旅人

 各地を巡る旅人がいた。

 その旅人は一日中歩き、夕方になると誰かに宿を借り、朝になるとまた旅に出る毎日を過ごしていた。

 そして、今夜も初めて出会った人の家に宿を借りていた。

 その家は家族が多く、家は狭く、布団という布団もない。誰が見ても貧しいというような家だ。


 旅人は歓迎され、わずかな食糧を大家族と囲い、わけてもらった。

 近くの川で汗を流し、固く冷たい床の上で、寒いと家族と身を寄せ合って眠った。


 翌朝、旅人は皆に礼を言った。

「一日お世話になりました。ありがとうございました」

 幼子は旅人を囲い、

「もっと遊んでよ」

「もっと一緒にいようよ」

 と引き止める。

 じきに働き始める年頃であろう子どもは、無言で涙を拭う。

 両親は幼子にやさしく声をかける。

「この人は旅人だ。どこか、目的の地に行かねばならん。ここにはいられない人なのだよ」

 幼子たちはワンワンと泣き始める。

 長男が旅人に聞いた。

「我が家はさぞ窮屈だったでしょう。今度の宿では、どうかくつろげるところであることを願っています」

 旅人は微笑んで答える。

「いいえ、こんなに楽しい夜を過ごしたのは初めてでした。本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げると、旅人は両親になにかを渡した。

「これは、ささやかながらお礼です」

 そういうと、旅人は玄関を出ていった。


 両親は受け取ったものを見、驚き旅人を走って追いかける。

 受け取ったものは、この家からすれば何日分にもなる食料だった。


「た、旅人さん!」

 世話になった両親の声に、旅人は振り返った。

「あ、あんなにたくさんの食糧を! あんなにあれば、私たちなんかの家ではなく、もっといい家の人に泊めてくれと頼むこともできたでしょうに!」

 すると、旅人はにっこりと笑った。

「さきほど言ったのは、本心です。それに、あなた方は貧しくなどありません。どうか、忘れないでいて下さい。そして、またいつか会えるときがくるように、みなさんお元気でいて下さい」

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