大切なもの
◇◇◇◇◇
朋に言われたことを剛司はずっと考えていた。
午後一一時を過ぎた公園で、剛司は一人ブランコに座っている。冷たい空気が息をするたびに剛司の中へと流れ込んでくる。その冷たさが、何だかとても気持ち悪かった。
朋なら受け入れてくれると思っていた。剛司のことを何でも知っている旧知の仲で、剛司の一番の親友だったから。人生の大半を一緒に過ごしてきた親友からの言葉の数々は、剛司の想像していなかったことばかりだった。
これだけ長く付き合っていてもわからないことはある。剛司はわかっていると思っていただけだった。結局、相手の気持ちを何一つわかっていない。
そうしてすれ違った結果、剛司が変わろうとすることを、一番の親友が認めてくれない事実が残った。どうしてこうなってしまったのだろう。
風が土埃を舞い上げる。
その風に乗ってブランコの方まで土埃が飛んできた。
剛司は思わず目を細める。
剛司は朋に迷惑をかけたくなかった。
ずっと頼ってきてしまったからこそ、自分で変わることを決めた。
人に頼らず自分の力だけで進む決心をした。
だからこそ、ずっと大切にしてきた物ともお別れをした。
変わりたいと思ったから。
変わることが朋との関係を良好にする。
そう思っていた。
でも朋との関係は悪化した。
初めて朋と言い合った。ずっと朋の言うことは正しいと思っていた。朋のことを剛司は疑ったことがない。これまで困ることが一度もなかったから。朋の言葉はいつも的確で、常に剛司を導いてくれた。その結果、亮や光と出会い、今の空間で楽しい時間を過ごせていた。
もしかしたら、それがいけなかったのかもしれない。
剛司はそう思う。
朋は言っていた。ずっと自分は朋の下の人間だと。朋はグループでの存在意義を、剛司に見出していた。それは昔からの関係があったから。そう思わせてしまったのは、紛れもない剛司本人。剛司が変わることで朋が傷つく。朋がそう考えるようになってしまったのは、剛司が朋に頼り続けていたから。
もっと早くから、朋と対等な関係を築いていくべきだった。
そうしなかったから、今の状況が生まれてしまった。剛司は自分に腹が立った。
それでも、いくら腹を立てても何も変わらない。朋との関係は簡単に直るものではない。いつか向き合わないといけない問題。その問題と向かうためにも、今は目の前の壁を乗り越えないといけない。多くの人を巻き込んで、助けてもらっている身なのだから。
だから今は、朋に対する気持ちに蓋をする。
全力で目の前の壁を乗り越える。そう剛司は決めた。
ブランコから立ち上がった剛司は、風の吹き荒れる公園を後にした。
「よう、剛司」
「
「いいって。さあ、行こうぜ」
次の日、午前七時。花加駅ロータリーで光と合流した剛司は、青羽の元へと向かう。
車が走り出し、景色が流れていく。剛司は初めて助手席に座った。いつもこの場所は亮の特等席だった。だからこの場所から見える景色が、剛司にとってとても新鮮だった。
光が音楽を流すためカーオーディオをいじる。流れてきたのは
「これって最近発売したアルバム?」
「剛司もわかるんだ。そう、これは楓ちゃんのファーストアルバム。ファンなら当然持ってるアイテムですよ」
流れてきたのは剛司の知らない曲だった。アップテンポな曲調で、一曲目にピッタリな曲だった。おそらくアルバム曲だと剛司は考える。
曲がサビに差しかかる。一番の盛り上がり所。そのはずなのに、光はボリュームを少し下げた。剛司は光に視線を向ける。それと同時に光が話し出した。
「ほんとは今日、剛司を驚かそうと思ってたんだ」
「驚かす?」
「今日から青羽さんの所でしょ。だから応援というかエールを送る意味を込めて、亮と朋にも声をかけたんだ。でも、結局二人とも用事があるから無理になっちゃって」
光がごめんと謝った。剛司は大丈夫と声をかける。
剛司の脳裏に昨日のことが蘇る。一度蓋をしたのにも関わらず、剛司の制止を押し切って朋の顔が浮かび上がってくる。とても寂しそうな表情だった。
二曲目が流れ出す。
知っている曲に、思わず身体が反応する。
楓を有名にしたココロノスキマ。
剛司にとっても大切な曲だった。
「あのさ、朋と何かあった?」
突然の光の質問に、剛司は息を飲む。
「実は昨日、今日のことについて亮と朋と三人で集まったんだ。その時に朋の様子がおかしかった。おかしくなったのが、丁度剛司の話をしていた時だったから。だから何かあったのかと思って」
車が高速に入る。アクセルを踏み込んだ光はウィンカーを出して車線変更を行う。速度が上がっていくのが直ぐにわかった。
周囲の景色がとめどなく動いている。それに合わせて剛司の耳に曲が聞こえてくる。
流れる景色止まって見えたなら また動かせばいいさ
ココロノスキマのサビの最後のフレーズ。
今はまだ景色は止まっていない。
止まっているのは剛司と朋の関係。
剛司はどうしてもその関係を動かしたかった。
これからもずっと朋とは親友でいたかったから。
「あのさ、話聞いてもらってもいいかな?」
滞った関係をまた動かしたい。その思いが剛司の口を開かせた。蓋をしようと思った気持ちがどこかに消えていく。朋との問題も剛司にとって大事なこと。これが剛司の本心だった。
「いいよ。自分にできることがあれば」
光は笑顔で応えてくれた。光に感謝しつつ、剛司は昨晩の出来事を伝えた。
朋が剛司の変化を望んでいないこと。剛司が変わると朋はこのグループで一番下になってしまうこと。存在意義がなくなってしまうこと。朋から聞いた全てを光に打ち明けた。
「そんなことがあったのか」
光は息を吐くと、ハンドルを持っていた右手人差し指を動かし、コツコツとハンドルを叩く。一定のリズムで刻まれるその音に不快感を抱くことはなかった。
指の動きを止めた光は口を開く。
「剛司は当然言ったよね? 変わりたいって」
「うん。言ったよ。でも朋の気持ちもわかる気がして……」
朋にずっと頼ってきた。一五年以上変わることのなかった関係があった。振り替えれば、常に朋に頼っていた自分の姿を剛司は思い出す。
「剛司も悪い所はあると思う。たしかに今までの剛司は人に頼りすぎで、自分の意見を言わなかった。特に朋に甘えているのは自分も感じてたし」
光の言うことは的確だった。だから剛司は素直に頷く。
「でも、朋も朋だ。グループで一番下になるって、どうして上下関係を考えるのか。そこが自分にはわからない」
「それは、僕のせいだと思う」
幼少の頃から築いてきた関係。そこに剛司よりも強い意味を見出していた朋。ずっと縋ってきた剛司は、気づかないうちに朋の一部になっていた。
「剛司は朋のこと、どう思ってるんだ? ちゃんと言いたいこと伝えたのか?」
「……まだ伝えられてない」
朋に対する気持ちは前から変わっていない。今でも朋は一番の親友だ。だけど思っているだけで、言葉にして剛司は朋に伝えたことがなかった。ずっと朋の話ばかり聞いていて、自分の話はほとんどしてこなかった。だから、お互いの思っている方向性にずれが生じてしまった。
コミュニケーションが不足していたことに剛司はやっと気づいた。
「だったら、ちゃんと伝えること。朋に剛司の思いを打ち明けることですね」
「うん。伝えるよ。でも……今は会うのが気まずいや」
昨日、後半はほとんど朋の会話を聞くだけで終わってしまった。剛司が朋のことをどう思っているのか。その気持ちを伝えることができないままでいる。
「大丈夫」
光は左手をハンドルから離すと、剛司の肩をポンッと叩いた。
「自分が朋を連れて来る。もともと七月三一日は剛司のフライトを見に行こうと思ってたんだ。だから亮と朋の三人で行く。意地でも二人を自分が連れて来るから。だから剛司は絶対に空美さんを飛ばしてあげて。朋については言いたいことだけ考えておくこと。練習に支障があったらまずいしね」
「うん……わかった。本当にありがとう、光」
剛司は思わず天井を見上げた。光の言葉に思わず涙が出そうになった。
「ひ、光って……剛司本当に変わったな」
笑みを見せる光がとても新鮮だった。そう言えばこうして二人きりで会話できているのも、以前の自分だったらあり得ないことだったのかもしれない。
確実に変わることができている。
これだけいろんな人に協力してもらっている。
その人達に応えるためにも、絶対に飛ぼうと剛司は強く思った。
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