善意

 休日の夕刻、ソファでまどろんでいるとドアがノックされた。

 居留守を使おうと目を閉じたが、ノックは激しくなるばかりだ。仕方なく起き上がってドアごしに返事をする。

「新聞代の集金です」

 そういや月末だった。引き落としにしておけばよかったと思うのはこういう時だ。

 財布を持ってきてドアを開ける。と、そこにはいつもの爺さんではなく、背広を着たいかつい男が立っていた。

「担当のひと、代わったんですか」

 僕の質問に男は薄笑いを浮かべた。

「俺が新聞屋に見えるか? 嘘だよ。俺は取り立て屋だよ。あんたに貸したものを返しにもらいに来た」

 人違いだろう。なんの覚えもない。

「覚えてないとは言わせないぞ。社会人になったばかりの頃、電車で寝過ごすところを起こしてやったろう」

「そんなことしょっちゅうで覚えてないですよ」

「去年のクリスマス、目当ての女の子にうまく話せないで気まずくなっていたところに、隣のテーブルで騒ぎを起こして話題を作ってやったのも俺だ」

「あっ。あれあなたですか。コーヒーひっくり返して僕の靴駄目にしましたよね」

「……そのあと話題に困らなかったろうが。感謝しろ」

「変な空気になってそれきりですよ」

「子供の頃、電車の扉に足を挟まれたことがあったろう。あの時ホーム側から扉をこじ開けて助けてやったのも俺だ」

「それは覚えてますけど、あの時は大勢駆け寄ってきてくれて……って、あんた誰ですか。なんで僕の人生の細かいあら拾ってんですか」

「腐れ縁というやつかな」

「誤魔化さないでください」

 気味の悪い奴だ。なぜこうまで僕のことを知っている。

「まさか……」

「まさか?」

「未来の僕とかいうんじゃないでしょうね」

 男は大笑いした。

「俺のどこがお前と似てるんだよ。俺は取り立て屋だと言っただろ。善意の回収に来たんだよ」

「え。善意……?」

「お前がこれまでに受け取った善意だよ、生まれてこれまでの」

 男はポケットから煙草を取り出すと火をつけた。人の家の玄関で。

「このご時世、善意が不足気味でなあ。お前みたいに溜め込んでる奴から回収してこないと、他の奴らに回す分が足りないんだよ」

「溜め込んでるって?」

「善意はな、世間で回すもんなんだよ。一人でがっつり抱え込まれたら流れが滞って困るんだよ。だから返してもらう」

「馬鹿らしい。そんなものどうやって」

 言い終わらないうちに、男はすいっと僕の頭を捕らえ、首を締め上げた。片手でTシャツをたくし上げると、その爪で脇腹を素早くえぐった。

 一瞬気が遠くなりかけたが、気が付けば首は自由になっており、腹に痛みもない。男はキャンディボールのような薄緑色の球体を手にしていた。

「よくこんなになるまで溜めたよな。ちょっとこれ広げてくれ」

 差し出された物は保冷バッグだった。男はそこに球体を入れた。「回収終わり、と」

 男はぷはーと天井に煙を吐いた。僕はまだ足ががくがく震えていた。

「こんなことして、あんたのどこが善意だっていうんだ」

「善意が、いつも格好良くて、いつもよき結果を導くとは限らんだろ?」

 男は当然とばかりの口調でそう言うと、咥えていた煙草を吐き捨て、ぐりぐりと踏み消した。「じゃあな」

 男は足音軽く去って行った。あとには善意の吸い殻が、床を黒く汚していた。


(了)

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