第4話 コボルト現る

 階段が軋む。

 大木5本を担いだゴブリンが勢いよく駆け下りているせいで見事なほどに不吉な悲鳴をあげている。

 ――ミシミシ、という断末魔を聞き、ユピーは滑空しながら階段を見た。


(皹割れてる……)


 どうしようかなぁ、と考えるが、一瞬で破棄。


 自分に惚れてるドワーフが何人かいたからそいつらに補修させようと決断する。ドワーフからすれば迷惑すぎる問題だ。


 だが、ユピーからすればどうでもいいこと。


 村の入り口であるピンク色に染められた門をダッシュで潜り、ただいまー、と叫ぶ。

 一足遅れて全く息を乱していないユウトが門に木が当たらないように悪戦苦闘しながら少しずつ入ってきた。


「ご苦労様~、あ、汗かいてるね。拭ってあげるよ」


 ユピーの持つ必殺技の一つ美少女(自称)スマイルを浮かべながらポケットに入っていた手拭を取り出してユウトの頬に流れる汗を拭ってあげる。


 いいよ、と遠慮するユウトだが、嫌がられると余計にユピーはやりたくなる。


 減るもんじゃないしいいでしょ~、と強引にくっついて拭ってやる。


「…………」


 顔を真っ赤にしてやられるがままに立ち尽くすユウト。木々を担いだままおろおろとしながらユピーに遊ばれているのは端から見れば滑稽だ。


 村の入り口でこんなふうに遊んでいると、ユピーの楽しげな声に釣られてピクシーたちが続々と集まってきた。

 何してるの~? と暢気な声でユピーのところへ寄ってくる。


「へへ、見てよ。これ私の新しい玩具~。いいでしょ?」

「んー、ユウトじゃない? 確かにいじり甲斐あるわよね~」

「あ~、前言ってた照れ屋のゴブリン?」

「お久しぶり~」

「みんな知ってたの?」

「この子が何年交易の仕事してると思ってるの……? って、ユピー知らなかったの?」

「――うん」

「みんな知ってるわよね?」

「ね~!」


 キャピキャピと言わんばかりの囲まれっぷりにユウトはしどろもどろだ。

 何をすればいいのかわからないのだろうか、やられっぱなしで立ち竦んでいる。

 その眼は微妙に潤んでいた。


「や~ん、腕は硬いのに頬はプニプニしてる~」

「この一ヶ月どうしてたの~?」

「あ、ユウトじゃない! おっひさー。早速ユピーにいじられてるんだね!」


 どんどん来るピクシーたちに囲まれていくユウト。

 なんとなくユピーは面白くなかった。自分の玩具で他人に遊ばれるのは少しばかり不愉快だ。


「とりあえず、木を何処に運べばいい?」


 唐突にユウトはユピーに話しかける。

 ユピーは察した。まぁわかっていたことなのだけれど。この場から逃げ去りたいらしい。

 初心だなぁ、とユピーは思う。


「きゃ~、喋った!」

「ぷるぷる震えてる~えいっ」

「ねぇねぇ、頬を赤らめてるよ?」


 ユピーはあえて答えないでおいて放置しておいた。

 触られ、揉まれ、突かれ、撫でられ、とユウトはやりたい放題にされている。見るからに落ち込み始めていた。

 肩をがっくりと落とし、うなだれている。微妙に震えている。


(なんか凹んでるわね)


 それを敏感に察したユピーはピクシーたちを「はいはい、散った散った。なんかセンチメンタルになってるみたいだからあっち行って」と言ってピクシーたちを遠ざけた。

 なんでよー、と不満たらたらの声が多かったが、キッと睨んで無理やり人払いをする。


「今回木を置く場所はあっちよ。ついてきて」


 それまでのことはなかったかのようにあっさりとユピーは言う。


 ユウトは救世主を見るかのような目でユピーを見上げているので、それが居た堪れなくて素っ気無い素振りをしているのだ。諸悪の根源は無論、ユピーである。


 んしょ、と可愛らしい掛け声をあげてユウトは木を担ぎなおすとユピーについていった。


 以前来たときとあまり変わらないな、とユウトは思う。


 ピンクやイエローなどといった明るい染色をされた屋根が目立つ村だ。二階建ての家もあり、ゴブリンの村と違って活気がある。

 他の種族も来ているようで、蒼い毛皮に覆われた魔犬であるガルムや、ゴブリンの住まう小屋よりも大きなサイズの怪鳥であるグリフォンなども闊歩している。


 ちらちらと魔獣たちからの視線を感じたりしながら、ユウトはてくてくと歩いていく。


 この村もゴブリンの村と同様に開墾されてできた村であり、まだ切り開かれていないところがもちろんある。


 そこを伐採して日々、村は大きくなっていく。


 伐採した木で家を建てればいいじゃないか、とも思うかもしれないが、ここらの木はブオラの木とは違って建築には向いておらず、ユウトの住まうゴブリンの村と交易をしているのだ。


「こっちよ、こっち」


 村の中心にある井戸を超えて、さらに先に行く。


 数分歩いたところで、ここよ、とユピーは言う。なるほど、開けている場所だ。伐採した木々は薪にでもされたのだろう。既にない。


 ゆっくりと丁寧にユウトは木を地面に置く。


 これでお仕事完了ということになる。


「ご苦労さま」


 満足げにユウトは嘆息する。

 コキコキ、と骨の関節を鳴らしてストレッチをして身体を解す。

 そして、空を見上げる。太陽は真上にある。飯時だ。


「言っていただろう。ご飯の時間だ」


 無駄に爽やかな声でユウトは言った。


 何か妙に期待されてるわね、と少しばかりユピーはプレッシャーを感じる。そこまで料理は上手くない。


 困ったように頬を掻きながら、


「あの、一応言っておくけど、普通のモノしか出さないわよ?」


 小首を傾げて言い訳をしておく。

 これを聞いたときのユウトはすさまじい反応をした。

 驚愕に顔を染め上げて、高らかに叫んだ。


「普通ってことは石の裏から出てくる虫とか出てくるのか?」

「なんでそうなる?!」


 寸分の間すら与えない神速のツッコミ。

 心じゃなく、あまりの事実に身体が反応していた。


 虫って。なんで虫?


 聞いてみると、辛いことを思い出しているときのように苦渋の色が濃い表情で淡々とユウトは語った。


 曰く、


「小さな時、俺に与えられていた飯はそれだった。普通のモノというのはそういうものではないのか?」


 どんだけ。


「普通というのはね。野菜や穀物、時には小動物の肉だったりよ」


 見るからにユウトの口から涎が流れ出ている。


 よほど貧相な食事しかしたことがないのだろう。ハブられている、と自称していただけのことはある。ユピーはかつてないほどに戦慄を覚えた。


 イジメ、かっこわるい。


「比較対象が虫ってのあれだけど。僥倖なのかもしれないわ。ついてきて、こっちが私の家よ」


 そうしてユピーは村のほうへと歩き出した。


 だが、周辺の木の陰から見えるなにかがある。

 青い、ふさふさした毛がユウトの視界に写る。


 何だろう、とユウトはソレを観察していると、ひょっこりと何かが出てきた。


「ユピーちゃん!」


 出てきてユピーを呼んだのは二足歩行をする犬。

 ユウトよりはいくらか背が高く、革の胸当てをつけて背には身長の同じくらいの木の棒を担いでいる。先端には小さな石が埋め込まれている。綺麗な青色の石。


 呼ばれてユピーは振り返る。


「ん? あら、ザッシュじゃない。どうしたの?」


 知り合いのようで、ユピーは気さくに返事をした。

 その声を聞いているザッシュと呼ばれた二足歩行の犬は深刻な表情。鬼気迫る瞳。勇み、走り、ユピーにザッシュは駆け寄って肩を掴む。

 ユピーは少し嫌そう。


「ユピーちゃん。話は聞いていたよ。そのゴブリンに脅されているんだね?」

「――何の話かしら?」

「わかってる。わかっているよ。僕の信仰する聖魔神は全てわかっていらっしゃる。ユピーちゃんは――」

「うるさい」


 ザッシュより頭一つ高い身長の持ち主であるユピーの脳天チョップがザッシュを襲う。


「きゃうん!」


 ザッシュは悲鳴を上げる。

 少し離れ、膝を折りながらユピーを上目遣いで見る。なんで殴ったの? ときらめく視線は訴える。尻尾はうなだれ、落ち込んでいることがよくわかる。


「何がどうなっているんだ?」


 ユウトは状況が全く飲み込めない。


「あぁ、うん、こいつはザッシュって言ってね。犬よ」

「犬じゃないよ! コボルトだよ! ユピーちゃんの幼馴染のザッシュだよ! ユピーちゃん、好きだ!」


 簡潔な説明に対する必死の反論。ザッシュは心底叫んでいるが、そうだったっけ? とユピーはとぼけている。

 ユウトは遠慮しているのか。何なら帰ろうか? とユピーに聞く。何言ってるの? とユピーは返す。


「ご飯あげるって言ったじゃない。あんなのは気にしないでいいわよ?」

「いや、でも」

「そうだ、帰れ! 帰れ!」


 熱烈な叫びをザッシュはするが、


「うっさい」


 と言われてユピーに蹴りを入れられる。長い足から繰り出される前足蹴り。ひうん、とザッシュは尻尾を丸めながら吹っ飛んだ。痛そうだ。


 ふぅ、とユピーは嘆息する。呆れてモノも言えないわ、と身体全身でジェスチャー。


 吹き飛び、倒れているザッシュに近づき、見下すようにしながら嘲笑う。


「まったく――少しは落ち着きってものを覚えないのかしら? この犬ったらね。どれだけ躾けても間に合わないわ」

「コボルトは誇り高い種族なんだ。誰にも屈しない」

「お手」


 無意識での反応か。ザッシュは俊敏に立ち上がり、ユピーの差し出した左手に右手を置いていた。


「…………ハッ?!」


 犬だな、とユウトは呟く。


「でしょう? たまに反抗期になるの。私という飼い主に似ないで馬鹿になってね。実に困るわ。ふふ、犬なのに飼い主に反抗するなんて――それすらも可愛いのだけれど」


 高笑いをしながらユピーはザッシュの頭を空いた右手で撫でる。よしよし、と愛でる。

 いやよいやよ、とザッシュは首を振る。あまりのイジメにユウトは涙が出そうだった。これは酷い。見るからにザッシュは男だ。こんなことじゃ男の誇りなどズタズタだろう。哀れな。


「違う。僕は犬なんかじゃ――「おすわり」――――ちがうっ?!」


 即座に座る犬でしかないコボルト――ザッシュ。実によく躾けられている。愛嬌のあるつぶらな瞳からは一筋の涙が零れる。震えている。

 それを見てユピーは幸せそうに微笑む。


「ふふ、それで、どうしたの? とても面白いのだけれど、私を笑わせにきてくれたの?それなら――クフフ、アハハハハハ! 実に、実に笑わせてもらってるわよ。アハハ!」


 哄笑するユピーを置いておき、ユウトはザッシュに語りかける。


「俺も笑われた。お前だけじゃない。そこまで落ち込むな。きっと俺たちにも未来はあるさ。だから、そんなに落ち込むな」


ユウトは俯いたままおすわりをしているザッシュの背を叩いて励ます――が。


「――お前のせいだ」


 涙は乾き、ザッシュはユウトを睨み付ける。


「お前のせいだああああああああッッッッ! ゴブリン! お前を倒して僕はユピーちゃんを取り戻す!」

「そもそも貴方のモノになった覚えはないのだけれど」


 冷静にユピーは突っ込むが、


「聞こえない! 僕の耳には何も届かない」


 と、ザッシュは耳を手で押さえて聞こえないフリをする。


「ハウス」


 小さな言葉。だが、はっきりとその言葉はザッシュに届いた。

 ピン、と背筋を伸ばしたザッシュは村の方向を振り向いて一目散に走っていった。


「――行ってしまった」


 ハウスという言葉に反応して立ち去るザッシュをユウトは呆然としながら見送っていた。


 アハハハハ、とユピーは更に笑う。


 家に向かって神速の領域へ達する速度で駆ける犬はユピーにとっての飼い犬だ。言う事を聞いている間だけは可愛がってあげる。


 たった数秒のこと。それだけの時間でザッシュの後姿は見えなくなった。


「……」


 沈黙。

 その沈黙を打ち破るかのように疾走する軽快な足音が聞こえ始めてきた。

 ハッ、ハッ、ハッ、と息を切らしながら全力疾走してくる犬――ザッシュ。猛烈に速度に乗りながらユピーの目の前へと戻ってきた。

 戻り、ユピーの顔色をチラリとザッシュは伺う。

 ん? とユピーは首を傾げるだけ。機嫌は損ねていないことをザッシュは敏感に察し、大きく息を吸い込んで、呼吸を整えた。

 そして、ユウトを指差し、


「い、家になんか戻ってないんだからなっ! 勘違いしないするなよっ! 僕はちょっと走ってみたかっただけなんだっ!」

「そう、良かったわね」


 ユピーの冷たい言葉にザッシュの尻尾は反応する。へろり、と尻尾は地面へと着いた。

 が、冷たい言葉に負けず、ザッシュは一度失いかけた闘志を燃やし、ユウトのことをキッ、と睨む。犬にだって意地というものがあるのだろう。悲壮な決意でユウトの眼を射抜いている。


「ゴブリン、名前は?」


 見下ろし、問う。挑戦的な眼差し。


「ユウトだ」


 見上げ、答える。好戦的な眼差し。


 交わる視線。男の意地を、心を込める。眼を背けたほうが負けだ。


 ザッシュは背から棒を引き抜き、ユウトに対して振り下ろす。ユウトは短い足を蹴り上げて、棒を弾いた。


 間。

 ユウトは笑う。

 見て、ザッシュは猛る。


「お前に決闘を申し込む! ユピーちゃんには勝てないから、お前に勝って手を引かせる!」

「別にいいが、そもそも――ムグゥ?!」


 不意にユウトの口は塞がれる。犯人はユピーの両手。頭の上にユピーの顎が可愛らしく乗せられ、ちょこん、と顔を覗かせる。

 たったそれだけのことでザッシュの体毛は逆立つ。嫉妬。


(怒っちゃって。可愛い)


 などとユピーが考えていることなど知らず、ユウトを見据える眼にはだんだんと濃縮された殺意が込められ始めていく。

 楽しくなったきたわ、とユピーは思う。

 顎の下でユウトはおろおろとしていることもユピーの心を躍らせる原因の一つだ。そうだ、と思いつく。


「いいわ。ユウトは受けてくれるって言っているわよ」


 決してユウトはそんなことを言っていない。

 ムグゥ! と反論するかのようにユウトは一際大きく呻き声を上げるが、その声は誰にも届かなかった。

 にこり、とユピーはユウトを見下ろしながら笑う。小悪魔の微笑み。美少女(自称)スマイル。

 ザッシュの嫉妬がより深まる。


「じゃあ決闘の場所はピクシー村の井戸の前だ! 待ってるからな! 逃げるなよ!」


 そう言い、ユウトたちに背を向けてザッシュは歩き出した。

 思い出したようにザッシュは立ち止まり、呟いた。


「ユピーちゃん。勝ったときこそ、僕は――」


 一陣の風が吹き、小さな声は掻き消された。

 だが、その言葉をユピーは理解していた。ちゃんと、理解していた。


「はいはい、ちゃんと貴方の好きそうな骨をあげるわ。しゃぶり甲斐のあるものをね」


 理解ではなく、誤解していた。


「そんなのじゃない。僕が欲しいのは――「しっぽが揺れてるわよ」――正直な尻尾が邪魔だァァァ! うわああああああぁぁぁぁぁッッ!」


 眼にも留まらぬ速度でザッシュは走り去った。

 ザッシュが走り去ると同時に、ユウトは押さえられた手を引き剥がし、ユピーを見上げた。

 後頭部にユピーの胸が押し付けられていたという事実に気づいてはいないのか。ユウトからは羞恥心を全く感じない。


「何よ?」


 すぐ近くにユピーの自慢の胸があるのに、それを意識しないユウトに対して少し不愉快になるユピー。

 関係なく、ユウトは聞く。


「なんで決闘なんかするんだ。俺は関係ないぞ」


 普通の疑問。

 はぁん、とユピーは鼻で笑う。


「あら、貴方は武士とかいってなかった? つまり、戦いが好きなのよね? まさか逃げるの?」


 ふむ、とユウトは考え込む。


「敵に背を見せるは士道不覚悟――だが、あんな弱そうなチビを」

「貴方のほうが小さいわよ。それにあんなナリだけど、ザッシュはコボルトで一番強いわよ?」

「なに?」


 ユウトの顔色が変わる。

 強者、という言葉に明確に反応した。

 やっぱり、こいつ戦い好きなんだ、とユピーは思う。祭りが始まる。


「だって、私は弱い男には話しかけないもの」


 そう言いながら、ユピーはユウトの口から手を離して手拭で手を綺麗にした。

 ユピーの綺麗な微笑のせいでユウトはその事実に気づかなかったが。

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