第11話(1/4)

 店からライヴハウスへの道のりは歩いて一〇分もかからなかった。雅人さんが入り口で作業をするスタッフに声をかけると、彼は名簿のようなものを確認して俺たちを中へと通した。

 海外のアーティストのライヴにしか行かない俺にとっては小さなライヴハウスは珍しい。黒い室内を見回しながら雅人さんの後ろに続く。当然客はまだいない。慌ただしくしているスタッフとだけすれ違う。

 べよん、とベースの音が聞こえた。スカっと抜けるようなドラムのリムショットが続く。セッティング中なのかもしれない。階段を下りるとステージに立つ姿が見えた。ベースを抱え、ドラムセットを振り返って何事かを叫んでいる。赤黒い髪。あれはLSDのリーダーの薫だ。

 顔を戻して足元を見ながら何かをしている。写真で見たまんま、おっかなそうだ。俺は何だか嬉しくなった。彼らに対しての愛着が想像以上に強いことを知る。

 薫が再び振り返ろうとしてこちらに気づいた。

「雅人さん!」

 大声をあげたのが微かに聞き取れる。嬉しそうに笑う彼はベースを後ろのアンプに預けて高いステージから飛び降りた。気に食わないことがあれば暴れそうな風貌だから、そんな様子は微笑ましかった。

「お疲れさま。どう、調子は」

「まあまあです」

 身長は俺とさほど変わらない。長い脚を余らせたように折り曲げ、デニムの尻に両手を置いてステージを振り返る姿はすでに貫禄がある。しかし柔らかそうな白い肌や澄んだ眸に、高校生のあどけなさが宿っている。

 俺を見た薫が、少し頭を下げた。

「これが、浩二だよ」

 雅人さんの紹介に目を丸くする。

「え、浩二さん! マジすか!」

 ドラムの皓がステージを降りて駆け寄ってくる。薫が少し興奮気味に俺を紹介すると、皓も目を開いて頭を下げた。雅人さんを通して感謝の気持ちを伝えられたことはあるが、直接話すのは初めてだ。

「変な感じだな、俺はみんなのことよく知ってるから」

 薫は確かにと笑って手を叩いた。プロフィールを作ったのは俺なのだ。顔も名前も誕生日も血液型も、メンバー全員分知っている。

「レイナたちも呼んでこなきゃな。雅人さんたち最後までいますよね」

 行こうとして薫が振り返った。雅人さんが頷くと、嬉しそうに頷きを返して走ってゆく。

 ヴォーカルの唯一の女の子とギタリストの二人とも挨拶を済ませると、雅人さんは彼らに真顔で何かを話しはじめた。楽器や演奏の話をしているようだ。五人はひとことも聞き逃すまいという真剣な顔で頷いている。いかにも師弟関係のその光景を俺は少し眩しい気持ちで眺めていた。この疎外感は悪くはない。青春ドキュメンタリーを見ているような気分だ。きっとジャンであるときもこんな顔をしてメンバーやスタッフと相談をしていたに違いない。雅人さんの横顔を見ているとそんなことが想像できて楽しかった。

「あんまり特定のファンばかりに構うと駄目だ」

 ふいにそんな声が耳に入ってきた。

「でも、お得意様は少し優遇しなきゃいけない」

 難しいなと、ギターの哀が呟いている。

「女の子のファンは、たまに本当に厄介だから気をつけろよ。そろそろ時間だ」

 雅人さんは腕時計に目を落とし、入り口の方を見た。開場が近いのだろう。俺たちは場所を移し、狭い楽屋に入った。


 客入りが終わり、俺と雅人さんは後ろの壁際に立った。照明が消えると少女たちの群れは続々と前に進み、メンバーが登場すると恐ろしいほどの黄色い声をあげた。あちらこちらで鼻から抜けるような声で語尾を伸ばし、メンバーを呼ぶ声がする。どれも名前に「様」がついている。

「ちょっと、これ、どこでもそうなんすか」

 正直俺は引いていた。声を張り上げないと聞こえない。隣の雅人さんは苦く笑って頷いた。

「時代はちょっとずつ変わっていくんだよ」

 確かに「様」をつけたくなる気持ちはわかる。ジャンだって「ジャン様」と呼ぶファンは多い。もちろん俺もたまにそう言った。ただステージの彼にかけられる声にそれはない。ロックの会場はもっと男臭く、ともすればファンは怒っているのではないかと思えるような声をあげるのだ。少なくとも、Victimizeや一昔前のバンドの映像を見る限りそうだった。

「でもこの子たちがお前の作ったサイトを見てるんだからな」

「おお、そっか」

 目の前で一斉に髪を振り乱しはじめた女の子たちとはそういう縁があった。それに彼女たちの熱は俺がジャンに抱く熱と変わらない。とはいえ、親近感は、あまり湧かないのだが。

 ただ、羨ましいとは思った。俺も死ぬまでに一度はステージに立つジャンに向かって彼の名前を叫んでみたかった。――思い出して、横顔を盗み見る。そうだった。その相手は今まさに隣に立っている。

 俺ははっとした。ステージの照明が反射して、彼の顔の骨格を浮かび上がらせていた。それは画面でよく見た、照明に浮かび上がるジャンの顔だった。正面からの強い光はその瞬間だけメイクがすべて飛ばされて、本来の目や唇の境界線が見えるのだ。

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