第11話(4/4)
「ホントのこと言えばやめてあげんのに」
「だから、やってないって、そんなこと! っていうかお前の方だろ、そういうことやってきたの」
本当に恥ずかしかったのだろう、街の明かりが彼の悔しげな眸のふちをきらきらと輝かせている。
「やるわけねえだろ。一般人がどんなシチュエーションだよ」
雅人さんは新しい煙草を出して、息を鎮めるように肩をで呼吸した。
「嘘つけ。合コンでも行けば同じような状態になるだろお前なら。それで片っ端から手出してんだろ」
「なりませんから。やりませんから。どんだけチャラ男よ、俺。つうかむしろ俺に謝れって話だ、って、何その目」
極度に細めた目が、軽蔑するように俺を見ている。
「ハロー子猫ちゃん。今夜は君だ。寝かせないよ」
「やめろ、わかった、悪かった! ていうかそんなこと言わねえっつの!」
雅人さんは再び俺に迫って腕を掴む。俺は馬鹿笑いだ。ああ、夜なのが悔やまれる。きっと彼は今、首まで赤くなっているに違いないのに。
「だいたい雅人さんがジャンじゃないっつうなら、そんな照れることないじゃないっすか」
にやにやしたまま言うと、彼はうっとことばを詰まらせた。
「俺とジャンは心が繋がってんだよ」
「何それ都合良いな! 全くの別人じゃないじゃんそれじゃ」
指をさして大笑いする。
「うるせえ、浩二」
まともに言い返せない彼がそっぽを向いて煙草を銜えた。決まりが悪そうに唇をとがらせる姿に笑いが止まらない。どうしよう。幸せすぎる。この人、可愛すぎる。
「――遊び人のくせに」
短く煙を吐いて、ひとこと負け惜しみのように。
「だからこっちの台詞ですから」
確かに選べる立場になったことはあった。さすがに一列に並べはしなかったが、俺ごときがそうなのだからジャンなら本当にできるだろう。
「ほんっとない。ジャンの名誉のために言う。ない」
「へえ」
「マジだって。もともと惚れたら一途なんだよ」
「だから結婚してんだ」
反射的に言ってしまった。言ってしまってやはり落ち込んだ。それを煙草を吸って誤魔化す。
「結婚? してないよ。前はしてたけど」
思わず二度見をした。なんだって? 瞬間的に歓喜と安堵と疑問が湧いて混乱する。
「え、何、昨日別れたとか?」
そうでなければ、あの垂れ込みメールは何だったというのだ。雅人さんは眉を寄せた。
「何でそうなる。もう随分前だよ。Victimize辞める前だから」
「え、じゃあ綺麗な奥さんと、娘さんは」
「何のことだよ」
ますます怪訝な顔をされる。喋らざるを得ない。しぶしぶ送られてきたメールの内容と相手を話すと、彼はあからさまに嫌な顔をした。
「はあ? あの女、やけによく会うと思ったらそういうことか。――ファンだったなんて、ひとことも言ってなかったのに」
心底不愉快そうに呟き、煙草をひとくち吸って灰皿に詰め込む。
「子どもはいないって言っただろ、前に。奥さんって、それたぶん俺の妹。子どもはその娘」
俺は立ちすくんだまま、何も言えなかった。
「なんだ」
やっとそれだけ言えると、笑いが込み上げた。力が抜けて勢いよく壁に背を預ける。
「なんだよ、俺てっきり。……あーなんだよ、俺のぐるぐるの日々を返せよ!」
叫んで頭を掻くと、雅人さんが首をかしげて眉を寄せる。
「なんでだよ。俺に嫁がいたらいけないのかよ」
少したじろいだ。
「あ、いや、そういうわけじゃないけど」
「ていうか、訊けばよかっただろ」
「訊けないっしょ!」
「なんで」
「なんでだろ。なんとなく」
プライベートだしと笑って誤魔化すと、首を捻られるだけでなんとか追求を終わらせてくれた。まずい。変に思われてしまう。確かに、俺がこうまで騒ぐのはおかしいだろう。
ふいに雅人さんが笑った。こんどは俺が首を傾げると、なんでもないと言われた。
これ以上この話をすると変な墓穴を掘ってしまいそうだ。俺は頭に残っていた名前を出して、話を変えた。
「そういや望って、ブログで、ジャンの書き込みは偽物だって書いてたよね」
「ああ、あれか。偽物とは書いてないよ。公式じゃないって言っただけで」
「え、マジ? いや否定してただろ」
「肯定も否定もしてない。まだ残ってるだろ、見てみれば?」
俺は携帯を取り出して、望のブログを検索した。記事を遡ると、雅人さんも横から覗きこんだ。
《どこかの誰かが作ってくれたジャンのファンサイトに、ジャン本人の書き込みらしきものがあったらしい。それで問い合わせが来まくった。でも、それは公式とは無関係。あんまりいたずらしちゃ駄目だし、それを真に受けちゃ駄目だよ。》
「確かに、偽物だとは書いてないわ」
俺は何だか、さらに力が抜けた。
「いやあ、あのときは叱られた」
手元を覗き込んでいた雅人さんが身体を離す。思い起こすように遠い目をして笑うその表情に、暗いものはない。
「やっぱ連絡、取ってるんだ」
それは俺たちファンにとって嬉しいことだ。主要メンバーであるジャンの脱退は喧嘩別れと疑われて当然だし、ジャンの曲で売れたバンドの状況を考えて印税絡みと言われることもある。望とまだ繋がっているというのは、不仲説を否定するようで喜ばしい話だ。
「まあ、たまにね」
雅人さんはそう言ってまたどこかを見るように顔を背けた。あれ、と思う。喜びは見当違いだったのだろうか。
「さて、そろそろ行こうか。明日も仕事だろ」
雅人さんが両手を上げ、軽くのびをして微笑んだ。広がる夜景は別れの予感を含んでいたが、いざそうなると寂寥感がすごい。
俺はもう一本だけと煙草を吸った。しかしそれは風が吹くせいですぐに灰になってしまい、結局、わずかな俺の抵抗は、あっけなく終わってしまった。
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