第4話(3/3)


 翌日、さっそくウェブサイト制作の参考書を探して買い込んだ。彼から請け負うはじめての作業なのだ。これまでのレベルではいけない。俺はジャンに感心され、認められたい一心だった。

 バンドはLSDという、いかにもくだらない名前をつけている。高校生なのだからしょうがないし、ヴィジュアル系のロックバンドならなおのことしょうがない。内心嗤ったが、ジャンが可愛がっていると思うと不謹慎に思えて、無意識の正座で気持ちを改めた。

 ウェブサイト制作に関しては、当然プロのレベルまではたどり着けなかった。ただ素質はあったらしい。一週間もすれば初期の頃とは比べ物にならないものが出来上がっていた。簡単なコードくらいならソフトを使わずとも手書きで組むことができる。寝る間も惜しんで参考書を睨んだのだ。こんなことは、高校の終わりに車の免許をとったのが最後じゃないか?

 そうして真剣になっていると、バンドのバイオグラフィを作るのに困ったことが出てきた。歴史がいまいちはっきりしないのだ。俺もバンドのファンだからわかる。知りたいのは最新情報だけではない。どういった経緯があって、その音楽性に至り、そのバンドが結成されたのか。ファンはそこまで求めている。俺は制作に熱中するあまり、頻繁にジャンにメールを送った。内容が一言二言のこともある。彼のメールアドレスは当然ながら携帯のものではない。返事が早く得られないことにもどかしく思うこともあった。

 歴史を掲載しないかと提案してジャンの返事を待つ間、俺はあらゆるバンドの公式サイトを眺め、そして久しぶりにVictimizeのファンサイトを見に行った。ファンというものが何を求めるのか、どういったコンテンツを置くべきなのかを参考にするためだ。

 ジャンがいた頃から存続しているこの老舗のファンサイトは、常に公式の情報を追いかけてメンバーの個人活動も網羅している。時にはラジオやライヴなどで仕入れた情報を公式よりも先に掲載する。バンドを後押ししようという気持ちがよくわかる雰囲気の良いサイトだ。俺も何度かこのサイトの情報の世話になったことがある。

「あれ?」

 ふと見たメンバーのプロフィールに眉が寄り、こめかみに刺激が走った。簡素だったジャンのプロフィールがやけに充実している。

「おいおい。待てよ待て。お前何さらっとパクってんだよ」

 それは、俺がジャンから貰い、サイトに載せていたプロフィールだった。しかし、と思い直す。いや、本来は別に構わないはずだ。それは俺だけのものじゃない。ジャンの事実であり、誰かが独占するようなものではないのだ。ただ何の断りもなく、あたかも自分が書いたかのように掲載されているのが、少し気に食わないだけだ。

 ……いや。本当にそうか?

 俺はやはり、独占できないことに腹を立てているのではないか? 俺のものだと思っていたものが、他人に盗られたと思っている。馬鹿々々しい。まるでお菓子もおもちゃも遊び場をも独占しようとする意地悪な子どもじゃないか。それでも俺は、感情の奥底から湧き上がる不快感が、あまり穏やかなものではないことを感じていた。それは俺の特権だろう! 頭の中でそう叫んでいる。

 ただひとこと、俺のサイトから拝借したと明記してあれば、こんなに腹が立たなかったのに。本来は俺のものであると、誰が見てもわかるようにしてあれば……。

「くだらね」

 呟いて肩を落とす。

 俺は少し調子に乗っているのだと思う。麻痺しているのだ。思い返せば、ジャンと思しき書き込みひとつだけで楽しかったじゃないか。ジャンからまさかのメールが来て、それだけで満足だったじゃないか。それなのに、些細なことに本気で腹を立て、ましてやメールの返事がこないことにもどかしくなるなんて。

 ジャンは俺にとって、特別だった。ジャンは止まった時間の中にいた。通りすぎて戻ってきても、美しい人形のように同じポーズでそこにいた。俺の中の真ん中の高いところに安置して、たまにそこへ昇っては人形のような彼を眺める。そしてひと通り味わって、確かめてそしてまた下へ戻って別のもので遊ぶ。俺にとって、ジャンは、そんな存在だった。

 それなのに、想像もしなかった日々がやってきた。俺が高いところに祀り上げていた人形は、突如として動き出したのだ。彼の時間が動き出した。もう止められない。俺は翻弄される。流れてゆく。その心地よさに、自分がどこにいるのかを自覚しなくなっている。たった二ヶ月。たった二ヶ月で俺は味をしめていた。環境に慣れる速度にがっかりする。だめだ。そうだった。もともと俺は飽きっぽい。唯一音楽、とりわけジャンだけが長続きしている趣味だったのだ。小学校では野球。中学校ではバスケットボール。高校に行けばサッカー。スポーツひとつとっても、長くは続かない。だから俺は、流行を追いかけるチャラ男に見られるのだ。

 しかしそれは、ある程度ものにできてしまうからなのだ。たぶん、器用なのだと思う。それが普通だった。だから、なんでも手に入れないと気が済まない。だからこそ、執拗にジャンのいない事務所に手紙を送っていたのではないか。そうなのだ。ジャンは唯一の挫折でもあった。俺はいまこそ、手に入れなければならない。ついにそのチャンスがまわってきたのだから。

 ……とはいえ、もう少し頭を冷やし、有り難みを思い出さねばならないのだろう。

 そもそも、何をもって手に入れるというのだろう? ふと考えて不思議になった。相手はモノではない。最終的に、何を得られれば満足なのか。人との関係は、どんなに望んでも限界がある。女であれば結婚というひとつのかたちがあるかもしれない。だが、ジャンには? 当然、それは求められない。わかりやすい何かなんてありえないのだ。少し、冷静になるべきだ。

 パソコンから離れて、ベッドに飛び込む。顔にかかる髪を息を吹きかけて退ける。それでも下りてくる毛の隙間から、壁にあるジャンのポスターを見た。本当に、あの人と繋がってるのか、俺は。信じられない。……そうだよ。信じられないことなんだ。


 しかし、状況は悪化してゆく一方だった。ジャンとのメールがデータのやりとりや事務的なものばかりになってきて、俺は正直、淋しくなっていた。彼だって暇ではないだろう。常に俺に構っていることなどできないのだ。

 どう考えてもウェブサイト制作におけるジャンとのメールは効率が悪い。間で連絡役をするほど面倒なことはないだろうし、こちらも作業が遅くなる。俺は内心、ヒヤヒヤしていた。このままでは、いつ今後はバンドと直接連絡をとってくれと言われてしまうのかわからない。それだけは避けたかった。俺はLSDのためにサイト制作をしているのではないのだ。彼らに愛着は湧いてきたにせよ、大元の動機は、あくまでジャンのためだった。いや。ジャンのためなどではない。ジャンとつながっていたい、自分のためだ。勝手なのはわかっている。

 わずかにでもいい。気づいてほしかった。下心を知られるのではない、相手がジャンだから、俺は自分の時間を喜んで使うということを。だがそれを直接言うことはできない。バンドへの愛がないと思われると不都合だった。仕事を取り上げられかねないからだ。

 だから俺はどんなに事務的なメールでも、必ず何かひとつ、ジャンが返事をしたくなるような個人的な話題を添えた。彼の手間と時間を奪うことに、後ろめたさを感じながら。さらにその煩わしさが、逆効果になりかねないことに怯えながら。

 頭で理解していても、感情が理解してくれない。

 彼と共同作業をしているという夢のような生活を、どんなに自覚しようとしても足りなくなる。初めて知る己の貪欲さに、嫌気が差す。意地が悪くて、生意気で、思い上がっていて、強欲で……、普段なら上等だと思えるのに、俺は自己嫌悪で、苦しくなりはじめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る