㉒Victory

「はぁぁぁ……!」

〈マスタード〉は竿状の部分を握り締め、頭の後ろまで振りかぶる。そしてルアーを投げ込むように振り下ろし、釣果ちょうかを大地に叩き付けた。

「どりゃぁぁ!」


 ほげぇぇ!?


 悲痛な断末魔を残し、怪獣が熔融した道路に飛び込む。

 地球の中心に杭を打ったような手応てごたえが走り、赤い水面が砕け散る。すかさず特大の水柱が、噴火を思わせる奔流が空を突き上げ、雲を貫いた。


 どっしり構えていた大地に激震が走り、地平線が笹舟のように浮き沈みする。

 半壊していた建物はこぞって崩れ落ち、ビル群の裾野を土煙が覆った。


 地面にぶち当たり、真っ平らになった顔面。

 蛇腹じゃばらじょうに潰れた胴体。

 くの字に折れ曲がった尾。


 怪獣の各部から閃光が突き出し、巨体を震わせる。

 刹那、爆炎が怪獣を包み込み、紫紺の空を茜色に塗り潰した。


 巨体が円谷つぶらやプロ的に爆散ばくさんし、焼けた肉片が、焦げた骨片こっぺんが吹き荒れる。ススと煙で黒く染まった爆風は、地滑りのように一帯を薙ぎ払った。


「へへ、やりぃ……」

〈マスタード〉は両腕を広げ、風の流れに身を任せる。

 もう抵抗する余力も、気力もない。


 高波に揉まれるような感覚と共に、身体が空中へさらわれていく。途端に走馬燈が点滅し、ゆっくりと光をしぼませ始めた。

 自分の身体に構うのが精一杯で、〈発言力はつげんりょく〉を送り込むことが出来なくなったらしい。すぐさま流動路からも光が消え、透明になった管を夕日が染める。


覇阿禁愚パーキング


 力なく読経どきょうが鳴り、卒塔婆そとばの横棒が最下段の「P」に落ちる。

 すかさずモニターのナマズさんが胸ビレを振り、目頭を押さえた。


 半平の身体を覆っていた装甲が、焼きすぎた遺骨のように崩れ落ちていく。

 遺灰そっくりの粒子は上昇気流に乗り、火の粉と共に雲の先へ去っていった。


「……あち」

 久しぶりに外気に触れた肌を、炎から差す光があぶる。

 刺激臭のする空気も、なかなか強烈だ。

 強風と共に口へ流れ込み、喉の粘膜をヒリヒリとうずかせる。〈PDF〉に濾過ろかされた空気がミネラルウォーターなら、泥水と言っても過言ではない。


 ただ、不思議と不快感はない。


 むしろ、吸えば吸うだけ気分がすっきりして、脳内に晴れやかな声が響く。

 ああ、やっと窮屈な仮面から解放されたんだ、と。


 リラックスした拍子に意識が遠のき、睡魔以上に逆らいがたい力がまぶたを下げていく。

 あと三秒もあれば、完全に気を失っていただろう。

 だが二秒がったその時、けた光が半平の正面を横切った。


 ……なんだ?


 半平は重いまぶたと格闘し、糸のようになっていた目を開いていく。

 瞬間、視界に飛び込んできたのは、空中を漂う〈アンテラ〉だった。


 やにわに彼女の輪郭が戦慄わななき、大量の消しカスに置き換えられていく。目の前の物体が人型の消しカスに変わると、胸の部分からしおりがすっぽ抜けた


 すぐさま彼女の背中に光が走り、後頭部から尻までを縦断する。

 同時に消しカスの背中が着ぐるみのように開き、中から女性が飛び出した。

 無論、キモだ。


「やった……」

 半平は笑みを浮かべ、小さくガッツポーズを取る。

 ヒトの姿に戻ったと言うことは、彼女の〈たましい〉に情報は定着していない。

〈アンテラ〉が仮初かりそめの肉体であった以上、キモ自身にダメージはないはずだ。事実、僅かにだが、彼女の胸は上下している。


 いても立ってもいられなくなった半平は、薄く漂う灰を掻き分け、キモの手を取る。彼女の体温をはっきり感じ取ると、胸のつかえが抜けていった。


 誰も死なせずに済んだことが嬉しかったのか。

 それとも、人を殺さなかったことに安堵しているのか。


 衰弱した半平に、判断する余力はない。

 ただ、不思議と充実しているのだけは確かだった。

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