なんつーか……」





 どこか緊張感に欠けるコーディの声、ぴったりと私の頬に張り付く奇妙な感触の正体を確認する為、ゆっくりと私にのし掛かる謎の物体を押しのけてみると…………それが何なのか……分かっ…………









「のわあぁあぁぁあああああッ!」









 思わず私はその物体をはねのけた。円筒形の中に潜んでいたのは、【象頭兵】なんかじゃなく、まさしく……





「まさか、人間が入っていたとはな……」





 コーディは私が突き飛ばしたその人間をキャッチし、器用に横抱きにしていた。





「何なの! 何なのソレ? 」





 私は勢いよく後ずさり、服の袖で顔をこすり拭いた。





「まぁ、見ての通り男だ。年は10代真ん中ってトコロか? 」





 その人間は上下逆さまの、要するに逆立ちの状態で棺桶内に格納されていた。





 よりにもよって……全裸で。





「ちゃんと呼吸をしているな、生きてる。ただ寝ているだけみたいだ。髪は黒で顔立ちは俺達と同じようにコーカソイド。身長はこの感じだと160cm真ん中、くらいだな……それに……おいアリー? 」





 コーディは淡々とその少年を分析するも、私は心の動揺が止まらない。恥ずかしい気持ちと、激しい屈辱を受けたような怒りの気持ちが同居し、どういう反応を起こせばいいのか分からなかった。





 まさか男の下半身の[アレ]を顏で受け止めてしまうなんて……





「アリー! こっち向いてちゃんと見てくれ! この人間、先っちょがおかしいぞ! 」





「さっ……先っちょって! もう知ってるわ! バッチリ直に触れちゃったんだから! 」




「何言ってんだ? 足のことだ。足の指先だよ」





 ワザと私が誤解するような言い回しをするコーディに若干腹が立った。





「ど……!どういうことなの? 」





 ゆっくりと視線を反らしながら少年を抱いたコーディに近づいた。





「こいつの足の小指……爪があるんだ。小さいけど……」





「え?」





 基本的にこの時代の人間には、足の小指に爪はない。かつて300年程前から小指の爪を持ち合わせる人間は徐々に数を減らし、150年前にはほぼ根絶したと言われている。ごくごく稀に爪を持った人間もいるが、私は今までそんな人間を一人しか知らない。

 改めてその少年の姿を見直してみる。北欧系の血を引いているかのような真っ白な肌に、地図上の川を思わせる青白い血管が透けて見える。





 その姿は、例えば人間を生産する工場があって、そこから出荷される直前の体があるとしたらこんな感じなのだろう。と思わせるほどにキレイできめの細かい肌をしていた。





「多分、こいつが入っていた棺桶状の装置は数百年前に開発されたコールドスリープカプセルだ」





 そう言いながらコーディは、横抱きにしていた少年を背負っておんぶする形に体位を変えた。





「それって、人間をキンキンに冷凍して保存できるヤツだよね? 」





「ああ、ということはコイツは随分昔の人間だという可能性が高いな。小指の爪がまだ珍しくない頃の……つまり……」





「150年以上昔の人間だって言うの? 」





「もしかしたら、な」





 コールドスリープされた数百年前の人間が何故? 何の為にこんな所に? 謎は深まるばかりだ。





 でも私達にその謎を追及する暇と余裕なんてなかった。先ほどから私達は、戦地のまっただ中で地下に閉じ込められて身動きが取れないでいる。という絶望的状況から全く進展していないのだから。





「どうするの? その子」





「こいつがここから脱出する方法を知っているのなら起こして聞きたいところだが、それは期待できねぇし……かと言って同じ人間を見捨てるワケにもいかねぇからな……」

 少しはにかむコーディ。





「まあ、私達のご先祖様だしね」





 私の呟いた冗談を聞き、コーディは背中で眠り続ける少年の寝顔を肩越しに見つめる。その顏だけを見たら性別の判断に困るほどに中世的な印象だった。この少年は私達が思うほどにまだまだ未成熟な[子供]なのだろう。





「そりゃちょっとなさそうだぜ。お前も見ただろ? 毛も産毛程度だったし先っちょだって……」





 いちいちコーディはさっき私が見せてしまった醜態を思い出させる。おかげでほんの数分前まで憎き害敵の象頭兵にまで変なイメージを植え付けられてしまった。脳内で小さな頭の象頭兵が円陣を組んで回っている。どうしてくれよう……





「あああああ! もうやめてよ! そういう意味で言ったんじゃないんだから! 」





 私はトンネル内で思わずこれ以上ないほどに大声を出してしまう。狭い水路の壁と足元を流れる水に反響し、空気が揺れる。





「そんなデカイ声だすなよ! 」





「だって……」





 声の反響は思いのほか大きかったようで、天井からコンクリートの欠片がパラパラと舞い落ち、トンネル内が揺れるように感じた。まるで私達の真上にあるだろう地上の道路を大型のトラックが通り過ぎたように。





 ……というよりも実際揺れているような……





「ゴオオオオオオオオン!」





 全身の毛穴を閉じさせる轟音が頭上から発せられた! コーディと向き合っている私の背後に巨大な塊が天井を突き破って大きな水しぶきを上げる。





 押し広げられたトンネル内の空気は私達の全身に細かいチリを浴びせ、上部にポッカリ開けた直径5m以上の大穴に吸い上げられる。





「ビッグサイズのお出ましだ! 」





 コーディの言葉にある程度予想はついたが私は後ろを振り返り、その巨大な塊がついさっき【コブラ】と共に姿を現した巨大な象型ロボットであることを確認した。





 しっかりと四足で着地した象は黄色い光を放つ両目でジッとこちらを睨みつけた。その長い鼻の先には指のように細かい動きが可能な4つの小型アームがイソギンチャクのように搭載されている。





「コーディ! アレ見て! 」





 そして驚くことに……その鼻の先には一人の人間が握りしめられていた。





「ぐ……ぐえぇえ! 」





 天井の大穴から差し込む日光をきらきらと反射させる頭頂部。間違いない。





「「ニール隊長! 」」





 私達以外に生死が不明だった一人、クジャク部隊の隊長ニールとの再会。今まさに象の鼻に蹂躙されているが、とりあえず今のところ生きてはいるようだった。





「アリー! コーディ! なにボケっと突っ立ってやがる! 何とかしやがれ! 」





 コーディは路上に落ちたゴミを見るような眼差しをニール隊長に向けて後頭部を掻く。




 彼が「そう言われなくても助けるつもりだったんだけど、余計なことをイチイチ言うなよな」と心で呟いたことは簡単に想像できた。





「とりあえずここから脱出する出口は見つかったね」





「ああ、そんじゃ俺らクジャク部隊の真の実力を見せつけてやろう! 」





 私はコーディと目を合わせる。それだけでお互いにどうするべきなのかが理解できた。




 バナナの皮を剥くように象型ロボットの牙の外側がめくれ、中から機関銃の銃口が姿を現す。その瞬間、コーディは少年が入っていたコールドスリープカプセルのフタを力ずくで外し、私は象の機関銃の射程外へと回避する。





「ズガガガガガガガガガガガガッ!」





 絶え間なく響く金属同士がぶつかり合う悲鳴にも似た轟音。水面を叩いてリズムを刻む薬莢。象型ロボットは容赦なくコーディに向けて射出し、硝煙と埃が舞って立ちこめた。




 私は窮地のコーディを尻目にガラクタの山から太くて丈夫そうなケーブルを一本拾い上げて片方の先を結んで輪っかにし、投げ縄を作った。それを頭上に大きく振り回し象の鼻に向けて投げつける! アレ……? 





「アリー! 何する? くっ……苦しい」





 象の鼻を締め付けるつもりで投げたケーブルは運悪く鼻先に捕えられているニール隊長の体に巻きついてしまった。しかしこの緊急事態だ。ほんの少し我慢してもらおう。





「はあああああっ! 」





 私は雄叫びを上げつつ、ケーブルを握りながら走ってトンネルの壁面を駆けあがった。そして勢いをつけてジャンプし、握ったケーブルに引っ張られるように弧を描いて宙返りをしながら象の背中の上に着地した。その反動で象の鼻は強く引っ張られて反り返り、顏を真っ赤にした隊長が目の前に迫る。





 口をパクつかせ何かを喋っているようだったがこの際無視を決め込むことにした。

 私は隊長の首からぶら下げられた自動小銃を奪い、ケーブルを引っ張りながら片手で象の鼻の根本に向けて徹甲弾を連射する。激しく火花が散り、象の鼻を破壊するまでには至らなかったもののニール隊長を掴んでいたアームの力が緩ませることには成功。隊長は解放されて象の背中に叩きつけられた。





「ゲホッ! アリー! もっと優しくできんのか? 」





 礼の一言もない隊長の文句にいちいち対応しているヒマはない。私は象の背中の上から銃撃を受けているコーディの方に目を向けた。





『さすが何百年もサビ一つなく持ちこたえていただけはあるぜ! 』





 コーディはコールドスリープカプセルのフタを盾として自身と背中の少年を銃撃から守り、攻撃を引き付けてくれていた。ここまでは計画通りだ。





「隊長! 」





「なっ……なんだ! 」





「背負っている爆薬をこの象の足元に落としてズゴッと爆破させて下さい! 」





「なっ……何ィ? 」





 私達の計画はこうだ。コーディが象の攻撃を引き付け、私がニール隊長を助けつつ、隊長のリュックの中にある【カーネル】爆破用の爆薬を象のちょうど腹の下に落として爆破。その衝撃はコーディは盾で受け止め、私と隊長は象の背中の上でやり過ごす。といったプランだ。





「隊長! 早く! 」





「わっ……分かった! 」





 コーディの盾もいつまでもつか分からない。事は迅速に行わなければ。





「そりゃっ! 」





 リュックを象の足元に落とした隊長。ちょうど象の腹の真下で絶好のポジションだ! ……しかし、私は隊長が重大なミスを犯した事に遅れて気が付く。





「隊長ッ! リモコンは!? 」





「あ…… 」





 作戦は90%成功していた……しかし最後の最後でニール隊長が起爆装置のリモコンごと爆薬を落としてしまうという凡ミスで無情にも積み上げた労力が崩れ落ちてしまう。





「うそ……」





「……スマン」





 背中の上の異変に気が付いた象は機関銃を止めると、私とニール隊長は象の長い鼻に巻きつけられてしまった。





「うぐっ! 」





 象に振り回され、私達はそのまま放り投げられて宙を舞う。上下が逆になり、トンネルの天井に空いた大穴が足元から見えた。





「おわあああっ! 」





 そのまま私と隊長はコーディに激突。ニール隊長と謎の少年も含めてもみくちゃになる。





「痛っつぅ……」





 全身に痛みが走る私は状況を把握する為に倒れながら急いで周囲を見渡す。





 右にはコーディがうつ伏せに倒れ、左にはニール隊長が仰向けに口を開いて気絶している。そして前方には象型ロボットが機関銃を向けて残酷に佇んでいる。絶対絶命の状況。




 度重なる幸運と犠牲、そして機転でここまで乗り切ってきたのに……やりきれない思いで胸が締め付けられ、体が重く感じる。





 まるで誰かが私の上に乗っているような感覚が……





「え? 」





 突然の出来事を理解出来なかった。





 さっきまで目を閉じて眠っていたハズの少年が私に跨って虚ろなダークブラウンの澄んだ瞳を向けている。





 少年が起きている! 





 それと同時に私はふと自分の胸部に妙な違和感を覚えて視線を下ろす。すると少年が真っ白な両手を私の……胸部に置いていたことが分かった。





 さらに、その少年はその感触を確かめるように何度も私の胸を握りしめている……って……





「コラァアアアア! 」





 どさくさに紛れてワイセツ行為を働くセクハラ小僧を、私はつい両手で思い切り押し飛ばしてしまった。少年は象型ロボットの足元までタイヤのように水面を転がる。





「あ! しまった! 」





 巨象は牙の機関銃をゆっくりと足元に転がる少年に向け、その命を終わらせようとする。





「お! おい! やばいぞ! 」





 事態に気が付いたコーディ。でも起き上がろうとするも痛みでそれが出来ないでいた。




 名前も知らない。出会って数分して経っていない。初対面でとんでもないセクハラをされた。そんなほとんど他人とも言える少年でも、同じ人間であり、血液を持った同胞であることは間違いない。目の前で無残に肉片と化してしまうことを放っておけるワケがない。





「逃げて! 」





 私が声を張り上げたその時だった。





 少年は勢いよく立ち上がり、両手を象に向けてかざすと真っ白な体が一瞬で日焼けしたように褐色へと変貌。少年の黒い髪は逆立ち、自身を包み込むように球体の磁場のようなモノを発生させる。








「全て……ゼロに……! 」








 私は少年が微かに口を動かして呟いた声を聞き逃さなかった。





 全て、ゼロに…? 





 次の瞬間、少年を取り囲む地場の球体は爆発するように膨張した。





そして象型ロボットをも包みこんだと思ったら、タイヤがパンクするような裂音が空気を振動させた! 





その残響はいつまでもこの地下通路に残り続けた。





「何だよ? 何が起こった? 」





 動揺するコーディの声に反応するように少年がこちらを振り向く。褐色の肌は徐々に元の白色に戻り、逆立った髪もゆっくりと重力に引っ張られる。





 それにつられたように象型のロボットも足を崩してそのままゆっくりと金属同士がこすれ合う悲鳴を上げながら横に倒れて水面に叩きつけられる。





 あれだけ私達を翻弄した巨象をまるでトランプで作ったタワーに風を吹きつけたように、少年はいともたやすく崩し葬ってしまった。





「嘘……あのロボットを……」





「倒しちまったのか? 」





 静寂に包まれたトンネル内。少年はゆっくりと私に近寄ってきた。





 一歩、また一歩と、一糸纏わぬ姿を少しずつ近付ける。





 得体のしれない少年の接近に不気味な印象を感じはしたけど、不思議と私はこの少年から遠ざかろうとは思わなかった。





「誰なの……? 」





 少年と目が合う。水だけで作ったゼリーのように潤って透明感のある瞳だった。





 長年眠りについていた少年は、私の問いに答えることなくそのまま私の胸に倒れこんで目を閉じ、再び眠りについてしまった。私はそのまま少年の背中に手を回して抱き支える。





「助かったのか?……こいつのおかげで」





「なんだか悔しいけど……そうみたい」





 任務の失敗。【コブラ】の襲撃。仲間の死。多くの悲劇があった。だけど、私達の目の前で巨大な兵器を圧倒した素っ裸の戦士が、これからのクジャク部隊の……いや、これからの人類の未来に大きな変革が起こすのではないかと直感した。





 一瞬で象型ロボットを倒した不思議な能力。





 この力は【コブラ】との戦いに大きな可能性を切り開いてくれる希望を抱かせてくれた。





「コーディ! アリー! みんな無事か! 」





 天井の巨大穴から誠実な印象のよく通る声が放たれた。





 私達が仰ぎ見ると、副隊長のビル・ブラッドが顏を覗かせ、こちらを見下ろしている。




「副隊長! 無事だったんスか! 」





「作戦は失敗だ! 脱出するぞみんな! 」





 生きていた副隊長の顏、それにコーディの喜ぶ顔を見て、緊張で張りつめた心が一気に破裂したような気がした。





 花瓶を倒したように涙が溢れ出て、眼鏡のレンズを曇らせた。我慢しても我慢しても止まらなかった。





「帰ろうぜ……ひとまずな……」





 コーディが私の頭にそっと手を置く。その行為に耐えきれず、とうとう私は膝が崩れ落ちてしまった。仲間が死んだ事、任務の事。この瞬間全てを忘れてしまった。「生きているんだ」それだけが今の私の残酷な感情だった。





 私達は、生き残った。





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