第8話 鉱山の町のユウト

 ゴブリン村から少し歩いたところには鉱山がある。


 そこからは質・量ともに豊富な鉄鉱石が採れるのだ。当然、ドワーフがそんなものを放置するわけもなく、鉱山の中に町を作って住み着いていた。


 鉱山の町【鍛冶神の巣窟】と呼ばれるそこには多くの職人がおり、フィッツネルの森にある建築物や武器や防具、果てには家具なども作成している。


 中でも最も魔獣たちに求められるのは鉄鉱石を用いて製造される武器や防具だ。もっと強く、もっと軽い武具を創造するため、日夜ドワーフたちは凌ぎを削っている。


 そのドワーフたちの中でも随一の鍛冶師と呼ばれるフィリシスは今、外れにある小さな工房の中で、跪き、泣き叫んでいた。


 ドワーフのほとんどは男として生まれるが、フィリシスは女だ。


 男とは違い、細い身体をしている。どちらかといえば凛々しい顔立ちをしたボーイッシュな女の子だった。

 が、その凛々しい顔立ちは今、とても歪まされている。


 歪ませているのは一人のピクシーだった。

 薄暗い工房――光源はランプ壁に掛けられたランプだけなのだ――の中で、ほのかな光で映し出される顔はとても美しい。若草色の髪は肩ほどまで伸ばされており、大きく蒼い瞳はすぼめられている。頬は赤く上気しており、とても楽しそうに笑っている。


「ねぇ、なんて言ったの? 私には聞こえなかったのだけれど……もう一度言ってくれないかしら? ねぇ、フィリシス。貴方は私に何と言ったのかしら?」


 凛とした声が工房の中に鳴り響く。

 楽しくて楽しくて仕方ないという嗜虐的な笑みを浮かべたピクシーは、これでもか、と言わんばかりにフィリシスの小さな頭を踏みつけながら、威圧的に言った。


 こんなことをしていることを他の人が見れば、イカれている、と思うだろう。だが、イカれているのは誰なのか。


 踏みつけられたまま、涙を浮かべてフィリシスは……。


「申し訳ありません! ユピーさま! 私が……私が階段の修理をしなかったばかりに! すみません! 本当に申し訳ありません!」

「そう――わかっているのならいいのよ? フィリシス。わかっているのならそれでいいの。それで、どうするの?」


 ぐりぐり、とピクシー――ユピーは踵をフィリシスの後頭部に押し付けながら聞く。


「直します! 修理しますからあ――だからあ」

「だから?」

「踏むのをやめないでください! お願いです。あぁ、ユピーさまの足に踏みつけられているというだけで私は至福の時を過ごせてしまいます。とても――とても良い匂いです。ハァハァ、気持ちいいんですうううう」

「ふふ、気持ち悪いわね」


 すっ、とユピーは足をどける。あああああああ、と悲しそうな声をフィリシスはこぼす。

 そんなフィリシスの髪を掴み、ユピーは工房の中を引きずり、身だしなみをチェックするためにあるのだろうか、鏡の前に立った。

 そして、顔が映るようにぐいっとフィリシスの頭を鏡の前に突き出した。


 鏡に映る顔は悦楽に塗れ、口元からは涎を垂らし、頬は上気し、目は虚ろだ。それでも、これだけはわかる。

 とても、幸福なのだろう。だらしのない幸せを撒き散らしている。


「だらしのない顔。醜いわ。とても醜い。ねぇ、直視しなさい。貴方、とっても不細工よ?」


 ふふふふ、と抑えられない笑い声をユピーは漏らす。

 フィリシスはユピーの声で己を取り戻し、初めてユピーの力に抵抗した。


「いや、こんなの私じゃないです! 私は――こんな――」

「こんな――何? 正解を言えたら、足を舐めさせて上げる」

「う、ううう、あああああああ、私――私はああ――ユピーさまに踏まれて喜ぶ――よろこ……ぶ……」


 先は言えないのだろうか。フィリシスは口を噤む。

 その反応を見て、ユピーの笑みは深まる。にんまり、とフィリシスを虐めたくて仕方ない、という表情を映し出す。それは鏡にもしっかりと映し出され、その表情を見たフィリシスは細められた瞳から涙を流す。


「――奴隷ですううう」

「いいわ。正解よ。とっても正解よ。だから、ね? これから楽しみましょう?」


 言うなり、ユピーはフィリシスの着ているくすんだ赤色の厚いジャケットを脱がそうと、胸元にあるボタンを外していくが、空気を読めない馬鹿が来た。


 ガチャリ、と工房の扉が開かれる音。それとともに入ってきたのは一匹の魔獣――ゴブリン。背後にはとても大きな台車の中に置かれた、どれくらいの重量があるのかも想像させないくらいの巨大な鉄鉱石がある。それを運んできて、フィリシスに報告しようとしたのだろう。

 報告しよう、と思って中を覗いたら、ユピーがフィリシスの服を脱がそうとしている光景。あまりのことにどうすればいいのかわからず、ゴブリン――ユウトは何も見なかったことにし、扉を閉めた。




 ◆◇◆




「な、何だったんだ。今のは。見間違いか?」


 扉を開けたときの光景をユウトは思い返しながら、必死に胸の中で脈打つ心臓を抑えようとしていた。


 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、ユウトは扉に耳をくっつけて中の音を聞くことにした。


「ふふ、邪魔が入ったけれど、どこかに行ったわね。さぁ、続きといきましょうか。フィリシス。たっぷり鳴かせてあげる」

「あ、ああああ、ユピーさまああ」


 という甘い声がユウトの耳に届く。激しい動悸を抑えることなどできない、とユウトは確信した。かつてしたことがないほどの確固たるものだった。


「ユウト……早いよ。少しは待ってよ。一応は僕も手伝ってるんだからさ」


 そう言ったのはザッシュだった。青い毛皮を埃塗れにしながらユウトを非難している。


 ユウトはザッシュを手伝ってバイトをしているのだ。ザッシュとの一戦で刀が欲しいと思い、刀を作ってもらうために実力のある鍛冶師を探し、フィリシスと出会った。そして、鉄鉱石の採集を集めてくれたら作ってあげる、と言われて必死に頑張って採取していたのだ。


 ユウトが採取してきた鉄鉱石の量は実の数百kgを超える。たった一回で、だ。この鉱山はほとんど鉄鉱石で出来ていると言っても過言ではないくらい、掘れば掘るほど出てくるのだ。


 まぁ、それは置いておくとして、ユウトは混乱していた。股間が膨れていることからもそれは実に明確にわかるというものだ。

 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、ユウトは扉に耳をくっつけて中の音を聞くことにした。


「黙れ。いいとこなんだ」


 と恩を仇で返す、という言葉の正しい利用方法を体現しているユウト。

 ビキ、と毛皮の奥にある地肌に青筋が立つザッシュだが、我慢強いことが売りなのだ。くうるになれ、と自分に言い聞かせながら、何をやっているのかを聞くことにした。


「わからないのか。中で起こっている真実が!」


 常ならずユウトが熱くなっているという事実に気づき、ザッシュも耳を澄ませた。扉に耳を当てる必要すらない。コボルトの耳は犬並みなのだ。


「――ちょ、ユピーちゃん何をしてるの?! 僕のユピーちゃんがあああ!」


 即座にザッシュは暴走し、扉を蹴破って中に入って行った。

 ユウトは何となく逃げ去り、その後には工房から大きな炎が吹き出てきた。炎に炙られたのは犬一匹。瀕死の体で転がり出てきた。


「あちっ、あち!」


 と叫ぶザッシュにユウトはどこからか持ってきた水をぶちまけて消化した。

 その間に中からユピーが出てきて、焦げているザッシュを恫喝する。まずは蹴りを一発いれる。熱さのあまりそこらを転がって丸まっていたザッシュはボールのように跳ね飛んでいく。


「きゃいん!」


 悲鳴を上げてごろごろと転がるザッシュ。だが、ユピーはそんなものに取り合わない。


「うるさいわね。お楽しみの邪魔をしないでくれるかしら――って、ユウト。貴方もいたの? さっき乱入してきたのは貴方だったのね。もう、言ってくれればいいのに」

「あ、あぁ、ちなみにそこで燃え尽きているのがザッシュだ」

「――なんでザッシュがこんなところに?」


 取り合わないのではなく、気づいていなかったのだろうか。あらやだ、私ってドジ、とペロッと舌を出して言うだけで全てを終わらせようとしている。


「いろいろあってな」


 ユウトはもう何が何だかわからなくなっていた。

 ザッシュは、燃え尽きて、蹴り飛ばされ、気を失っていた。

 そして、ユピーの背後では、ユウトの雇い主であるフィリシスが脱がされたジャケットを慌てて着込もうとしていた。

 混沌、という言葉が相応しい。


「ユウトとザッシュに会うのも久しぶりね。フィリシスと遊ぶのも少し飽きたし、中に入りなさいよ」

「ここはお前の家じゃないだろ」

「小さいことは気にしないほうがいいわよ。ね? フィリシス」

「は、はいい!」

「……ザッシュが起きるまでは一応介抱しておくよ」


 そんなこんなで、ユウトとザッシュ、ユピーは再会した。実に二ヶ月ぶりのことである。


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