第二幕 女の旅

 ……あらゆる苦痛を味わい尽くした女であっても、この痛みだけは別格だった。

 のちにどんな拷問にあっても平然と笑っていた女が、これに関する行為を受ける時だけは泣きわめいてみっともなく許しを請うほどに。

 食人鬼が魔物として殺された後、女は自由の身となった。

 ここに来てようやく運が回ってきたのだろう、女はその3年後まで自由を謳歌した。

 これより語るはそのたった数年の、女が唯一"人"としてまともに生きられた、ほんの僅かな時の話だ。


 自由の身となった女が真っ先に考えたのは死ぬ事だった。

 普通に死んでも死に切れない事を十分すぎるほど理解していた女は、そんな自分でも死ねぬ事が出来る方法を探す事にした。

 女を飼っていた食人鬼は、女に教養を与えていた。

 その理由は理性の無い獣をいたぶるよりも、理性ある人間をいたぶる方が、自らの欲を満たせる、と言うろくでもない物だったが……この時得た教養はある程度女の為にはなったのだろう。

 特に文字が読める様になっていた事は大きかった。

 女は町の図書館に通いつめ、不死身の自分を殺す方法を模索した。

 そんなある日、女は1冊の本を図書館で見つけた。

 その本は、不死身と言われる怪物に関する伝説がまとめられたものだった。

 女はその本の中に、不死身の怪物を殺した"不死殺しの武器"に関する記載を見つけた。

 それ以降、女はその関連の本を血眼になって読み漁った。

 ただの伝承であるものもあったが、いくつか、本当に実在していると思わしき記載を見つけた女は、さらにそれらについて調べ上げた。

 ある程度のことを調べきった女は、各地に存在すると言われている不死身殺しの武器を求めて各地を彷徨うことになった。

 その旅の途中に立ち寄ったとある洞窟で女は一人の老女に出会った。

 その老女は、かつて稀代の大泥棒として名を馳せた盗賊だったのだが、その盗賊は自らを追っていた探偵に右腕を奪われ、その洞窟に逃げ込み、ひっそりと隠れ住んでいたのだった。

 女はその老女と取引をした、女が探偵から老女の右腕を盗み出すことを条件に、女は老女から盗みの技術を教わることとなった。

 女が盗みの技術を身につけようとした理由は至極単純だった。

 女は世界各地に存在する、不死身殺しの武器を手に入れようとしていたのだ。

 そのどれもが伝説の武器であり、宝物として大事に保管されている。

 だから女がそれを真っ当な手段で手に入れる事は不可能である。

 真っ当な手段で得ようがないならもう不当な手段を使うことしかできない。

 だからそれを手に入れる手段として女は盗みという手段を選択したのだ。

 女は老女が目を見張る勢いで老女の技術を習得した、元々才能もあったのだろうが、不死身の体である故、多少の無茶が効いたののも大きな要因の一つだろう。

 修行の最中で老女は女が不死身である事を知った。

 そして、女の過去、そして女が自らの技術を必要としているその理由も知った。

 それらを知った老女は女に不死身である事を誰にも悟らせるな、と命じそれを自らの技術を教える条件の一つとした。

 老女は盗賊ではあったが純然な悪ではなかった。

 人としての善心もある人間臭い悪党であった。

 だからこそ、老女は今後女が他者にいいように弄ばれぬよう、それを条件としたのだ。

 女はその条件を不思議に思いつつも飲んだ。

 1年経った頃、女は一流には程遠いが、二流程度の実力をつけた。

 あと数年すれば熟練の盗賊と同等の技術を身につけられる、というところだったのだが、そんな時期に老女が死んだ。

 老衰だった。

 死の間際まで自分の右腕への執着を見せた老女の願いを叶えるために、女は探偵の屋敷に忍び込み、その右腕を持ち帰る事に成功した。

 当然、女の技術だけではそれを達成できるわけもなかったのだが、結果だけ見れば女は老女との約束を果たした。

 不死身の身体を使って無理を通し、最後の最後で対決した探偵の手からその腕を譲り渡される、などという大泥棒の弟子にしては大失敗もいいところの結末を迎えたとはいってもだ。

 女は洞窟に持ち帰ったその右腕を老女とともに埋葬した。

 そして、女は自分を殺すための旅を再開した。

 旅の道中で女はこんな噂を耳にした。

 とある山賊の頭領が"不死身の怪物を殺したと言われる伝説の鎌"を所持している、という噂を。

 眉唾ものではあるが、真実だとしたらこれ以上ない機会であった。

 女はその鎌を盗み出すために山賊達のアジトに潜入した。

 そして女はそのアジトでとある冒険者の一行と運悪く鉢合わせてしまった。

 その遭遇によって上手い事潜入していた女の存在も山賊達に見つかってしまい、てんやわんやの大騒動になった。

 色々あった結果、山賊のアジトはその冒険者一行の手によって壊滅させられた。

 それによって女はアジト中を自由に探し回れたが、噂に聞いた不死身の怪物を殺した鎌は、それらしきものすら見つからなかった。

 意気消沈とする女の肩に手を乗せた人物がいた。

 鉢合わせた冒険者の一行の少女だ。

 年は女とそれほど変わりのない、美しく優しげな顔立ちの少女だった。

 その少女は自らの素性を女に話した、自分がこの王国の姫君である事と、その旅の理由を告げた。

 魔界の最深部に繋がる扉を封印するというその目的と、もしも封印ができなければこの世界は滅ぶであろう事を。

 そして最後に姫は女にこう言ったのだ、仲間になってくれないかと、あなたのような人が仲間になってくれれば心強いと。

 ……お前もそうだが、お前の母親の頭のネジは緩みすぎだ、会ったばかりの素性も知れぬ、いかにも怪しげな女を仲間に加えようとするなぞ……私にはそう思いついたその思考回路が全く理解できぬ。

 なんだその微妙な表情は、さては貴様ら、否定しように否定できずに困窮しているのではあるまいな?

 図星、か。

 ははは、実に愉快だ、大変だな貴様らも。

 話が脱線したな。

 ……その話を聞いて女は思ったのだ、世界が滅びれば、流石に自分も死ねるのではないか、と。

 この地獄の苦痛を終わらせることができるのではないかと。

 そう、恨みではないのだ、憎しみでもなく怒りでもない。

 ただ自分を殺すために世界を滅ぼそうとした。

 本当にただそれだけだった。

 それ以外には何もなかった、自分を甚振り続けた世界への恨みも、怒りも、自分よりも遥かに恵まれた者共への羨みも、憎悪もなかった。

 そんな心を持てないほどに、女は狂っていたのだから。

 そんな感情を女は理解できなかったし、知る機会すら……与えられていなかったのだから。

 あったのはただ一つ、苦痛からの解放への渇望のみ。

 女は誘われるがままにその一行の仲間入りを果たした。

 それが扉について知る一番の道であり、扉を閉ざそうとする彼らを内側から引っ掻き回せば、扉を開くこともできるのではないか、と考えていたからだ。



―――――――――――――――――

記憶の断片


 姫の意向によって仲間に加えられた彼女の事はあまりよく思っていなかった。

 あいつのいいところなんて一つもない、馬鹿で、何もものを考えていなくて、世間知らずで、手グセが悪くて、弱くて、いつもへらへらと笑っている。

 そんな素性もしれない女を何故わざわざ加えようというのか……確かに盗賊としての腕がいいのは認めるが。

 だから彼女の事は嫌いだった。

 初対面で踏み潰されたからだろう、という馬鹿騎士の笑い声は思い出さないでおく。

 嫌いだったから、話しかけられても無視をしたし、つっかかられたら突っぱねた。

 それなのに彼女はあっけらかんと自分に向かって笑みを見せるのだ。

 あまつさえ、君みたいな奴は嫌いじゃないよ、などとほざく始末だ。

 馬鹿な女だ、能天気で、馬鹿みたいに人の悪意に鈍感で、何をされても笑って受け入れそうな、そんな危うさを持った愚か者。

 それでも、底抜けに明るい彼女は多分、俺よりも他の奴らと馴染んでいた。

 だからだろうか。

 いつの間にか、私もあいつに絆されていたらしい。

 魔物の攻撃から咄嗟にあいつをかばった自分に思わず苦笑した。

 撃ち抜かれた肩が傷んだが……無事そうなので、まあいい。

 「どうして……馬鹿じゃないの……」

 かばった時、あいつがみせたひどく驚いたその表情と、そのセリフはいつまでも頭の中にこびりついていた。



 私は困っていた。

 旅の途中で立ち寄った町で買い出しに出たのだけど……人混みのせいで一緒に買い出しに来た仲間とはぐれた挙句、男の人に長々と話しかけられている。

 さっさと仲間と合流して、お使いを終わらせてしまいたいのに。

 美人とか綺麗とか言われてもあっそって感じだし、急いでるって言ってるのになかなか話を終えてくれない。

 遊ばない? と聞かれたけど、遊んでる暇なんてないんだってば。

 そう言ったのに手を掴まれる、ちょっと困るんだけどなあ。

 そのままぐいぐい腕を引っ張らられる。

 仕方ない、逃げよう、と思ったところで、殺気を感じた。

 その直後に背後から声をかけられる、地を這うような声、っていうのはああいう声の事を言うんだろう。

 振り返ってみると案の定、さっきはぐれた仲間である魔術師の彼が立っていた。

 彼は何故かとても恐ろしい顔で私ではなく男の人を睨んでいた。

 手を放せ、とひどく不機嫌そうに彼は言う。

 私だって放したいけど放してくれないんだ、そんなに怒らないでくれよ。

 と思っていたら男の人が私の手から手を放した。

 失せろ、と彼が怨念がこもっているような強い声で言うと男の人は顔を真っ青にしてどこかに走り去っていった。

 こわー、と素直にそう言うと、頭を殴られた。

 はぐれぬようにと手を掴まれて、そのまま引っ張られながらグチグチ文句を言われた、私のせいじゃないのに。

 その事を食事の時に姫様達に愚痴ったら、何故か皆ニヤニヤと笑っていて、私は彼に頭を殴られた。

 意味がわからない。

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