逢えないあなたはギターマン!
有沢縫
第1話(1/2)
事実、ジャンは一番ではないかもしれない。なぜなら彼は実体をもって、この世に存在しているとは思えないからだ。そうだ、漫画や映画、小説の中に登場するような感じ。実感ができないから、一番と言い切れない。でも実感がないぶん憧れだけが膨れ上がって、何か神秘的な、神聖な域まで達している。
くるくるに巻いた長い金髪、きつい山を描く眉に濃いつけまつげ。つばの広い帽子から覗く眸は憂鬱で、ときに挑むような眼差しを浮かべていた。眸は真っ青。肌は真っ白。唇と爪は真っ赤で、帽子とエナメルのジャケットとショートパンツも同じ色。たまに着る王子様みたいな衣装が、細く長い手足によく似合う。そして黄金色のギターが、いつも照明にきらきらと輝いていた。
これが本当に男なのか? そういう人種を見慣れていない当時の俺はぶったまげたものだ。そして生で彼を見られなかったことを、随分と後悔した。
俺が高校生のときにはもうバンドにはいなかった。俺が好きになった瞬間に、彼は忽然と消えた。今となってはその貴重なヴィジュアルも、数少ない当時の写真と数本のビデオに残されているだけで、喋っているところなんてほとんど見たことがない。名前も、作詞作曲者としてCDのリーフレットやテレビのテロップに小さく載るだけだ。
一体何者なのかわからない。今どこで何をしているかもわからない。本当にこの世に存在していたのかさえわからない。ジャン。名前まで妙だ。それでも俺は、ジャンに憧れている。好きなタイプを訊かれると、いつも初めに頭に浮かんでしまう、それくらい、俺はジャンに憧れているのだ。
*
カウンターで頬杖をついていたナナが急にのびをした。反動で倒れそうになる椅子をみのるが慌てて押さえる。
よしと呟き、みのるは息を吐いた。休憩を終えたサラリーマンが立ち上がるときのような、何かを諦め、無理矢理自分を元気づけようとしているようなあれだ。
「そろそろ行くかな」
「おう。お疲れ」
手を洗いながら頷く俺に頷きを返し、みのるは空のビール瓶が詰められた黄色いケースを持ち上げた。
「ナナちゃんももうバイトだろ? 店長権限、いいな」
「うん、いいでしょ、おいしいよ。ちょうどお腹すくんだよね」
箸で煮物をつつくナナに、はははと笑って、みのるは膝でやんわりとドアを押して店を出て行った。これからまた別の居酒屋に配達に行くのだろう。
夕方の四時をまわり、店はオープン直前でまだ客はいない。大学の授業が終わって家庭教師のバイトに行くまでの時間、ナナはこうしてオープン前にやってきては俺の手元や顔をぼんやりと見ている。小腹を空かしたナナに仕込んだ料理を与えてやると喜んで食べる。もちろん、客ではないので金は貰わない。確かにこれは、俺の店長権限だ。
ナナは俺の女みたいなものだった。とはいえ、一度だって、つきあおう、別れようなんて話はしていない。ただなんとなく一緒にいる。居心地がいいのだ。どちらかといえば、今は親友に近い。
みのるもそうだ。店と契約している酒屋のスタッフで、配達に来ていたので知り合った。彼との付き合いは長くはない。俺がこの店で店長を勤めるようになってからだから、一年くらいだろうか。しかし今では、俺たちの間には昔からの腐れ縁のような空気が流れている。
「今日はみのるくんの店と同じ方向だから、一緒に行こっかな」
ナナが滑り落ちるように椅子から下りた。尖った踵が小気味好い音を鳴らす。
「頑張れよセンセ」
「頑張れよテンチョー」
俺の低い声を真似し、小さな歯を見せてにっと笑う。ごちそうさまと叫び、まだ階段を上がっているであろうみのるを追いかけて、ナナは急いで店を出て行った。
店長、後ろから呼ばれて振り返る。そろそろ店が開く。
「店長、これって誰の曲っすか」
音楽好きの新人が休憩に入る足を止め、呼び止めた野良猫が気まぐれをおこすように振り返る。別に何も見えはしないのに、俺は上向いて、ああ、と頷いた。
「Victimize、わかる? たぶんお前あんま好きじゃねえよ。曲は好きかもしんないけど、化粧してる。まあ今はそんなでもないけど」
彼は渋い顔で笑った。
「ああ、いますね。でも曲はいいっすね。ロック! って感じで」
BGMは基本的に有線放送を使うことになっているのだが、うちの店では勝手に俺の好きな曲を流している。この居酒屋で働くのは、そういったことや鎖骨まである髪の毛、それが明るい色であることも許されているからだ。大きなチェーン店でないからこその自由だが、さすがに髭は許されないし勤務中のピアスも許されない。まあ、乳首にあるピアスには関係がないし、髭は趣味じゃないから生やさない。そうというよりも髭を生やすと中東系の外国人に似るとからかわれるのが嫌なのだ。
「これは初期の曲。最近のはあんま聞かないんだけど、このバンドの初期のが大好きでさあ。古き良きジャパメタ、グラムロック、ヴィジュアル系の融合っていうの?」
「でも店長にしてはめずらし、日本人っすよね」
俺の憧れたジャンは、昔このバンドでギターを弾いていた。数少ない俺好みの国産バンド。生き残るにはこの路線を貫くのは辛かったのか、今ではもっと一般人が聞きやすいロックを演っている。化粧も落ち着いて、衣装だってTシャツを着てしまう。本来俺の専門はもっぱら洋楽だから、こうなってしまえばもはや彼らに用はない。今のVictimizeは、俺にとって〝その他大勢〟のひとつでしかなくなっていた。
新人君が休憩に出て行き、店内には入れ替わるようにギターソロが流れはじめた。ジャンのギターだ。この頃はよかった。そんな決まり文句を頭の中で呟いて、俺は仕事に戻った。
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