第十三話;最後の試練

「さぁ、出発だ。」


 アードルフが、冥界に旅立つ時が来た。

 サマエル様は薄幕を外してくれないけど、外してもきっとアードルフは逃げない。彼の表情が証拠だ。


「アードルフ。愛に気付いた君が、それに満たされる事を…。」


 最後にテルがそう伝え、アードルフは2人の天使に連れられて冥界へと向かった。




『どうやら、トラウマは消えたみたいだね?』


 3人の姿が空の彼方に消えた頃、ノートが震えた。


(怒鳴っちゃ駄目…。全て丸く収まったんだから…。)


 健太の為でもある。私は込み上げる怒りを沈め、ノートに浮き出る言葉を待った。


『では…ドリヌムレブギッタ。早速だが次の仕事を与える。』


 案内人は忙しい身だ。大仕事を終えた私とテルに、閻魔さんの容赦はない。褒めてもくれない。


(って言うか、もうお役ご免じゃないの?健太はまだ助からないの?)


 トラウマも消えた。それなのに閻魔さんは、テルを天使に昇格させてくれない。


『この仕事を終えたら、君は天使に昇格する。おめでとう。』


 そう思った矢先だ。ノートにそんな文字が浮かび上がった。


「やったね!?おめでとう!テル!」

「ドリヌムレブギッタって言ってくれない?綾が付けてくれた名前だけど、やっぱりピンと来ないや。」

「はははっ!」


 過去の記憶を取り戻したテルが、白い衣装になったテルが、笑いながら不満を言う。


「嫌よ。私にとってテルはテル!ドリヌムレブギッタでもないし、ペトルスでもないの!」


 私も悪戯な笑顔でそう返した。


「…仕方ない。君と別れるまでは、テルでいるしかないか…。」


 テルが諦めたように呟く。


「あっ…。」


 そして私達は、別れが近付いてる事を知った。


「………。」

「………。」


 暫くの間、沈黙が襲った。


『ブルルルルルッ!』


 そして遂に…次に案内する魂の事がノートに浮かび上がった。


(…………。)


 私は覚悟を決めた。これで最後だ。健太は助かる。


「えっ!?」


 ノートを開いたテルが驚く。


「そっ、そんな馬鹿な!!」

「………。」


 私は驚かなかった。ノートに何が書かれるか…予想してた。


『三瀬綾、女性。弟を危険から救う為に自らが犠牲になり、交通事故にて死亡。西暦…』


(やっぱり…。)


「どうして!?どうして綾が!!?」

「…………。」


 薄々気付いてた。霊体になって自分の姿を見た時、サマエル様や団長さんが、私を彷徨える者と勘違いした時…。霊体になっただけなのに、側には守護天使がいなかった。


「さぁ、天子としての最後の仕事よ。私を…冥界に案内して?」

「!?綾!何て事を言うんだ!?」

「………。」


 テルはまだ当惑してる。テルもこの事を知らなかった。閻魔さんかペトロさんの作戦だ。テルがこの事実を知れば、きっと私に告げ口する。そしたら私は落ち込んで、教育係としての勤めを果たせなかったかも知れない。


「覚悟は出来てたの。だから私は大丈夫。さぁ、冥界へ行きましょう?」

「嫌だ!嘘だ!こんなの嘘だ!どうして君が死ななきゃならないんだ!!?」

「死ななきゃならない…じゃなくて、もう死んでるの。体も多分、埋葬されたはずよ?」

「!?」


 病院に戻る事も許されなかった。多分、魂が肉体に戻ろうとするのは本当の話だ。テルの認識は間違ってない。だけどペトロさんがそれを禁じた理由は、私が事実を知るのを避けさせようとしたからだ。


「嫌だ!僕は綾を、冥界になんて連れて行かない!別れる事も辛いのに!」

「…テルらしくない台詞ね?ひょっとして、私の事が好きになっちゃった?」

「からかわないでよ!そんなタイミングじゃないだろ?君は死んでしまうんだぞ!?」

「…話を聞かないのはそっちね?私はもう、死んじゃってるの。」

「嘘だ!あり得ない!そんな事、絶対にあり得ない!!」

「………。」


 私には覚悟が出来ていると言うのに、テルは案内を拒む。


「これまでご免ね?出来の悪い教育係で…。あなたを、もっと早く天使にさせてあげたかった。」

「…!」

「だから、最後ぐらいは面子を保たせてよ?ドリヌムレブギッタ…。教育係として言います。私を…冥界に案内しなさい。」

「嫌だ!何が今更教育係だ!別れたくない!綾!僕は君と別れたくない!」


 案内人も冥界には入れない。閻魔大王の前まで連れて行く事しか出来ない。

 そして…


(……テルは、本当に何も分かってない。癖だって治ってない。)


「仮に私が生き返ったとしても、テルとはもう会えなくなるのよ?」

「…そっ、それでも君を見守る事は出来る!綾には僕の姿が見えなくなるけど、僕は君を見守る事が出来る!何なら、守護天使になっても良い!」

「馬鹿ね。私の守護天使は役目を終えて天界に戻ったの。…気付かなかったでしょ?」

「!!」


 やっとテルが気付いた。全く、世話の焼ける教え子だ。



「ドドンギバムゴ様!僕はこの仕事を拒否します!冥界に魂を連れて行かなきゃならないのなら、健太の命を連れて行きます!」

「!?」

「だから綾を…綾を生き返らせて下さい!」


 テルが突然、とんでもない事をノートに訴えた。


「テル!何馬鹿な事言ってんの!?私はもう死んだんだし、健太を助ける為に頑張ってきたのよ!?」

「僕は認めない!認めないぞ!!」


 怒鳴っても言う事を聞いてくれない。


「…健太が…全うな生を果たす確証は?」

「?」


 そしては遂に、そんな事までを言い始めた。


「健太は、注意も聞かずに道路に飛び出した!そのせいで綾は死んだんだぞ!?そんな男が、姉さんの言う事を聞かない弟が、全うな生を送るはずがない!さっさと冥界に行って、次の生を待つべきなんだ!」

「テル!!」


 私は怒鳴った。健太を馬鹿にされた事にも腹を立てたけど、それ以上に…またテルの中にトラウマが生まれる事を心配した。


「一緒に勉強したでしょ!?あなた自身も分かってるはずよ!?健太は、まだ善悪の判断がつかない歳なの!それ以前に、道路が危険かどうかも知らないの!そして命は、誰においても平等なの!私の命と健太の命を…天秤に掛けるのは止めて!」

「………。」

「テル!」


 寂しくもあった。テルが口にした事は、これまでの思い出や経験を否定する言葉だ。


(例え別れるとしても…一緒に過ごした時間は大切にしたい。)


 転生したら記憶は封印される。だけどもう1度冥界に入れば、これまでの記憶は元に戻る。…テルと過ごした時間や思い出は永遠なのだ。


(それに私は…)




「………。」

「さぁ、私を案内して。」


 さっきよりも長い沈黙が続いた。その理由は、テルが私の言葉を理解してくれたからだ。彼からはもう、反論を聞く事はなかった。


「光栄よ?教え子に案内されるなんて…。」

「………。」


 滅多にない経験だった。って言うか、あり得ない経験だ。案内人を教育し、天使にまで昇格させた人間は私以外にいないはず。


「さぁ…。」

「………。」


 これもあり得ない事だろう。死人が先に手を差し出し、案内人がその手を掴んだ。本来なら逆の立場だ。


 そして私は…テルと共に空の彼方へと向かった。

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