第5話(1/2)
みのるがビールの缶を唇から離して言った。
「ちょっとは落ち着いたようだな、お前」
ぎくりとした。少し俯いて、目を見ないようにする。
「いやあ。まあねえ。浮かれる暇もなくなったっつうか」
そう言って使い込まれて傷んだ参考書をぱらぱらめくる。実際に、店が夏祭りの時期で忙しい中がむしゃらに制作をしていたのだ。嘘ではない。
「ジャンとは連絡とってんの?」
またぎくりとした。みのるが顔を寄せ、目を細めて俺を見る。
「なんかあった?」
「べ、別になんもねえよ」
吃った自分に、マンガかよ! と内心つっこむ。みのるはますます顔を近づける。避けるように身体を引いて、あっち行けよとその肩を叩いた。
LSDのサイトは完成し、今はその都度送られてくる最新情報を掲載するだけになっていた。近頃の彼とのメールは、更新内容のみのやりとりだ。当然だ。用がないのだから。俺だって普段、用のない相手にメールはしない。それでも俺は必死だったから、その分虚しくなった。あれほど頑張って会話を繋ごうとしていた熱意はもはや去っていた。あるときから俺は、糸が切れるようにその努力を放り出していた。
「ジャンと喧嘩した?」
「するわけねえだろ!」
「じゃあなんだよ。連絡はとってるんだろ」
みのるが面白そうにしている。それに少しも引く気がなさそうだ。
「いや。別にさ。ただ、ジャンも忙しいんだろうと思うよ」
「なんだよ、返事来ないのか」
「うーん、来ないっつか」
しばらく口を閉じた。そこまで言ってしまうとなんだか隠すのも疲れてきて、俺はかいつまんで状況を話した。
「なるほどねえ。俺は都合のいい更新マシンかよ、って感じね」
みのるはビールの缶をテーブルに置き、深く頷いて腕を組んだ。ジャンがそんな奴だと思われるのも、俺が都合よく使われているのも、言えば恥になる。だから俺はこれまで何も言わなかったのだ。
「お前のメールに返事がないのは、ちょっと酷いかな」
「あ、いや。返事がないっつうか、今は俺があんま、返事しない……」
「は? なんでだよ」
みのるが顎を付き出して、眉を寄せた。
「お前、いじけちゃったの?」
いちいち的確で腹が立つ。うるせえなと言って一気にビールを飲み干した。
大きく息を吐き、ゲップをする。立てた右膝に肘を乗せ、それに顎を乗せる。
「俺はやっぱり、ただのファンだよな」
呟くと、虚しさが込みあげた。みのるが俺の頭に手を置き、高い声でよしよしと言う。
「何期待してたんだろ、俺。ばっかみてえ」
「相手は芸能人様だからなあ。別にさ、お前がコネ作って芸能人と繋がろうとか金をたかろうとか、そういうわけじゃなかったんだから、俺はいいと思うよ」
「みーのーるぅー」
俺はみのるの首に腕を回し、泣き声を出した。
「はいはい」
涙こそ出ないが、まったく本当に、泣きたい気分だ。
*
今年も残り二ヶ月を切り、忘年会シーズンが近づいて店は忙しくなってきた。面接に来た二人の大学生は明るく、すぐに採用を決めた。居酒屋のアルバイトはそれが一番大事だ。元気のない店員は使わない。
採用はすべて俺が行う。それほど大きなチェーン店ではないし、社長が奔放で自由な人ということもあってそれぞれの店舗の店長に任されているのだ。
高校を卒業してすぐに正社員としてこの居酒屋に入った。はじめから店長候補として育てられ、二十二という青さだがその立場に立った。人に恵まれたのだろう、さほど苦労はなかったが、さすがにこの時期は毎年きつく、俺は今年も忙殺されそうになっていた。
ガラスの割れる音が聞こえた。失礼しましたと反射的に叫んでキッチンに向かう。
「バカ、触るな」
入ったばかりの男の子がオタオタして、足元に散らばった皿の破片に手を伸ばそうとしていた。その腕を止めて下がらせる。
「すみません、すみません……」
「怪我ないか」
言うと彼は大きく頷いた。
「いいか、ガラスをナメんなよ。どっかを切って、神経をダメにすることもある。手が動かなくなる、なんてこと、マジであるんだぞ。商売道具は大事でも、お前の身体が一番大事なんだ、わかるな」
俺は彼の目を見て、少しばかりゆっくりとそう言った。
「はい、ごめんなさい、ありがとうございます」
実際に他のチェーン店で手のひらの神経をだめにした女の子を知っている。彼らはとにかく失敗を咎められることに怯えて、身体を張って回避しようとする。その結果、人生を変えてしまうようなことも起こりうるのだ。
しきりに謝って感謝のことばを口にした男の子は、少しの間こちらをじっと見た。どうしたと訊く。すると彼はわずかに微笑んで、恥ずかしそうに俯いた。
「いえ、すみません」
ユウタが箒を持ってきて片付けを始めた。フロアから、店長と呼ぶ声が聞こえる。
「俺やっときますから、大丈夫ですよ」
ユウタがそう言って頷くので、俺は立ち上がり、その場を任せることにした。
「ありがと。怪我するなよ」
こちらを見上げる二人は、はい! と声を揃えて頷いた。
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