第9話 ゴブリン再会する
「ユピーちゃん! 一体何をしてたの!? 僕というものがありながらぁ!! ――「お座り、待て」――きゃいんっ!」
哀れな奴だ、とユウトは目を伏せた。
工房の片隅にてザッシュ命令に抗えず歯を食いしばったまま蹲ってしまう。
プスプスと真っ黒に焦げた青い皮が哀愁を漂わせていた。
ふん、とユピーは表情を鼻息を鳴らしてザッシュを見下ろした。
反面、ユウトを見やるときは花が咲いたように破顔する。緑色の髪がふわっと広がった。果実のように甘い香りが漂ってきて、ユウトは思わず目をそむけてしまう。
「本当に久しぶりね。あれから伐採の仕事やめたって聞いていたけれど、なんでこんなところに?」
あれから暫くユウトはゴブリンの村から離れていた。
それは何故か。
「刀を一振りほしくてな」
ユウトはザッシュとの一戦で刀が欲しいと思った。
刀を作ってもらうために、実力のある鍛冶師を探し、フィリシスと出会った。
「ふうん、だからこの子ってわけ?」
「ああ、ここらで一番実力があるって触れ込みを聞いてな。ところで、そろそろいいか……?」
「何かしら?」
ユピーは腰かけたまま小首を傾げた。
「お前は何で――その、フィリシスを椅子にしてるんだ?」
ユピーが腰かけていたのは四つん這いになったフィリシスだった。
「不思議なことをいうわね。これは椅子よ。そうでしょう?」
「はい、私は椅子ですぅ」
フィリシスは涼やかな顔立ちなのにそれを真っ赤に染めていた。
するとユピーは「ああ、やっぱり椅子だったのね。前からそうだと思っていたのよ。この大きなお尻! 座るに打ってつけじゃない?」とフィシリスのお尻を痛烈に叩いた。
パァン! と乾いた音が木霊する。
「ひぐぅ!」――と耐える声が漏れた。
その声があまりに色気があった。
フィリシスの目はとろけるように水気を帯び、熱い吐息を漏らしていた。
ユウトがその嬌態を貪るように視姦したのは無理からぬことだろう。特に零れるような大きな胸などはもはやユウトの視線をつかんで離さない。抵抗は不可能だった。
「やっぱりスケベじゃない」
「ち、違う――ッ!」
ユウトは心からそう叫んだが説得力の欠片もなかった。
意地悪な表情を浮かべたユピーはニヤニヤとユウトの膨らんだ股間部を凝視していたのだから。
「ま、男はみんなスケベなものよ。別に気にしないわ。存分に見なさい。ああ、それとも生がいい?」
生、魅力的な響きだった。
何を生だと言うのか。
仮定が頭の中で浮かんでは消える。どこまでオッケーなのか、もはやユウトの脳裏には楽園が咲き誇っていた。
「冗談よ」というユピ―の言葉で木端微塵となったが。
「それで? あの外にある鉄鉱石を刀にするってわけ? 多すぎでしょ。何本作るの刀をつもりよ?」
「あ、ああ。そこの椅子になってる鍛冶師にあれだけ持ってこいって言われたんだ。俺も不思議だったが、でないと刀は打たないと言われてな」
ユピーはユウトの言葉を聞き、じろりとフィリシスを睨みつけた。
何百kgもの多くの鉄鉱石を使って刀を打つなど聞いたことがない。鍛冶の駄賃代わりの要求にしても過分だ。
ユウトは私の玩具なんだけど。
「もしかして、あなた、ユウトの事騙して働かせてたわけ?」
少なくとも、椅子如きがユウトを下っ端扱いするのは許せなかった。
「だってぇ! 私小汚いゴブリンなんかのために働きたくなったんです! だから無理難題を押し付けて帰ってもらおうと思って!」
「で?」
「でもすごい使えるから、その、だんだんと――」
「うまく利用してたってわけね。最低ね、この雌豚が」
ユピーはフィリシスに唾を吐きかけた。
「ひぃ!」とフィリシスは――喜んでいるようにしか見えない。
「いい? あなた、今晩穏やかに眠れるとは思わないことね? 地獄を見せてあげるわ」
「はいいいいいい」
パァン! と軽快な音が再び木霊した。
「じゃあもう刀は作ってもらえるってことでいいのか……?」
ユウトの声は震えていた。
頼りにした鍛冶師が自分を嫌っていて、あまつさえタダ働きをさせていたのだ。普通落ち込む。
「あー、それはどうかしら?」
答えたのはユピーだった。
ユピーはフィリシスの頬を片手で掴み上げると唇が触れ合いそうなくらいに顔を近づける。
フィリシスの瞳からは涙が溢れだしていた。
「ねえ? 答えてみなさい、フィリシス。そう顔を強張らせることはないわ」
「実は――私、作れないんですううううううううう!」
――は?
「だって! だってえ! 刀なんて極東の島国の武器じゃないですか! そんなの作れるわけないですよう……」
「お前、嘘を吐いていたのか……?」
「違うんです。違うんです。そんなつもりじゃなくて、でも、その」
フィリシスは子供のように地面にへたりこんだままさめざめと泣き始めてしまった。
嘘を吐いた上に釈明も無し。ゴブリン村では確実に極刑だ。いくらおっぱいがでかいと言っても許せるものではない。揉ませてくれるといってもユウトは迷った末に朗らかな笑みを浮かべて許してしまうかもしれない。
しかしてユウトの脳内裁判の行方など関係なく、断罪はユピーの手によって行われた。
踏みつけた。
「ごめんなさいいいいいいいいいいいいい!」
ユピーは涙するフィリシスの謝罪など受け入れず、その頭をげしげしと踏みつけた。
それはもう見事な踏みっぷりだった。
親の仇を見つけたらこれくらいするかもしれない、というくらいの躊躇いのなさはもはや修羅である。ただその表情といえば愉悦に満ち溢れているものだったが。
ユピーはぐりぐりと足をねじ込ませながら――
「この子、虚言癖があるの。だからちょっと見栄張っちゃったんでしょうね。ほら、最近神童だとかなんとかで調子乗ってたもんねえ?」
「ち、違うんですっ! でも、もっと踏んでください!」
喜んでるのかよ。
ユウトは自分の常識を超える存在にドン引きだった。
そんなときだ。
ユウトの視界の端に青黒い何かが蠢くのが見えた。
「ユピーちゃんは僕のだぞッ! 僕が踏まれるからお前はそこをどけっ!」
尻尾はまさに怒髪天。ザッシュは犬となってユピーの足元に現れた。
チッとフィリシスがかしかに舌打ちをしたのをユウトは聞き取る。
「ここは私の場所です。あなたはあっちに行ってください」
「なんだとぅ!? やるかっ! 僕は女の子相手だからって差別はしないぞ!」
「――炉の中にぶち込みますよ!」
ドワーフ娘とコボルトの醜い掴み合いが始まった。
何だ、これ。
ユウトは考えないことが正解だと悟った。
「私を争って戦ってる。フフ、美しさは罪ね」
恍惚としたユピーを見て考える気が失せたともいう。
どう考えても元凶はコイツなわけだし。
「で、ユウト。あなたは刀を手に入れてどうするつもりだったの?」
突然こちらを向いたユピーにユウトは一瞬怯むが、すぐさま返事を返そうとして少し考え込んだ。
なんでだろう? 自分でもよくわからない。
漠然とした胸中を語る言葉がなく、ユウトはうんうんと唸ると「もういいわ」とユピーは呆れた顔だ。
「そんな表情してる男の子は大体夢を見て外に飛び出すものだから。なに? 村を出る気になったの?」
「そういうわけじゃないんだが……そうだな。久しぶりに握ってみたかったんだ」
「ふうん、そんなもの? 私にはよくわからないけれど。ああ、そうだ」
ユピーはぽんと手を叩いた。
「化石みたいな爺がいるんだけど、会ってみない? 彼なら刀の作り方とやらもわかるかもしれないわよ」
ユピーの言葉に真っ先に反応したのはフィリシスだった。
「待ってください。もしかしてそれって、あの……」
取っ組み合いをしていたところでぴたりと止めると顔を真っ青になる。
鼻血とあいまって今すぐ死にそうな病人に見える。
空気を読まず、追い打ちだ、と言わんばかりにザッシュが拳を振り上げるが、横からユピーに蹴り飛ばされて地面を転がってしまった。ばたんきゅー。
こほん、とユピーは咳ばらいをする。
閑話休題。
「そうよ。大精霊ノーム。ワシに作れんものはない! とか偉そうな事言ってたじゃない? だから本当の事かどうか試してみましょうよ」
「ノーム……。すごい人なんだな?」
豪奢な髭を生やした無骨な男に違いない。そんな外見とは裏腹に器は広く、その腕一本で生きている――そんな職人のような男をユウトは思い浮かべた。
きっと尊敬できる御仁に違いない。
「大地が産まれる前から生きてたとかなんとかほざいてるわ。ただの頭のおかしな爺よ。いつも私に説教してきてうざいのよね。身体を大切にしろとか露出が激しいだのなんだの。女を謳歌して何が悪いのよ。絶対あいつモテないわ。不細工だし。それに奥さんもいないらしいわよ。大地が産まれる前から生きてたくせに独り身って……どんだけモテないのって話よ。息も臭いし、仕方ないとは思うけどね、フフ」
不細工と罵ってくる女どもを肴に酒を飲みかわしたくなった。
ユウトの脳内ではノームは尊敬できる偉大な鍛冶師ではなく、ユピーに馬鹿にされる仲間へと昇華していた。
そういう意味では目の前で虐げられるフィリシスもユウトの仲間ということでいいのかもしれない……。
健気に愛を求める姿などザッシュと妙に被るところがある。
まあ嘘つきは感心しないが。
そんなことをユウトに考えられているとは露知らず、フィリシスはきょろきょろと不審者のように目を泳がせていた。
そして、決意を固めた表情になる。
「あの、ドワーフの一族は一応ノーム様を信仰しているので、その、そういう話は……」
フィリシスは遠慮がちにユピーにそう言った。
「私が神よ。宗派を鞍替えしなさい。今日を持ってノーム教は邪教と決めたわ」
「そんな身勝手な!! ああ、でもユピー様を崇めるだなんて素敵……」
――決意どこ行った。
「ふふ、いい子ね……」
ユピーに撫でられて骨抜きにされたフィリシスはもはやユピー教筆頭信者になり果てたようだ。敬虔なノーム信者の姿はもうそこにはなかった。
「――で、ノームにはどこに行けば会えるんだ?」
ユピーはフィリシスを撫でながらユウトに視線を移した。
「明日の朝にでも家に来なさいよ。案内してあげるわ」
「今からでも構わんが」
「私は忙しいの、わかるでしょ? それとも混ざっていく? 私はあなたになら――フィリシスを使わせてあげてもいいと思っているわ」
ユウトは生まれついての修験者だ。
そのような誘惑に乗せられるほど未熟者ではなかった。
先ほどは『生』という魅力的な言葉に翻弄された身ではあるが、同じ過ちは繰り返さないのがユウトだ。
しかし見聞を広めることも男の本懐ならば。
何をどう使うのかさっぱり見当はつかないが、ユウトは親切を無碍にはできない男の中の男である。此処は敢えて乗ってやるのも一興か。
「使わせもら――「冗談よ? 本気にした」――失礼するッ!!」
踵を返してドスドスと歩き去るユウトを見て、ユピーは肩を揺らしていた。
ゴブリンなめんなよっ?! @bibi5800
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