【小満】「高瀬川」ー惚れた男

小満しょうまん】、新しい暦では五月二十一日ごろ。


「二十四節気」八番目の「節気」で、陽気がよくなって草木がよく成長し、農家では田植えの準備が始まる。


「木屋町通」は江戸時代に角倉了以により開削された人口川の「高瀬川」沿いに北は二条通り、南は七条通りまで続く京都市内を南北に走る道だ。


「高瀬川」べりには桜の木が植えてあって、春には川面が桜色に染まり伏見に向かって桃色の花びらが流されていくのは、感傷的でもあるけれど、その「情緒」深さは京都でしか味わえないかもしれない。「木屋町通り」を東西に交差する場所には小さな石橋が架かっていて、橋の欄干のそばに「高瀬川」という石標が立っている。そしてその横で「しだれ柳」が季節折々の風に吹かれて揺れている。


「木屋町通四条」辺りの石畳に立って「高瀬川」の緩やかな流れを眺めていると、五月の爽やかな風が「しだれ柳」をふわり、ゆらり揺らして抜けてきて、頬を撫でてくれる。


 .................................



「木屋町四条」を東に少し入ったところに、会員制のラウンジ『高瀬』がある。

 冬子はそこのママで、四十を過ぎても尚色香増すばかりで、地場の旦那衆や、大阪、京都の会社の役員クラスの男たちが、冬子ママ目当てにやって来る。


 冬子には、二十歳になる娘が居て、母一人子一人で、ずっと京都で生きてきた。その父親が誰なのかは娘のも知らないし、あえてひかりも聞きたがらなかった。

 ひかりは、短大を卒業してからはプロゴルファーを目指して京都郊外のゴルフ場で「研修生」として働いていた。時にはキャディーの仕事をすることもあった。


 ——おかあはん、聞いて!今日なぁーめっちゃカッコええ叔父様オジサマのお客さん来てはってな、ひかり、惚れてしもたわ……

 ——なこと言うてんと、しっかり練習しよし

 ——話きいてよ、聞いたら、おかーはんも惚れるよ、きっと


 ひかりの話はこうだった——


 大阪の商社に勤める五十を過ぎた男と、三十代そこそこの若い社員が、ひかりの所属するゴルフ場で顧客を接待ゴルフに招いていたのだけど、その若い社員が、今日は調子が悪いのか、やたら機嫌が悪くて接待そっちのけでブツブツ文句言ってはキャディーのひかりに当たり散らしたらしく——


 ——見るからに右向いて立っててOB連発してからに、クラブのせいにするし、パットが入らんのを私の読みが悪い言うて拗ねよるし、ほんま、いけすかん客やねん


 ——ふぅーん……


 で、午前中のプレーが終わってクラブハウスで昼食取る際に、その上司らしき男がその若い社員を顧客には見えないところで叱っているのを聞いたらしい。


 ——そのひと……こない言うて、その若い社員さんを叱ったはってん


『お前の今日の仕事は何だ?お客さんにゴルフ楽しんで帰ってもらうんが、俺たちの仕事じゃないのか? いくら、ゴルフが上手くても今日のお前は営業マンとしては最低だ。それと、キャディーさんに八つ当たりするのは論外や、人間の大きさって言うのは、相手が弱いもの、絶対反攻して来ないものを前にした時の態度に出るんだ。

 何も言えないキャディーさんに、お客さんの前で悪態をつくなんて、それは社会人としも、男としても最低だぞ! 男は弱いものを守るもんだろっ! 』


 ——って感じでね? 盗み聞きしようと思たんちゃうけど……、ひかり……涙出たわっ


 ——へぇー………男はんやなー


 ——せやから、ひかりな、こっそり支配人さんに、のこと聞いてん。そしたらやっぱり、大阪の『丸井物産』の営業部長さんやった。佐川さんて、言うらしい。


 冬子の肩がぴくりと動いて後れ髪が微かに揺れた。


 ——ほんでや、極め付けはプレー終わって、クラブハウスに引き上げる時にな、チップ呉はって、ひかりに謝ってくれはってな……


 ——(……)



 ——————————


 ——今日は、ごめんな、うちの若いのが態度悪るーて、気悪かったやろ? 

 ——いえ、お客さんですから……

 ——けどな、今日はうちも、お客さんの接待やったしな……君、ここの研修生?

 ——はい、プロになるために置いてもらってますっ

 ——そうかー、それやったら、あれしきのことで泣いたらあかんで、泣くのは、プロなって優勝してからにしなさい


 その男は、ひかりが部下の社員に罵られ続けて、9ホール目のティーグラウンドでついに我慢できず涙を零したのを見ていたのだ。


 ——あ、余計なお節介か……、じゃ、今日はありがとう!

 

 そう言って爽やかな笑顔を残してクラブハウスに消えていったのを、ひかりはずっとその厚い背中と一緒に見送っていた。

 


 ———————————


 ——なっ、どう? ええ話やろ? 惚れてまうやろ?

 ——せやな、惚れるな……、そら……惚れるわ……


 冬子はその先を飲み込んで、娘の浮かれ惚けた顔を横目に立ち上がって


 ——さっ、お店いかんと!



 冬子のほつれた後れ髪の下がほんのり桃色に染まっていたのを、ひかりは知らない。

 

 お母ーはんが、一生かけて惚れた男やし——


 当たり前やん……


     あんたの、おーはんやもん——。



【小満】「高瀬川」ー惚れた男  了


                 千葉 七星




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