第3話(2/2)


《コウジ君。

 僕の書き込みのせいで、君のホームページが滅茶苦茶になってしまったね。ごめんね。

 ただみんなにも、君にもお礼が言いたかった。

 もう六年も経つのに、僕を忘れないでいてくれること、気にかけてくれていること。

 とても嬉しかった。

 だけど軽率だったね。せっかく君が作ってくれた掲示板がなくなるようなことになって、僕は本当に悪いことをしたと思っています。

 このメールも、本当は送ってはいけないのだろうけど、どうしても一言謝りたかったので、メールしちゃいました。ゆるして。でも、このことは、ほかのみんなには内緒にしてね。写真は、ほんのちょっとしたお礼と、僕である証拠です。                                   君のジャンより》


 裸の肩に落ちる水滴が冷たい。気づいたら、携帯の画面に鼻先をつけていた。左側頭部に激痛に近い熱さを感じて、俺は我に返った。ドライヤーの柄を握りしめたまま、動けなかったのだ。

 メールの末尾には、写真が表示されていた。

 写っていたのは、金色のギター。サンゴで出来たハートのポジションマークと、見まごうはずもない、ボディの傷。

 そしてギターの頭には、つばの広い、真っ赤な帽子がかけられていた。

 俺は何が何だか、わからなくなった。

「うおおおおおおおお!」

 とりあえず、腹の底から叫んだ。



 駅前のファストフード店にナナとみのるを呼び寄せた。トレーを持って階段を下り、先に座っているナナのところへと向かう。後ろを歩くみのるが笑っている。

「なんなんだよ、さっきからバカみたいにニヤニヤして」

「待て、待て。急ぐな。俺だって早く言いてえ」

 階段を飛び降りたい気持ちに駆られていたが、ドリンクがあるからできない。そわそわして、ムズムズする。今ここで叫びだしたいほどだ。

 携帯を見ているナナが俺たちに気づいて手を上げた。俺はナナの隣に座り、みのるは向かいに座る。ストローをドリンクに刺してやると、いただきますと言ってナナは早速咥えた。

「で、何よ」

 みのるが両肘をついて顔を前に出した。俺は広がる鼻孔を感じながら、こらえきれずに笑い出した。

「浩ちゃん怖い」

 ナナがストローを噛んで横目で見る。トレーに置いた携帯を手にして、俺はゆっくりと、威厳をもってふたりを見回した。

「いいか。驚くなよ。昨日、明け方に、こんなもんが来た」

 そう言って携帯をテーブルの上に滑らせた。ふたりは前のめりになって画面を覗きこむ。ナナが人差し指で操作し、画面をスクロールさせる。

「これって……」

 みのるが呟いた。

「誰だと思う」

 勿体無くて、口に出せない。俺は本当に、叫び出したいのだ。

「もしかして、マジで……」

 みのるが少し唖然としている。視線は未だディスプレイを見ている。信じられないというように、眼孔が微かに揺れているのがわかった。俺はここぞとばかりに胸を張り、ゆっくりと声にした。

「そう、間違いなく、ジャンだ」

「すごいじゃん! 浩ちゃん!」

 直後にナナがそう叫び、きらきらとした目を向けた。その目は希望に満ちあふれていて、今にも涙が零れ落ちそうなほど潤んでいる。

「マジか」

 みのるが身体を起こし、やや乱暴に背もたれに寄りかかった。俺はふたりの反応に、いたく現実を噛み締めた。ナナが両手を上げてハイタッチの構えを見せる。

「うえーい!」

 俺達は互いにハイタッチを交わした。しきりに、すごいじゃん、よかったねと繰り返すナナの満面の笑みに俺はもうこれ以上喜びを隠しきれなくて、ヤバくね、ヤバくね、と大声で繰り返した。

「ねえ浩ちゃんさ、返事したの」

「いや、まだしてない。だってなんて書いていいかわかんねえし。緊張して手が震えるわ」

 ナナは、だよねえと同意して、少し考えるような素振りをした。冷めるからと俺がハンバーガーの包みを差し出すと、それをひとくち食べて、はっとした。

「ねえ、ムービーで送れば?」

 慌てたようにペーパーで口元を拭い、真剣な目をして俺を見上げる。

「ええ、どうかと思うぞ、それは」

 みのるが少し低い声を出したが、俺は両手を叩いてナナを指差した。

「それいいな! そのほうがわかってもらえる! 俺がいかに感動したか!」

「いや、待て待て。よく考えろよ。相手はジャンだって絶対的な証拠があるのか? もし違かったらどうするんだよ。全然違う赤の他人だったら、顔なんか送ってまずくねえか」

 ひどーい。ナナが唇をとがらせた。残酷なことばにふたりでみのるを睨む。だが確かに淡い期待が裏切られたと思って落胆したばかりだ。俺のテンションは微かにだが下がった。

「でも浩ちゃんだったら大丈夫だよ。どっかの誰かが乗り込んできたってボコボコにしちゃえばいいんだし、浩ちゃん超イケメンだから、絶対にジャンも喜ぶよ!」

「そうかぁ?」

 下降した気持ちはすぐに戻った。ばっかじゃねえのとみのるが吐き捨てた。

 あのギターの写真はレプリカなんかじゃない。みのるにはわからないのだ。俺は散々見てきたからわかる。あのボディの傷は、間違いなくジャンのギターである証だ。塗装の欠けた複雑な形、そこから覗く木目。ライヴ映像でも角度によって見えた、ピックガードのかすり傷。俺には確信がある。こんどはきっと、落胆などしない。

 みのるは最後までいい顔をしなかったが、ノリノリのナナに後押しされ、俺はその場で携帯のカメラで動画を撮影した。動画の中の自分は、見返すと、我ながら恥ずかしいほど嬉しそうな顔をしていた。

『えーっと、こんにちは。はじめまして。小野浩二です。(浩二くんです!)俺がどんなに喜んでいるか伝えたくって、動画にしました。(あたしの案です!)ああ、こいつはナナです。あと、友だちのみのる。あ、みのるは恥ずかしいから映りたくないそうです。いいじゃねえかよちょっとぐらい。まあいいや。それで、俺にはわかりました。あのギター、本物の、ジャンモデルのギターだって! 本当に有難うございます、俺は高校生の頃からずっと憧れて、本当に本当に、今もう、ヤバいくらいテンション上がってます。ぶっちゃけ、夜勤明けなのに、寝てません! ていうか寝られません!(浩ちゃん、もう終わるよ)あ、マジ。とにかく、本当に有難うございました! 俺ずっとファンでいます!(終わりまーす、バイバーイ!)』

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