※少しだけ残虐な描写がありますのでご注意下さい。














 美しい青空、もとい。飽きの来るほどありふれた昼下がりだった。そよ風は心地よく吹き抜け、小鳥達は自由自在に空を飛び回り、そして可愛らしく小動物のイメージそのままの鳴き声でさえずるのだ。

 うっかり気を抜いてしまおうものならその辺の草むらに寝転がって惰眠を貪れそうな穏やかな日常が今日も過ぎようとしていた。


「……あー、今日もほんっとに退屈。つまんない」


 ゆっくりと過ぎる穏やかな時間。しかし、彼女の表情は芳しくない。本気で嫌気がさしているのは、その眉間を見れば一目瞭然である。引き寄せられたその双眸の間には、深いシワが刻み込まれていた。

 彼女、いや。彼というべきなのだろうか。…いいや、それすらはっきりと言葉で説明するのは難しい。

 性別のない、人間でも、動物でもないそれが彼らの総称である。

もっと掻い摘んで言ってしまえば、彼ら・あるいは彼女らは【半分人間・もう半分は怪異、あるいは妖怪の類】である。ヒトのナリに見えるが、ヒトでない。それが彼ら、なのだ。

 異形の名残をその身のどこかに必ず持つ彼らの生活は日々前途多難である。現に今この場に居るいきものも、とがった耳を持ち、頭部から水平に二本のツノが生えている。そして、右腕と左足は爬虫類のソレと近く、硬質な鱗に覆われているのだった。


 秋桜コスモス色の長い髪は風によくなびく。しかし、真一文字に切りそろえられた前髪は、ぺったりと額に張り付いて全く微動だにしない。


 



 そよそよ、そよそよ。

 ああ、風が心地良い。






 心地良い、はずなのに。




 「お前らの所為で反吐が出そうだよッ!!」


 怒声と共に、人生の手に持つ斧が周り散らばる肉片を更に細かく裂いた。酷く耳障りな音がまた神経を逆撫でする。

 穏やかにと吹く風は確かに心地よかったのだ。それなのに、こいつらの血臭おかげで何もかも台無しだ。


 噎せ返るほどの生臭い鉄の匂いは、辺り一帯の空気に混ざりこんでしまっていた。


「僕が!!!何をしたって言うんだよ!!!!お前らに何もしてないじゃないか!!!」


 振り下ろされる斧。

 そして、その都度もはや怒声ではなく絶叫するように彼女は言葉を紡ぐ。


「僕が!僕らが!!何をした?!危害など加えなかったじゃないか!!!何でほっといてくれないんだ!!何故お前らは!!僕を!!僕らを!!必ず殺しに来るんだよッ!!!」


 まるで癇癪を起こした子供の、わがままの様な言い分。しかし、残念な事に、それも事実だった。


 人ならざるはその容姿を、畏怖され、疎まれ、嫌われ。

 人ならざるは人よりも優れた能力を持ち合わせる。


 故に。


 彼らは人間に害をなす前に、処分されるべきなのだ。



「寄ってたかって僕らを虐げようとするんだ!ほうっておいてほしいだけなのに!!君たちが僕らを殺そうとするから!!僕だって君たちを殺すしかないじゃないか!!」


 口から零れ出る言葉は今まででもう何度吐き出した事なのかわからない。

同じように、ただ静かに生きていたいのに。から生きる事を許されない。

彼らが望むのはただ一つだけなのに、このセカイの人間は彼らを排斥したくてしたくてたまらないのだ。

 無論、彼らを商売の道具として扱うもあるが、そこに売られたいきものたちの末路は、ごくわずかを除いて、悲惨な結末にしか至らない。


「あの掃き溜めのような場所からやっと逃げ出せたのに!!やっている事はあの頃と何も変わらないじゃないか!!!」


 ガンッ、と大きな硬い音がして彼女の動きは止まった。最後の一振りを終えた人生は肩で息をするほど頭に血が上っているようだ。

 何度も斧が振り下ろされてぐちゃぐちゃになった地面には、同じく原型を留めていないが地中にまでめり込んでいる。


その刃の半分を地中に埋めた斧を、力任せに地面から引き抜く。


「あーあ。欠けちゃったし…」


 斧の刃は見事になくなっていた。細かな欠けが無数にあり、もはや使い物にならないだろう。

 不機嫌を更に不機嫌にした彼女の表情は酷く殺気に満ち溢れていた。


 それでも。

この人生と呼ばれるいきものは、己が抱く殺意をまるで理解していなかった。


 刃を指先で撫でてはみるものの、やはり切れ味は皆無だ。こんな鈍、持っていても仕方が無い。

 ああ、イライラする。ああ、吐き気がする。斧はまた使い物にならないし、人間は絶えず僕らを殺しにやってくる。


「僕らが、何をしたって、言うんだ…」


 先程とは違う、消えそうな声だった。そんなか細い人生の声に、凛とした声が答えを返す。


「大暴れのあとは御託の雨か?まるで台風のようだな」

「睡蓮ちゃん」


 草叢の上のおびただしい赤を、膝から下が無いにもかかわらず器用に避けながら、睡蓮と呼ばれたいきものは軽やかに人生の前に降り立った。

 白に近い、金の髪。引き込まれるような紫の瞳。

そして、額の真ん中から伸びる一本の角は揺らめく炎のような色をしている。


「なにが『睡蓮ちゃん』だ!この大馬鹿者め!!」

「っ…いったぁ!!」


 跳躍を含んだ、鋭い拳骨が人生の脳天をこれでもかと振るわせた。不意打ちを食らった彼女は頭部を押さえながらその場にしゃがみこみ、その痛みの余韻に涙を浮かべている。


「こんなに手酷く屍骸を荒らしおって。また狙われる理由になるではないか」

「あー…」

「な に が『』だ。見てみろこの現状、いいやだ!『こんな事をする化け物は、殺さなければ他が危ない』としっかり理由を与えているではないか!」

「でも…!あいつらが先に!」

「私達からすれば、人間なぞ赤子と変わらぬ。ちょっと威嚇する程度でよいのだ。それをここまでコマ切れにして…お前は少し自制を覚えろ」

「…そんな事出来てたら始めからしてる!」

「威張って言うな。木偶の棒」


 大きな溜息を付く睡蓮を余所に、人生はでもでもだってと繰り返す。あいつらがさきに。あいつらがころそうと。あいつらにころされるくらいなら。あいつら、あいつら、あいつら、あいつら。人生の口から紡ぎだされる音には、必ずそれが入る。それを聞く度、睡蓮は彼女を出合った頃から何も変われていない哀れないきものだと罵るのだ。

 そして、その意味を真に理解することが出来ない人生は、また更に同じ過ちを繰り返すのだった。


「もういい人生。お前はさっさと帰ってそのどうしようもない服と頭を一刻も早くどうにかしろ。ああ、風呂に入るまで絶対に朧狼に近寄るなよ。あの子の鼻が曲がるからな」


 全く聴く必要のない、人生の理由話しを途中で止め、いらぬ考えを起こさせぬ様に思考を改めさせる。こういう状態の人生に、これ以上考えさせるのは得策ではない。

 睡蓮の言葉を聞いた人生はというと、ハッと顔を上げてそしてこの世の終わりと言わんばかりに顔を歪めた。


「そうだ!!血!!!ねぇ、睡蓮ちゃん!この染み落ちる?!!僕この間柘榴くんに染み抜きして貰ったばっかりなの!またやらかしたら今度こそ柘榴くんに殺される!!!」

「いっそ柘榴に殺されろ。そしてその頭の中の染みも抜いて貰え。そうだ、それが良い」

「冗談言ってる場合じゃないって!!!」

 

 ああ、もう!!とその見た目相応の慌て方をし始めた人生は、よっぽど柘榴と言ういきものが恐ろしいらしい。睡蓮の半身である柘榴はこと人生の粗相に対して睡蓮のはるか上を行く厳しさを見せる。

 以前は原因が何であったか定かではないが、あの物静かな言い回しの弟が怒声を上げるまで人生を叱りつけていた事を思い出す。


「なんだったか?『このクソガキ、いい加減にしないと明日の夕餉の材料になりますか』だったか」

「やだぁあああぁぁぁぁあ!!!!じっくりことこと煮込まれる!!!」

「ほう、ならば生餌になるか?私が責任もって喰ってやろう」

「それもいやだだぁあああぁあ!!!」



 けらけらと笑い声を上げる睡蓮。人生は頭をぶんぶんと振り乱しながらこのあとに待っている現実を受け入れようとしなかった。



 ああ、やっぱり僕は馬鹿だ…。うん、睡蓮ちゃんの言う通り馬鹿だ…。じゃ無きゃあんなにたくさん怒られたことを忘れるはずが無い。

 

 僕は、馬鹿だ。ああもうなんでこうなんだろう、いつもいつも。


 


 繰り返す自分自身が、嫌で仕方がなかった。




 「すいれん!じんせい!」

 「おお、朧狼。すまぬな、待たせたか。」


 幼い声音ではあるが、その姿は大きな体躯の狼である。朧狼と呼ばれたそのいきものは頭を低くすると睡蓮に擦り寄った。巨狼の半人である彼は、大人が三人乗ってもまだ余裕があるほどに大きい。

 これでまだ子供なのだから、成長したあかつきにどうなっているのかとても気になる所だ。



「おぼろ、おなかすいた!」

「そうだな、さっさと帰ろう。狼の姿で居るお前には、ここの臭いは強すぎるだろうしな」

「えげつねぇにおいがする!」

 

 そう、たどたどしくも楽しげな言い方で朧狼が声を放った瞬間、睡蓮の周りの空気がさっと冷える。気配を察した人生が睡蓮の目付きをこれでもかと直視し、そうして血の気が引く感覚をこれでもかと味わった。

 睡蓮はこと、朧狼に対して何かあると決まってこうなるのだ。


「…その言葉、誰に習った?」

「おーと!」


 幼い口から名前を挙げられたいきものは、残念ながら今この場には居ない。

もし彼がこの場に居たとしたら、ここにある肉片と同じになっていたことだろう。

 人生は身震いをしながら、拠点である廃墟で暢気にしている巻き角のいきものを哀れんだ。



「…よしわかった。いいか朧狼。このような場合は、『酷い臭いがする』と言うのだ。あの獄潰しは嘘を教えるから、絶対に。絶対に真似てはならぬぞ?いいな」

「あい!ここは、ひどいにおいがするところ!」

「そうだ。」


 簡易的な言葉講座を終えると、睡蓮は朧狼の背に飛び乗る。


「相変わらず人生ちゃんは朧狼くんの事となると鬼だなぁ…」

「人のことより己の身を案じたらどうだ?時が経てば経つほど、染みは落ちぬぞ?」

「う…!」

「無論、血みどろのお前は朧狼の背には乗せてやらん。こやつの毛並みが駄目になる。己の足で急ぎ帰れよ」

「わかってるよ…。ところで、睡蓮ちゃん」

「なんだ」

「今思い出したけど、あいつらの中にが混ざってた。『野良の半人は駆除する』って」

「…良いか人生。今後はまず重要な事から話すということを脳に叩き込んでおけ、思い出すほど頭の片隅に追いやるな」

「ハイ…」

「では帰るぞ」



 睡蓮の声と共に、駆け出した巨躯の狼。そしてその速さに続くように、人生もまた地を蹴った。










 森の奥。




 彼らが去った後。


 腹を空かせた獣たちが血の臭いを嗅ぎ付け、あちこちに余るほど転がっている肉を貪り、喜んだ。




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