第2話 アイツ

 僕がブレーブスに入ったのは小学校四年のとき。野球が大好きというほどではない

が、遊び友達のヤマちゃんに誘われたのがきっかけだった。休みの日に家でゴロゴロ

してるよりはマシだろうと両親も賛成した。

 わりと真面目な性格だったので、土日の練習には休まず参加した。

 たまたま他の子たちよりもコントロールが良かったので、四年生以下で作る

Bチームではエースピッチャーに納まり、ヤマちゃんとバッテリーを組んだ。

 進級してAチームになってもピッチャーで使われるのだと思っていた。


 ところがアイツが五年生の四月に転校して来て状況が変わった。アイツは転校して

くると直ぐにブレーブスに入団した。同じ五年生ながらアイツはぼくより五センチは

背が高かった。前の学校でも少年野球に所属していてピッチャーをやっていたとの

ことだった。

 投げさせてみると、細い身体に似合わぬバネの持ち主で、流れるような美しい

フォームから驚くほどの速球を繰り出した。

 僕はアイツとピッチャーの座を争うことになったのだが、球のスピードは

アイツの方が断然速かった。アイツは二番手ピッチャーの地位を与えられ、試合では

終盤に抑えの切り札として活躍した。僕は三番手ピッチャーの座に甘んじることに

なり、ライトの守備に追いやられた。


 六年生にり僕はもう一度ピッチャーにコンバートされた。前の六年生が卒業して

ピッチャーが足りなくなったのが理由だが、球のスピードが前より速くなったのも

確かだった。それだけ、僕の身体も大きくなったのだ。

 アイツとの身長差はいつのまにか無くなっていた。


 だけどアイツはエースピッチャーの座を譲らなかった。球速、制球力、守備力、

どれをとっても僕より優れていた。

 三振をとると鼻の横を擦るのが癖で、それが何ともカッコよくて憎たらしかった。

 スタミナが無いのが弱点だったが、アイツの一番の持ち味は精神力だった。

 どんなに打ち込まれても凹まずに投げぬいたし、味方の酷いエラーで失点しても

試合を捨てたりはしなかった。

 アイツはナインの誰からも好かれていたし、後輩たちからも慕われていた。


 アイツのピッチングと四番に収まったヤマちゃんの活躍で、その年のブレーブスは

創設以来の大躍進を続けた。町内大会で優勝し、続けて郡の大会でも優勝した。

 県大会への出場は惜しくも逃してしまったが、他にも二つばかり地方の冠大会で

優勝した。


 前にも言ったようにアイツはスタミナがないのが弱点だった。そこで僕が登場する

のだが、あまり優秀なリリーフとは言いがたかった。

 球速が早くなった代わりに、コントロールが悪くなった。ストライクを取りに

いっては打たれるパターンが多かった。

 アイツが守っていたリードを僕がぶち壊しにしたこともある。そんなときも

アイツは何も言わなかった。僕としては文句の一つでも言われたほうが気が楽なのだが。

 アイツは僕にとってちょっと煙たい存在になっていた。今思えば、完璧過ぎる

アイツに対して一方的なライバル心を感じていたのかもしれない。

 そのライバル心に突き動かされ、僕は夏の間に密かにチェンジアップを練習した。

 これで、アイツやみんなをビックリさせてやるんだと意気込んでいた。


 六年生の秋。ブレーブスは秋季県南大会に招待チームとして出場した。それが僕

たちの最後の公式戦だった。初戦の相手はジャガーズ。優勝の常連で、先の郡大会で

ブレーブスに優勝をさらわれたのが気に入らないらしく、試合前から対抗心を顕にしていた。

 その日、練習の時からアイツのピッチングは絶好調だった。

 けれどもコーチたちはアイツのスタミナを気にしていた。この大会が

七イニングス制だったからだ。

 いつでもリリーフできるように準備をしておけよと監督に声をかけられた。


 試合が始まっても、アイツは好調を維持していた。芸術的な投球フォームから生み

出されるストレートがコーナーを突く。三振と内野ゴロの山がスコアブックに書き

加えられていった。

 ブレーブスは初回にヤマちゃんのスリーランホームランが出て三対〇、その後は

膠着状態で五回まですすんだ。

 その五回の裏。守備位置から返った野手が記録員のノブの所に集まった。


「今のところ完全試合なんですよ」

 ノブが呟いた。

 スコアブックの相手チームのページには三人ずつになったアウトの記録が並んで

いる。みんな顔を見合わせた。このことを知ってか知らずか、アイツはヘルメットを

被って素振りをしている。

「おい、みんな。アイツに完全試合やらしてやろうぜ」

 ヤマちゃんが皆の顔を順繰りに見ながらそういった。皆黙って頷いた。


 この回の攻撃はアイツの打順からだった。

 アイツはピッチングは素晴らしい一方でなぜかバッティングは、からきし

下手だった。どうやら、ピッチャーの球が怖いらしい。腰が引けて手だけで

バットを振り回している。

 内角にきわどい球が来たりするとヒャッとか言って尻餅をつくこともある。


 だが、この日のあいつは違っていた。ピッチャーマウンドでの気合が、

バッターボックスまで持続して、いつになくボールに向かっていったのである。

 そして、そのことが結果として仇になった。

 三球目に相手ピッチャーが内角にとんでもないクソボールを投げてきた。

 普段のアイツなら身を翻して避けるのに、今日はまともに横腹にぶつかった。

アイツはお腹を押さえてしゃがみ込んだ。

 審判は一塁を指差すジェスチャーをしたが、すぐには起き上がれない。

 アイツはお腹を押さえたままで、遠くの方を見てボンヤリとしている。


 コーチと監督が慌ててバッターボックスに走った。監督がアイツと二言三言話した

あと、僕の方を見て手招きをした。僕が監督の方に駆け寄ると、

「臨時代走だ。一塁に行け」

と言われた。

 アイツは監督とコーチに挟まれ、お腹を押さえた格好のままベンチに引っ込んでいった。


 一塁ランナーになった僕は、アイツの様子が気になって仕方がない。この回の攻撃

が終るまでにアイツが投げられるようにならなかったら、僕がリリーフに立つしかない。

 その僕が臨時代走でここにいるのだから、投球練習なんてやってる暇はない。

こんなことまで考えて打順を組むわけではないが、かなり間の悪い巡り合わせになった。

 そうこうするるうちに、アイツは応援に来ていた母親に付き添われベンチから出て行った。


―こりゃ最悪だ―

 次の回のピッチングのことで頭が一杯になる。

「こらっ。谷田部。もっとリード取らんか」

 コーチの声で正気に戻り、慌ててリードをとった。僕は一塁キャンバスの上で

丸太のようにつっ立っていたのだ。


 次打者のショートオーバーのヒットで一・二塁。ピッチャーのワイルドピッチで

二・三塁になったあと、フォアボールで満塁。三番バッター三振の後、期待の四番ヤマちゃんが走者一掃の三塁打を放って六対〇になった。

 五番バッターがフォアボールで出塁、二塁盗塁の間にヤマちゃんがホームを狙ったが直前でタッチアウト。

 その後再び満塁にまでなったのだが、僕の空振り三振でこの回の攻撃を終了した。

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