おなかがすいた【童話】
台所で昼ごはんをつくってた母さんが、ひょいと顔を出した。
「たまごが足りないの。買ってきてちょうだい」
ぼくは五百円玉を持ってうちを出た。
うちから一番近いスーパーは休みだった。踏切の向こうまで行かなきゃならない。
その時、チリンチリン、とベルが鳴った。知らないおじさんが自転車にまたがって笑いかけてきた。
「ぼうや、おつかいかい?たまごはいらんかね」
荷台に積まれた箱の中には、パックのたまごが一ケースだけ入っていた。
「最後の一個だから、百円でいいよ」
「うん、ちょうだい」
ぼくはお金を差し出した。
「ほい、お釣りだ。割らないように、気を付けろよ」
たまごを受け取ってみて、あれっと思った。パックの中のひとつだけが、ピンク色をしている。時々母さんが買ってくる肌色のたまごじゃなくて、学校の花壇に咲いてたチューリップと同じ色のピンク。
「おじさん。このたまご、おかしいよ」
ぼくは振り返って呼んだけれど、おじさんの自転車はもうどこかに行ってしまっていた。
「なあに?このたまご」
母さんは疑いの目でぼくを見た。
「こんな色のたまご、見たことないわ。本当にニワトリのたまごなの?」
かあさんはぶつくさ言いながら、ピンクのたまごを取りあげて振ってみた。そしてボウルの縁にたまごをぶつけた。
「あら、割れないわ」
もう一度、今度はかなり力を入れてぶつけた。たまごにひびが入って、殻がぱかりと二つに割れた。
「まあ、可愛い!」
中から出てきたのは、殻と同じ色をしたピンクのひよこだった。母さんはひよこが一目で気に入ってしまって、ピンクという見たままの名前を付けた。
あくる日、ぼくが学校から帰っておやつを食べてると、足元にピンクがやって来てピヨピヨ鳴き出した。ぼくは指にピンクを止まらせて、テーブルの上に上げてやった。するとピンクはよちよちとクッキーのお皿に近づき、あっという間にぼくのおやつをたいらげてしまった。ぼくがびっくりして母さんを連れて戻ってくると、ピンクはカップに首を突っ込んで、ぼくのミルクをごくごく飲んでいた。
ピンクは何でも食べた。
味噌汁のなすび、ポテトサラダ、刺身にエビフライにハンバーグまで食べてしまったのを見て、母さんはあきれかえった。
「こんなに食べるんじゃ、熊を飼ってるのと変わらないわ」
でも、食べるだけならまだよかった。ピンクの大きさは普通のひよこと変わらないのに、食べたと同じだけ緑色のフンを出すのだった。しかも、食べる量は日に日に増えていく。
ピンクがお皿をかじり始めても怒らなかった母さんが、ある日とうとう爆発した。
「捨ててらっしゃい!」
台所をのぞくと、冷蔵庫のあった場所にそのままそっくり、緑色で3ドア式のフンがあった。
ぼくはピンクをランドセルに入れて家を出たけれど、なかなか捨てられなくて学校まで連れてきてしまった。誰かがピンクを気に入ってもらってくれないかと考えていたけど、すぐに無理だとわかった。ピンクがその場で机をつついて食べ始めたからだ。
みんなが騒ぎ出すよりさきに、ピンクはさっさと机を食べ終え、今度は椅子の脚をかじりだした。やめさせようとしたけれど、ピンクはいったん食べ始めるとおなかがいっぱいになるまで止まらない。
「なんです?この騒ぎは」
先生が駆けつけてきた時には、隣のクラスとの壁に穴が開いていた。先生は金切り声をあげて、教頭先生を引っ張ってきた。
「誰だね、このひよこを持ってきたのは」
「コウちゃんでーす」
「きみかね」教頭先生はぼくをじろりとにらんだ。
「こんな危ない生きものを学校に持ってきちゃいかんよ。あれは何とかしてやめさせられんのかね」
教頭先生はぼくの前の椅子に座ろうとして後ろへひっくり返った。ピンクが足を一本食べてしまったからだ。
そのとき、上からパラパラと粉が落ちてきた。見ると、いつの間にか黒板の縁をつたってピンクが天井をつつき始めている。
「こ、こりゃいかん。ひとまず校庭に避難だ!それから先生、警察に電話しなさい!」
みんなが避難して十分もしないうちに、警察や保健所や、新聞記者たちが集まってきた。その後たっぷり二時間はかけて、大人たちがピンクを捕まえようと必死にがんばった。けれどピンクにはどんな道具もワナもきかなかった。なんでも食べてしまうから。
「あのひよこは、毒入りのエサも平気で食べてしまいます。ライフルで撃っても弾を口で受け止めて食べてしまいました。消防車のハシゴも半分なくなりました」
お巡りさんもへとへとだった。
ピンクは次から次にあらわれる新しいごはんに喜んでいるようで、いつまでたっても食べ止まなかった。ぼくらはもう疲れてしまって、校庭に座りこんだままピンクが学校の外へ出て行くのを見送った。
「いかん、町中に避難勧告を出さないと。近所の住民をこの校庭に集めるんだ」
様子を見に来ていた市長さんが、ぼくらの方を振り向いてぎゃあっと叫んだ。食べられたはずの小学校の校舎が元通りに建っていたからだ。緑色のフンでできた校舎が。
「す、すぐに片付けてくださいよ」
教頭先生は真っ赤になっていた。。
「片付けろったって、すぐには無理ですよ」
巨大なフンを見上げて、区役所の人が答えた。
「いいんじゃないですか。臭いもしないし。あのひよこも、自分のフンまでは食べないでしょう。いっそこの中にいるほうが安全では」
「情けない。鳥のフンで作った学校だなんて」
教頭先生が泣き出したとき、子どもの叫び声がした。「あ、ピンクのひよこだ!」
みんなはおびえて、いっせいに辺りを見回した。
どうやって上ったのか、通りの向こうにある風呂屋の、煙突のてっぺんにピンクがいた。煙突がみるみる縮んでいく。風呂屋のそばの電信柱が音をたてて倒れた。ピンクが根元をかじったのだろう。
「世界の終わりだ!」
大人たちは泣きわめいた。
「総理大臣に知らせろ!自衛隊を要請するんだ!このままじゃ日本中が食べられてしまうぞ!」
もう夕方になっていた。周りの建物はほとんどピンクに食べられて、元の形と同じフンに変わっていた。緑色の家々が赤い夕日に照らされているのは、ちょっとアニメ映画みたいだった。
「おなかすいたー」
と誰かが言った。みんな朝から食べていないのだもの。
ちょうどそのとき、一台の自転車が学校の前に止まった。
「どうしたんです。このありさまは」
ぼくはあっと声をあげた。ピンクのたまごを売ったおじさんだ。
「ははあ。あいつのせいですね。よしよし、わたしが始末してやりますよ」
おじさんは風呂屋のほうへ向かうとすぐに戻ってきた。その手にはクチバシをひもで縛られたピンクがいた。おじさんは自転車の荷台からコンロを取り出すと、ぱぱっと手早くひよこをあぶって丸焼きにし、ぺろっと食べてしまった。
「では」
それだけ言うと、自転車にまたがってさっさと行ってしまった。
しばらくして、教頭先生が口を開いた。
「世界の終わりはなんとかまぬがれたようですな」
「そう、そうです。とりあえず子どもたちに腹ごしらえをさせましょう。食べ物を手配しておいたトラックが来たようです」
気を取り直した市長さんがこう言うと、みんなは手を叩いて喜んだ。
市のマークがついた車が校庭に入ってきて止まると、中から男の人がひとり、困ったような顔で降りてきた。
「あのう、隣町もその隣の町も、どこもピンクのひよこに襲われて似たような状態になってまして、食べ物がほとんどなかったのですが、ひとつだけ……」
「かまわんかまわん。食べられるなら何でもいいんだ」
男の人は困り顔のまま、車からダンボール箱を運んできた。
「さっき、隣町で会った男から買わされたのですが、それが、その……」
ダンボール箱をのぞくと、それは箱いっぱいに詰められたピンク色のたまごだった。
(了)
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