第一五章『その後と微笑と赤い眼』

①涙

 車内の時計は、午後八時を回ろうとしていた。


 目立つ炎は一通り消されたが、所々で残り火がくすぶっている。その上、パトカー、消防車、救急車と赤色灯が車線を埋め尽くしたことで、夜空は赤く照らされていた。


 停電はまだ続いているが、ほとんど星は見えない。

 普段から影の薄い星々はおろか、冬の大三角形さえ掻き消されようとしている。


 普通このくらいの時間になると、帰宅時の渋滞も一段落する。

 歩行者の数も一気に少なくなり、通りは静けさに包まれているはずだ。


 だが今日はと言えば、交通整理の笛がコンドルの鳴き声のように響き渡っている。

 ガタガタとわめいているのは、路面の凹凸おうとつに引っ掛かったストレッチャー。

 規制線の手前だけに耳を傾けても、野次馬の雑談、着うた、写メと騒がしい。


3Zサンズ〉の隊員たちも、後始末に駆けずり回っている。

 見る限り、役割、あるいはチームごとに制服が色分けされているようだ。

 緑の服を着たチームは、高圧洗浄機やブラシを使い、怪獣の血痕を洗い流している。対して赤茶の服を着たチームは、ピンセットで肉片を採集し、試験管に入れていた。


 仮設テントで通信機と睨み合っているのは、黒い制服の隊員だ。

 ヘッドホンに両手を当て、一言一句聞き逃すまいと頑張っている。

 コンビニの前であぐらをかいているのは、チョコ中毒のDQNだけだ。


「……ガス爆発? 駄目だ駄目だ。一週間前に使ったじゃないか。この規模で交通事故はないな。隕石? いやいや、いくら何でも無理があるだろう。ああもう、一体どうすりゃいいんだ」


 どうも独り言を聞く限り、今回の事件をどう隠蔽するか悩んでいるらしい。

 無人の店内から略奪してきたピノは、どろどろに溶けている。大好物も忘れるとは、なかなかドツボにはまっているようだ。


 人々の記憶はともかく、報道関係には既に手を回しているらしい。先ほどハイネのスマホを借り、ワンセグ放送を確かめてみたが、どこの局も番組表通りだった。特にテレ東は、アニメをやっていた。


 いや、断定するのは早い。


 何しろ、テレ東は僕らの味方だ。

 彼等なら圧力があろうがなかろうが、意地でもアニメを放送してくれる。


「あの寄生生物は? 確かに全滅したのか?」

「ああ、ミケランジェロの姉御が大活躍だったらしいぜ」

「さすがは破壊姉弟ブラザーズオブデストラクションの片割れだぜ!」


3Zサンズ〉の隊員が話している通り、〈YUワイユー〉はもういない。

 怪獣が倒された後も方々で暴れていたが、一八時三八分に全滅が確認された。

 なんでも怪獣を作った際に、九〇㌫以上の個体が消費されたらしい。

 残りは〈3Zサンズ〉の応援要請に応じた協力者や、ハイネの「お友達」に駆除された。


 現在は、〈YUワイユー〉に寄生された人間が残っていないか確認中だ。

 こちらは目立たない分、一朝いっちょう一夕いっせきには結論が出せないと言う。


 ちなみに颯爽と駆け付けたハイネの「お友達」は、そそくさと各自の持ち場に帰っていった。後輩の化け物と顔を合わせるのは、もう少し先のことになりそうだ。


「乗りなさい」

 キモに命令し、〈3Zサンズ〉の女性隊員が霊柩車れいきゅうしゃのドアを開く

 霊柩車れいきゅうしゃと言っても、正体は〈3Zサンズ〉の護送車だ。

 なるべく人目を引かないように、現在の形を選んだらしい。


 手錠を掛けられたキモには、点滴を付けたハイネが寄り添っていた。

 ついさっきまで担架に寝ていたはずだが、いつの間に移動したのだろう。

 不測の事態に備えているのは判るが、もう少し自分に優しくなって欲しい。


「急いで!」

 女性隊員は語気を強め、キモの背中を押す。

 瞬間、キモは乱暴に肩を揺すり、彼女の手を振り払った。


「っ!」

 周囲の隊員は一気に表情を緊張させ、腰のホルスターから拳銃を引き抜く。反抗的な態度をの当たりにし、否応いやおうなく疑ってしまったのだろう。また凶行を働くのではないか、と。


「大丈夫」

 ハイネは皆の緊張をやわらげるように微笑み、拳銃を下ろさせる。


「〈YUワイユー〉との合体で〈発言力はつげんりょく〉を消耗した私に、抵抗する力は残っていないと言うわけか。本当に何もかもご存知ぞんじだな、四七位。そのご自慢の英知で、世界を救ってみたらどうだ?」

 嫌みったらしく賛辞し、キモは片頬を吊り上げた。


 精一杯絞り出してはいるが、彼女の声に張りはない。

 憔悴しょうすいした顔は徹夜明けのようで、目の下には濃いクマが浮いている。


丙級へいきゅうエージェント一人倒したところで、〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉には何の損害もない。〈一七じゅうななにん委員会いいんかい〉は今回のデータを最大限に活かし、近い将来、トリアージを敢行する」


 キモの発言はまごうことなく、〈3Zサンズ〉への宣戦布告だった。

 だがハイネはなぜか、ほっとしたように歯を覗かせる。


「始めて感情を見せてくれましたね」

「感情? これは負け惜しみでも、頑なな忠誠心でもない。一〇〇㌫、現実になる予言だ」


「一〇〇パー? ゼロの間違いっしょ」

 半平は点滴を引き抜き、長々寝ていたストレッチャーから降りた。

 靴底が地面に触れただけで、全身の骨がギチギチときしむ。

 咄嗟とっさに塀へ寄り掛からなければ、完全に倒れていた。


「させねーよ、ぜってぇ」

 半平は真っ向からキモを見つめ、不敵に笑う。

 予想外の乱入を受けたキモは、一瞬、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔を見せる。

 そしてすぐさま、かすかに表情をやわらげた。

 控え目に上がった口角は、精一杯の笑みかも知れない。


「私の故郷にも、君のように背筋を伸ばし、まっすぐ前を見ている子供がたくさんいたよ。いや、皆そうだったんだ。だが残酷な時間に現実をしらされ、一人、また一人と下を向いていった」


 懐かしむ――と言うか、寂しそうに目を細め、キモは遠くの赤色灯を眺める。

 赤く染まったせいだろうか。

 彼女の瞳は、心なし潤んでいるように見える。


「君はいつまで、前を向いていられるのかな……」

 独り言のように問い掛け、キモは背中を曲げる。

 辛そうに伏せた目は、半平に告げていた。

 君が下を向くところを見たくない、と。


 半平には反論もお説教も出来なかった。

 赤くなった目を見た途端、脳裏をぎってしまったのだ。

 資料に記されていた、彼女の生い立ちが。


 最初から恨み言を吐く気はなかった。

 確かに半平の命を奪ったのは〈YUワイユー〉で、〈YUワイユー〉をばらまいたのはキモだ。

だがそれを自分に言い聞かせても、殺されたと言う実感を抱くことが出来ない。


 例えば包丁で刺されたりしたのなら、命を奪われた気にもなるのだろう。

 現実には、怪物にドッカーンだ。

 恨みや憎しみを抱くには、超常現象過ぎる。むしろ深く考えるだけ、UFOにひき逃げされたような死に様に苦笑を漏らしてしまう。


 そしてはらわたが煮えくり返っていたとしても、キモを非難しなかったのは間違いない。


 半平はキモを行動に駆り立てたものを知っている。

 そう、彼女は自分の能力とは無関係に、空腹をいられた。

 自分には何の責任もないのに、肉親を奪われた。


 キモと同じ経験をしても、自分なら〈国際こくさい殺人さつじん機構きこう〉の一員にはならない?

 半平には断言出来ない。


 何より、キモは清く正しくしていたら生きていけなかった。

 彼女に良識、道徳を説くのは、「死ねばよかった」と言うのと同じだ。

 それは有無を言わさず殴り付けるより乱暴で、だんまりより底が浅い。


 それ以上に、半平には美意識――と言うか、世間の目を気にする小狡こずるさがある。

 寝ていても三食に有り付けた自分が、得意げに説教する? 理不尽に肉親を殺されたこともない自分が、「お前は間違っている!」と断言する?

 その格好悪さが判らないほど、沼津半平は馬鹿ではない。

 生まれながらの富豪が「世の中金じゃない」と豪語しても、白々しいだけだ。


 勿論もちろん、境遇は他人に譲歩を要求する道具ではない。

 そしてまた感情を否定するキモが、斟酌しんしゃくを望むとは思えない。

 でも、今の沼津半平では駄目だ。

 反論を口にしても、冷笑と儀礼的な拍手を呼ぶことにしかならない。


 ほんの少しでもプラスに働く言葉を見付けるためには、もっともっと多くのことを体験する必要がある。怪獣にビンタを食らった程度では、キモの痛みは判らない。


「行き先はあの監獄か。悪くない。これで少しだけ、世界の泣き声から遠ざかれる」

 安堵した表情で呟き、キモは自ら霊柩車れいきゅうしゃに乗り込む。

 続けてハイネが彼女の横に座り、ドアを閉めた。


 霊柩車れいきゅうしゃは長々――そう、火葬場へ向かう時のようにクラクションを鳴らし、進路上の人々に注意を促す。直後、排気筒がいななき、車体を左車線に送り出した。


 アスファルトがタイヤを削り取り、甲高かんだかく空気を震わせる。半平にはどこか物寂しいその音が、涙と共に溢れる叫び声に聞こえて仕方なかった。

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