第十話;ウイガラトスミウ

「ペトロさん!大変です!」


 テルが冥界に向かってる間、ストーンズペーパーに呼び掛け続けた。


『綾君か?事情は聞いたよ。アードルフと名の彷徨える者が、日本に潜伏したそうだね?執行部隊の御方達もざわついてる。』


 アードルフの消息に、冥界や天界も大騒ぎしてるようだ。


「テルのトラウマの原因です!出会ったら、不味いんじゃないんですか?」

『可能性は…ゼロとは言えないね。これまでの努力が台無しになるかも知れない。』

「!」

『でも安心したまえ。アードルフは逃亡者。自ら案内人の前に現れる事はない。』

「そうか…。なるほど!」

『気にする事はない。今の調子で事を進めてくれ。テルが元に戻るのも、健太君が回復する日も近い。』

「はい!頑張ります!」


 あの世は大変な事態になってるけど、私達には関係ないみたい。あの男はテルの前に現れない。それにサマエル様が動くのだ。騒ぎもきっと、早い時期に収まるはず。


(私達は私達。この調子で頑張れば良い…。)



 …と、思ってた。

 ペトロさんと連絡を取った次の日、最悪の事態が発生した。


『初めてお会いしますね?私は研修中の案内人、ウイガラトスミウと申します。』

『テルと言います。僕もまだ研修中の身です。』

『お互い、頑張りましょうね?』


 歴史に残りそうな通り魔事件が起こった。とある繁華街で、2桁を超える人々が被害を受けて命を失った。

 犯人は取り押さえられたけど、犯行原因は謎に包まれた。捕まったと同時に、舌を噛んで自殺したのだ。

 女性の新人さんは、この通り魔の魂を迎えに来た。


『僕の仕業ですか?そんな…まさか…。』


 通り魔は世間を嫌い、人を殺したい衝動に駆られてた。だけど自制心がその気持ちを抑え続けてた。

 それでも犯行に及んだ。その時、まるで悪魔の囁きを聞いたかのように抑制の蓋が解放されたそうだ。


『そんなつもりはなかったんです!』


 通り魔は反省するよりも、起こった事態に大きく動揺してた。


『まさか…アードルフの影響か?』


 新人さんの教育係が、通り魔の魂を捕まえてそう呟く。悪魔の囁きのようなものは、アードルフが放つ負のエネルギーかも知れないそうだ。殺せと語った訳じゃない。あの男の気に触れると感情が同調、若しくは感化されるそうだ。

 アードルフは殺気に満ちてる。放って置くと、同じような事件が多発する。


 だけど、私が言いたかった最悪な事態はこれじゃない。勿論、こんな凶悪事件が続くのは好ましい事じゃないけれど…。


「閻魔さんの馬鹿!どうしてこんな采配ばかりなんですか!?」


 私は思わず、反応もないスローンズペーパーに怒鳴り散らした。




『殺された!?そんな馬鹿な!嫌だ!俺は認めない!』

『ちっ!あの案内人、何をもたついているんだ!ウイガラトスミウ。君はここで待っていろ。』


 独り立ちした別の案内人が魂の対処に困っているのを、新人さんの教育係が助けに入った。


『まさか…日本でこんな事件が起こるとは…。』


 1人にされた新人さんが呟く。数多くの死体や現場を見てきた私でも絶句するほどだ。新人さんには強過ぎる光景だ。


『私が肉体を持っていた頃も、同じような光景を目にして来ました。』

『?』


 だけど新人さんは驚くのではなく、悲しそうな顔を作った。


『国で内戦が勃発し、多くの人が尊い命を失いました。』


 新人さんの話は続いた。


『アードルフ…。教育係様がおっしゃったあの男は国の英雄でもあり、しかし、恐怖の象徴でもありました。』

『??』


(この人も、テルと同じ国と時代に生きてた人?まさか…テルの事知ってないでしょうね?)


 だけど幸いな事に、あの男の名を耳にしてもテルの記憶は蘇えらなかった。

 そしてこの時はまだ、スローンズペーパーはポケットの中にあった。


『暴力と虐殺によって国を統一し、数十年もの間、独裁政治を行なった男です。反乱因子と判断すれば、躊躇いもなく人々を殺めていました。』


 新人さん曰く、彼女が人間だった頃の名前はヨハンナ。西側が滅ぼされた頃に物心がついた。テルとは歳が20以上も離れていて、その時のテル…いえ、ペトルスは冥界に入っていた。


(危ないところだった。)


 私は安心した。

 でも…それは一時いっときのものだった。


『放って置く事は出来ませんでした。私は国を元に戻す為に努力し、あの男を失脚させるに至りました。』


 ヨハンナさんは国を改革、昔の姿を取り戻した立役者…


『牢獄で最期を迎えたあの男…。案内人になって地獄はないと知ったものの、冥界で長い年月を過ごし、そこで反省している事を期待していました。しかし…「彷徨える者」として今も尚この世に迷惑を掛けていたとは…。』


 女性なのに政治の世界に足を踏み入れ、非暴力でアードルフの独裁を打ち破った人だった。その功績が認められ、案内人の資格を与えられた。

 ヨハンナさんは生きてた頃に、無念の死を迎えた人達をたくさん見てきた。そんな魂を安らかにしたいと、自身も案内人になる事を望んだ。


『悪い男がいたもんだね。』


 テルはまだ、過去の記憶を思い出さない。


『待たせたな。さぁ、この魂を冥界に案内するぞ?』

『僕は…地獄に送られるんですか?』

『地獄や天国は存在しない。冥界と呼ばれる場所に入るだけだ。…安心したまえ。君は、アードルフに感化されていた。与えられる冥界での任期や転生レベルは、思う程に悪くはないはずだ。』

『??』

『あっ、済まない。話が急過ぎたか?冥界に向かいながら、ウイガラトスミウに説明を受けると良い。』


 事態も収拾し始め、多くの案内人が多くの魂を空の彼方に連れて行った。


『見つけたぞ!ヨハンナ!』


 最後に残ったテルと新人さんが、宙に浮こうとしたその時だった。


『!?あなたは…アードルフ!』


 私達の前に真っ黒な姿をした魂、彷徨える者が現れた。………アードルフだ。


『?…??………???君は!!』


 テルがその姿を見て動揺する。私が言いたかった、最悪の事態が発生したのだ。


『うわあぁぁ…。頭が…痛い!!』

『テル!気をしっかり持って!お願い!テル!!』


 遂には頭を抱えてしゃがみ込んだ。


(このままじゃ不味い。記憶が蘇えって、トラウマが深くなる!)



『アードルフ!まだこの世を彷徨っているのですか!?冥界へ入り、これまでの事を反省しなさい!』

『よせっ!ウイガラトスミウ!あの男を縛る事は叶わない。私にも無理だ。サマエル様が来られるのを待つのだ!』


 側で新人さんと教育係、そしてアードルフが怒鳴り合う中、苦しむテルを背中から抱き、必死になって宥めた。


『あの世になんて行くものか!ヨハンナ!冥界には行かせまいと、俺はお前が死ぬのを待っていた!』


 アードルフが叫ぶ。ヨハンナさんの魂を捕まえて、苦しめる為にこの男は彷徨える者になった。だけど、ヨハンナさんを迎えに来たのは力の強い天使…。チャンスを見逃した。だからこの男は、ヨハンナさんが転生するのを待っていたのだ。


『まさか、案内人に転生したとはな…。お前の何処に積んだ徳があると言うのだ!?この…親不孝者め!』


(!?)


 アードルフは叫び続けた。そして新人さんとの関係を吐露した。…2人は親子だったのだ。


『親子…。娘?……!!君は…アードルフ!思い出したぞ!うわぁぁぁ!!!』

『テル!』


 そして遂に、テルが記憶を取り戻してしまった。


『うわぁぁぁ!!』


 更にのたうち回るテル。悲痛な叫び声を上げ、体全身で泣き叫んでる。


 私の怒りは頂点に達し、ポケットにしまってたスローンズペーパーを取り出した。

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