第2話 優しいフリ

 ザアザアと叩きつけるような雨が降っている。

 同じ屋敷に住む椿は「雨がうるせーよなー」とさして気にもしない様子でいつも通りに部屋に入ってきた。

 千夜といえば「来るのが大変だったよ」と言いながらも番傘をさして庭から入ってきた。

 もちろんすぐに椿が千夜にくってかかり、それを千夜が嫌味で跳ね返すので口喧嘩になったが、それをくすくすと彼方がいつもどおりに眺めるのだ。そして

「久しぶりね。彼方ちゃん」

「おや、お久しぶりですね。千歳姉様」

今日はもう一人、千夜の育ての親である千歳がやってきた。

「うわっ。千歳姉。なんでいるのさ」

 千歳の登場に今まで涼しい顔をしていた千夜が一変、顔を引きつらせる。

「あら、千夜ちゃん。私、千夜ちゃんに川守の仕事を頼んだはずよね。どうしてここにいるのかしら」

「あ、ち、千歳姉。一応仕掛けはしてきたから迷子が来ればすぐわかるようにしたよ」

「そう、千夜ちゃん、それで?」

 じぃっと千歳が千夜を見つめる。にっこりとした笑顔を浮かべて、顔を近づけて、千夜の眼を見つめる。

 千歳は流麗という言葉が似合う美人だ。川底を思わせる深い藍色の髪を、横で簪を使ってまとめている。身に纏っている物は一目で高級だとわかる代物で、袖口や裾もたっぷりと余裕がある。そのまま貴族の邸宅に居ても違和感のない服装だ。そして、光や見る角度によって濃度が変わる淡い水のような色の眼は人を惑わせる独特の雰囲気をもっている。

 そして何より、美人の笑顔は怖い。

 たとえそれが、いくら女性口調とはいえ男であっても。

「ちーやーちゃん」

「うわーん、ボク帰って仕事の続きしてくるううぅぅ」

 千歳の眼力に耐えられなくなった千夜は、番傘を掴んで外へ走って行った。それでも去り際に「またねええええ彼方あああああ」と言うことは忘れない。

「まったく、また仕事をサボる宣言だなんて。反省してないわね」

 困ったように千歳が肩をすくめる。

「ってか、千歳姉さんは持ち場いいのかよ」

「私はいいのよ。それより、椿ちゃんも久しぶりね」

「あ、ああ。久しぶりだな。千歳姉さん」

 千歳は椿が苦手とする存在だ。言動が癪に障るとか、性格が苛つくとかそういうわけではない。ただ単純に苦手なのである。勝てる気がしないとも言えるが。

「それより千歳姉さんっ。アイツいっつも俺に暴言吐いてくるんだけど、ちゃんと教育しておいてくれよ」

「あらあら。でもあの子、本当に嫌いな相手には見向きもしないか、川の底に沈めるかどっちかだから椿ちゃんのことは嫌いじゃないはずよ」

 一瞬不穏な言葉が聞こえたが流しておく。アイツは多分川底に沈めるときは番傘の先で頭押さえつけるとかそんな方法だろうなぁとかうっかり想像してしまったがそれも知らないふりだ。

「ほら、やはり千夜殿と椿殿は仲がよいのですね」

「違うからな。それは断じて違うぞ、彼方」

 好きな相手に、嫌っている相手と仲が良いと思われそうになっている。否定するために椿は全力で首と手を横に振るが彼方がわかってくれたかは怪しい。いや、彼方は心が読めるのだからわかってくれているはずなのだが。

「あらあら、若いっていいわね」

「千歳姉さん。子供扱いしないでほしいんだけど」

「あら、私にしたら二人ともまだまだ子供よ」

「まあ確かに千歳姉さんもういたたたたっ。痛い痛い。千歳姉さん痛いってば」

 ぎしぎしと千歳が椿の首を後ろから掴み締め上げる。気道をふさぐというより、血流を確実に止めに来ている。ばたばたと椿が手足を動かすが、首を押える千歳の力が緩むことはない。

「椿ちゃん。乙女の年齢を口にするなんて、紳士のすることじゃないわよね」

「乙女って、千歳姉さんあてはまら痛い痛い痛い」

 完全に空気も千歳の心情も読めていない椿の台詞に首を押す千歳の力がさらに強まる。血が頭まで回ってこない。意識が遠のく……

「ふふ、反省できたかしら」

 本気で椿が意識を飛ばしかけたところで、千歳がようやく手を離した。

「反省しました」

「それはよかったわね」

「椿殿がここまで手も足もでないなんて、流石ですね」

「あらごめんなさい。好きな人の前では格好つけたかったかしらね」

 ふふっと千歳が笑う。その声からは申し訳なさより、楽しさの方が勝っているように聞こえる。

「わかってるなら、格好つけさせてくれよ。千歳姉さん」

「椿ちゃんが変なこと言わなかったら私だって何もしないわよ」

「彼方。千歳姉さん年のせいか結構怒りっぽいから発言には気をつけたほうがいたたたっっ。痛い痛い痛い」

 再び千歳の手が椿の首に回され、遠慮なく締め上げられた。

「残念ね。まったく反省できていないなんて」

「ちとっ。ちとせ、ねえさ」

 もはや椿の声は途切れ途切れで息も絶え絶えだ。

 その様子を、珍しいものを見るように彼方が眺めている。椿は彼方のことを心の優しい人間だと疑っていないが、椿が千夜や千歳と喧嘩をし、そして椿が千夜に言い負かされ千歳に首を締め上げられてもそれを止めようとすることは殆どない。曰く「お三方は喧嘩するほど仲が良い、という関係だと思いますよ」ということだ。つまり、誰も本気で相手を嫌っているわけではないから、ということらしい。椿としては千歳はともかく、千夜は間違いなく自分のことを嫌っているだろうと思うけれど、天眼の眼をもつ彼方が言うのなら疑うこともできない。

(いやでも今の千歳姉さんは確実に俺の意識を飛ばしにきてるよな)

 脳が正常に働かない。意識が急速に霞がかっていく。

「まったく、これに懲りたら変なことは口にしないことね」

 椿が抵抗を諦めたところで、千歳が椿を解放した。肺に酸素を取り込みながら、椿は千夜があの性格になったのは間違いなくこの育ての親が原因だと確信する。

「それで?千歳姉さんは今日は何のようで来たんだ?」

「あら、特に理由はないわよ。暇つぶし」

「仕事しろ」

 あっけらかんと答える千歳に椿は冷めた目を向ける。

「仕事って言われてもねぇ。山奥に一人でいても退屈だもの。千夜ちゃんの場所と違って、私のところには滅多に誰も来ないし。あんな形だけの管理職いらないわ」

「……アンタ、それでいいのか」

「そんなものでいいのよ。真面目にお仕事をして、また千夜ちゃんみたいな子を拾っちゃうわけにもいかないでしょ」

 千歳がそっと眼を伏せる。千歳の物憂げな表情を際立たせるように、雨の音が部屋の中に響いた。

「今時、山に捨てられるガキなんて珍しくないだろ。見捨てちまえばいいのに」

「それができたら苦労しないわよ」

 千歳がため息をつく。その千歳を椿が笑った。

「優しいのも困りもんだな」

「優しくなんかないわ。ただ――」

 雨音が、止まる。


「――ただ、優しいフリをしているだけ」


 雨が、まるで千歳の言葉を遮ることを嫌ったように。

「それを、優しいっつーんだよ」

 沈黙が漂う中、口火を切ったのは椿だ。椿の声を皮切りに、雨音が再び存在を主張し始める。

「俺にはできないことだからな。人の死を悼むなんて。俺は殺す側だ」

「私だって本来そっち側よ」

 人を殺すための存在である椿。今まで彼が首を落としてきた人間の数は、本人が数えることを諦めたほどだ。そんな椿にとって、捨て子を拾い育てるなんて自分にはとうてい不可能な話だ。

「暗い話しちゃったわね。ごめんなさい。彼方ちゃんも、久々にやってきたおばさんの愚痴なんて聞きたくないわよね」

「いえ。興味深いお話です。何より。千歳姉様がやってきて話しをしてくれることが嬉しいですから」

 申し訳なさそうに口にする千歳に、彼方は明るい声で答えた。続けるように椿も同意する。

「そうそう。千歳姉さんがいると、千夜の奴が帰ってくれて俺的にもありがたいしな。それに、千歳姉さんはおばさんじゃなくておじさ痛い痛い痛いっ」

「まったくもう。椿ちゃんはこんなに反省ができない子だったかしら?」

 本日三回目の締め上げに椿が悲鳴をあげる。椿の悲痛な声にも一切その手を緩めようとしない千歳に、彼方は口を押えてくすくすと笑った。

「気が紛れたわ。ありがとう。千夜ちゃんに仕事しろって言ったし、私もそろそろ戻るわね」

 ひらひらと手を振って、千歳が出て行った。先ほどまで降り注いでいた雨は、いつの間にか止んでいる。

「相変わらず、嵐のようなお方だな」

「嵐の後には、綺麗な青空が広がると言いますよ」

 彼方が笑う。

 目隠しの上からでも、彼方が朗らかな眼で千歳が去った先を見ていることが椿にはわかった。

「彼方もさ、千歳姉さんに拾われればよかったのにな。あの人なら、彼方の眼のこともきっと良くしてくれただろうに」

「でも、それではこうして毎日椿殿に会えないじゃありませんか」

 思わず押し黙る椿に彼方が続ける。

「椿殿も、私にとっては随分優しいですよ」

「……ありがと」

 顔を髪色と同じにする椿の横を彼方がするりと立ち上がった。そのまま、細く折れそうな手で障子を開ける。差し込む光に思わず椿が目を細めた。

「ほら、綺麗な青空です」


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