第11話(2/4)

 爆音と飛び跳ねる客のせいで揺れる足元。なんとも言えない浮遊感。近くにあるその顔を見て胸が熱くなる。

 なんの変哲もない人生だったが、こんな不思議なこともあるものだ。何度驚いても何度我に返っても、何度よくよく考えて胸が熱くなっても飽き足らない。淀みなく会話を続けていても、ふとしたジャンの気配に俺は動揺する。いい加減に慣れた頃だと思っても、しつこいほどに胸を打つ。このままでは身がもたないと思うのに、もっとこの衝撃を味わいたいとも思ってしまう。それこそが、ジャンが生きているという実感ほかならないからだ。

 本当に、ここにいる人はあのジャンなのか。ガラスの建築物のように存在が見えにくく、摩天楼のようにつかみにくいあのジャンなのか――。

 音楽、照明、ギターの音、客の悲鳴。ジャンに結びつく可能性のあるものをすべてを目の前の彼と結びつけて、ふたりをひとりにしようと試みる。しつこく疑い、その疑惑を自ら壊し、確証を確固たるものにしてゆく。

 本当に綺麗だ。本当に恰好良い。どんなに服装や髪が違うとしても、あの彼と同じだ。こんな美しい人、滅多にお目にかかれやしない。ヴォリュームのある前髪は綺麗に斜めにブローされていて、美容師にいそうなくらい完璧だ。照明に浮かび上がる鎖骨と、そこにかかる細いチェーン。ステージを眺めながら肘を抱き、頬に添えた細い指先がリズムをとる。片足に重心をかけた姿の優雅なこと――。

 雅人。

 雅やかな、人。

 頭の中に、光が走る。俺は最後の答えを導きだしたような快感を得た。グラビアで見せた優美な表情やポーズ。ステージでふと見せる真剣な横顔や俯いたときに流れる軽やかな金の髪。伸ばされる指先の繊細さ。雅人さんの持つ静かな優雅さと、全面に出されたジャンのきらびやかな優雅さ。雅やかな人――。ジャンと雅人という響きの隔たりが、唐突に晴れる。俺は、別物に見せかけたふたつの名前さえも、実は相似していることに気がついたのだった。

 これで俺は何ひとつ疑えなくなった。ジャンはいる。確かにいる。俺の目の前に存在する。

 ああ。本当ならば。

 きっと誰もが、あのガラスの建物を肉眼で見たなら触れて確かめたくなるのだろう。目に見えることの確証を得ることができた次は、この手で触れて確かめたい――。

 俺は感極まって今にも彼を横から抱きついてしまいたい衝動を、パンツのポケットに両手を入れることで必死にこらえた。

 ふいに雅人さんがこちらを向いた。俺は硬直してしまった。完全に油断していた。ステージに向けられた真剣な眸からは自分は完璧に排除されていると安心していたのだ。

 まともに目が合ってしまった彼が困ったように眉を下げて笑う。ステージからメンバーが引き、アンコールの掛け声が始まる。

「どこ見てんだよ」

 雅人さんが俺の尻を叩く。

「いや、違いますよ、いや、ええと、すんません」

 言い淀んで顔が熱くなる。

「バカ」

 カフェで見たような居心地が悪そうで気恥ずかしそうな顔に、またキュンとくる。本日三度目のキュンにようやくちょっとまずいなと本気で思う。男相手にこれほどキュンキュンしてどうする。しかもこれがこの先何度もあると、衝動を抑えられなくなりそうで怖い。彼の手を握って抱きついてしまいそうだ。そんなのはただの変質者だ。

 アンコールの声が悲鳴に変わった。メンバーがステージに戻ってきたのだ。雅人さんは拍手をして微笑んでいる。俺は彼の意識がそちらに戻って、ほっとした。


 楽屋で数枚写真を撮らせてもらう。記念にと言うので俺も一緒に写った。いかにもバンドマンといった風貌の彼らの中で明らかに浮く。雅人さんは俳優のようだから、共に写ってもただただ綺麗だ。むしろLSDの中に入ると彼らの荒削りさが目立ってしまう。俺はそれを眺めて、この人は本物なのだなといたく感動していた。

「浩二さんって芸能人みたい」

「へ?」

 たった今抱いていたような感想を自分に向けられて、間の抜けた声を出してしまった。ヴォーカルのレイナだ。携帯の画面を見つめて感心したように繰り返す。

「芸能人。アイドルでドラマとか出てそうな」

 ああー、と周囲が続く。いつもならここで天狗になるのだが、さすがに恥ずかしくなった。

「雅人さんの前でンなこと言われると、恥かくだろ」

 なんで、と雅人さんが笑う。

「いやいやいや、赤っ恥っしょ」

「だって超モテるでしょ。モテないわけないしねえ。ねえ?」

 雅人さんの声に、ねえ、と申し合わせたように全員が言う。やめてくださいよ、そう言って焦る俺にギターの哀がにやにやする。

「泣かせまくりですか」

 うわーと声があがって、しかめた顔に囲まれる。

「なんすかこの空気」

 目を細める俺を見て全員が楽しそうにしている。高校生と一緒になって口に手をあてる大人を睨む。貴方のほうが絶対に女泣かせでしょうが。一体何人の女を泣かせてきたんですか。言おうとして、やめた。高校生の前で生々しい話に発展しかねない。彼らがこれからバンドマンとして大人になってゆく過程に悪影響を及ぼしてしまう。

 派手なギタリストなんてホテルの廊下に女を一列に並べ、「今夜はお前だ」なんて、そんな毎日を過ごすイメージがある。ジャンなんていかにもそれが許される格好良さじゃないか。……でも、雅人さんはもう、ひとりの女性を見つけて落ち着いたんだよな。そんなことを思って勝手に落ち込む。たぶん、バリバリのロッカーが落ち着いてしまったのが淋しいのだ。俺の落胆はやはりそれだ。

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