第三幕 男が壊れた話

 ……そう、その通りだ。

 この女は、かつてお前の父と母、そしてそこの騎士殿の仲間であり――世界を滅ぼすために彼らを裏切った女だ。

 ……おい、つまみ出すぞ?

 そう慌てるなよ騎士殿、最後には私が知っている限りの事ではあるが、全て明らかにしてやろうぞ。

 そう言うわけで女は世界の崩壊を目論んだ。

 だから女は仲間達を裏切り、姫を魔物共に引き渡し――扉を開かせようとした。

 しかしそれは失敗に終わった、魔物共は倒され、姫は取り戻され、女は勇者の矢によって打ち抜かれて死んだとされている。

 馬鹿正直にも女はあの老女――稀代の大泥棒の言いつけを守り、自分の不死身の身体を隠し通していたからな。

 だから、女は勇者に殺された、と誰もがそう考えていた。

 しかしその程度で女が死ねるわけもなく、打ち抜かれた心の臓から血を垂れ流しながら、女はその場から立ち去ろうとした。

 女はこの時こう思っていた。

 ――ああ、失敗した、失敗した。やっぱり大勢を敵に回せば阻止されるのは当たり前か。次は、誰とも敵対しない形で、自らが死ぬ方法を探そう、と。

 大した罪悪感も持たずにそんなことを考えながら、祝賀が開かれざわめく雑踏からのろのろと離れて行った女の頭を背後から撃ち抜いた者がいた。

 その人物は、姫と勇者の仲間の一人である魔術師であった。

 この魔術師だけが女に奇妙な違和感を持っており、その違和感からくる嫌な予感から女の死体を確かめようと密かに行動していた。

 男のその嫌な予感は見事に的中していた、というわけだ。

 男は女を殺す気で威力の高い魔法を要いて女の頭を撃ち抜いた。

 普通だったら一瞬で絶命していただろう。

 しかし女は死ななかった、当然だ。

 死なない女を男はその場で数回殺そうとしたが、殺せるはずもなく。

 どうしようもなくなった男は女を監禁することにした。

 殺せないのであればもう、そうする他になかったのだ。

 殺して終わらせる事ができないのなら、何も出来ぬ様にその身を拘束する以外の術はない。

 男が女を監禁したのはこの屋敷の地下だ、男はそこを牢獄として改築し、女をそこに閉じ込めた。

 この屋敷は元々男の曽祖父が人との関わりを絶つために建てた別荘だった。

 毒の花が生い茂るこの暗く不気味な森に近寄る様な物好きは滅多にいなかったからだ。

 時折、花の持つ毒を求めてやってくる不埒者もいるにはいたが……屋敷にたどり着く前に引き返すか死ぬかのどちらかだった。

 ……探せばいくらでも死体が見つかるであろうよ、ここはそういう場所だ。

 別に珍しくもなかろう……お前ら大丈夫か? これから旅をするのであろう? ならば道中で死体の10体や20体、行き当たっても何らおかしな事はないぞ?

 ……その程度の覚悟は当然あるよなあ?

 また話が脱線したな……どうにも調子が狂う。

 ……男は女を閉じ込めるだけでは飽き足らず、女を拷問にかけた。

 男は女を恨んでいた、憎んでいた。

 裏切られた怒りももちろんある、男が女とそれなりの仲であったことも男の憎悪をいたずらに助長させた原因ではあったが……当然、それより勝ったのは思い人を傷付けられた憤怒だった。

 魔物に引き渡された姫は、そこで手酷い仕打ちを受けた。

 女がそれまでに受けてきたものに比べれば幾分も軽いが……普通の少女にとっては酷なものであったのだろう。

 だからこそ男は怒り狂っていた、愛する姫をそんな目に合わせた女の事を。

 ……おいおい、何だその間抜け面は、知らなかったのか? 男がお前の母親を愛していた事を? 私から言わせてもらえば一目同然の事であるのになあ。

 まあ……お前には分からぬか、それもそうさな、流石に子供にそんな感情を悟らせるほど、未熟ではなかったか。

 ……阿呆な奴よ、なぜお前が気に病む? 馬鹿らしいにもほどがある。

 ……話を戻すぞ、兎に角男は女の事を憎んでいた。

 だから自らの恨みと鬱憤を晴らすために男は女を徹底的に痛めつけた、否、痛めつけようとした。

 男が知り得たありとあらゆる方法で女を拷問にかけた。

 しかし、それは女にとって手ぬるすぎるものだった、男の拷問はあの見世物小屋での殺人ショーや食人鬼の食事に比べると、優しいものだったからだ。

 何をしてもヘラヘラ笑い続ける女に業を煮やした男の拷問はエスカレートしていったが、それでも女は笑っていた。

 しかし、それでも女は平然としていた。

 炎で全身を焙られようと、激痛を伴う神経毒を打たれようと、手足を引きちぎられようとな。

 ……騎士殿?

 嘘ではない、嘘なぞついて私に何の益がある?

 ……はっ、気付かなくて当然よ、あの男は存外、演技が上手かったらしいからな。

 もとより仏頂面で何を考えているのかわかりにくいような男だ、単純明快で豪快な騎士殿が気づけなかったのは当然の事であろうよ。

 何をしても平然としている女に対して男は焦りを感じた。

 何をしても無駄でしかないのではないか、そんな考えがよぎる事は多々あったが……男は女を痛めつけるその手を止める事はなかった。

 男が女の弱点に気付いたのは、女を地下牢に閉じ込めてから3年も経った後だった。

 ……普通なら、も少し早く気づいたのだろうが。

 男は女の事をかなり恨んでいたし、生理的な嫌悪も強かったのだろう、だからこそ気づかなかった。

 足先から全身をみじん切りにされようが、低温の炎で全身が黒焦げになるまで焼かれようが、数日かけて全身を酸で溶かされようがヘラヘラと笑っていた女が、どれほど手ぬるいものであったとしても妊娠に通づる行為に異常なほど恐怖心を抱く、ということを。

 もう一つ、腹を裂かれて内蔵をいじくりまわされることに対しても同様の恐怖心を抱くのだが、そのことを男が知ったのはそれよりも後の話になる。

 男がその可能性に気づいた、正確に言うと思い出したその日、男は城でかつての旅の仲間達と食事をした。

 その時に会話の主題となったのは、かつての彼らの冒険譚であった。

 それによって男はあの旅の日々を懐古し、そういえばとその事を思い出した。

 旅の途中、森の中で一人はぐれた女がその森に潜んでいたチンピラがまいの男達に捕らえられ、陵辱されかかった事を。

 半裸にむかれた女が、それまで見たこともないような恐怖に引きつった顔で泣いていた事を。

 この後、屋敷に戻った男は女を組み敷いた。

 するとどうだろう、何をしても平然としていたあの女が、泣き喚きながら必死の形相で抵抗し、懺悔の言葉を叫んだのだ。

 女は必死に抵抗したが、牢獄に入れられてから何一つ口にしていない、骨と皮だけの女の抵抗なぞ、焼け石に雀の涙だ。

 男は女を犯した。

 悲鳴を上げ、醜い泣き顔を晒す女の無様な姿を見て、男は胸が空くような思いを感じていた。

 その日以降、男は毎日女を犯し続けた。

 女は恐怖と絶望に心が蝕まれていったが、それでも正気を保ち続けた。

 いっそ本当に狂ってしまえればまだましであったであろうに。

 おそらくこれも神の祝福ギフトの効果であったのだろう、不死であったのは女の身体だけではなく、その心もそうであったのだ。

 女には心が死ぬ壊れる事すら許されていなかったのだ。

 ……そうでなければとうの昔に心が壊れて廃人になっていただろうよ。

 女を陵辱し続けた男もまた、精神が蝕まれていった。

 憎悪の対象でしかないその女にそういう事をすることもまた苦痛であったからだ。

 だから男は、女の別の弱点を見つけようと考えた。

 そのために男は禁を犯した。

 人の過去、その全てを覗き見る魔術、使う事が固く禁じられているその魔術を男は女に対して使ったのだ。

 その過去に女の弱点があると考えて。

 過去を見て、もしも他に何もなければ乞食でも雇ってそれに女を犯させようと思っていたらしい。

 それ以前にその手を使わなかったのは男が女を監禁している事を知られない為だったのだが、その頃にはもう、限界が近かったらしい。

 やめといたほうがいいよー、とヘラヘラ笑いながら忠告した女の言葉を無視して、男はその禁術を使い、女の過去を全て見た。

 その生まれから、女が歩み続けた地獄の全てを。

 生まれた直後に生き埋めにされ、見世物小屋で解体され続け、腹の中身を啜い食われた、その女の過去を。

 男は吐いた、吐きながら後悔した。

 男は女を憎んでいた、それは永遠に変わらない、変わる事の無い事実だ。

 だが、男は思った、思ってしまった。

 こんな地獄を生き続けてきたのなら、世界を終わらせようという願いも当然だと。

 そして、男は持ってはいけない感情を持ってしまった。

 それは同情心、そして、後悔。

 男は女を哀れんだ。

 そして、自らの非道な行為を悔いた、それは悔いても悔い切れぬほどの後悔だ。

 その二つは、絶対に抱いてはいけない感情だった、彼が壊れるには十分すぎる感情だった。


 ……ありもしない可能性を語ろう。

 もしこの時点で男が女を赦す事が出来たのなら、懺悔する事ができたのなら、別の結末もあった、のかもしれん。

 しかしそれはあり得ない、ありえなかったのだ、それだけはこの私が断言する。

 男がどれほど女に同情しようと、どれほど絶望しようと。

 男の信念が、男が女を許す事を絶対に許さなかったからだ。

 自らの非道な行為を悔いて懺悔することすら、赦さなかったからだ。

 もしも、男が陰湿で陰険な魔術師ではなく、明るく心の優しいあの勇者のような、お前の父のような者であったのなら、まだ救いようも……いや、忘れろ、それはない。

 女は救いようもないほど狂っていたのだから、誰にも救えるはずがない。

 どんな聖人君子であろうと、あの女を正しい世界に導くのは不可能であっただろうよ。

 だからもう、どうしようもなかったのだろう。

 胃の中を空にするまで吐き続けた男に女はニヤニヤと笑いながらこう問いかけた。

 ――おかえり、どうだった? と。

 それに男は見栄を張ってこう笑い飛ばした。

 ――大した事のない過去だった、と。

 そうして、その日、その瞬間から男は女を殺す事ばかり考えるようになった。

 殺さなければならないと、鬼に脅迫されたかのように追い込まれ、女を殺すための手段を探し続け、そのありとあらゆる全てを試した。

 多くの禁術や呪術を試した、死の呪い、身体が壊死する呪い、身体の機能を全て閉ざす呪い 、腐敗の呪いなど、だが、それらも通用はしなかった。

 人の命を養分とする花を数本寄生させても女が死ぬ事はなかったし、生命力そのものを根こそぎ奪い取っても無駄だった。

 自らの身を犯さなくなった男を女は初めは不思議がっていたが、何度も穢されたこの身を辱める事すら汚らしいと考えを改めたのだろうとあながち間違いではない結論を付けた。

 男は女を殺し続け、女は男に殺され続けた。

 異変が起こったのはそんな日々の最中だった。

 その異変に先に気付いたのは女だった。

 何も口にしていないのに、吐き気を感じ、その腹に違和感を持ったのだ。

 その感覚を女は知っていた、とてもよく知っていた。

 そう――女は身籠っていたのだ。

 それに気付いたその瞬間、女は言葉にならぬ絶叫をあげていた。

 その絶叫は屋敷中だけでなく、森まで響き渡った。

 何事かと慌てて地下に降りた男が目にしたのは、狂ったように叫び声を上げ続ける女の姿だった。

 男が地下に降りた直後に女は白目をむいて気を失った。

 静寂の中で男は女の叫び声の内容から何が起こったのか悟った。

 自らが女に注いだ怨念と悪意が女の身に何を引き起こしたのかを。

 そこから先は女にとって地獄に等しかった。

 膨れていく自らの腹に女は時に泣き叫び、時に譫言の様に懺悔の言葉を呟き続け、時に舌を噛み切り続けて何とか死のうともがき続けた。

 そんな女の様子を、男はただ見ているだけだった。

 何故男がその胎のものを放置し、生み落とさせようとしたのか、その理由は単純だ。

 男が女を殺せずにその生を全うしてしまった場合に、女を殺せる誰かが必要だったからだ。

 ……それは建前で、本当は、ただ身が竦んだだけなのだろうが。

 あんなものを知ってしまった男には、女の腹を引き裂いてその中を引きずり出す、などと言う悍ましい蛮行をする事が出来なかっただけだ。

 だから、女の胎の中のそれは何もされずに放置された。

 もしも早々に流れてしまえば、女にとっては一番よかったのだろうが、そういう予兆すらなくその胎の中身であるそれはそこに居座り続けた。

 男の怨念と悪意の塊であるそれは、女の生気と正気を吸い取り、肥大化し――

 そうして今から遡ること16年、あの暗く血濡れた地下牢で生まれ落ちた悪意の権化が、この私だ。


―――――――――――――――――

記憶の断片


 許すわけにはいかない救いようがない

 許せるはずもない救えるはずがない

 だから殺す。

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 そうすれば私はお前を許さずに済む救えるのだから。




 酷い顔だ、何故だろう。

 殺してやる、そう言う君の顔はいつも苦しそうで、辛そうだった。

 どうしてだろう、どこか痛いのだろうか?

 そう問いかける前にいつも君は私を殺す、ああまた今日も聞きそびれた。

 死ねれば何でもいいと思っていた、けど。

 君に殺してもらえるのなら、きっとそれがいちばんだ。

 おかしいのかもしれないけど、君のことは嫌いではないんだ。


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