【白露】「嵯峨野大覚寺」ー大沢池の月
【白露】、新暦の九月八日ころ。「二十四節気」の十五番目の「節気」
陰気ようやく重なりて露こごりて白色となれば也(暦便覧)
ようやく、朝晩の空気も涼しくなり、秋の趣がひとしを感じられる頃である。
暑かった京都にも、町屋の簾を揺らす風が冷んやりし始めて、鴨川の上流では蜻蛉の姿もちらほら見かけるようになって、川面から上がってくる風にいよいよ秋を想う。
京都「嵯峨野」の「大覚寺」は元は嵯峨天皇が離宮を営んでいた場所だが、空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされる。
嵯峨野「大覚寺」の「大沢池」は観月でも有名だ。
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久美は、昨年の秋に、「大沢池」の秋の行事である『観月の夕べ』に来たことがある。
今日、ふらりと「大覚寺」にやってきた——。
昨晩、拓哉と些細なことが原因で口喧嘩した。
理由は、拓哉が久美に黙って合コンに参加したことだ。
急に一人行けなくなって、数合わせだって。
行きたくなかったんだよ俺も——。
拓哉はそう言い訳するけど、帰ってきた時は、結構飲んでてご機嫌だったじゃない——。
わかってはいるけど、なんか悔しくてついネチネチと責めてしまった。
そしたら拓哉がキレちゃって、後は詰りあいになって、カッとなってアパートを出て来てしまった——。
拓哉は、久美より一つ上で、既に都内にある会社に今年の春に入社したばかりだった。久美は、同じ大学の後輩で、今は就活も終わって、残る大学生活をどうするか考えるだけだった。
久美と拓哉は二年前から吉祥寺の拓哉のアパートで同棲していた。
拓哉が眠っている間に朝早くアパートを出て来て、何も考えず「東京駅」まで来ていた。
卒業旅行にと貯めていたお金もあったので、「京都」までの新幹線の切符を買い、ふらりと来たのが、此処、「大覚寺」だった。
京都は、拓哉と初めて泊まりがけの旅行をした場所だった。
昨年の秋の「大沢池」の『観月の夕べ』を、一緒に見に来た。
「東京駅」でLineメッセージを一本だけ入れておいた。
——ちょっと「卒業旅行」かねてふらっと旅に出ます。心配しないで。
久美は、目の前の「大沢池」をぼーっと眺めながら、去年の観月のことを思い出していた。
夜空を見上げると見事な仲秋の月があって、池の水面にもそのまんま、もう一つ月が浮かんでいた。「幽玄の美しさ」を初めて経験した気がした。
あの時は二人して、何も語らず、ずっと手を繋いで月を見上げてた。
Line通知の電子音——。
——どこにいるの? はやくかえっておいで
——これからはもう ゼッタイ いかないから、ゴーコン
——ゴメン、クミ。かえってこーい!
久美は、拓哉からのメッセージを読んでいるうちに、自分はなんであんなにも嫌な女になって、引き際も
拓哉からのメッセージが途切れた。
もう一本、「ゴメン」とか「大好きだよ‥‥」とか、そんなメッセージが来たら返信して、自分も謝ろうと思ってた。
けど、それっきり「通知音」は鳴らなかった。
十五分、三十分……,一時間が過ぎていった。
急に、久美は胸がキュっと痛くなって、心細くなってきた。
まだ、「京都」には一人旅で来るほど大人じゃないと気がついて、ちょっと震える指で、Lineメッセージを送った。
——タクっ、ゴメン、ゴメンね。
——あんなにも、必死にクミのご機嫌とって、謝ってくれたのに‥‥‥
——しつこく、いっぱい……嫌なこといっちゃったね。
久美は拓哉が愛しくなって、何本もメッセージ入れるけど、その返信は来なかった。
——タクっ! お願いってば、なんか言ってぇーー!!
メッセージ画面はずっとスクロールしないまま、薄暗くなりそして真っ黒になった。
スマホの画面に大粒の涙が落ちて久美は肩を震わせて泣いた。
拓哉を失いたくない——。
ゴメン、拓哉——。
すぐ帰るから、待ってて、お願い——。
そんなことを心の中で叫んでいた。
久美の細い背中に秋の夕暮れの風が物悲しくとおりすぎていく。
覚束ない足になんとか力をこめて立ち上がろうとして体がふらついた。
アッ—————!?
ふわーっとして、温ったかくて、懐かしい匂いがして——。
久美は、拓哉の腕の中で抱かれていた。
——やっぱ、此処しかないと、思ったんだ
京都は、すっかり夜空になっていた。
仲秋の月ではないけど、二人で見る月は………愛しく、綺麗だった。
【白露】「嵯峨野大覚寺」ー大沢池の月 了
千葉 七星
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