第3話 悲鳴

 あくる日、彼方が訪れたのは物が散乱する小屋だった。薄暗く、締め切られた部屋は蒸し暑そうに見えてこれが以外と涼しい。乱雑と立ち並ぶ物の間をするすると抜けると、ぼんやりと宙を見上げてあぐらをかいている椿が見えた。

「椿殿」

「うわっ。彼方っ」

 彼方が声をかけると、椿が転げ落ちそうな勢いで驚いた。驚かせようとしたつもりはないが、こそこそと足音をたてないようにして来たのも事実なので、彼方は悪戯が成功したようにくすくすと笑った。

「びっくりした。なんで彼方がこんな所にいるんだよ」

「偶には、私の方から椿殿に会いたくなったのですよ。いつもは、会いに来ていただくばかりですからね」

「そんなの気にしてたのかよ。俺が行きたくて行ってるんだから、気にしなくていいのによ。ってか、彼方がこんなところ来ちゃ拙いだろ」

「一応この家の敷地内くらいを歩く権利は私にもありますよ。本当はずっと閉じ込めておきたいでしょうけど、私の事を本物の妖怪だと思っている人は多いですからね。不遇に扱い続けて、祟られたり呪われたりすればたまらないと言ったところでしょう」

 実際にそう心の中で思っているようすを見てきたのだから確かなのだろう。

 彼方は確かに『天眼』という人ならざる眼を持っているが、彼方は人間である。少なくとも、人を呪ったり空を飛んだり疫病を撒き散らしたりはできない。必要以上に恐れられるのは悲しくもあったが、そうでなければ今頃自由一つなく幽閉されている身であることは十分に予想がつくので幸運だと思うことにしている。

「そうは言ってもな、ここ綺麗じゃねーし。茶の一杯もだせねーし。彼方の好きそうな本とかもわからねーし」

 ぶつぶつと呟く椿に彼方は

「私は、椿殿さえいてくれたら、それでいいのですよ」

にっこりと笑ってそう言った。

 椿が顔も髪と同じ色にして口をあんぐりと開ける。

「なんで彼方はあっさりそういうことが言えるかなぁ」

「椿殿も結構普段から申していますよ」

「彼方のほうが衝撃が強い」

「おやまあ」

 くすくすと袖で口元を隠して彼方が笑う。

 彼方はいつでも静かで落ち着いていて、波風立たない凪のような、無風の風のような存在だ。声を荒げることも泣きわめくことも照れて慌てふためくこともない。

 椿自身嫌われているとは思っていないし、どちらかといえば好かれている自覚はあるけれど、彼方が自分の気持ちをはっきりと口にすることは珍しい。だからこそ、こうしてぽろりと漏らされる言葉が破壊級なのだ。

「彼方には敵わねえ……」

「私にそんなことを申すのは、椿殿くらいですよ。皆、私を嘲り、恐れるだけですから」

 口元だけでも、彼方が悲嘆にくれている様子がわかった。

 珍しいことは重なるものだ。まだ18年ほどしか生きていないというのに恐ろしいほど達観している彼方は、自らの不遇を受け入れるようなそぶりを見せることが多いというのに。

 布に隠れた向こうで目を伏せ息を吐く彼方に、椿はそっとその肩を抱き寄せた。

「何かあったのか?」

「何もありません。ええ、本当に何もないんです」

 それは、自分に言い聞かせているようだった。

 自分の心すら見通すことができてしまう彼方に、そんなことは無意味なはずなのに。

「彼方。いつか絶対、2人でこの家を出て行こう。そうして世界の、いろんなところを見に行こう。その時は、千夜や千歳姉さんを誘ってもいいな。いや、いつかじゃなくていい。俺は、彼方が望むなら今だっていいんだ」

「……そんなことをすれば、椿殿は死んでしまうではありませんか」

「彼方のためなら、死んでもいいって」

 死んでもいいと、椿は言った。

 人を殺し続け、人の首を斬り続け、命の重さを知っている椿は、何を躊躇うこともなくそう口にした。

「椿殿は、嘘つきです」

 肩を抱かれた彼方は、俯いたまま零れ落とすようにそう言った。

 布の下で目をつぶり、決して見ようとしまいと誓って。ひとたび見てしまえば、その真偽がわかってしまうから。

 そして椿の言葉が真か嘘かなど、見るまでもなくわかってしまうから。

「嘘つきです」

 椿は、否定しなかった。

 ただ黙って、横からの悲鳴を聞いていた。

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