第2話 ゴブリン村のユウト
見目麗しい――そう表現することに何のためらいもなくできる。彼女はそれほどに美しい容姿をしていた。
新緑の恵みであるかのような若草色の髪は肩ほどまで伸びており、時折風でふんわりと流れていく。小さな顔の中には、ぱっちりと開いた大きな空色の瞳、通った鼻梁、ぷっくらと膨らんだ触れば気持ちよさそうな淡い赤の唇。
それらが絶妙なバランスで配置されている。
背は140cmを少し超えるくらい。
小柄と言っても全くおかしくない身長だ。
そんな彼女を女たらしめているのは出るところは出て、引っこむところは引っこんでいるためだろう。
背徳的な魅力に溢れている。その魅力を加速度的に高めているのは、純白のワンピースに髪と同じ色のクロークという子供っぽい服装をユピーが好んですることも一因としてあるだろうが、最も彼女を引き立たせているものは何か。
それは、背から生える一対の羽だろう。
人ではありえない淡い虹色が浮かび上がる透き通った羽は彼女が人間ではないことを物語る。
そう彼女――ユピーは人から邪悪な妖精として忌み嫌われているピクシーだ。正真正銘の魔獣である。
そんなユピーが住まう場所は人里離れたところにある森――フィッツネルの森だ。
そこには様々な魔獣が住んでおり、ピクシーもその中の一つではあるが、ユピーが今いる場所はゴブリンと呼ばれる種族の村だった。
あばら屋と呼ぶしかないような小さな穴だらけの小屋。いや、小屋というのも憚られるような代物ばかりが立ち並ぶ村だ。地面からは草が生い茂り、村というよりも森の一部といったほうがしっくりくる。荒地――とでも呼べばいいのか。
物陰には多くのゴブリンが潜んでおり、ユピーのほうをギラつく視線で見つめている。ユピーに対して劣情を抱いているのだ。
性欲に塗れたゴブリンたちの視線を平然と受け流しながら、というよりも受け止めながら、ユピーは艶然と髪を掻き上げたりしている。
「まぁ、私の美しさの前では仕方のないことだけれど?」
この言葉だけでユピーの性格がわかるというものだろう。
ゴブリンの村をこれほどまでに余裕の体で歩けるのはピクシーの中でもユピーくらいのものだ。
だから、こんなところに一仕事するためにユピーはわざわざ赴いているわけなのだが。
ユピーの住む場所はゴブリン村の東に2時間ほど歩いたら着く距離にある。ピクシーの村だ。
一仕事というのはピクシーの村にゴブリンの村から材木を輸送してもらうことである。
ゴブリンというものは馬鹿で、醜い。長所といえば年中発情期なので繁殖力がとても旺盛であることと、細い木であるならば拳一発で折ってしまうことであろうか。怪力なのだ。
細い木が相手でも、ピクシーの貧弱な筋力では刃物を使っても3時間かけて切るのがせいぜいだ。そのため、効率の問題でゴブリンたちにお願いして木を切り倒し、村まで運んでもらうのである。
その過程で以前の担当者であったピクシーが、木を切り倒すことをお願いしたはずなのにも関わらず、身体を押し倒されてしまうという悲劇により(未遂に終わった)、「もう二度とこんな仕事嫌よ! 絶対にお断りよ!」という意見が出て、ユピーにお役が回ってきたわけである。
「ゴブリン如きに押し倒されるなんて、私なら死んでも言えないわ」
ユピーは同僚に対し、心からそう思っていた。
何故なら、愚かで鈍重で醜悪なゴブリンに負けるなんてことはピクシーにとってあってはいけないことだから。
これはピクシーの中でも共通認識である。というよりも、魔獣の中では共通認識と言ってもいい。
ゴブリンは――最も弱いとされているのだ。
そんなことを考えながら歩いている内に、ユピーは村を通り過ぎていた。
ゴブリンもいなくなり、一気に森の色が濃くなる。
ゴブリンたちの住まう村とは違い緑の匂いがする。
ゴブリンは臭いのだ。
臭気が充満した村を過ぎたユピーは解放感に満ち溢れていた。
ユピーの目的地はゴブリンの村の外れにある、開墾されていない伐採地だ。詳しい場所を知らされているわけでもないので、ユピーはのんびりと歩きながら探しまわることになる。
特に急いでいるわけでもないので、ユピーはゆっくりと歩きながら頭の中で思い浮かべる。
思い浮かべることと言えば、ユピーが襲われた場合、どういうふうにゴブリンを料理しようか、ということだ。
【火炎/フレイム】で焙るのもいい。【氷柱/アイシクル】で串刺しにするのもいい。【風刃/ウインドエッジ】で切り刻むのもいい。【土牢/アースフロー】で地面に沈めるのもいい。
ユピーは嗜虐的な笑みを浮かべることを止めることなどできなかった。
久しく戦闘をしていないのだ。ユピーは弱いものイジメは好きではないが、今日はやってもいい気分であった。
とても危険な思考に没頭しながらユピーは歩いていたが、その思考は停止することになる。
ユピーの視界の中は林立する木々と、青い空、後は空を気ままに流れる雲くらいしかなかったのだが、突如、遠くに『にゅっ』と木が伸びたのだ。
そして、木は倒れていった。とてつもない大樹。ユピーの背丈の何倍もありそうなそれが倒れたにも関わらず、物音一つしない。
それを見て、感じて、気づいて、ユピーは驚きのあまり立ち止まらざるを得なかった。
「今の――何?」
思わず言葉が漏れてしまったことをユピー自身気づいてはいない。
何度も何度も『にゅっ』と大樹は伸びては倒れ、伸びては倒れを繰り返す。規則的に、狂うことなく繰り返されるそれはユピーの好奇心をとてつもなく刺激した。
背にある太陽光を反射して淡く輝く一対の羽を使い、ユピーは空を舞う。
邪悪な妖精と言われるピクシーが空を飛ぶ姿はとても幻想的だ。見る者を魅了する力がある。ユピーはピクシーの中でも一際美しいだけあって、とてつもなく輝いていた。が、誰も見ていない。
ふわふわと空を飛び、ユピーは空から何度も立ち上がっては倒れていく木を探した。それは一瞬で見つかった。小さな何かが木を振り回しているのがユピーには見えた。
「まさか――あんなデカイ木を振ることができる人がいるの?」
ユピーは感嘆の吐息を洩らし、急いで現場へ向かった。
ピクシーの空を駆ける速度はとてつもなく速い。彼我の距離はおおよそ1kmはあろうかというものであったが、その距離はわずか30秒ほどで駆け抜けてしまう。
木を振り回している何かの上にユピーは辿り着き、見下ろしながら観察した。
そこにいたのはゴブリンだった。100cmを少し超えたくらいのゴブリン。
大きな頭に異様なまでに太い身体をした小さな身体だ。肌は浅黒く、額からは捻じれた角が一本生えている。腕はとてつもなく太い。
だが、そんなものは問題ではなく、そのゴブリンはゴブリンではあるが、とてつもなくゴブリンっぽくなかったのだ。
理性のある切れ長の目、硬く結ばれた唇。下品なところのない、精悍な顔つきだった。
そのゴブリンが犯人だったのだ。
「300! 301! 302! 303!」
と腹から出ている大音声で数を叫びながらひたすらに木を振っている。
その木は実にユピーの身長の6倍超。こんなものを振れるゴブリンがいるということにユピーは感動すらしていた。
ユピーはこれまでゴブリンのことを卑下していたが、己を鍛えるゴブリンがいるということを知り、少しばかりゴブリンという種族の認識を修正した。
「中にはまともな奴もいるってわけね」
淡々と繰り返される大木による素振りをユピーは真上から見学していたが、ピタッ、とゴブリンは動きを止めてしまった。
じろり、とゴブリンはユピーのほうを見上げている。心なしかゴブリンの頬が赤く染まっていた。
ゴブリンが気づいたことを確認すると、見学を止めてユピーはゴブリンの隣に降り立った。すとん、と軽快な音を立てて。
着地したときに生じる風の流れにより、ワンピースの裾がひらり、と舞い上がってユピーのパンツが衆目――ゴブリンに晒される。ゴブリンは釘付けだった。
その視線を感じながらもユピーはにこやかに微笑みながらゴブリンに話しかけることにした。ユピーよりもかなり身長が低いので、膝を曲げて視線を合わせて、だ。
「こんにちは」
ユピーは少しばかり緊張気味だ。ひらひらと羽を動かすのはユピーが緊張しているときの癖。本人に自覚はないが、とても警戒しながらゴブリンに話しかけている。
かくいうゴブリンはユピーに対して興味を失ったかのように、ぷい、と目を逸らすと、また木を振り始めた。
先ほどとは違い、黙々と木を振る。
木が振り落とされるたびに強烈な風が巻き起こり、ユピーの身体に叩きつけられる。
ぶうん、と凶悪的な音を奏でるのを聞きながらユピーは顔を歪ませていた。不愉快だったのだ。無視されたことが。
淡々とこなしているゴブリンに対し抗議の視線をユピーは向け続けていたが、全く相手にされなかった。
その間、実に5分。ユピーの堪忍袋の緒が切れるには十分な時間だった。
綺麗なオデコに青筋を立たせ、ゴブリンに近づいて見下ろす。膝など曲げず、ユピーは怒りに染まった瞳でゴブリンを見据えて――脳天に手刀を落とした。
ビシッ、という間抜けな音が森の中にこだまする。そこにはゴブリンの頭にチョップを叩きつけて、逆にダメージを受けているユピーの間抜けな姿があった。痛みに悶えている。
ゴブリンは木を振うのを止め、困惑しながらユピーを見ていた。キッ、とユピーはゴブリンを睨みつける。
「良い度胸しているじゃない? 私の自慢はね。私に敵対してきた者は全員叩き潰してきたことなの。そしてね。敵っていうのは貴方のことよ。私のことを無視するなんて――本当良い度胸してるじゃない? その喧嘩買ったわ! ボコボコにして――「こんにちは」――は?」
唐突に挨拶をされてしまい、ユピーは戸惑った。返事を待たず、ゴブリンはすっと目を背けるとまた素振りを開始した。
木が振るわれるたびにゴブリンの手が木の幹に食い込んでいく。メキ、ボキ、と響いてはならない音がユピーの耳に幾度も届く。
その不愉快な音によってユピーの麻痺した思考が再び動き出した。
ゴブリンの行動パターンがユピーの知る行動パターンの一つと全く同じだということに気づいてしまったのだ。
ユピーは注意深くゴブリンの方を見つめる。
木が振われるたびにゴブリンはちらちらとユピーのとある部分へと熱い視線を送っている。巻き起こる風で翻ったユピーのワンピースの中にあるモノを必死に見つめているのだ。このことにユピーは気づいてしまい、ニタァ、と下品な笑みを浮かべる。
ユピーはこういう男の子をしている者をからかうのが大好きだ。
大きく振われた木が巻き起こす風の悪戯を、ユピーはワンピースの裾を手で押さえつけることによって聖域を見られることを防ぐ。がっかりとしたゴブリンの表情がそこにはあった。
「ねぇ」
ユピーは笑いを堪えながら、声を出す。
ゴブリンは呼びかけに反応し、無言のままユピーを見た。
「パンツに興味あるの?」
ぶほっ、とゴブリンは噴出してしまう。どうやら図星のようだった。
ゴホンゴホンと咳き込みながら、ゴブリンは真っ赤になって首を振っている。ユピーはその行動を見て、とても楽しそうに笑う。
その笑いを否定するかのようにゴブリンは口を開いた。
「き、興味なんてないぞ! 俺は前世から――剣に生きることを誓っているんだ!」
ゴブリンは先ほどまで握っていた木を背後に放り投げて身振り手振りで必死に否定している。ユピーはゴブリンの言い訳など見ずに、軽い動作で放り捨てられた木の末路に釘付けになっていた。他の木をなぎ倒しながら落下する木はなかなかに壮観だ。
地面が揺れる。木が落ちたのだ。とてつもない重い音。自然とユピーは身が竦んでしまったが、気を取り直してゴブリンのほうを見る。まだ言い訳をしていた。
「まぁ、何を言おうと貴方が私のパンツを視姦していた事実は変わらないわ。スケベ」
「女ァ! お前は俺を愚弄する気か! 俺がスケベなどと――「ほれ」――グハァッ!」
ユピーは自らの手でワンピースの裾を翻した。ひらり。
ゴブリンは顔を真っ赤にしながらもとてつもない集中力を感じさせる熱い視線をユピーのパンツに向けていた。にやり、とユピーは笑う。
「スケベなどと――何だって?」
「俺の名前はユウト。お前も名乗れ。侍である俺を侮辱した罪――贖って貰う!」
ユピーの笑顔が気に食わなかったのか、ユウトと名乗るゴブリンは地団駄を踏む。
そのせいで大地は揺れるが、全くユピーは動じない。恥じらう男子はユピーの大好物だ。ゴブリンなどという種族など関係なく、ユピーのからかう獲物に過ぎないのである。
「ユピーだけど。とりあえず木を運んでくれない? 貴方が木を運んでくれるゴブリンなんでしょう?」
「どこまで人を虚仮にすれば――ッ!」
「否定はしないのね? じゃあ、さっさと運んでくれない?」
こういうタイプは案外律儀であることをユピーは知っている。
だから、こういうふうにすれば案外――
「後でだぞ! 後で絶対に俺がスケベじゃないことを証明するからなっ!」
「はいはい」
ぞんざいに扱いながらユピーは頭の中でこんなことを考えていた。
「良い玩具見~つけた」
幸せそうな微笑みをユピーはしていたのだった。
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