第四幕 悪意の権化

 そう、私はかの偉大なる魔術師の養子――拾われた子ではなく、その血を引いた実の子だ、吐き気を催す邪悪の根源たる人類の裏切り者である女の胎から生み落とされた忌み子だ。

 まあ……私は女の――母の不死身性は受け継いではいないし、顔も魔力もどちらかというと男――父に似たものにはなっているが。

 母と同じところなど、この目と肌の色しかない。

 肌の色はただ単に日に当たっていないだけだとは思うがな。

 ……そういう噂があることくらい私だって知っていた、養子である私が実はあの男の実の娘であるのではないか、と。

 その噂は真実だ、父は母の存在を隠すためだけに養子であると偽ったがな。

 私がもう少し積極的に外に出ていればいずれ誰かが気づいただろうが……一度だけだからな、私がこの森の外に行ったのは。

 ……幼少の頃にたった一度しか会った事がない者を何故お前は仲間に引き入れようと思ったのか……理解に苦しむが今その理由を聞く気はない。

 ……否定はせんよ、本当の事だからな。

 と言っても、箱入り娘なぞという可愛げのある存在ではないとは思うが。

 世間知らずではあるだろうよ、それで困る事もないから構わん。

 ここから出る事もこの先もないだろうからな。

 ……考える、とは言ったが、それはお前の選択次第だからな、お前がその選択をしたたころでお前の仲間が私を拒絶するだろう。

 だから、私がここから出る事はないと私は予測している、外れはせぬだろうよ。

 ……はっ、決まっている、お前がしつこいからだ。

 お前がおとなしく引き下がればこのような悪趣味極まりない話はせぬよ、私自身も気分が悪いからな。

 ……さて、話を続けようか。

 生み落とされた私は取り上げられ、フローラに育てられた。

 母の顔も存在も知らされずに、地下に何があるのかも知らされずに、ぬくぬくと育てられた。

 父が地下で何かをしていることは知っていたが、何をしているのかは知らなかった。

 父は私の事を避けていた。

 時々顔を合わせてもただ酷い顔を向けてくるだけのその男はきっと私の事が嫌いなのだろう、と思っていた事は覚えている。

 私が5歳になった頃、父は私に対して禁術を使った。

 人の記憶を他者に刻み込み、引き継がせる魔術だ。

 これにより、私は父と母、両方の記憶を全て引き継いだ。

 全ての記憶を刻み込まれた。

 ああ、文字通り、全てだ。

 二人が生まれ落ちたその瞬間からその術を使われた30数年分の記憶全て、だ。

 ……だからまあ……騎士殿が川で下着もせずに滝行をしていたたら別の冒険者の娘たちに行きあって変態扱いされた出来事や、当時の聖女候補殿、現聖女殿が私とは別の意味でポイズンクッキングの使い手であり、あわやパーティが壊滅の危機に瀕した事件、勇者のパンツ騒動など……あの陰険魔術師と母が知っていた事は全部知ってる。

 貴殿らの武勇伝をフローラに頼んで買ってこさせたのだが……少々美化のしすぎではないかね、あれは。

 お、美化された自覚はあるのか。

 あと色々省きすぎだ、あれの作者は余程愚か者であったのだろう、あんな愉快で滑稽な出来事を削るなど、理解に苦しむ。

 聖女殿が引き起こした毒殺未遂事件が一体どのような喜劇として書かれているのか楽しみにして本を開いたのに、関連の記述が一切なくて期待はずれもいいところだった、他にも色々集めさせたが……大体同じだったな、つまらぬ、とてもつまらぬ。

 ……おい、何故そこで貴様ら目を輝かす? 後で詳細を教えろ、だと? ……お前らよくそんな気になれるな、奇矯な者共よ。

 ……おい騎士殿大丈夫か? 顔が青いぞ?

 本当だ、本当に全て知ってる。

 だからこそ私は今まで母と父の事を語る事が出来たのだからな、伝聞ではこれほど語れぬよ、なにせあの二人と私はほとんど対話などしてこなかったのだから。

 あの二人の過去に関しては、私は私に刻まれた物に関する記録しか知らぬ。

 とはいってもそれは純粋な真実の記録でしかない、純粋すぎるが故に、誰にも捻じ曲げられていないが故に、私に刻まれた記憶はあの二人が認識しているものとは違うのだろうけどな。

 記憶(おもいで)というものは普通、それを記憶しているものの主観や脚色、誤魔化しが入って多少なりとも捻じ曲がるのだが……あの術によって刻み込まれる記憶にはその捩れが一切ないのだ。

 説明するのは少し難しいな……その時に何を思ったのか、何を感じたのかは記録として私の中に刻まれているのだが……それすら正確すぎるが故に、それを思い出として記憶している本人の持つ記憶とは少し違うのだ。

 貴殿らにも覚えがあると思うが、人の記憶というものは普通、事実とは若干異なる。

 人間は記憶を完璧に正確な記録として記憶する事ができない、どんな物でも本人の認識や意思によって歪む。

 しかし、あの術で刻まれた記憶にそのあるべき歪みがないのだ。

 だからこそ……私は父が無意識下で誤魔化して気付いていないふりをしていた感情を知ってしまったのであろうし、母がおそらく最後まで理解できなかった母の感情の正体に気付いてしまったのであろう。

 気付いたところで何にもならぬがな。

 二人分の人生を一度に刻み込むには当時の幼い私にとっては身体的にも精神的にも無理があったが為に、細切れにされた記憶を毎晩毎夜刻まれた。

 寝物語に育った、とはいったがあれは単なる比喩だ、私はあの二人の過去を毎晩毎夜、拒絶する事すら許されずに見せつけられてきたにすぎない、故に寝物語というよりは悪夢に近い。

 私に掛けられた術は父が母に使った禁術と似通っているが全く違う術でな、あちらは本人が忘れられれば忘却できる代物だが、こちらは対象者の記憶に他者の記憶を完全に刻み込む魔術だ。

 故に刻まれた記憶は劣化する事もなく残り続ける、多少の無理を通せば忘却する事も可能ではあるが下手を打てば全ての記憶を失い、記憶する能力すら破壊され廃人と化す。

 ……今まで数度、そのリスクを十分承知した上で消そうとした事もあるにはあったが……流石に失敗した時の代償が重すぎるのでやめた。

 今後も何度も悩む事になるだろうが……結局、その選択を選ぶ事はなかろうよ。

 全ての記憶を刻み込み終わったのは、私が7つになった頃だった。

 私に全ての記憶を刻んだ父は、私を地下牢にいざなった。

 そこで初めて私は自分の目を通して母の姿を見た。

 母は牢の中で、血で汚れた石の床に仰向けに寝そべっており、棒のような手足がそれぞれ、赤く錆び付いた鉄の杭によって床に縫い付けられていた。

 初めて目にしたその姿を恐ろしく感じたのを覚えている。

 骨と皮だけの身も、ただ伸び続けているだけの赤い長髪も、蝋のように真っ白なその肌も。

 死体よりも余程死体らしいそれが、私の姿を見て、刻まれた記憶と全く同じ笑みを浮かべた瞬間、私は嘔吐していた。

 こんなものの胎から、自分は生まれ落とされたのだ、と。

 それなのに、おぞましいことに母は美しかった。

 それが一番恐ろしかった。

 真っ白な肌には傷どころか一点のシミひとつなく、陶器のように滑らかで。

 手入れなどされていないはずの赤い髪は艶を持ち、母が身動きをするたびにさらさらと流れ。

 その赤い目は、私のものと同じ色をしたそれは、今にも消えそうなのに決して途切れることのない小さく儚い炎のようだった。

 腹の中の物を全て吐き出しきった私を、父は母の牢の中に突き飛ばし、その戸を閉じて鍵を閉めた。

 そして、牢の格子の隙間から一本のナイフを投げ入れてこう言ったのだ。

 そのナイフで母を刺せ、と。

 そうするまでそこからは出さない、と。

 出せ、と私は今まであげた事がないほどの声を張り上げて叫び、牢の戸の格子に縋り付いいていた。

 恐ろしかったのだ、悍ましかったのだ、いくら手足を床に縫い付けられていて身動きが取りようがないとはいえ、あんなものがいる場所に閉じ込められるなぞ。

 気狂いのように泣き叫ぶ私に父は淡々とそれを刺し殺せば出してやる、と告げた。

 私はその言葉を耳にしてようやく、床に投げ出されたナイフを目にした。

 だが私にはそのナイフを手に取る事が出来なかった。

 その時に母がこう言ったのだ、早く出たいならさっさとやっちゃいなよ、と。

 その呑気な言葉を聞いた直後、私の頭は真っ白になった。

 気が付いたら床にあったはずのナイフを両手で握りしめ、母の薄い腹に馬乗りになっていた。

 全身が震えていた、視界が涙で歪んでいた、母は私の顔を何も言わずに見上げていた。

 私は震える手でナイフを振り上げ、目を閉じ、一気にそれを母の薄い胸に叩きつけるように振り落とした。

 今でもまだ覚えている、初めてナイフの刃で母の心臓を貫いた、あの感触と、血の匂いと、母の笑顔を。

 上出来だとほざきおったのだあの女は……!! 急所を上手く突いてる、なんて……!

 ……忘れるものか……忘れられるものか……!!

 ……少し取り乱したな、忘れよ。

 その日、私は牢の中から出されたが、同じ事がその後何度も繰り返された。

 父に牢の中に突き飛ばされては、そこから出るために母をこの手にかける事が。

 そしていつの間にか、父が所用で手が離せない時に母を殺すのが私の役目となっていた。

 ……何度この手で殺したか、何度手にかけたのか、思い出すのも馬鹿らしい。

 自らの手をなるべく汚したくがないために毒に関して学び始めたのは9つの頃であったか……どちらにせよ、私の手を汚すことには変わりはないが、それでも幾分気がマシであった。

 ……趣味が興じて甘い毒で味付けした菓子類を作っていたのだが、毎回毎回美味しい美味しいと呟きながら貪り食い、最終的に血を吐いて死んではヘラヘラと生き返る母は気味が悪かったな。

 直接殺すよりはマシではあったがな。

 ……はあ? 優しいだと? 何を阿呆な事を言っている、正気か?

 それに本当に美味いかどうかは知らんよ、フローラも美味しい美味しいと絶賛しているが……なんせひとかけらでも口にしたら確実に死ぬ劇物であるからな、作り手である私自身は食った事がない。

 実際、母に食わせる前に実験で森の中にばらまいてみたら、翌日になって血を口から吹き出して死んでいる大型の魔物があちこちに……

 ……一応、この森の魔物は毒への耐性を持っているはずなのだがな、あっけないものよ、10にも満たぬ幼子が戯れで作った毒であっさり死ぬなぞ。

 な、なんだ貴様……は? 甘い毒などこの森に腐るほどあるわ、それらをうまく組み合わせればその程度の毒物など簡単に……味見したい、だと?

 お、おい王子、なんだこの女!! こいつおかしいぞ!!?

 ……暗殺者? 毒物に耐性があるといえど……人間なら確実に死ぬぞ。

 あの猛毒の花の化身たるフローラでさえ慣れるまで体調を崩していたのだぞ? そんなものをただの人間が食ってみろ、死ぬぞ。

 おいおい、ちょっと待て迫ってくるな本当になんなんだお前は、毒マニアだかなんだか知らんが、いい加減に……

 ああ、もう喧しい!! つまみだすぞ!!

 ……ふん、それでよい、そのまま動かずおとなしく話を聞いていろ、口も開くな、ただ呼吸だけをしてろ。



―――――――――――――――――

記憶の断片


 切って何も感じない

 貫いて何も感じない

 抉って何も感じない

 殺して何も感じない

 解体して何も感じない

 すべて元通りまたやり直し

 笑う彼女は嬉しそうで(笑うな)

 早く殺してね、と言われた父は無言で母のの顔は歪首を刈り取ったんでいた

 誰も私達を止めない誰か私達を止めてくれ

 誰も彼女を何でもいいから助けない助けてくれ



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