【大寒】「鹿苑寺金閣」五十年目の約束
【大寒】冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也(暦便覧)——。
「二十四節気」最後の「節気」。新暦の一月二十日ころ。
一年で一番寒い時とあるが、実際はこれより先が一番厳しい冬なのである。
北の地は深い雪に埋もれ、大地は凍てつく。此処、京都でも、しんしんと冷え込んできて、人々の家路に帰る足を急き立てる。
京都市北区にある「鹿苑寺」は「金閣寺」の名前で有名だ。東山にある「銀閣寺」と合わせて室町建築の遺構だ。
「金閣寺」の荘厳な雄姿はあまりにも有名だが、その中でも厳冬の雪の日の姿は格別だ。
「金閣寺」の三層の楼閣に、真綿のように雪が降り積もり、その上にまたしんしんと雪が舞い降る姿を見ていると、京都の歴史の奥深さを感じさせてくれる。
「歴史と伝統」の重みとでも言うのだろうか、その姿に対峙すれば背をピンと延ばしたくなるので不思議だ。
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——今日は、「大寒」ですよ、おとうさん
——ん? なんだ、その「大寒」って
——「二十四節気」の一番最後の「節気」ですよ
——ふぅ……ん
「節気」に終わりはない。ただ二十四番目だということだ。二月になれば、また新しい「節気」がはじまる。
——今日で、最後なのか?
——違いますよ、二十四番目というだけです。また新しく始まります
「鹿苑寺」の舎利殿が、この冬一番の寒波で、雪に覆われ白銀の世界に埋もれている。細かい雪が、音を忍ばせ空から途切れることなく落ちてくる。落下傘がゆらゆらと舞い降りてくるように、時間をかけて——。
河北正夫と妻の陽子は、結婚して五十年目になるこの日、二人が知り合った場所である「金閣寺」を訪れていた。夫の正夫は喜寿を過ぎて八十の齢を迎えると途端に足腰が弱くなった。
今も妻の陽子に脇を支えられ、片手に杖をついている。
——「大寒」だけあって、冷えますねぇー、もう帰りましょうか
——いや、もう少し……
正夫は陽子に寄りかかるようにして、雪の「金閣寺」を眺めている。それはこの五十年の間も此処にあって、幾多の風雪に耐え、季節折々の美しさを見せてくれてきたに違いない。五十年前に、此処で妻と知り合って結婚したけれど、それから一度も訪れていなかった。タクシーやバスを使えば三十分も掛からないのに。
正夫は、最近「死」を強く意識するようになった。人間はその肉体が弱り始めると「死」を意識し始める。自分が生きてきた八十年近くの年月を白銀の世界の向こうに映し出して振り返っていた。
人間、五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり……
一度、生を享け、滅せぬもののあるべきか———。
千三百年の歴史の京都に比べれば、自分の一生がなんとも短く儚いものだと想いながら、「敦盛」を舞う信長の姿を想いやった。
——おかあさん……、ありがとう、な
——え?
陽子は、夫の正夫が誰に「ありがとう」と言ったのかわからなかった。この五十年の間に夫の口から自分に向けられて「ありがとう」とはっきり言ってもらったことなど一度もなかったのだから——。
——もう、ちょっとだけ、よろしく、な………たのむ
——はい、はい
陽子は夫が「死」というものに近づいてることを感じた。さもなくば、こんなにも弱い言葉を聞いたことがなかったから。
——おとうさん……、「節気」のたびに、来ましょうよ、ここに
——年に二十四回も、来るのか?
——ええ、だって、この五十年でたった一度しか来てなかったんですからね?
陽子は夫に強請ることで、この先何度、此処に二人で来れるかわからないけれど、夫が黄泉に誘われるのを少しでも遅らせることができるならと思った。
——次はいつだ?
——「立春」ですから……二月の四日ですよ
——ああ、まだ寒いんだろうな
——ええ、きっと寒いでしょうね……
陽子は、正夫の杖を持つ手に自分の手を重ねた。
——それでもね、季節は巡る、ですから。春がちゃんと待ってますよ
——ん、あの時も桜が綺麗だったな……
五十年前に此処に社員旅行でやってきた時に、そのバスガイドをしていたのが妻の陽子だった。「金閣寺」の桜の樹の下で、陽子の家の電話番号を強引に聞き出した自分の若さが懐かしく、ツンと鼻の奥が痛んだ。
——おとうさん、あの時はほんと強引でしたね
——なんのことだ……、知らん
——はい、はい
いつの間にか雪も止んでいた。
「鹿苑寺」の金箔に冬の日差しが反射して老夫婦の頬のあたりで揺らめいている。
——
——ん、それがいい……
陽子は、夫の脇に手を深く差し込んで一歩ずつゆっくり雪を踏みしめ歩き出した。それに応じて正夫も歩を進めた。
雪の上に残る二人が作った
【大寒】「鹿苑寺金閣」ー五十年目の約束 了
千葉 七星
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