【清明】「栂尾高山寺」ーこの私の愛よりも?

【清明】は「二十四節気」五番目の「節気」。新暦では四月五日ころ。


 草木は新芽を吹き、花が咲き誇り、鳥は歌い、空は青く澄み、すべてのものが春の息吹を謳歌する時。


 京都の奥座敷「北山」を、高岡和也は車窓の「北山杉」を愛でながら車を走らせている。

 「周山街道」と呼ばれるこの道は現在の国道「162号線」に当たる。古くは若狭湾で獲れた鯖を京の都に一晩歩いて届けた道とされ何本かある「鯖街道」の一つである。


「高山杉」の美しさは川端康成著の「古都」にも出てくる。信州や岐阜などの野性味溢れる杉とは違って、その細身は凛として公家のように気高い。


 和也は、サンルーフから射し込む春の陽光を受け、一年前、妻とここをドライブした記憶を辿っていた。


 i-Podから流れる昭和の歌謡曲が鼻の奥にツンと響いた。


 ———なのにあなたは♪、京都に行くの?

 京都の街はそれほどいいの?

 こーのぉー♫、わたしのぉ♪……愛よりもぉ〜〜ぉ♫———



 あの時、妻の紗季は和也の隣で軽い寝息を立てていた。


 ——紗季、ほら、「北山杉」が綺麗だよ?


 フロントガラスの向こうには、急斜面な山肌に青い空に向かって力強く伸びる「北山杉」の一群があった。


 紗季は和也の言葉に促されゆっくり目を開いた。


 ——綺麗だね......細い身体なのに、力強く伸びてるね……


 紗季は痩せ細った身体を起こしてじっと見入っていた。


 その「中川地区」を抜け「道の駅」でUターンして、162号線を京都市内に向けて戻ると、右手に「高山寺」が見えてくる。世界遺産登録されていて、あの「鳥獣人物戯画」でも有名である。


 表参道の苔むした石畳を紗季を背負って登っていくと国宝の『石水院』があった。ここは秋の紅葉が綺麗で観光客で賑わうが、春のウィークデーは観光客も疎らで静寂を楽しめた。


 和也は紗季を『石水院』の軒下の縁側に自分に寄りかかるように座らせ、静寂の時間を共有した。草も木も若緑に萌え、鳥は今とばかり歌っている。

 紗季が、鼻歌で歌った。


 京都ぉ♪〜栂尾、高山寺ぃ〜〜♫……恋に疲れた女がぁ♫一人ぃ———


 ——古い歌だね

 ——けど、好き、この歌。特に二番の「高山寺」のが

 ——恋に疲れちゃったの?


 和也が戯けて言うと、紗季が笑った。


 ——うん、もう和也と居るのに、疲れたよ


 今まで鳴いていた鳥が鳴くのを止め、山から降りて来た冷んやりした風が紗季の髪をはらはら揺らしている。

 長閑で静かな時間がゆっくり過ぎて行った。


 それは京都を愛し、京都に恋した男が初めて妻を京都に誘った日だった。


 ーーーーーーーーーーー


 和也は一年前に紗季と座った同じ場所に一人座って涙していた。

 隣に紗季はもう居ない。


 あの時、和也と居るのに疲れちゃった——と、言ってその一週間後に天に召されて逝ってしまった紗季。

 長い癌との闘いの末、ついに力尽きて。


 和也はぐずる鼻を気にもとめず、歌った。


 ———京都、栂尾高山寺……恋に疲れた、女が…… 一人......


 大島つむぎにつづれの帯が 影を落とした いしだたみ———



 紗季がいつも自分を置いて一人で京都に行ってしまう和也が恨めしくて、


 そんなに京都が好きなら京都と結婚しなさいよっ———と、言っては泣いていたのを思い出し深く嗚咽した。

 もう、喧嘩できる相手も居ない。


 きっと、来年の春も自分はここで一人泣いて歌ってるのだろうと、想った。


 少し向こうで手を繋ぎ肩寄あって座っている若いカップルが微笑ましく、眩しくて、羨ましかった。


 春は、新しい命が芽生える季節。

 鳥は歌い、草木は芽生え、空は澄み渡って青い。


 ——(あと何度涙が枯れたら自分に春が来るのだろう)


 ——ずっと、二人でね


 誰に告げるともなく、『石水院』を後にした。



【清明】(栂尾高山寺)ーこの私の愛よりも? 了

                        千葉七星







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