第6話 決着

 ユピーは気づいた。観客は既に自分だけになっているということに。

 激戦過ぎて近くにいたら危ないのだと周囲にいた者たちは思ったのだろう。


(もったいない。祭りはこうでなきゃいけないのに)


 手に汗握る展開だ、とユピーは思う。


 ユウトはザッシュに対して近づいているのがユピーの場所からだとよくわかる。重心を低く落としてのすり足。するする、と距離を詰めていく。


 先ほどは初っ端からの全力のぶつかり合いだった。


 ザッシュが一直線に突きを放ち、それを迎撃して殴り飛ばしたユウト。


 今は逆だ。


 じりじり、と緩い展開。


 だけど。


(怖い)


 ユピーにはわからない。身のこなしが圧倒的に高いザッシュが待ち構えている理由が。頭がおかしくなったと思わせるようなユウトが直情的に攻め込むのではなく、冷静に事を進めていく理由が。


 互いの距離が近づき、ユウトの攻撃は当たらないが、ザッシュにとっての攻撃は当たるという距離。制空圏。


 瞬間。


 ザッシュは突きを放った。先ほどとは違う、全く溜めのない一撃。

 それをユウトは見切っていたのか、顔面に向かってくる棍棒を首を捻るだけでかわす。


「さっきも言っただろ。単純すぎる」


 後、風が破裂したときのような轟音。耳をつんざく高い音がピクシー村に響き渡る。


 原因はザッシュの突きのあまりの速度に攻撃動作の後に音が炸裂した。それをあっさりとかわすユウト。


 本当にゴブリンなの? とユピーは思ってしまう。


「スピードは良い。俺じゃ絶対に勝てない。けど、腕力ならどうだろうな?」


 ユウトはそう言ってザッシュの棍棒を無事な左手で握る。ザッシュは反応し、力を込めて引き剥がそうと大きく身体を捩らせて――転倒する。


 ユピーから見えたのは自分から横に向かって倒れていくザッシュの間抜けな姿だけだった。


「な、何をしたんだ?!」


 ザッシュは尻餅をつきながらユウトに叫んだ。


「合気――っつっても知らないだろうけど」


 ユウトは軽い動作で、ふっ、と棍棒を振り上げた。棍棒を握り締めたままのザッシュも一緒に持ち上がる。

 動転するザッシュ。あっさりと持ちあげる経験など早々された者などいるはずもない。ザッシュもその一人。ただ愕然とするばかりだ。


「いいか。攻撃ってのはこうやるんだ」


 ユウトは棒を引き寄せて、カウンター気味にザッシュに対し蹴りを放つ。かなり間抜けな光景。短足では絵にならない。

 が。


「きゃうんッ!」


 ザッシュは苦痛のあまり悲鳴を上げる。


 蹴りの衝撃により吹き飛ばされ、何度も地面にぶち当たり、跳ね飛ばされながらピクシー村の中を転ばされる。


 棍棒はザッシュの手にはなく、素手。

 短足から放たれた蹴りは見た目以上に凶悪だったことをユピーは認識する。尻尾を丸めながらゴロゴロと地面を転がって行くザッシュを見てため息を吐く。


(所詮犬ね)


 だが、ザッシュは意地を見せた。


 好きな女の子の前なのだ。無様な姿は晒せない、と熱い想いを胸に抱いているのだ――ということにユピーは気づかない。そもそも、興味ないし。


「――グ、グルルル」


 唸る。

 ザッシュは未だに衝撃で地面を転がっているが、爪を地面に突き立てて抵抗し、踏ん張り、立ち上がる。


 がくり、と膝が折れかけるが、ザッシュは気合で持ち堪えた。


 根性あるじゃない、とユピーは感心する。

 先程まで、所詮犬ね、と考えていたことは既に忘れていた。


「へぇ、まだ立てるのか。チャーミングな顔してやる気満々じゃないか」


 ユウトは悠然と歩きながら言う。

 一歩一歩を踏みしめるようにユウトは歩いていた。身体を大きく見せるように必要以上に胸を張り、身体全身に力を込めて。

 威嚇――というものだ。


「僕は負けてないぞ。僕は誇り高きコボルトの末裔。誰に対しても尻尾なんか振らない。命ある限り抗い続けてやるんだ」


 見るからにザッシュの尻尾はぶんぶんと振られている。足は震え、内心怯えているのがユピーにはわかる。もちろん、相対しているユウトもわかる。


 思いっきり尻尾振ってるわよ、とユピーは突っ込むか迷ったが、それはあまりにも無粋だと思ったので自重した。


 ユウトも同様に空気を読んだのか、尻尾を注視しているが、敢えて何も言わない。瞑目し、何かを考えているようにユピーには見えた。


「まだ――やるのか? 力の差はもう十分に理解しただろ?」

「わからない。僕がわかっているのはこの勝負に負けたらユピーちゃんの膝枕を味わえないということだけだッ!」

(そんなこと言ったっけ)


 すっかり忘れているユピーだった。


 強靭な意志で強敵に立ち向かう犬はそんなことを知らず、武器もない。棍棒はユウトに奪われたままで、それは遠くに投げ飛ばされていた。


 せばまった距離。わずか数歩の間隔。


 ザッシュは思いっきり蹴り飛ばされたダメージで身体に力が入らず、ボロボロだ。


 ユウトも右腕は使えない状態であり、結構な深手と言っていい。


 ユピーの印象からすれば、肉体的な強さは同格だと思う。だけど、明らかにユウトのほうが闘い慣れている。ザッシュの動きを予測して、その通りに事が進んでいるように見える。


 絶対的な経験値の差。


 そこまで強いゴブリンというのはユピーは聞いたことがない。どこで戦ったことがあるというのか。謎は深まるばかりだ。そんなゴブリンがゴブリン村でハブられて伐採の仕事に就いているのも謎だ。


 が、今はそんなことを考えている場合ではない、とユピーは頭を振る。

 ザッシュの瞳に明確な意志が写ったから。


「負けるわけにはいかないんだ! 我が血を代償とし、一対の翼を【グッドスピード】」


 素早く詠唱。

 すると犬には似合わない大きな深紅の翼がザッシュの背中から生える。

 【グッドスピード】。展開している間、劇的に移動速度が増幅されるが、常に血を消費する。深紅は血の色に似ている。つまり――翼は噴き出す生命の雫。命を消耗する支援魔法。 


(そこまでして膝枕をしてほしいのかしら?)


「綺麗だな」


 ユウトは呟く。

 そして、泰然と構える。それは地面に根を張った大樹のような大らかな構え。


「受け止めてやる。来いよ」

「――ウルォォォォォォッッ!!」


 ザッシュにはもう棍棒はない。


 だが、武器ならある。小さな牙が、鋭い爪が、燃え盛る魂がある。


 何より速さがある。


 思わずユピーは叫んだ。


「頑張れ――ッッ!」


 ピクリ、とザッシュの耳が動いたようにユピーは見えた。


 そして、満足そうに雄々しく笑むザッシュの横顔も見え――束の間、ザッシュの姿は掻き消えた。


「音はするんだがな」


 ユウトは困ったように笑っている。

 ザッシュの動きはさっきまでは“目には止まらぬ速さ”だった。だが、今は違う。


「見えねぇな。どうするか」


 それが“目には写らぬ速さ”になった。


 当然、ユピーにも見えず、ユウトにも見えない。ユウトがいくら怪力であろうとも、触れられないほどの速度の前では何の役にも立たない。


 けれども、ユウトは堂々と構えたままだ。何の焦りもない。


 ユピーにもユウトが冷静でいられる理由がわかっている。ぼとぼとと血の痕が地面にこびりついてるから。


 【グッドスピード】の代償。膠着状態に陥らないことをユウトは理解しているのだ。だから、気を張り巡らせて佇んでいる。


 地響きのような地面を駆ける音だけがピクシー村の中を響き渡る。


 刹那、ユウトは振り向いて左腕を振り上げた。


「チィッ!」


 ユウトの腕には爪が深く食い込んでいる。ザッシュによる攻撃だ。背後から狙いすましたその一撃は、ユウトに受け止められたということ。

 さらに、ザッシュは口を大きく開き、噛み付く。ユウトの首に喰らい付こうとした執念の一撃。

 されど、それはユウトの痩せ細った右腕に阻まれる。


「――グゥゥゥ!」


 両腕を塞がれたユウトと、牙と爪を喰い込ませたままのザッシュ。

 さて、これからどうなるのか、とユピーは結末をじっと見届けようとしていた。目を見開き、手に汗握り、興奮気味に食い入るように見つめている。


「お前は強かった。だけど――」


 誰にともなく、ユウトは独白している。

 両腕の痛みなど感じていないかのような面持ちで、平然と囁いている。

 ザッシュはユウトの腕に牙を喰い込ませたまま、見据えている。


「俺のほうが強かった。ただ、それだけのことだ。だから、落ち込むな」


 すっ、とユウトは頭を振りかぶった。

 ザッシュは驚愕のあまり目を見開く。


「俺の勝ちだ。膝枕は諦めろ」


 ユウトの頭は石頭だったのだろう。

 振りかぶられた頭はそのまま振り落とされ、ザッシュに向かって襲いかかる。要するにヘッドバット。頭突き。

 重い――腹に響く音が落ちた。


「頭突きで終わりって――どうなのかしら。まぁ」


 後に残るは大きなタンコブをこさえた犬と、両腕をだらしなく落としているゴブリンと、楽しそうに「勝者――ユウトー! ってことでいいわよね?」と叫んでいるピクシーだけだった。

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