⌛️——恋人たちの、それから——⏳ All cast version

【京都の春】「哲学の道」ー桜の樹の下で(全員集合)

 東山のふもとに「哲学の道」という、疎水に沿って南北に行く小道がある。南は「南禅寺」近くの「若王子橋」から、北は「銀閣寺」の「銀閣寺橋」までを指して言う。

 南の端、「南禅寺」裏の「水路閣」には遠く琵琶湖から流れ着いた水が「蹴上浄水」を通ってそこに流れ込み、さらに「哲学の道」沿の疎水に流れ込んで来るのだ。つまり、春先の疎水の水は、比叡の雪解け水だって含まれているかもしれないのだ。


 今年の小道の桜も、今——、とばかりに咲き誇っている。


 東山の峰を背にして、俊は水彩画用の筆を背の低いイーゼルの上で動かしている。傍には大きくなったお腹を抱えるようにして、文庫本に視線を落としてルリが座っている。ルリは時折、俊の描く絵に視線をやり、目を細めている。


 疎水を挟んで、桜を見上げながら小道の散策を愉しむ人たちの流れは絶えない。


 真っ赤なライダージャケットを着た女の子の腰に手を回して、緩みっぱなしの顔の青年とか、和服姿の女性の傍をスーツ姿で歩く男——何か理由ワケありのカップルかもしれない。

 夏でもないのにストローハットを被った女性の後を腰巾着みたいに付いて歩くちょっと冴えない男とか——。

 ルリは、時折、文庫本の細かい文字から視線を上げて、そんな人々を観察し愉しんでいる。


 疎水には、何箇所か小さな石橋が架かっていて、そこを渡って東山の麓の寺などを訪れるのだ。例えば、「法然院」とか「永観堂」、そして、「若王寺神社」だとか———。


 時折、その小さな橋を渡って、さりげなく俊の描く絵を背後うしろから眺めていく観光客がいる。


 俊が描いてるのは、小道に咲く桜の樹のトンネルと、疎水の水面で戯れる水鳥たちだ。それは、パレットの上で出番を待つ春色の絵の具でゆっくり仕上げられていく。


 朱鷺とき色や、檸檬れもん色ほど酸っぱくない薄い黄色の女郎花おみなえし色、淡い桜貝のようなピンクは一斤染いっこんぞめ色、透明感にしゃのある薄い水色は勿忘草わすれなぐさ色、エメラルドグリーンほど主張しない、淡い緑は、青磁せいじ色——、そんな春の色たち。


 ——柔らかで、優しい色使いですね


 俊とルリが振り返ると、少し目に憂いを宿した中年の男性が立っていた。


 ——ありがとうございます。お一人、ですか?


 ルリは何気なく言った言葉に、しまった、と思ったけど、その男の反応は早かった。


 ——あ、いや……、連れが居ます。


 その男が、疎水を挟んで向こう側で佇んでる女性に視線を向けたので、二人とも同時にそっちに顔を振った。

 パステルカラーのワンピース姿のその女性は、胸のあたりで小さく手を振って、綺麗な笑顔をその男に寄越していた。


 ——実は、再婚の、、、いや、結婚の記念旅行なんです。


 さっき、その男が携えていた憂いのある目は、どこかに消えていた。


 ——ああ、そうでしたか。綺麗な奥さんですね……、おめでとうございます!


 ルリは少しホッとして、小さく笑顔を作ってその女性に会釈した。


 ——いつですか?


 男が、ルリの大きなお腹を見て尋ねた。

 ——七月の七日辺りです!


 ルリが返事する前に、俊が嬉しそうに答えた。


 ——そうですか、お大事になさってくださいね。じゃぁ……


 そう言って男は小橋を渡り、待っていた女性の手を握って小道を南に向かって歩き出した。もう一度、二人して小さな会釈を寄越して呉れた。


 ——なんだかわからないけど、幸せそうで良かったね

 ——うん、みんないろいろ、なんだな……


 俊は、そう言って、疎水の向こうの人の流れを見遣った。


 そしてまた、若いカップルが小橋を渡って二人の後ろに遠慮気味に立って、絵を眺めている。


 ——中国にも桜はあるけど、やっぱり日本の桜はどっか違うのねー

 ——桜は同じだけど、きっとその背景が違うからそう思うんじゃない?


 香月カツキ桂花ケイカは視線を俊の絵に注いだまま、言葉尻の重い話をしている。


 ——かもしれないね。でもね、やっぱりこんなに優しい色じゃない気がする


 桂花は少し前のめりになって、俊の絵を覗き込んだ。


 ——中国の方ですか?


 ルリは、二人の会話が耳に入って、またお節介にも語りかけてしまう。ルリのこういう開けっぴろげな唐突さは変わってないな、と俊は小さく苦笑いをした。


 ルリに訊かれて、桂花はハッとして身を起こした。


 ——あぁ、ハイっ。四年ほど前まで、ここ京都に留学してたんです。

 ——そうですか……、お隣は、カレシさん?


 桂花は、ぽっ、と頬を桜色に染めて、小さく頷いた。


 ——じゃ、今は一緒に日本で?


 俊は、左の肘で軽くルリの二の腕をを打って

 ——ルリっ、お節介が過ぎるぞッ!


 俊にちょっぴり叱られて、ルリは肩を細くした。


 ——中国の両親がなかなか許してくれないんです。


 桂花が、平気ですよ!——、と言わんばかりに空気を読んでくれた。


 ——そっか……、でも好き同士なんでしょ?

 ——ハイっ!


 桂花と香月の返事がシンクロする。


 ——じゃ、カレシさんが、頑張らなきゃ!、なんとしても説得しなきゃダメでしょ!

 ——おい、ルリっ!、お二人だって、色々あるんだよ、事情が……


 ルリはちょっとムキになって、俊の顔を覗き込んで言う


 ——俊だって、ウチに来てくれたじゃない、ウチのお父さん、説得してくれたでしょ!? 、画家だけど、きっと幸せにしますから——、って


 ——売れない、は余計だ!


 香月と桂花は見合って、ちょっと困り顔になっている


 ——あのぉー、すみません、私たちのことでケンカしないで……ください


 ——あっ


 今度は、俊とルリがシンクロした。


 ほどなくして、四人が同時に、ぷっ、っと吹き出して、ケラケラ笑いこけた。


 ——僕、行ってきます!、中国へ


 香月が、勢いよく宣言した。


 ——うんッ!、よく言ったゾ!! カレシ!


 そう言ってルリは俊の膝をパンと叩いた。


 ——イっ……ッテー


 ルリが慌てて俊の膝をゴシゴシ撫でるのを、香月と桂花は微笑ましく、そして穏やかな眼差しで見守っていた。


 京都には、色んな人が、色んな思いを持ってやって来る。時にはそこで新しい恋が始まることもあるだろう——。

 そうやって、生まれた恋を、では桜が応援してくれる。



 新しく生まれてくるもの、新しい歩みを進めるもの、希望の未来を夢見て空を見上げるもの——、そんな人々を、桜ははな削っておとして応援してくれているのかもしれない……。



 


 千三百年の歴史がある京都——。

 その懐は深く、その表情は四季折々。


 そんな京都を愛してやまない人々は、日本人だけでは、あるまい———。




【京都の春】「哲学の道」ー桜の樹の下で。   了


                    千葉 七星




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る