第1話(2/2)
「あんま有名じゃないんすねえ」
「そういわれると、なんかムカつくわ」
閉店作業もあらかた終わり、新人君にジャンを見せてやりたくて店のパソコンで検索をかけた。しかしいまいち良質なサイトがない。もちろん、その昔忽然と消えたジャンに公式サイトなんてものがあるはずもない。
現在のVictimizeの公式サイトにも彼のことはさらっとした紹介しかない。今でもバンドの核を支えているのはジャンの曲にもかかわらず、あえて紹介を薄くしているようにしか見えない。
はっきりいって、うんざりしているに違いなかった。新しい曲を出しても、Victimizeといえばあの曲。メディアで使われるのは、バンドの初期に作られたジャンの曲ばかりだ。先日発表されたパチンコのタイアップ曲でさえそうだった。継続するのは簡単なことではない。それを努力しているのは現役のメンバーだ。それなのに、今はいないメンバーの後ろに隠れてピースサインをするのは誰だって面白くない。おそらくジャンのところには、彼らが活動してくれているがために今も曲の印税が入っているのだろうし、さらにその曲のお陰でバンドが食っているという現実がある。プライドと自己顕示欲の高いロッカーたちが、素直に喜べるとは思えない。
本当は、ジャンのプロフィールなど載せたくはないのかもしれない。ただ、それをやらねばファンが首をひねる。今もまだバンドにとってジャンは伝説的なメンバーであり、彼なくしてVictimizeを語ることはできないのだ。だからきっと、この淡白なジャンのプロフィールはメンバーの複雑な思いの表れに違いないし、ジャンのその存在は、口に残った魚の小骨のように、取り除きにくいストレスなのかもしれなかった。
それにしても検索結果はどれも似たようなもので、画像も同じものばかりだ。俺が必死に検索をしていた数年前と大して変わらない。
「ファンサイトもブログもねえのかよ」
頬杖をつき、マウスをカチカチと忙しなく鳴らしてため息を吐く。新人君もつられるように小さなため息を漏らした。
「誰もいないんですかねえ、やる人」
俺ははたと身を起こした。
待てよ。
と、いうことは。今はジャンのファンで名をあげている有名人はいないということになる。つまり、俺がジャンの熱狂的ファンのトップに立つ可能性があるということだ。それに、音楽好きだと自負する新人君さえジャンを知らない。なんと嘆かわしいことだろう。
ここにきて、それまでひっそりと、しかし内側で燃え滾っていたジャンへの想いは、轟音を立てながら外側へと溢れでてくるように感じられた。この想いを自分や身内が知っている、それだけでは満足ができない、外側へ主張し、世界中へ知らしめなければならないという熱烈な思いが湧き上がってきた。
そこで思い出したのは、以前みのるが友人に頼まれてホームページを作成したという話だ。簡単なソフトを使って簡単なものを作ったにもかかわらず、一ページあたり二万円の報酬を貰ったという。無論金のことではない。あのみのるにも作れたホームページとやらを、そのソフトさえあれば俺にも作れるであろうという思いつきだ。俺は早速みのるにメールを打ち、そのソフトをよこすように強要した。
「お前にできんの? 案外簡単なようで難しいんだぞ」
自宅に戻り、音楽しか詰め込まれていないノートパソコンにロムを食わせる。
「いいかみのる、お前いちいち横で余計なこと言うな。必要なことだけ言え」
「何様だお前」
「急がねえと先こされたら困る」
俺は妙に焦っていた。インストール手順の説明に苛立ちながらクリックを続ける。
「それで、どうすんだこれを」
さあ自由に絵を描けといわんばかりの真っ白な画面が開かれ、貧乏揺すりを止める。さっぱりわからない。
「じゃあ、まず、っていうか、お前サイトの名前決めてんの?」
「名前? わかんねえ。ギターマン・ジャン、でいっか」
「ダッセ」
みのるは吐き捨てように言って煙草を吸った。馬鹿にしきったその目に腹をたて、煙草をむしりとる。
ギタリストでは何か物足りない。それはジャンの愛するグラムロックの、ポップで不可思議な、異星人のような、人ならざる雰囲気だ。
ギターの星からやってきた、ギター男。ギターマン。
だから俺はよく、なんとなく彼をそう称していた。
クロゼットを開けて仕舞い込まれた雑誌を引っ張りだす。みのるが顔をしかめて、水色のハンドクリーナーで埃を拭う。俺は数少ないジャンのインタビューをかき集め、ジャンの関わったすべてのCDのブックレットをケースから引きぬいた。胡座を組んだ膝の上にそれらを並べ、忙しなくパソコンの画面と見比べる。
「すーげえ」
みのるが雑誌を覗きこんで笑った。ギターを抱え上げ、それに頬を寄せたジャンがアップで写っている。ギターのネックに並ぶポジションマークはジャンオリジナルのハート型。サンゴでできたそのひとつひとつの、混ざり合う白とピンクの渦がはっきりとわかる。昔ストラップが切れて落としたときに付いたという、ボティの傷さえも。
ジャンの表情は、挑戦的とも蠱惑的ともいえる妖しい微笑みだ。つけまつげに、これでもかと重ねられたマスカラ。青いカラーコンタクトの色素のドットさえよく見える。憂いだような流し目と、少し開いた小さな唇。赤い口紅は、本来のそれを少しはみ出して塗られている。色の脱かれた髪の毛は綺麗に巻かれ、軽やかに胸へと流れていた。
改めて細部まで見て、身体の奥で何かがたぎるような感覚を覚える。たまらずカッコイイ! と叫んだ俺に、みのるは誌面をますます覗きこんで不満げな声を出した。
「えー。もったいない気がするよ俺。この人、もともと美形だろ。こんな化粧しないほうがいいんじゃね」
「ざーけんなテメエ! ジャンはこれだからいいんだろカス! テメエは何もわかってねえな!」
みのるが両手のひらを見せ、煙草を咥えたままの不明瞭な声で悪い悪いと繰り返した。興奮する子どもをなだめる大人の顔だ。それでも俺は、実のところ嫌な気はしていなかった。もともと美形という褒め言葉に気を良くしていたのだ。にこにこする頬が止まらない。
「でも本当意外だな。お前ってこういう系、気持ち悪がりそうなのに」
「まあな」
手を差し出して煙草をねだる。みのるは箱から一本取り出して手のひらに載せた。
そうなのだ。俺はどちらかというと流行りを追いかける人間に見えるらしい。化粧したバンドマンを鼻で嗤うやつ。いかにもクラブで遊び、意味もわからずHIPHOPとレゲエを好むような、そういう男。それなりにやんちゃもしてきた。そう見られても仕方がない。別にジャンが好きだからといって、同じような格好をしようとは思わなかっただけだ。音楽好きにおいて見かけなど、さして重要じゃない。
「でもなんで気に入っちゃったわけ」
ライターの火に顔を寄せ、頬をすぼめる。みのるが咥えた二本目にも火をやる。
「雑誌で見て、なんだこいつって思って、そっから釘付け。だって意味わかんねえよ、僕の主食は薔薇と星くず、世界中の子猫ちゃんのためにギターを弾くんだとか言ってんだよ? なんだこいつって、なるじゃねえの」
情報をまとめ、一覧にしてゆく作業は想像以上に肩を凝らせ、疲労感はやがて俺たちを無口にさせた。みのるはただ横でじっと画面に見入り、たまに操作方法を教えてくれた。
気づけば窓の外はうっすらと明るくなっていた。ジャンの情報は多くはない。その頃にはサイトはおおむね出来上がっていた。ジャンのイメージの、赤を基調にした簡素なものだ。それでもジャンへの愛だけが詰まったこの時間の中で生み出した作品は、すでに我が子のように思えた。
これほどまでにジャンへの想いにだけ集中し、時間を費やしたことなどあっただろうか? 高校生の頃彼のいたVictimizeの写真集を眺め、日がな一日ヘッドフォンで彼のギターを聞いていた以来だ。しかしそれは、想いが形を成してアウトプットされたわけではない。生産的なことなどなにひとつなかったのだ。これは俺の作った、初めての、ジャンへの想いの形だった。
俺達は作業をやめて、揃って肩を鳴らしながら部屋を出た。コンビニの前でコーヒーを飲み、煙草を吸って徐々に明るんでゆく空を眺める。まるで夜勤明けのようだ。よく働いた心持ち。それがまるでジャンへの愛の証明のように感じられて、俺は何か、誇らしく感じられた。
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