特訓!!



                ☆☆☆☆☆



 魔法界に帰るまで残り一週間。憧は自分の出来る範囲で精一杯努力を続けていた。

 あの時、剛司がログハウスに来てくれた。憧にとって本当に嬉しいことだった。

 もうだめかもしれない。もう剛司との関係は終わってしまった。そう思っていた憧の心に希望をくれたのは剛司だった。これで二度目。本当に剛司に救われてばかりだ。

 でも、いつまでも剛司に頼りきりでは駄目だと思った。変わりたいという気持ちは今もある。ずっと心に秘めていたことだったから。

 だからこそ憧は今日も箒を手に取る。決意を固めてから一週間が経過し、お別れのタイムリミットは近づいてきている。それでも、憧は諦めることはしたくなかった。自分の力で少しでも飛べるようになりたい。剛司を驚かしてあげたい。そんな飽くなき欲求が、憧の中で膨らみ始める。

 まずはログハウス内の天井に手をつくこと。そこを目標に憧は箒にまたがる。床からおよそ六メートルある天井。そこに手が届かないようじゃ、絶対に空なんて飛べない。

 毎日のように箒にまたがった憧は、手の震えが徐々になくなるのを実感していた。未だに飛ぶことはできていない。だけど絶対に飛ぶ。その強い思いと重ねるように剛司の言葉を思い出す。


 ――僕はまだ諦めていない。だから憧も諦めないでほしい。一緒に頑張ろうよ。


 一言一句間違えずに覚えている。剛司の言葉は憧の胸で輝いている。飛べるって心の底から思える。こんな温かな気持ちをくれた剛司に返したい。飛んでいるところを見せたい。

 憧は目をつぶって心を落ち着かせる。

 深呼吸を繰り返し、飛ぶイメージを膨らませる。

 そして憧は地面を軽く蹴った。瞬間、憧の身体がふわっと浮き上がる。箒を持つ手が少し震えた。それでも憧は上を向き続け、決して下を見なかった。

「と、飛べた」

 憧は地面から足が離れたのがわかった。空中でぶらぶらと揺れる足に気持ちが高ぶる。久しぶりの感覚、既に忘れかけていた飛ぶ感覚が憧の中に蘇ってくる。

 憧はとにかく上だけを見上げる。浮くだけでは意味がない。そう憧の中で本能が叫んでいる。徐々に近づく天井に手を伸ばす。

 もう少し、あともう少しだ。

 はやる気持ちを抑えきれず、憧は箒に預けていた腰をあげた。

 ほんのわずかだが、手が天井へと近づく。

 そしてついに憧の指先が天井に触れた。

「やった!」

 憧は声に出して叫んだ。とてつもない高揚感が憧の胸中に生まれる。

 今まで箒に触れるだけでも怖かった。その気持ちが空への憧れを膨らませる一方で、自分の心に蓋をしていた。

 だけど今日は違った。憧れていた世界に近づくために立てた目標に届いた。やってもできないと思っていたけど、実際は違った。剛司の言っていた通り、諦めずに頑張ったら上手くいく。もう怖がることはないのかもしれない。自分はできる。あの憧れていた世界でも飛べる。

 憧はゆっくりと高度を下げるために下を見た。

 瞬間、憧の背筋に緊張が走った。

 徐々に心臓の鼓動が激しくなり、身体が徐々に震え出す。

「ど、どうして……」

 憧は高度を下げつつも、震える身体に力を入れる。視界がいつの間にか、ぐにゃりと渦を巻きだす。

 まだ落ちるわけにはいかなかった。

 ここで落ちたら全てが終わる。駄目になってしまう。

 戦慄が憧の胸中を駆け巡る。憧はただ上だけを見続けた。下は絶対に見てはいけない。もう一度見てしまったら、自分の全てが何かに乗っ取られてしまう気がする。

 ようやく足が地面に触れた。高鳴り続ける胸の鼓動を落ち着かせるため、憧は深呼吸をする。目の前に広がる光景はゆがんでいなかった。いつも見ている光景に、憧はほっと胸をなでおろす。

 とりあえず飛ぶことはできた。

 下を見なければどうにかなることもわかった。

 憧は箒を壁に立てかけ、テーブルに置いてあったメモ帳を開く。そこには剛司と会うまでの目標が書かれている。憧は毎日目標を立てて箒にまたがっていた。少しでもやるべきことを意識するために。憧はメモ帳に毎日の目標とその成果を記していた。

 今日はかなりの進歩。

 今まで空白が目立っていた成果の欄に、ようやく肯定の言葉を書くことができる。憧はすらすらとペンを動かす。筆が躍っているのが自分でもわかった。

 ただ、喜んでばかりはいられない。

 剛司が迎えに来るまで残り一週間。

 それまでの間に恐怖を克服しないといけない。

 それでも今は、飛べた時の高揚感を大切にしたいと憧は思った。



                ◇◇◇◇◇



 剛司の特訓は続いた。広大な丘を駆け下りて浮遊を繰り返し、パラグライダーの操作の基本を身体にしみこませる。基本を習う中で、剛司もその重要性を実感していた。

 もしテイクオフ時に失敗をしてしまったら、そもそも飛ぶことができない。それにタンデム体験をした場所でテイクオフに失敗すると崖下に落ちる可能性がある。当然、剛司には失敗が許されなかった。失敗は憧の気持ちを踏みにじるのと同じ意味を持つ。そう思えるからこそ、剛司は常に本番だと思ってフライトに臨んだ。

 飛ぶ以外にも地上でできる練習を剛司はたくさん行った。グランドハンドリングやレスキューパラシュートの使い方。どれもパラグライダーをするうえで重要なことだった。

 特にグランドハンドリングは、まだ一度も本格的な高高度フライトをしていなかった剛司にとって、とても勉強になる練習だった。グランドハンドリングはキャノピーを頭上に保ちつつ、スラロームで地上を走ることを言う。本来空中で行うパラグライダーの旋回特性を理解するのに有効な練習法で、旋回時のパラグライダーとパイロットの位置関係をイメージし、速度の管理をしながら行うと良いとされている。特にスラローム走行で行う練習は、剛司の想像していたことを形にしてくれた練習だった。パラグライダーが旋回する際、バンク(傾き)が必ず発生する。バンクがかかるということは、パイロットはパラグライダーの外側を必ず走ることになる。剛司は羽田からも習っていたが、バンクの程度については体験なしで理解するのは難しかった。こうして実際にグランドハンドリングを体験して、剛司はようやくバンクの具合とブレークコードの使用について理解することができた。

 バンクの解消にはブレークコードがとても重要な役割を担っている。バンクが生じると、パイロットの頭上にキャノピーがこない。キャノピーは頭上で安定していることが基本のため、バンクで生じたズレを直すためにブレークコードが使われる。例えば右に進みたい時、強引に自分だけが右方向に進むとキャノピーが傾く。その時に右のブレークコードを引いてあげることにより、バンクを修正することができる。また、真っ直ぐ進んでいる時に右のブレークコードを引くと、キャノピーの進路が徐々に右に曲がり始める。それに従って進んでいけば、右旋回の練習ができる。左旋回をするには逆のことをしてあげればいい。

 こうして剛司は、地上と丘でできる練習を三日間みっちりと行った。


「今日から四日間は高高度フライトとタンデムの練習をやろう。フライトの本数が、移動も含めるとかなり少なくなるから注意すること。常に本番だと思って練習すること」

「はい」

 七月二七日。今日からついに高高度フライトの練習に入った。前日までいた丘陵地帯を離れた剛司は、タンデム体験をした場所に来ている。

「もう準備できてるよ」

「ありがとうございます、友恵さん」

 キャノピーの準備をしてもらい、後はパラグライダーとハーネスを接続して飛ぶだけ。

 剛司は目の前に広がる景色を眺める。いつもは広大な自然に目を奪われるはずなのに、今日は違った。実際に一人の力で飛べるのか。そのことが頭から離れなかった。

「剛司君、ちょっと」

 呼ばれた剛司は青羽の元へ近づいた。

「今から一人で飛んでもらうけど、流石に最初から一人で飛ばすわけにはいかないんだ」

「で、でも、一人で飛ばないとだめですよね?」

 青羽の言いたいことが理解できず剛司は首を傾げた。そんな剛司の反応に青羽は笑みを見せると、機材を取り出した。

「そう。だから空中でも一人にならないように無線機を渡すから。何か不祥事があったら必ず報告すること」

 青羽から無線機を受け取った剛司は、電源が入っていることに気づいた。

「青羽さん、電源入ってますよ」

「まあ、話しかけてみな」

 青羽の笑みを訝しみながら剛司は無線機に向かって声をかける。

「もしもし」

 暫く沈黙が続いた。反応する気配がまったくない。剛司は騙されたと思って、直ぐに青羽に視線を向けた。

「青羽さん!」

「えっ? おかしいな。反応するはずだけど……」

 青羽に無線機を手渡そうとした時、先程聞こえてこなかった声がようやく聞こえた。

『もしもーし。剛司君?』

 無線機から聞こえる声は剛司も聞いたことがあった。剛司達をタンデム体験で空に導いてくれた新見の声だった。

「新見さんですか!?」

 剛司は無線機に向かって声をかける。すると数秒のタイムラグを経て、新見の声が聞こえる。

『そうだ。今、俺はランディングゾーンにいるから。しっかりと降りて来いよ』

「わ、わかりました」

 剛司は驚かずにはいられなかった。まさか新見も協力してくれるとは、思ってもみなかったから。

「青羽さん、これは……」

「おう。新見さんに頼んだら来てくれた。あと深川もランディングゾーンにいる。今日から剛司君を送迎するように頼んどいた」

 青羽の行為に、剛司は目頭が熱くなった。

「ありがとうございます」

 剛司は深くお辞儀をする。自分のわがままでここまで指導をしてもらった。それにも関わらず、青羽は真剣に教えてくれている。青羽の行為が剛司の胸を突く。同時に多くの人に支えられていることを実感した。

「お礼を言うのはまだ早いぞ、剛司君。しっかりとフライトを身に着け、本番で飛んでからだ」

 笑みを見せる青羽の姿はとても格好良く、剛司も青羽みたいになりたいと思った。

「それじゃ、まずはフライトコースの確認だ」

 パンッと手を叩いた青羽は剛司の前で地図を広げる。現在地からランディングゾーンまで、赤ペンで経路が記載されていた。

「テイクオフ後、まずは真っ直ぐ飛ぶことを意識する。徐々に慣れてきたら旋回を繰り返しつつランディングゾーンを目指す。ただし、高度処理をする際と低高度での三六〇度旋回をするのは危険だから行っちゃだめだ。事前にランディングゾーンのアプローチを考えておくこと。そして何より、地上で行ったグランドハンドリングを思い出すことだ。最初は無線機で俺も指示する。新見さんにもフォローを頼んである。俺の見えない範囲の指示は新見さんに従ってくれ。二人で剛司君を地上に導くから」

「わかりました。ありがとうございます」

「頑張って」

 青羽とグータッチをして剛司は準備に取りかかった。ハーネスを装着してチェストベルト等の確認。確認後はヘルメットをかぶり手袋をつけ、青羽からもらった無線機をホルダーに入れる。そこまで終えた剛司はキャノピーに近づいた。キャノピーの確認からラインのチェックまで、一通りの工程をしっかりとこなしていく。

「友恵さん、確認いいですか?」

「了解です」

 友恵にダブルチェックを頼んだ。以前は忘れていたダブルチェックも、確実に身についている。基本を怠ることなく反復練習をしてきたおかげで、剛司は冷静に取り組めていた。

「問題なし。大丈夫よ」

「ありがとうございます」

 剛司は友恵に頭を下げ、キャノピーの真ん中に立つ。そしてパラグライダーとハーネスを接続する。カラビナでしっかりと固定してあることも確認し、手にはライザーとブレークコードを握る。

 もうすぐ飛ぶ。その瞬間が直ぐに来る。久しぶりの高高度フライトに、剛司は緊張よりも何故か高揚の方が勝っていた。パラグライダーの力なのかもしれないと、剛司は思う。

「タイミングは風が吹いてないときだ。キャノピーが上手く上がらなかったら直ぐに中止しろ。俺も無理そうならストップと声をかける」

「はい」

 スタ沈については亮のフライトを見てきたので知っていた。だからこそ、スタ沈しないことを剛司は祈る。

 暫く沈黙が続く。風がおさまるのを、剛司はただ前だけ見つめて待ち続ける。

 広大な景色は自分を素晴らしい世界へと導いてくれるはず。あの時の体験と同じように飛んでいる自分の姿をイメージする。

 やがて風がおさまり、ほぼ無風状態となる。テイクオフには絶好のコンディション。

「行きます」

 剛司は青羽の方を一瞥する。青羽はゆっくりと頷いてくれた。

 深呼吸をした剛司は決意を固め、足を動かす。真っ先に手に重さを感じた。キャノピーが徐々に上がっていくことがわかる。剛司は頭上を確認しながらも、足の動きを止めずに走り続ける。

 そしてキャノピーが頭上まで来たのを目視で確認する。

「走れ!」

 青羽の声が耳に響いた。瞬間、剛司はライザーを手放し、身体を前に倒して前傾姿勢を作り、一気に斜面を下っていく。加速している間も、絶えず足を動かし続ける。

 そしてついに剛司の足が地面を離れた。初めてのテイクオフは見事に成功した。

「すごい、やった。飛んでる」

 剛司は一人ではしゃいでいた。タンデムの時とは全く違う印象を受けている。

 本当に一人で空を飛ぶことができた。まるで鳥のように優雅に浮遊している事実に、剛司はただただ歓喜した。

『剛司君、聞こえるか』

 青羽の声が無線機から聞こえる。剛司は右のブレークコードを離し、ホルダーから無線機を取る。

「聞こえます」

『テイクオフ見事だった。練習の成果だな』

「いえ、青羽さんのお蔭です」

 この短期間の練習で飛べたのは、紛れもなく青羽のお蔭だ。

『ランディングゾーンは見えるか?』

 青羽の問いに剛司は視線をランディングゾーンの方に向ける。そこで初めて剛司は自分がどれだけ高い位置を飛んでいるのか実感した。高度四〇〇メートルからのフライト。タンデム体験の時は飛んでいる事実に、ただただ圧倒されていた。今はその時よりも落ち着いて見ることができるお蔭もあり、高すぎるこの空間が少し恐怖にも思えた。

「はい。見えます」

『よし、基本はそのままでいい。ただそのまま飛ぶと確実にランディングゾーンを通り過ぎるはずだ』

 一度無線が途切れた。青羽が話すのを剛司は待ち続ける。

『ここでグランドハンドリングの練習を活用していく。ランディングゾーン近くになったら、空中で八の字を書きながら旋回を続けろ』

「わかりました」

 剛司は羽田パラグライダースクールで習ったことを思い出す。

 高度処理をするにあたり、八の字飛行はとても大切になってくる。その大切さを剛司は学んでいた。羽田の元で観たビデオでは、実際にフライヤー目線のカメラ映像があり、ランディングゾーンとの距離感や八の字飛びのタイミングを、実戦さながらの映像で習った。そのため剛司もある程度理解はしていた。

 徐々に近づく高度処理に、先程までの高揚感とは別に緊張が走る。

『剛司君』

 無線機から新見の声が聞こえてきた。

「はい」

『高度処理に入ったら、無線が使えないから言っておく』

 ほんの数秒の沈黙の後、新見が口を開いた。

『ランディングゾーンは広い。だから無理せず確実に降りて来い。以上!』

「ありがとうございます」

 無線が切れたのを確認して、剛司はホルダーに無線機を戻した。

 新見からのアドバイスを受け、剛司は視野を広く持つことができた。

 ランディングゾーン内に着陸ポイントを作っている。だけどあくまで目安となる場所で、最悪ランディングゾーン内ならどこに着陸しても良い。緊張で抜けかけていたことを思い出させてくれた新見の発言は、剛司の気持ちを楽にさせた。

 そしてついに高度処理に入った。剛司はまず右のブレークコードを肩から胸まで引き、右旋回を行う。すると機体は右に徐々に傾いていく。そしてある程度傾いた時点で、剛司は一度ブレークコードを引くのを止めた。先程まで正面に見えていたランディングゾーンは、左側に見えている。そしてブレークコードを引いたことにより、キャノピーが潰れたため高度が先程よりも下がったのがわかった。そこからさらに剛司は左のブレークコードを引く。機体が左に傾き、左に旋回していく。剛司は左のブレークコードを引くことを止めなかった。機体は完全に左に傾きながら旋回を続ける。

 剛司はタンデム体験を思い出す。ランディングゾーンに進入するまでの間、青羽は旋回を繰り返して剛司に楽しみを与えてくれていた。それは決して楽しいだけではなく、こうして高度を下げ、確実にランディングゾーンに進入できるポイントを見つけていたんだと、今の剛司は理解できた。

 旋回をしている間、風を切る音が耳に響く。鳥のように滑空しているこの感覚は、普段味わえないスリルをもたらしてくれる。緊張と高揚が混ざった変な感覚に、剛司は居心地の良さを感じていた。

 旋回を何度か繰り返し、剛司の機体高度はかなり下がっていた。目の前にはランディングゾーンが確認できる。剛司は一度ランディングゾーンを離れた後、最後に一回旋回を行いランディングゾーンに進入してからの着陸を想定していた。この着陸に向けたプランは、羽田と青羽三人で決めたことだった。羽田のもとでビデオを見た際、進入については事前に計画を立てることを剛司は言われた。そこで立てた計画は青羽にも連携されていたみたいで、昨日確認するよう青羽からも言われた。ランディングへのアプローチは、事前準備もとても重要な要因となる。

 そして、ついにランディングゾーンの上を通り過ぎる。新見と深川の姿をはっきりと視界にとらえた。二人の上空を通過した剛司は、一度左のブレークコードを肩まで引いた。機体が左に傾いていく。そして直ぐに左のブレークコードを戻した剛司は、右のブレークコードを引く。機体はゆっくりと右に傾いていき、旋回を始める。既に後方にあったランディングゾーンが剛司の右目から見え始める。そして目の前に見えた瞬間、剛司ははっと息を飲んだ。

 高度が少し高かった。

 当然、目標としていた場所でのランディングは不可能だと直ぐにわかった。その時、剛司は新見の言葉を思い出した。


 ――ランディングゾーンは広い。


 新見の言葉通り、剛司は遠くを眺める。ランディングゾーンの端に着くまでの間に、着陸できることを確認する。それを見計って、剛司は両方のブレークコードを最大限に引いた。引いたことにより、キャノピーの後縁が下方に引かれ、下面に大きな空気抵抗が生まれる。この空気抵抗が着地の衝撃を和らげてくれるはずだ。

 しかし剛司にとって予想外の出来事が起こった。

 ブレークコードを最大限に引いたは良かったが、対気速度が速かったせいで、キャノピーが思ったよりも早く失速してしまった。そのせいで剛司の身体はブランコのように前に激しく振られた。バランスを崩した剛司は前に振られた反動をうけ、今度は後ろに振られる。まるでむち打ちのようになった体制に、剛司は顔をゆがめる。そして片足が地面に着いた瞬間、剛司はお尻から地面に落ちてしまった。

「大丈夫か、剛司君!」

 遠くから新見の声が聞こえた。ハーネスに身を預ける姿勢で着陸した剛司は、その声に応えるために右手を上げた。暫くして、剛司の視界に新見と深川の顔が入ってくる。

「剛司君、痛いところはないか?」

 新見の声を受け、剛司はとりあえずカラビナを外して身体の自由を確保した。そしてゆっくりと立ち上がり、ハーネスを外し、身体の異常を確認する。特に痛みはなかった。

「大丈夫です。ごめんなさい……失敗しました」

 剛司は悔しさでいっぱいで握り拳を作る。

「そんなことない。初めての高高度フライトであそこまでできるのは、本当に凄いことだ。あの青羽ですら、最初は八の字旋回なんてできなかったからな。かなりイメージトレーニングをしただろ?」

「はい。昨日から常に考えていました。今日飛ぶことはわかっていたので」

 それでも失敗してしまった。もしこれが本番だったら。憧に怖い印象を与えるだけのフライトになってしまう。絶対にしてはいけないことだけに、剛司は自らを戒める。

「それでもこの調子ならタンデムも大丈夫。ほとんど今のフライトと変わらないから」

 新見は笑みを見せると、キャノピーを畳み始める。剛司も直ぐに新見の後を追い、キャノピーを片付ける。

「へい、剛司君。ナイスフライト」

「深川さんもお久しぶりです」

 剛司は深川のテンションに慣れていなかった。亮が普通に会話できていたのが、ある意味凄いなと思う。

「さあ、俺のドライビングテクニックで、剛司君をテイクオフポイントまで送り届けるぜ」

「ほ、ほどほどにしてくださいね」

 深川の提案に剛司は苦笑を浮かべた。タンデム体験をした際、剛司は深川の運転で頭部を痛打した。まるで絶叫マシーンにでも乗っているような感覚は、流石に何度も体験するのは心臓に悪かった。

 車に乗り込み、剛司達はテイクオフポイントに向かう。深川の運転は驚くほどゆったりしていて、安心感を抱いた。青羽がパフォーマンスと言っていたのは嘘ではないみたいだ。

「剛司君、飛んでみてどうだった?」

 新見に問われ、剛司は素直に自分の気持ちを打ち明けた。

「タンデム体験の時はとにかく楽しかったんです。今回も楽しかったんですけど、恐怖を感じたときがあって」

「恐怖?」

「はい。ランディングゾーンを見た時に、真下を直視しちゃって」

 タンデム体験は高さに対して恐怖心を感じることはなかった。だからこそ、自分が感じた気持ちが剛司には理解できなかった。

「そりゃ、青羽のお蔭だな」

「青羽さんですか?」

 笑みを見せる新見は、その意味を剛司に告げた。

「タンデムは二人で飛ぶだろ。青羽から聞いてると思うけど、パッセンジャーを安心させるのもインストラクターの役目なんだ。パッセンジャーの年代、ニーズに応じて様々な話題を提供する。そして恐怖心を払ってあげる。そういうこともできて、やっと一人前のインストラクターになれるんだよ」

 俺は苦手だけどと新見は声を上げて笑った。

 剛司はタンデム体験時に、青羽と多くの会話をしたことを思い出す。あの時はブルーサーマルに出会うことができた。コバルトブルー一色に染まった空を、剛司は決して忘れないと思う。

「次は剛司君が飛ばしてあげるんだろ? その、誰だっけ?」

「憧ちゃんっすよ。憧ちゃん」

 深川のあおりに剛司は顔を赤面させた。

「そうだった。憧ちゃん。その子を安心させるのは剛司君の役割なんだから。頑張れよ」

「はい、ありがとうございます」

 新見にお礼を言った剛司は車の外を見る。もうすぐテイクオフポイントに到着する。これだけの高さから憧と一緒に飛ぶ。その時に剛司は何て声をかけるのだろうか。流れていく景色を横目に、剛司は色々と考えを膨らませていた。



「そうか。着陸失敗したか」

「はい。すみません」

 テイクオフポイントで待っていた青羽は、剛司のランディングの失敗を聞いて笑みを見せていた。

「まあ、本来はタンデムで飛んでから単独フライトの練習をやろうと思ってたからな」

 青羽の言葉に剛司は疑問を抱く。

「青羽さん、それはどういう意味ですか?」

「言葉のままだよ。タンデムで飛べば、剛司君の操縦を見ながら色々と指導できたからな。ちょっと剛司君を試させてもらった」

 青羽の遊び心に剛司は躍らされていた。それでも剛司は嫌な気持ちにはならなかった。

「でも、期待以上のフライトだったと思う。テイクオフも見事だったし、旋回も良くできていた。だから後は俺と一緒に飛んで、みっちりと教えるからな」

「はい。よろしくお願いします」

 剛司は青羽と共に機体の方へと向かう。

 残り四日。

 限られたフライトの中で、剛司は早く技術を身に着けようと気を引き締めた。

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