第12話(1/4)
冷涼な外見とは裏腹に、彼は意外にもよく口を開いてくれた。そのおかげで、俺たちは今朝ここで顔を合わせたときとは比べものにならないほど打ち解けた。改札に消える彼の背を見送った途端に、周囲の雑音が迫り来る。淋しいのだなと、自覚する。
地下への階段を下り、改札を潜り、ホームに立ってぼんやりとする。
ジャンはいなかったろ――。彼は出会ってすぐにそう言った。イメージが崩れるという恐れははじめからさほど抱いてはいなかったが、それにしても彼はわずかにもジャンに劣らず、少しも俺を落胆させなかった。確かにジャンとは違う風貌ではある。だがそれでがっかりするほど、吉岡雅人という男は魅力のない男じゃない。それにファンであるなら、誰だって彼の中にジャンそのものを見出さずにはいられないはずだ。
彼は、浩二にはもう失敗したな、と言っていた。
会ってしまったことで作り上げたジャンの世界が壊れたと思っているのだろう。今日の一日を後悔しているとは思いたくはないが、これまで徹底してきたものに例外を作ったことに多少なりとも後ろめたさや不安もあるかもしれない。俺が今こうして回想しているように、彼もまた、今頃そういったことを考えている可能性はある。
俺は思い立って携帯を出し、メールアプリを開いた。
《雅人さんは俺には失敗したって言ったけど、全然失敗なんかしてないよ。雅人さんと会って、少しもがっかりしてない。ジャンのイメージなんか、一ミリも壊れてない。》
本来ならば、会ってくれたことへの感謝を丁寧に書かねばならない。しかしそれは、今しがた別れたばかりの俺たちの空気を変えてしまうような気がした。それは避けたかった。断ち切るにはあまりに惜しい。俺はあえて会話の続きのように書いて、読み返さずに送信した。
地下鉄のドアに肩を預け、暗い外を眺める。さして待たずに携帯が震えた。
《それじゃますます失敗じゃないか 笑》
笑ってしまう唇に手の甲を押しつけ、咳の真似で誤魔化す。ジャンと雅人さんを切り離すことに失敗しているということなのだろう。完璧に貫くジャンの格好良さもいいが、俺にだけ失敗するというのも贅沢でいい。本当は嬉しいくせに。照れを隠して睨む顔を思い出す。俺がもしそう言ったなら、そんな顔をするのが想像できる。
電車は渋谷に止まり、人を吐き出し、倍の人を飲み込んだ。暑くなる。顎の下にまで女の子の頭が近づく。すぐ背後の男性からアルコールがにおう。俺はにやつく顔を隠すために、身体を反転させて窓を向いた。
視線を感じる。何駅か通過してそろそろかと思っていると、あの、と控えめな声が聞こえた。
顎の下にいた女の子だ。上目に見つめる大きな眸と目があう。マスカラを重ねた重たい睫毛と黒目を大きくみせるコンタクト。かわいい顔だ。
「よかったら、アドレス、教えてくれませんか」
はにかんで言う彼女に、驚くほど何も感じない。よくあることとはいえ、少しも心にうったえてはこないのが信じがたい。
「ごめん、彼女いるから」
上手く笑えただろうか。周囲に聞こえないように極力小声で言った。彼女は苦笑いで次の駅で降りた。
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