【穀雨】「東寺」ー瑠璃色のAntique

【穀雨】、新暦では四月廿日頃。


「二十四節気」六番目の節気で、この頃に種を蒔けば、柔らかい春の雨に恵まれて穀物がよく育つそうな。


 新幹線で、東京方面から京都に来ると真っ先に「京都タワー」が車窓に見えてくる。そして、ホームに立つと「東寺」の五重の塔の尖塔がホームの端から見えて、京都に来たんだなと、教えてくれる。


「東寺」は「教王護国寺」と呼ばれ、平安時代に、嵯峨天皇から空海上人(弘法大師)に給預され、以後王城鎮護の役を担う。古くは「西寺」とともに、都の羅城門の東と西を守っていたが、「西寺」は消失を繰り返す中、廃れ今はその姿はない。


 この「東寺」では祖師空海入寂の三月二十一日を期して毎月二十一日に「弘法さん」というが開かれ、多くの人で賑わっている。そしてもう一つは、毎月第一日曜日に「骨董市」が開かれこちらも求めて来るマニア以外にも人気があった。


 炭谷孝介スミヤコウスケは逸る気持ちを抑えて、「京都駅」から「東寺」に向けて歩いていた。今日は、「東寺」の境内で毎月第一日曜日に開かれる「骨董市」があるのだ。


 境内に足を踏み入れると、既に多くの老若男女で賑わっていて、孝介はいつも覗く骨董を扱っている店へと急いだ。

 その店のオヤジの目利きは確かで、いつも良い品物を孝介に紹介してくれる。

 孝介は骨董品でも特に陶磁器の収集が中心で、他のものには興味もなく、いつも訪れる店は限られていた。


 ——やぁ、こんちわ

 ——おお、来たか

 その店の主人は、禿げた頭を毛糸ニットの帽子で隠し、茣蓙ござの上に品物を所狭しと並べ、その奥にどっかり座って客の相手をしていた。


 ——なんか、ある?

 ——そうさなぁ、今月は品薄であんたに見せるもんはないなぁー

 ——とか、言って……隠し玉あるんだろ? 焦らすなよ、おやっさん


 店の主人は薄く笑って目尻の皺を深くした。


 ——あるんだけどな……、あるには、ある

 ——じゃ、見せてよ

 ——いやさ、先客があんだよ


 主人は腹巻の中にでも隠し持っていたかのように、どこからともなく小ぶりの木箱を出して来た。


 ——あんたが見たら、きっと欲しくなるよ。だから見せたくないんだな

 ——ほぉー、そんなに逸品か?

 ——めったに、出ないな、こういうのは


 そう言って、主人はその薄茶けた木箱を開けた。

 中から出てきたのは、瑠璃色の茶碗だった。「古伊万里」の中でも「瑠璃るり」と呼ばれる深い瑠璃色の一品だが、その瑠璃色の深さが深いほど逸品とされている。


 ——チョ、ちょっと、見せてッ!


 孝介は一瞬にしてその「瑠璃」の虜にされた。

 息を吸うのも忘れ、手の中でぐるぐる回して見入った。深い瑠璃色だけれど、その奥に何とも言えない気品ある青が隠されているようで、今まで見た「瑠璃」にはない深い味わいがあった。


 ——おやじ、コレ呉れっ、幾らだ!

 ——いやぁー、だから見せたくなかったんだ、アンタにゃ


 この主人も孝介とは十年来の付き合いで、最近では自分も顔負けの目利になっていることを知っていた。


 ——で、その先客ってどこに居るんだよ? おれ、交渉するわ


 ——それが、まだ来てねぇー


 主人が言うには、先月の「市」に来た女の客で、孝介と同じくこの「瑠璃碗」を一目で気に入ったのだが、主人の言い値の金の持ちあわせがなく、来月きっと来るからそれまで「取り置き」しておいて呉れないかと言って、三万円を主人に握らせて帰っていったらしい。


 ——ふぅーん、それほど気に入ってたか……

 ——あぁ、だから俺も商売人の端くれだ、義理は果たさなきゃけいかん


 孝介はもう一度その「瑠璃碗」に視線を落として、大きく息を吐いた。


 ——あぁ、ちくしょー、これ……すっごいよ?オヤジ

 ——ああ、オレもこの商売はじめてこれ程の「瑠璃」見たのは初めてだ


 孝介はどうしても諦めきれず、その女の客を待つことにした。


 昼過ぎになって、ようやくくだんの女が現れた。走ってきたのか息を切らしながら両膝に手をついて二人の前に立ちしばらく息を整えている風だった。


 ——おじさん、来た、、、よっ、ハァ......ハァっ


 孝介もなぜかオヤジの側に座っている。


 目の前の女性客は黄色の花柄のフレアスカートに大きめの白のシャツをふんわりと着て、袖を二つ三つ手首で折り華奢で白い腕を覗かせている。

 足元は鮮やかなレモンイエローのサンダル———そんな彼女の姿に孝介は見とれていた。


——あ、来たね? 取ってあるよ、ちゃんと

——ありがとう、おじさん!


 そう言って、女の客は五万円を主人に手渡した。


——これで、よかったかな?


——はいはい、預かってる三万円と合わせて、八万。間違いないよっ


 そう言って、主人は木箱を大事に新聞紙で包みビニール袋に入れて手渡そうとした……、のを、孝介が止めた。


——まった!、待った、待った!! ちょっと、まって!


 女は、主人の横に座っている男に顔を向け、その男がかざしている右の手の平に視線を投げつける。


——なんです、カ?


——あ、いや、その.......それ、俺に譲ってくれないかな。十万で買取るから!


 女はじっと男の顔に視線を向けたまま、一言。


——嫌っ!デス 


幾ら積まれても、ヤ、デス!!といった勢いだった。


 しばし、二人で、店の前で大声で悶着しているのを主人が堪りかねて


——おいおい、商売の邪魔だからもう、あっちでやってくれよっ


 主人の弱り切った顔を見て二人とも押し黙ってしまった。それから、女は孝介を振り払うように主人に一礼して腰をあげ、さっさと人混みの中に消えて行った。

 慌てて、孝介もその後を追って走り出す。


雑踏の向こうから、また聞こえて来た。


おねがいっ!! ヤダ!!  おネ…ヤ……っ——。


主人は厄介もん払いできたと、両の息の穴から息を吐いた。


ーーーーーーーー


「東寺」の境内にも蝉が鳴く季節になった。


骨董屋の主人あるじは、気になっていた。

ここ三ヶ月ほど、あの骨董好きの青年が顔を見せにやってこないのだ。


 確か四月の「市」だったか、此処で「瑠璃碗」を女の客と取り合ってたのが最後で、あの男がこの「市」に顔を見せないことは今までに無かったので、体でも壊したのかと心配していた。


 上目で夏の青い空を見ながら、そんな思いを巡らせていたら。


——おやっさん!


 噂をすれば、何とやらで、しばらく聞いてなかったあの青年の甲高い声が飛んで来た。


——なんだよー、いま、アンタのこと……、あッ


 孝介の後ろにはストローハットを被ったあの女の客が立っていた。


——「瑠璃碗」手に入れたよ、おやっさん!


——ほぉー、じゃ、譲ってもらったんだな


 孝介の後ろから見えない声が飛んで来た。


——譲ってませんよ———っ!、あれはワタシの宝物ですからねっー


 主人は青年と女の客の言ってることが辻褄合わないので、口元を歪めて

問いかけた。


——どう、いう……こっちゃ?


 

——がね、成立したのよ、やっとネ


 青年の薬指に光るリングが夏の日差しを受けてキラキラしていた。



 今、あの「瑠璃碗」の居場所が何処なのか合点し、主人は日差しで焦げそうな禿げ頭をツルツルと撫でて、ぽっくりと、頷いた。




 【穀雨】ー「東寺」瑠璃色のAntique  了


                  千葉七星

 

 




 

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